第九話「肉を焼く。されど、それは長い道のりだった」

「カルア、キャンプ飯と言えば?」


 炎が鎮まった焚き火の上に金網を置きながら、営野がおもむろにそう尋ねてきた。

 なんで突然、クイズなのかと思うが、遙は普通に答える。


「バーベキューだと言いたいのかしらー?」


 目の前でバーベキューの準備をしているのだから、そう答えるのが当たり前だ。

 それ以外に答えようがないだろう。


「そうだな。他にはなにか思いつくか?」


「そうですわねー……カレーとか、かしらー?」


 遙は学校行事で行った林間学校のことを思いだす。


「ああ、俺もレトルトならたまに食べるな。グループで行くキャンプでアウトドア料理するのにも適している。あと鍋物も冬は多くなるな。手軽だし、温まるし。他にはピザやアヒージョ、ホットサンドメーカーでホットサンドとかも最近は流行っている」


「そうなのですかー。あまり詳しくはありませんがー。……あ。そう言えば、友人がホットサンドメーカーを買ったとかで喜んでいましたわー」


「ああ。ホットサンドメーカーは、ひとつもっていると便利だからな。さて。そうは言っても、やはり一般的に最初に出てくるのは、バーベキューだろう。もっと言えば、という行為だ。特に分厚いステーキを焼くという行為は、それだけで気分が上がる。そう思わないか?」


「そっ、そうかしらー? そうかも……しれませんわねー……」


 営野の謎の推しに怯みながらも、遙は半分だけ同意する。

 遙にしてみれば、そこまで盛りあがる話でもないが、泊や晶ならば確かに盛り上がるだろう。

 いや、絶対にあの二人なら大盛りあがりだ。


「俺自身も最初のキャンプ飯はバーベキューだったし、基本的には肉と野菜を焼いて終わりだった。その内、まずは飯を炊いてみたり、味付けにこだわってみたり、鍋料理をしてみたり、燻製を作ってみたりといろいろやってきた。だんだんとバーベキューメインはしなくなったが、やはりサイドメニューとして肉や野菜を焼くというのは、未だによくやる」


「はぁ……」


 不安を感じた散歩から帰ってきて、遙は営野に早めの飯にしようと言われた。

 それはいいが、唐突に始まった彼の語りの目的がわからず気のない返事をしてしまう。


「まあ理由は基本的に焼くだけという手軽さと、見た目のワイルドさだろうな」


「はぁ……。でも、なにかこぢんまりしていますわね」


 低い椅子に腰かけながら、遙は焚き火台を見つめる。


「わたくしのイメージですと、バーベキューは立って焼く、大きなグリル台があって、串打ちした肉や野菜を焼く感じでしたわー」


「まあ、大勢でやるならスタンディングスタイルの方がやりやすいからな。それに串打ちしてあれば、焼くのも配るのもやりやすい。でも少人数ならば、その準備をするより焼き肉スタイルで食べる方がいい」


「焼き肉スタイルー? そう言えば、バーベキューと焼き肉は何が違うのかしらー?」


「確かにその辺は難しいな。まずバーベキューは、もともと直火に当てない肉の丸焼き料理のことだったんだ。どちらかというと半日とか一日とか時間をたっぷりかけてする料理で、今のイメージとは違う。煙などで燻製するのもバーベキューに入る」


「あらー? では、これはバーベキューではないとー?」


「直火に当てて単時間で焼くのは、グリルと言うらしい。放射熱、熱い空気で焼くのがロースト。基本、アメリカンバーベキューと呼ばれるのはこれだ。今はそんな区別などしないだろうけどな。ただ、焼き肉とバーベキューだと、わりと明確な差がある」


「それは、なんですのー?」


「バーベキューは、全部焼いて、それを皿に盛りつけてみんなで食べるスタイルが基本で、それにはおもてなし要素も含まれているんだ。それに対して、焼き肉は自分たちの分を自分たちで焼いて、焼けたそばから食べていくのが基本スタイルだろう。だから、バーベキュータイプよりも、焼き肉タイプの方がソロキャンプに向いていると言える。」


「でも、バーベキューでもみなさん、焼きながら食べるのではないですかー?」


「今はだいたいそうだな。これは材料の違いでもある。焼き肉は火が通りやすい薄めの肉を使うことが多いが、バーベキューはもともと『丸焼き』と言うぐらいだから、厚い肉が主役になりやすい。そうなると焼くのに時間がかかるから、肉の面倒を見る人を決めて、焼けるまで面倒を見ることが多くなるだろう。ちなみにバーベキュー料理をする人は【ピットマスター】と呼ばれるらしい」


「バーベキューと言っても、焼き肉に使うような肉を使うから焼きながら食べるとー? 冷めやすいからとかかしらー?」


「そうだな。特に冬のキャンプでは焼きたてを食べた方が断然、おいしいだろう。だけど今日は時間もあることだし、じっくりとステーキを焼いていこうと思う。というわけで、使う肉はこれだ」


 そう言って取りだしたのは、オーストラリアビーフと書かれたシールが貼られた、確かに大きめのステーキ肉だった。

 白いトレーの上でパックされた肉は、遙が普段食べるような、さしが入った和牛とは違い赤身が多い。

 わりと硬そうなイメージに見える。


「では、下準備に入ろうか。カルアにやってもらうかな。料理の勉強はしていると言っていたよな」


「ええ、まあ」


「すでにしばらく外に出して常温に戻してある」


「常温にしておかないと、中が冷え過ぎてて火が通るのに時間がかかるからですわよね-」


「その通りだ。ここから、下準備に入るぞ」


「わかりましたわー」


 遙は営野の指示を聞きながら、小さな低いテーブルで調理を始める。


 まずは、筋を切る。

 赤身と脂身の境界に縦に包丁で切れ目を入れる。

 これはあまり大きくいれてはいけない。

 肉が厚いので、両面にいれていく。


 その後、肉を包丁の背で叩く。

 いい肉ならあまりやらないかもしれないが、叩くことで肉の繊維を砕いて柔らかくする。

 但し、これをやり過ぎると壊れた繊維から旨味が逃げてしまうのであまりやり過ぎないことが大切だ。

 また厚みは均等になるようにする。

 ちなみに、肉を叩く専用のハンマーとかも存在するが、キャンプにいちいちそういうのを持ちこむことは少ないらしい。


 そんな説明をしながらも、営野は同時に焚き火の熾火をキープしていた。

 今回は、熱を長持ちさせるためにさらに炭を投入している。

 そしてその炭を片側に寄せるようにして、3つの熱場を作っていた。

 炭がほとんどない場所、炭を集めた場所、そしてその間ぐらいの場所。

 こうすれば位置を変えるだけで、温度調整がしやすくなる。

 なんでも営野曰く、【日本バーベキュー協会】というところがあり、この分け方を「スリーゾーンファイア」と呼んでいるらしい。


(なにか……とまとまが聞いたら「かっこいい!」とか言いだしそうなネーミングですわねー)


 営野の話を聞きながらも、遙は泊が「スリーゾーンファイア!」とか叫びながら魔法を放つポーズをしているところを想像してしまう。


「どうした? なにか面白かったか?」


「いいえー、別にー」


 妄想で知らず知らず笑ってしまったのだろう。

 油断すると、すぐに泊のことを考えてしまう。

 遙は、気をつけなければと自戒しながら、話題転換しようとする。


「でも、そう考えると、バーベキューはこの焚き火台のように横長の方がやりやすいのかしらー?」


 目の前で赤い明滅を抱いている焚き火台は、直方体の箱形に脚がついたような形をしていた。


「まあ、確かにやりやすい。だいたいバーベキューを売りにしている台は長方形をしている。が、逆ピラミッド型とかでも大きさがそれなりにあればできることだ」


 そう言いながら、営野は金網を載せる。


「ちなみにこの焚き火台は、俺が気にいっているモンベル製のフォールディング・ファイヤーピットという製品だ。簡単に折りたためるし、二次燃焼で煙が少ないと使い勝手がすごくいい」


「二次燃焼……とはなんですかー?」


「こいつの場合、前後側面下部から空気を吸いこんで熱された空気を焚き火台の上の方に放出することで、焚き火台の中で燃えた、要するに一次燃焼での煙をさらに燃焼させるんだ。これで煙が出にくくなるし、燃料もよく燃えるようになる」


 営野が指さした先の焚き火台の内側には、いくつもの丸い穴が空いていた。

 今は特になにも起きていないが、焚き火をしているときは確かにその穴からまるで炎が吹きだしているように見えることもあった。

 どうやら、あれが二次燃焼というものだったのだろう。


「焚き火台なんて木を燃やすだけの入れ物だから、どれも同じような物だと思っていましたわー」


「そう思っても仕方ないよな。でも、実は焚き火台って、ものすごい種類があるぞ。カルアの父親の会社のひとつ、【WILD・CAT】でも焚き火台だけで数種類は出しているはずだ」


 そう言えば、店にいくつも並んでいたことを遙は今さらながら思いだす。

 何しろ興味が大してなかったから、視界に入っても気にしていなかったのだ。

 今度はもう少し気にしてみてみようと、遙は内心で考える。


「それで温度はこのぐらいでいいのかしらー? と言いますか、今が何度ぐらいだか皆目見当もつきませんけどー」


「温度は、ミシシッピテストという計り方があるそうだ」


「ミシシッピー? アメリカのミシシッピ州のですかしらー?」


「たぶんな。俺も詳しくは知らないが、炭の20センチ上に手をかざして、熱さにどこまで耐えられるかで判断する方法があるらしい」


「……それどんなプレイですのー?」


「プレイじゃない。掌で温度を測るわけだ。手をかざして、『ワンミシシッピ、トゥミシシッピ、スリーミシシッピ……』って数えて、『フォーミシシッピ』か『ファイブミシシッピ』ぐらいまで数えられると、200度弱ぐらいの温度でちょうどいいらしい」


「……はぁ?」


 思わず遙は、無感情のような表情で尋ねてしまう。


「いや、だから、ワンミシシッピ、トゥミシシッピ……」


「はぁ!? なにを言ってらっしゃるのですー?」


「そ、そんな奇特な人を見るような目で見なくても……」


「だってー、そんな数え方するなんて……嘘ですわよね?」


「嘘じゃない。マジだ」


「ほ、本当なんですのー? なんでミシシッピってつけるのか意味がわかりませんわー」


「そ、それは俺も知らんけど……まあともかくそのぐらいの時間、掌をかざしておけるぐらいの温度がちょうどいいらしい」


「はぁ……」


 遙はなんとも腑に落ちない。意味不明の言葉は、まるでトマリ語のようではないか。


――貴様の命は、あとスリーミシシッピだ!


 そんなことを言うキャラクターを泊が作りそうな気がして、また吹きだしそうになる。


 これは蛇足だが、泊が書く小説には、トマリ語を使うキャラクターはいない。不思議に思った遙は、そのことについて泊に尋ねてみたことがある。

 本人曰く、トマリ語(本人はトマリ語という言い方に否定的)を喋らせるキャラクターを出したことがあったらしい。しかし、編集者に「やめましょ?」と真顔で諭されたようだ。

 泊の人気作は、異世界転生のライトノベルの中でも、わりとシリアスなストーリー展開である。たぶん、その作風に合わなかったのだろう。


「さて。次は塩胡椒で下味作りだ。これは焼く寸前にやった方がいい。塩をかけると水分が出てしまう。すると旨味も一緒に逃げてしまうからな」


「ええ。それは料理の先生から聞いたことがありますわー」


「ただ、今回は塩胡椒ではなく、これを使う」


 営野は横に置いてあった小さなケースを取りだした。

 その蓋を開けると、中にはいくつもの瓶が入っている。

 それを4~5本とりだした。


「それは……調味料ですわよねー?」


「ああ。キャンプの定番、万能調味料だ。さあ、また選択の時だ。どれを使うか選べ、カルア」


「……はい?」


 遙は、唐突な営野の言葉に目を見開いてパチクリとしてしまう。

 肉を焼いて食べる。たったそれだけのことなのに、いくつもの新しいことを知る、長い道のりとなっていた。

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