第六話「暇だった。されど、それもキャンプだった」
まさか遙自身も、営野とあんな話をするとは思わなかった。
(我ながらビックリですわー……)
普段座らないような、軽くて小さな椅子に腰かけ、遙はうそ笑みながら周囲を見る。
少し離れたところにはロッジが建ち並び、周囲にはテントがぽつんぽつんと立つ。そんな木々に囲まれた空間は、確かに異世界の小さな村を思わせた。
なるほど。大袈裟かもしれないけど、ここは自分にとって異世界だ。そんな違う場所に来たのだから、いつもの自分らしからぬことを言っても不思議はないのかもしれない。
(なんてー。これもまた、キャンプの魅力ということかしらー?)
焚き火を囲み、いつもと違う距離感で、自然の香りに包まれて行う、日常とは違うコミュニケーション。そこから生まれる、不思議な解放感、謎のワクワク感、奇妙な期待感。
いつも一歩離れた所から周囲を見ている自分は、冷静な人間だと思っていた。それなのに、今はわからないことだらけの自らの感情に振りまわされている。
(シチュエーション的にもすごい状態ですからねー。なにしろわたくし、誘拐された被害者ですしー)
ちなみにキャンプだけではなく、誘拐されるのも初体験だ。富豪の家に生まれた子供ではあるが、やはり日本は治安がいいのだろう。今まで危ない目に遭ったことは幸いにもなかった。
(というより、弥生たちが陰から守ってくれていたからでしょうけどー)
そうだ。普段なら、年の近いメイドの弥生を始め、遙にはボディガードがついている。しかし、今は自分を守ってくれる者たちはいないのだ。
そんな中で男性と二人で過ごすなんて、考えてみればドキドキしても仕方ないだろう。初体験のバーゲンセールのようだ。
もちろん男性と二人で過ごすというだけなら、見合いの席や親睦を深めるための形ばかりのデートを何度か経験したことがある。
ただ、少なくとも今のようなドキドキ感はなかった。つまらない「仕事」みたいなものだったから。
(ところで……なにしようかしらー)
テントの前室に椅子を置き、そこに座ってぼーっと周囲を眺めていた遙は、はたと我に返る。
昼食という名のインスタントヌードルを食べた後、やることがなくて手持ち無沙汰。スマートフォンを使うわけにもいかないし、小説や漫画も手元にない。ひたすら目の前の小さな焚き火を見ている。
ちなみに先ほど営野に「寒い」と訴えかけたら、自分の火種をいれた小さな焚き火台を用意してくれたのだ。
小さいから熱量はさほどでもないが、寒さは少し和らぐ。ただ、小さくした薪をどんどん足さないとすぐに火が消えそうになる。なんて
(まるで耐えるために、ここにいるみたいねー……って、寒いわー)
かるく風が吹き、少しだけ身震いする。前室で多少は風よけができても、寒いものは寒い。
そう言えばと、最初に受けとっていたペンドルトン柄のブランケットをテントの中からとりだし、自分の体を包んでみる。
(これはなかなか……)
風を遮ってくれるため、かなり温かく感じる。これと焚き火があれば、充分に過ごせそうだ。
もちろん、本当ならテントの中に入るのが一番だとは思う。ただでさえ遙は寒がりなのだ。無理して外にいる必要などないのかもしれない。
(でもねー。なんかテントに入ったら負けのような気がするのよねー。ふふふ……)
理由などない。あるのかもしれないがわからない。とにかく遙には、理解できない意地が芽生えていた。
だってせっかくキャンプに来ているのに、狭いテントの中に引きこもったらなんの意味もないではないか。そう思えて仕方がなかったのだ。
その一方でわざわざ寒さに耐えてぼーっとしているなんて、どれだけ愚かなことだろうとも思う。
(でも……不思議とすごく贅沢している気分ですわー。ああ、もしかしたら、「無駄」って最高の贅沢なのかもー。……だけどー……)
だけどだ。やはりせっかくキャンプに来ているのだから、ぼーっとしているだけはもったいない。営野がいう目的を考え、キャンプらしいことをしてみたいではないか。
では、なにをすればいいだろうか。実際のところキャンプらしいことなど、遙にはまったくピンと来ない。
キャンプのイメージというと、テントで寝る、バーベキューをする、焚き火をする……そのぐらいしか遙はもっていないのだ。
(こういう時は、やはり経験者ですわねー)
ちらりと横のテントをうかがう。
ずっとソロキャンプをしている営野ならば、いかにもキャンパーとでも言うべきことをやっているに違いない。そうだ。あれほど「なにをやるかという目的が大事」と言っていたではないか。彼が具体的になにをするのか見てみれば、きっと役に立つはずだ。
(……ちょっと、お兄様……それは……)
ところが営野がしていたことは、とてもキャンパーらしさとはいえないことだった。
なんとパソコンを膝の上において、難しい顔をして画面を見つめながらキーボードやマウスパッドを操作していたのだ。
(ま、まさかー、ここまできてー……)
仕事だ。まずまちがいなく仕事をしている。現実逃避しにきたと言っていたのに、
本末転倒ではないかと、遙は思わず吹きだして笑ってしまう。おかげで、バランスを崩して椅子ごと横に倒れそうになる。
(あ、危ないですわー……。あ、脚が地面に少し食いこんでるー。この椅子、ちょっと怖いですわねー)
学校にある椅子と比べても、かなりフレームが細い。先ほど営野は「ヘリノックスの椅子は丈夫だ」とか言っていたけど、そうは見えないし、そもそもヘリノックスがなんなのかも知らない遙にしてみれば、信用の根拠がない。
それに「丈夫だ」と言った営野の言葉に、今は説得力が失われている。「現実逃避」で「やりたいこと」が、まさか「仕事」だというのだろうか。所詮はそれっぽいことをいっただけではないだろうか。
(そうよねー。やっぱり適当に言っただけだわー。だって、キャンプ場でやりたいことが仕事とか――あっ!)
そう言えばと、思いだしたのは泊の顔だ。
彼女がなぜキャンプを始めたのかを思いだす。
(そうですわー。とまとまも小説を書きにキャンプに行くと……)
泊の執筆も立派な仕事だ。つまり、彼女はそもそも仕事をするためにキャンプを始めたことになる。
そしてキャンプ自体が楽しくなった今も、彼女はテントを立てて執筆を続けている。
(これは……
人気作家となり、いつも締め切りに追われている泊。
ベンチャー企業で成功しているからこそ仕事に追われている営野。
そんな二人はキャンプ場に逃げても、仕事に追われてしまっているということなのだろうか。「不自由な自由」の不自由の一部なのだろうか。
それとも、二人は仕事をやりたいこととして、キャンプ場に持ちこんでいるのだろうか。「不自由な自由」の自由の一部なのだろうか。
(とまとまは……うふふふ。やりたくてやっているわよねー、あれはー)
少なくとも泊は、仕事をキャンプに連れて行った感じだ。そもそも泊は執筆という仕事が好きで仕方がない。
そして、きっと営野もそうなのだろう。なんとなく二人は、そういうところが似ている気がする。
(自由だから、仕事をしようが、ぼーっとしようが、それもキャンプというわけかしらー)
ならば自分はどうするかと、遙は一考する。
ふと自分の手荷物のことを思いだす。
(あ。学校に行くと嘘をついたから鞄を持ってきていたのでしたわね)
鞄の中には確か英語や社会の教科書が入っていたはずだ。
毎日、家庭教師によって定められている日課の予習、復習ができなくなるので、ここでやればちょうどいいのではないだろうか。
(学生の本分は勉強ですしねー……)
キャンプ場に来てまで勉強する。
それがキャンプらしいと言えるのかはわからない。
でもなんとなく、自分でやれることを探して、自分で選んで、自分でやるという自由に、遙は心が躍るのであった。
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