塩原グリーンビレッジ

第八話「散歩を楽しもうとした。されど、不安になった」

 昼食を取り、食休みを過ごし、勉強をした。

 それでも遙はまだ時間を持て余していた。

 このまま日向ぼっこでもできればいいのだが、晴天とは言いがたい。今日のお日様は恥ずかしがり屋なのか、雲の影から出てこないのだ。お日様が顔を出さなければ、山間やまあいを吹く風の冷たさに、体がきゅっと縮こまる。これで日向ぼっこは、ちょっと難しい。


(ダウンを着ていても寒いですわねー。これはのんびりしていられませんわー)


 日が傾いてきたが、夕方と言うには少し早い。この時間でこの寒さだ。夜はかなり冷えこむのではないだろうか。もし何かやるなら、やはり今のうちだろう。

 そう思って、とりあえず遙は席を立つ。


(と言っても、キャンプらしいことも思いつかないしー。……そう言えば、お兄様はまだ仕事かしらー?)


 遙は横のテントの様子をうかがう。

 椅子に座った営野の体は、伸ばされた足以外、前室に隠れて見えない。焚き火からも少し離れてしまっている。

 仕方なく、そっと覗きに行くと、なんのことはない。ブランケットをかけて穏やかに居眠りをしていた。

 焚き火もすでに熾火となって、もう炎は立っていない。いったい、いつの間に寝ていたのだろうか。なんとも気持ちよさそうに吐息を立てている。

 とても誘拐犯の寝顔とは思えない。


(あらあらー。こんな美少女を誘拐しておきながら放置なんて、本当に失礼ですわー。……まあ、仕方ないから、一人で散歩でもしましょうかねー)


 度の入っていない黒眼鏡ごしに、周囲を見わたす。

 そこまで大きなキャンプ場ではなさそうだが、いろいろなテントが立っているし、施設も何かありそうだ。ちょっと見て回るのもいいかもしれない。



――最近はキャンプ場でいろいろなテントを見て回るのも、ほむほむして楽しい。



 ふと、泊が言っていた言葉を思いだす。

 彼女が言う「ほむほむ」が何を示しているのか、正確にはよくわからない。たぶん、「いい感じに楽しい」と言うことなのだろう。

 泊がそう言うならばと、遙はテントを眺めながら歩くことにした。

 まずは営野の車から、置きざりにされていたキャンプ場の簡易マップを拝借する。



●塩原グリーンビレッジ・マップ

https://shiobara-gv.net/parkmap/



(あらー。駐車場の向こうにもサイトがあるのねー。わりと広いのかしらー。うちの敷地より狭いからよくわからないけどー)


 お供は、財布や電源を落としたスマートフォン、部屋の鍵にハンカチ、ティッシュ、それに先ほどまで使っていた勉強用の電子辞典などが入ったサイドバック。

 それを肩からかけて、遙はとりあえずぶらぶらと歩きだす。


(さっきも気になったのですけど、なぜこんなところに池があるのかしらー?)


 歩いてすぐ、かなり小さな池が2つあった。

 囲いなどないため、夜中はライトがないと気がつかないで落ちてしまうかもしれない。

 地図を見ると、「ちびっ子釣り堀」と書いてある。どうやら子供用の釣り堀だろうが、オフシーズンのこの時期には魚の姿などありはしない。


(で、あっちがテニスコートねー。キャンプ場にテニスコートって珍しい……わよね?)


 左手にテニスコートが二面、さらにその奥にはミニフットサルコートがあるようだ。

 その横には、大小のロッジハウスが木々にまぎれるようにして並んでいる。

 右の方を見ると、さらに他にもロッジハウスが並んでいた。

 かなりあるのかと、遙はマップを確認してみる。


(ログコテージ、ラージキャビン、ログバンガロー、ミドルキャビン、森のコテージ、トレイルバンガロー……違いがわかりませんわー)


 地図には、なんだかいろいろな名称が書いてあったが、何が違うのか名前だけだと区別が難しい。

 遙は考える。確かコテージは、別荘とか山小屋とかを現す。一般的には、少し料金高めのイメージがある。

 キャビンは、船の客室のことだが、こちらも少し高級感を感じる呼び方だ。しかし、コテージと何が違うのかわからない。


(うーん……予想としては、コテージが別荘なら、お風呂……少なくともトイレとかついてそうよねー。キャビンはついてないとかかしらー)


 しかし、実物を見てみるとキャピンにもトイレなどがついているらしい。やはり区別がわからない。


(さらに、バンガロー……これは、なにかしらねー)


 スマートフォンで調べようかと思ったが、電源は落としたままだ。ネットワークには繋がっていない。

 どうしようかと、鞄の中身を見て電子手帳がある事を思いだす。

 試しに辞書で「バンガロー」を検索してみる。


(バンガロー……もとヒンディー語なのねー。えーっと、インドのベンガル地方独特の、軒が深く正面にベランダのある平屋建の小住宅。ああ、ベランダがあるタイプなのねー)


 遙の家でもっている別荘でも、ベランダがついている建物はいくつかある。しかし、平屋建てではないため、バンガローにはならないのだろう。


(六人用……ってあの狭い中に六人も入るのかしら。一人用のまちがいのような気もしますわねー。押しこまれたカラオケボックスみたいですけどー。ああ、でも、とまとまと一緒に泊まれば密着して過ごせそうですわねー)


 そんな妄想を膨らませるが、一八歳未満お断りシーンに達しそうなところでストップさせて、また周りに目を向ける。


(本当にテントっていろいろあるわねー)


 四角錐のとんがり帽子みたいなの、卵を半分に切ったみたいなの、芋虫みたいなの。今まで大してテントに興味などもたずにいたが、改めて見るといろいろなタイプがうかがえる。

 泊がテントの話をするのも何度となく聞いているが、わりと内容は聞き流していた。遙にとって重要なのは、内容ではなく泊が嬉しそうに話す様子だったからだ。

 それでもいくつかキーワードは覚えている。


(あれはティピー型で、あちらがトンネル形でしたっけ。コールマン、スノーピーク、ロゴス……メーカーも、とまとまが言っていたわねー。でも、わりとかぶっているかしらー?)


 種類はたくさんあるのだが、こうしてみていると似たようなテントや同じ形のテントも多い。

 色に関しても、たまに珍しい配色があるとはいえ、ベージュ系、ブラウン系、グリーン系が全体的に多いようだ。


(ナチュラルカラーという感じなのかしらー。わたくしのテントはかなり派手な緑でしたけど……あっ)


 ふと目についたのは、遙の立てたテントと同じテントだ。

 その前では、こなれた感じで薪割りをするキャンパーの姿があった。


(不思議ですが、親近感がわきますわねー)


 同じ物を使っているというだけなのに、なぜか見ず知らずの人にかるい仲間意識がわいてしまう。

 心の中で「お互いに楽しみましょう」などと声をかけてしまう。


(……また……)


 だが、それも最初の一、二つだけだ。三つも同じのを見ると、むしろ遙には不快な気持ちがわいてくる。

 これは不思議だった。なんとなく自分が、十把一絡げにされている気分になっていたのだ。特に彼女は普段、オーダーメイドの品を使うことが多い。それと比べてしまうと、自分の個性が潰されたようにも感じてしまう。


(ああ、なんか嫌ですわー。もっと珍しいテントにしてくださればよかったのに、お兄様ったらー)


 などと思ってしまうが、それはとんでもない我が儘だ。ただでさえ迷惑をかけてつれてきてもらっているというのに、そんな言い分を思うことさえ烏滸がましい。


(わたくしが買うなら、やはり形も色も珍しいものを選びますわー。あっ。飾りつけをこだわってみたりすれば、イメージが変わるのではないかしらー)


 そんなことを考えながら、さらに進む。

 すると左手には、キャンピングトレーラー、それにまた木造の建物が見えてきた。


「トイレ……それに【野天の湯】。無料のお風呂というのはいいですねー」


 さらにその横には、少し大きめの屋根と壁がある炊事場が建っていた。

 泊が「雨が降ると、炊事場に屋根がないとつらい」と言っていたが、これなら雨でも余裕で洗い物ができそうだ。それに冬の寒い風もかなり防げて楽だろう。

 隣には同じように、屋根も壁もあるバーベキューハウスまで存在していた。


(とまとまにも教えてあげたいわー)


 さらに進むと、今度は魚のつかみ取りのプールに、夏向けの子供向けプールがある。

 その目の前には、バイク用の小さなソロサイト。

 泊が来たならば、こういうのを利用するのだろうか。

 遙は泊がキャンプをしているシーンを想像して、ほっこりしてしまう。


(あら。山道の散歩道がありますわー)


 キャンプ場の裏にある山への道がある。

 名前は【塩原渓谷遊歩道】で、もうひとつのキャンプサイトや【不動の滝】というところに繋がっているらしい。


(まだ暗くならないわよねー。まだいけるかしらー)


 異界のキャンプ場に、ぽっかりと空いたさらに異界に進むような入り口。

 遊歩道と言っても、土の上に木々と葉っぱ、大き目の石が転がる自然の道だ。

 わりと急な坂道となっている。


 普段の遙なら、きっと進まなかっただろう。

 しかし、今日の遙は冒険したくて仕方なかった。


 遙はまわりをキョロキョロと見まわしてから、異界に足を踏み入れる。

 視界がふっと暗くなる。

 そもそも曇っていたのだが、木々の下に入ると驚くほど暗くなる気がする。

 ただ、それだけに木漏れ日の光が、妙に明るく感じられた。


 飛びだした枝などを避けながら少し進むと、右下にはテントサイトが見えた。

 自分のテントを探すと、すぐに見つけることができる。

 さらにその横には、営野の姿。

 彼は目が覚めたのか、薪割りを始めていた。

 焚き火の炎も、また上がり始めている。


(誘拐された人質が逃げたことに、ちゃんと気がついているのかしらー)


 営野の呑気そうな姿に、遙はクスクスと笑ってしまう。子供の頃の悪戯心が蘇ってきたようで、少し楽しくなっていた。


 だが、足をとめて笑っていたのも束の間。

 遙は背後から人が遊歩道を登ってきていることに気がついた。

 わりと離れているが、女性キャンパーのようだ。

 見るからに動きやすそうなジャケットに、裾がきゅっと結ばれたパンツのアウトドアっぽい姿だ。深めに帽子をかぶり、マスクをしているために表情はわからない。登山用の革靴で、しっかりとした足取りでゆっくりゆっくりと坂を登っていた。


(どう見てもガチ勢っていう感じよねー)


 行き交うことがギリギリできるぐらいの道幅。別に横を抜けてもらうこともできるだろう。だが、邪魔になるのはよくないと遙も足を進めた。


(…………)


 ところがしばらく歩みを進めていると、後ろからついてくるキャンパーが気になってしまう。薄暗い道で、女性とはいえ二人きり。一本道だから仕方ないのに、なぜか後をつけられている気分になってきてしまう。


(なぜこんなに気になるのかしらー……。まさかわたくし、怖がっているのー?)


 ふと、ここで襲われたらという恐怖。一人でいることの不安を感じる。

 今まで周りに必ず人がいた。家族でも、家政婦でも、護衛でも、友達でも、誰かしら知っている者がいた。こんな風に完全に一人でいるということは、今まで味わったことがなかったのだ。


(あっ! 降りる道……)


 地図には書いていなかったが、【福のゆ】という温泉施設の近くに降りる横道が途中にあった。遙は思わず、そこから遊歩道を抜けることにする。最後まで行って滝でも見てこようと思ったのだが、そんな気分ではなくなっていた。


 そのまま遙は早足で自分のサイトに向かっていく。

 不安を振りきるように脇目もふらずにテントへ向かう。


「お。帰ってきたな。そろそろ飯の支度をするぞ」


 テントに戻ると、クーラーボックスから肉を取り出していた営野が明るい顔で迎えてくれた。

 その顔を見たとたん、ほっとため息がもれて、いつの間にか強ばっていた肩から力が抜けた。


「え、ええ。わかりましたわー」


 そう返事をしながらも、遙は自分の心臓が早鐘を打っていたことに気がつく。

 もちろん、それは運動をしたからというわけではない。急に訪れた不安、寂しさ、人恋しさに、心が急かされたからだ。


一人ソロって……こんなに怖いのー? 本当のソロキャンプなんてテントに戻っても誰もいないのよねー。とまとま、こんなことをやっているなんて……)


 遙は今まで知らなかった親友の強さを知って、改めて尊敬の念を彼女にもつのだった。

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