第一〇話「食事はおいしかった。されど、それだけではなかった」

「選択の時って……何を大袈裟なー」


 日が落ちた暗闇の中、ランタンの下で思わず遙は吹きだしてしまう。

 たかが調味料を選ぶだけのことに、営野があまりに大仰に言うからだ。

 しかし、営野の顔は大真面目だ。


「確かに大袈裟かもしれない。だけど、そうじゃないかもしれない。さっきも言ったけど、選択をきちんとしていくことは大事なことだ」


「それはー……」


「キャンプというのは、日本語で言えば『野営』だ。野営はもともと軍事用語だと思うが、文字をバラせば『野で営む』、要するにということだ。生きていく中での選択は、それ以降の人生を大きく変化させる。幸せな人生、楽しい人生、悲しい人生、つまらない人生……選択ひとつで変わるのに、選択しないのは損じゃないか」


「そうかもしれませんがー……」


「なにしろこの選択では、今夜の主役である肉の味を大きく変化させる! それによって夕飯の幸せ度が変わってしまうかもしれないぞ!」


 と言ってから、営野が我慢できなくなったように笑うので、遙もつられて笑ってしまう。

 なんだ、やはりギャグなのか。わかりにくいなと思いながらも、遙の心に不思議となにか引っかかる。本当に、ただギャグを言いたかっただけなのだろうか。それにしては、何か物言いが気にかかる。


「さて、とりあえずここに俺がセレクションした万能調味料をいくつか持ってきた。まずはこれ、【マキシマム】だ」


 遙の気がかりを無視して、営野が瓶のひとつを前にだす。

 テーブルの上のランタンに照らされたその瓶には、小粒の砂のような粉末が入っていた。まるで少し濡れた浜辺のような色をしている。


「特徴はクミンの香りの強さだな。カレーを思わす風味が楽しめる。胡椒の香りも強いが、辛味はさほどではない。肉や魚などに合うが、カレーのようなスパイシーさがあるので、食材の味と相性を考える必要性はあるな。ちなみに、チーズとの相性はバッチリだ」


 とりあえず、遙は瓶の蓋を開けて香りを確かめてみる。

 確かにカレーを思わすスパイシーな香りが鼻をついた。


「次にこれ。アウトドアスパイスとしては有名になった【ほりにし】だ。アウトドアショップブランドの【Orange】というところの『ほりにし』さんという人が作ったので、この名前らしい。特徴はバランスの良さだろう。ガーリックがかなりしっかりと利いているが、それ以外に尖ったところはない。辛味もほとんどない。癖がないと言えるが、それだけに優秀な万能調味料といえる。全体に粒は大きめでカラフルだから見た目も楽しめるしな」


 その瓶には、貝殻が砕けてできた砂浜のようだ。赤や黒が混ざって確かに見た目もインパクトがある。

 香りも営野の言うとおり、ガーリックの匂いが一番最初にくる。


「次は、GABANギャバンの【アウトドア・ハーブ・スパイス】だ。この中では新参だな。特徴はなんと言っても香りだ。みかんの皮などが入っていて、非常に華やかで爽やかな香りが楽しめる。一方で塩分は控えめで味付けとしては薄めだ。さっきの【ほりにし】の半分以下の塩分しかない。だから、単体で用いるときはけっこうたくさんかけないといけないが、後から来る胡椒の辛味がわりとあるので注意が必要だ。逆に塩分が少ないことを利用して、すでに味付けされている料理に、もう少し風味や香りを足したいときには非常に便利だ。これで料理の雰囲気がガラリと変わる」


 それは瓶ではなく、銀色の缶だった。同じようなデザインのGABANの胡椒ならば、遙も見たことがあった。


「それから、これは【黒瀬のスパイス】。この中ではわりと古株だ。味の特徴は、なんと言っても胡椒の風味が利いていることだろう。また、塩分も一番強いし、旨味もしっかりとしている。肉のつけ汁の味付けも、これひとつでいけちゃうぐらいだ。先の【ほりにし】は使用しても『【ほりにし】を使った』とハッキリわからないかもしれないが、こちらは風味がはっきりとしているからわかりやすいな。パンや野菜にかけてもうまい、使いやすい万能調味料だ」


 営野が【黒瀬のスパイス】の瓶を先ほどの【ほりにし】と並べる。

 瓶の形も粉末の大きさも似ていたが、【黒瀬のスパイス】の方が色がかなり濃くなっていた。


「それからこれも新参の万能調味料だ。全国展開している、とあるアウトドアショップが出した【テンマク】というスパイスだ。特徴は、『和風旨味スパイス』と書いてあるとおり、他の万能スパイスとはかなり違った味付けがされていて、カツオ調味料と昆布調味料が入っている。だいたいこの手の万能調味料には、粉末醤油が入っているのだけど、こいつはそれをすごく感じる風味だ。とにかくダシの風味が強いので、個人的には魚にベストマッチだったな」


 また似たようなサイズの瓶がさしだされたが、今度は中身がかなり違っていた。かなり細かい粉末で、全体的に黄土色をしている。


「それから、これが【クレイジーソルト】で――」


「――ちょっと待ってください、お兄様ー」


 まだ続くのかと、遙は割ってはいる。


「そんなにいっぺんに並べられても困りますわー」


「そうか? カルアには、ぜひこの俺のセレクションから自分にピッタリの味を見つけて欲しいんだが」


「ピッタリの味って……万能調味料は世の中にこのぐらいしかありませんのー?」


「いや、100や200はあると思うぞ」


「なら、この中だけで自分にピッタリの味なんて探せないかもしれないではないですかー。お兄様だって、いくらなんでもすべての万能調味料の味を調べたわけではないのでしょうー?」


「ああ。その通りだ!」


「――えっ?」


 突然、営野が親指を立ててグッドのジェスチャーで応じる。


「わかっているじゃないか。人からさしだされた選択肢を『どれでもいい』と選ばないのもよくないが、だからと言ってその中から選べるとは限らない。つまり、そういうことだ」


「はぁー? いったいなにを言って……」


 遙は営野が何を言いたいのかわからず顔を顰めてしまう。彼が言ったことを否定したのに、それを勢いよく肯定されてしまった。どうにも今日の彼の言動は理解に苦しむ。


「まあ、とりあえずいろいろと味わってみないとわからないよな。せっかくステーキ肉がでかいから、部分的にわけていくつかかけて食べてみよう。味に変化があって飽きが来なくていいかもしれないぞ」


「はあー……そうですわねー」


 なんとも腑に落ちないが、遙は面倒になって問いただすことはしなかった。

 そしてやっと肉を焼き始める。

 初めは強火のゾーンで両面をしっかり焼く。


「肉に斜めに網の焼き目をいれると美味そうに見えるぞ」


 営野にそう言われたが、太陽が完全に沈んでしまうと、離れたランタンの光だけでは焼き加減がよくわからない。赤身の色の変化は、暗闇に溶けて非常にわかりにくいのだ。


「料理だけは、薄暗いとやりにくいよな。こういう時は、ヘッドライトが便利だ」


 ヘッドライト。またはヘッドバンドライト。要するに、頭にバンドで止めるライトである。それを営野は貸してくれた。

 遙はそれを頭につける。

 確かに視界がクリアになって便利だ。おかげで肉の焼き加減もよくわかる。しかし、髪型が崩れそうだ。


「ヘッドライトは頭につけず、首にかけて使うのもありだ。最初にライトをひとつだけ買うなら、ランタンよりヘッドライトを薦める。利便性が高いからな。工夫次第でランタンのかわりにもなる」


 営野は、もうひとつのヘッドライトを上に持ちあげる。


「S字管とか上手く使って上から吊せば、ソロテントなんかなら充分、ランタン代わりになる。それから水を入れたペットボトルを上手く使えば、テーブルランタンのかわりにもなるぞ。台を作るなどの工夫は必要だけど」


 そう言って今度は、上に向けたヘッドライトの上に営野が買っていた炭酸水の入ったペットボトルを載せて見せた。

 確かに光が水で反射して、想像よりも遙に明るい光源となる。


「もちろんランタンとヘッドライトは、両方あると便利だな。ちなみに、最初に買うランタンは、充電式のLEDライトが手軽でいい。オイルランタンとか雰囲気があっていいが、燃焼型はテントの中で使うのは危ないからな」


「確かにヘッドライトは便利ですわねー」


「って、ヘッドライトつけたまま、こっちを見るな。眩しいだろう」


「あらー。わたくし、そんなに眩しい存在でしたー?」


「自分で言うのか……。ちなみに、ヘッドライトはきれいな円を描くタイプが見やすい。その点、貸したLEDLENSERというメーカーのライトは、光の円周があまり滲んだようにならないレンズを使っていて、きれいな円ができて見やすいぞ」


「あらー。そういうのもあるのですねー」


 自分自身はあまり興味はなかったが、泊と会話するときの話のネタとしてはいいだろう。

 遙はとりあえず、ライトのことを頭に入れておく。


 ちなみに途中で、遙は営野から水鉄砲を渡された。

 この寒い中、まさか童心に返って水遊びをしろと言うことなのかと思ったが、さすがに違ったらしい。

 肉の脂が滴り薪から炎が上がったら、水鉄砲でそれを鎮火させるのだ。

 炎が強くなってしまったら、すぐに肉が焦げてしまう。それを防ぐためなのだが、なるほど水鉄砲を使うと簡単に鎮火できる。


「ファミリーでバーベキューをやるときなんか、子供にこの役をやらすと喜ぶらしいな。まあ、俺に子供はいないからわからんけど」


 その後、「分厚い肉は、アルミホイルで包んで熱を通す」とか、「肉焼き用の鉄板とか使うのもあり」とか、いろいろと営野からレクチャーを受けつつ、ステーキは見事に焼き上がった。

 それを切り分けて、サニーレタスと、【黒瀬のスパイス】を少々振って、かるく炙ったフランスパンをお供に食べる。


 味は、予想よりもかなり美味だった。

 いつも食べている蕩けるようなステーキとはまた違い、野性味を感じる味わいだ。

 しかし、四種類ぐらい使った万能調味料は、それぞれに味わいが違って何種類もの肉を食べているような気分で面白かった。

 肉に野菜、それにフランスパン。いつもの遙にしてみれば、質素な料理だ。

 食器だってテーブルだって簡易な物で、わざわざこんな山奥に来て食していた。

 なのに肉が焼けるのをワクワクとして待っていた。

 この感情は、遙もよく知っている。


「ああ。そうかー。わかりましたわー」


 遙はひととおり肉を食べてから、営野に微笑する。


「キャンプで食べるお食事は、おいしいだけではなく、楽しいのですねー」


「……そうだな」


 遙は周囲を見る。

 すっかり夜の帳が落ちた中に、いくつもの焚き火と共に、楽しそうなキャンパーたちの声が躍っていた。

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