第五話「自由は怖かった。されど、自由を選びたかった」
「俺はさっきお湯を沸かすのに『焚き火にするか、ガスバーナーにするか』と尋ねたよな。そしてカルアはガスバーナーを選んだ」
何が言いたいのかわからないが、とりあえず営野が言っていることは事実だ。
だから、遙は小さくうなずいた。
「ええ、そうですわー。だってそちらの方が、手っ取り早いですものー」
カップラーメンを作る湯を沸かすだけのために、薪に火をつけるなどやりたくない。ガスバーナーがないならば仕方ないが、どう考えてもガスバーナーの方がいいに決まっている。
「まあ、その通りだよな。でも、焚き火をしていれば、その後にこうやって寒くなった時に温まることができたかもしれない」
「……お兄様は焚き火を選べばよかったと仰るのですかー?」
「いいや、違う。単なる選択の結果だっただけだ。まあ、お湯をガスバーナーで沸かしながら、焚き火に火をつければ一番よかったのかもしれないけど。ただ、そこは問題じゃない」
回りくどい物言いに、遙は少し苛立ちを感じてしまう。
「ガス缶、いろいろあっただろう?」
これは一言文句をと思っていた遙に、先んじて営野がまたそらすようなことを口にした。
しかたなく、かるくため息まじりにまた彼女はうなずく。
「ええー。ありましたわねー」
「カルアなら、それを見て変だなと思ったはずだ。なぜあんなにいろいろな種類を並べていたのか」
「それはまあ……」
「でも、きみは流してしまった。選択するという選択をやめてしまった」
「それは……大した問題ではないとおもったからですわー」
「そう、かな? とりあえず、お湯はわけてあげるから、コップを持っておいで」
「…………」
意味がわからないが、喉が渇いていることはまちがいない。
本当はきちんと茶葉からいれたいが、ここにあるのはティーパックだけ。それでも贅沢は言っていられない。
営野にコップをさしだすと、お湯をさっと注いでくれた。
それを手にしながら、彼の誘うままに彼の予備の椅子に腰かけた。
「これらがさっき並べたガス缶で、これがカルアが選んだガス缶だ」
そういうと、ローテーブルに並べてあったいろいろな種類のガス缶から、遙が持っていったのと同じガス缶が渡された。
もちろん、どう見ても普通のガス缶だ。
「これがどうしたというのですー?」
「俺が並べたガス缶は、メーカーだけでなくいろいろなガス缶をおいていたが、それはその中でもっとも一般的な一種類だな。成分が書いてあるだろう?」
「成分? ……この『可燃ガスLPG(液化ブタン)』というのですか?」
「ああ、それだ。ごく一般的なCB缶と呼ばれるガス缶は、だいたい液化ブタンで構成されている。ノルマル(ノーマル)ブタンってやつだ。それに対して……これを見てみな」
「パワーガス……なんですかーこれ?」
営野がさしだしてきたのは、ガラや名前は違えど、形はまったく先ほどのガス缶と変わらなかった。
しかし、遙とてバカではない。そこまで言われれば、自分から成分を確認する。
「液化ブタン、液化プロパン……プロパンが入っていますの?」
「ああ。プロパンは沸点が低くて、マイナス40度とかでも着火できるらしい」
「でも、プロパンガスって危なくありませんの?」
遙のイメージでは、非常に丈夫そうなタンクにつめられているガスだ。
「確かに内圧がすごく高くなるから、五パーセントとかそんなものしか含まれていないようだ。ただ、それだけでも火は付きやすくなる」
「ならば、これにすれば良かったと言うことですかー?」
「ところが火のつきはいいんだけど、ブースターで缶を温めておかないと、結局は弱くなってしまう。プロパンはノルマルブタンより先に燃え尽きてしまうから、缶が冷えてしまうと火が消える【ドロップダウン現象】というのが起こる」
「まあ、火が消えるのは知っていますが、ブースターとはなんですのー?」
「こういうのだな」
そう言って営野が指をさしたのは、彼が使っていたガスバーナーに取りつけられていたガス缶だった。
それには、別パーツらしい金属の厚いプレートが貼りついている。そのプレートから棒状のパーツがクネッと伸びて、先端がコンロの炎が出る部分に達していた。
「それは、もしかして炎で棒の先端を温めて、その熱を缶に伝えて温める……という仕組みなのかしらー」
「正解。さすがだ。家庭用コンロとかだと最初からついていたりするが、こういうコンパクトなバーナーはオプションとなってしまう。ただ、これも長い時間、使うから意味があって、途中で火を止めると効果はなくなってしまう。結局、冷めてしまうからな。そこでこういうのもある」
営野はまた別のガラのガス缶を手にした。
それにはプレミアムガスと、これまた偉そうな感じの名前がついている。
「イソブタン95%……なんかまた種類が増えましたねー……」
「ノルマルブタンは、沸点がマイナス〇・五度。つまり零下になったらほとんど着火できなくなる。それに対して、イソブタンはマイナス一一・七度。よほど極寒の地でキャンプをしない限りは、これで事がたりることになる。まあ、その分だけ単価は上がるけどな」
「なるほどー。見た目は同じようでガス缶にもいろいろと種類があるのですねー」
「そういうことだ。それをわかりやすくするために、わざわざいろいろな缶を並べたわけだ。そして、カルアはそのことに気がついただろう? これだけ不自然にいろいろな種類が並んでいることにきっと意味があると」
確かに遙は疑問に思った。
しかし、それが何だというのだ。
ガス缶の知識がなければ、こんな違いなどわからないではないか。
どうせ、どれをとっても同じだと思ったっておかしくないはずだ。
「問題は、そこで漫然と並べられた物を手に取ってしまった、きみの思考だ。『どうせどれも同じ』とかいう、
「――!!」
あまりに図星で遙は息を呑む。
ふだん悠然と構えるようにしていた遙だったが、自分でも驚くほど動揺してしまう。
彼女は落ちつくために、紅茶を口にする。
ティーパックだから香りは弱い。それはわかっていたが、今はなぜか味がしない気がする。
「先日のグランピングも人任せで、自分で選ばなかったんだろう。だから結局は、満足できなかった。楽しめなかった」
「でも、それはわたくしがよくわからないからで――」
「だから、自分で選ぶのは意味がないと? 自分で調べて自分で動けばいいだろう?」
「そ、それは……。そんなことをしてもどうせ――」
「
「――あっ!」
遙は自分の言葉に驚き、顔を背ける。
それは油断した遙がもらした本心だ。
どうせ普通のキャンプなどできっこない。自分に自由なんてないのだ。
「ソロキャンプは、最初から自分自身で行う選択の繰りかえしだ。いつ、どこに行くか。どのようなキャンプをして、なにを食べるのか。そのために何を持っていくのか。どう収納して、何で行くのか。それらすべてを自ら選択しなければならない。さしだされた物を手にするだけの人間や、『どうせ』とあきらめる人間では、ソロキャンプはできない。……いや。何かを掴もうと、自ずから動こうとする人間じゃないと、こんなバカなことするわけもないか」
「バカなことー?」
「だってそうだろう。キャンプは金を払って不便なことをしに行くんだ。それだけ聞いたらバカみたいじゃないか」
「ええ、まあー……」
その通りだ。遙は、まったく同じことを感じていたのだ。どうしてこんなことをするのか、まったく理解できなかった。
そして、たぶんそれこそが遙の焦燥だったのだ。大好きな友人たちが好きな物を自分が理解できないというのが嫌だったのだ。
だからこそ、自分もしてみたいと思ったのだ。
ただ、漫然と。
「どんなキャンプにでも目的があるんだ。それは難しい話ではなく、『まったりしたい』とか『自然の中にいたい』とか、もっと言えば単に『テント泊したい』とかそんな単純な話かもしれない。ただ、漠然としている目的でもいいけど、
また心を読まれたような言葉を送られ、遙は少し苦々しく感じてしまう。
なにか言い返さなくてはいられない。
「わ、わたくしとて目的はありましてよー。今回のは『ソロキャンプの楽しみを知りたい』という目的ですわー」
「それは俺からしてみたら、『生きていく楽しみを知りたい』と同じような質問だ。それ自体が楽しいわけじゃない。そこでする何かから楽しみが生まれる。その楽しみの集合体としてキャンプという名があるだけだ。だから、何かすることを目的としなければならない」
「何かって……たとえば、一人で景色を楽しみたいとかでいいとー?」
「ああ。それが目的なら、一人でゆっくりと景色を楽しめばいい。やりたいことをやれれば、そりゃ楽しいだろう?」
「ならー、お兄様のキャンプの目的はなんですのー?」
「俺か。そうだな……これは前に誰かに言ったことなんだが、俺は
「そっ、それは……」
遙は営野の言葉に、と胸を衝かれる。「自由な不自由」と「不自由な自由」、その言葉は、ずっと自分の中にあったからだ。
自分に自由はない。だから、不自由だ。しかし、不自由な生活はしていない。
だから、自分は営野曰く「自由な不自由」に生きてきたのだろう。
もちろん、遙はそれでいいと思っていた。なにしろ「不自由な自由」は恐ろしく、そもそも歩むことさえ許されない世界なのだ。
(だから、わたくしは泊の創る世界に憧れた……)
最初に泊――【
その異世界ファンタジーの世界は、現代社会から転生した人間にとっては不自由の多い環境だった。しかし主人公は、その不自由な世界で自由に生きて人生を謳歌していた。
まるで不自由さえも楽しむように、「不自由な自由」を生きてきたのだ。
遙は思った。たとえありえないことだとしても、そんな世界に自分も生きたいと、そんな風に生きてみたいと。
ところが今、営野は言った。
ソロキャンプは「不自由な自由」の世界だと。
それはつまり――。
「あはは。意味がわからんか。まあ、現実逃避というか気分転換……ちょっとした、異世界転移気分ってやつだな」
「…………」
その瞬間、遙は目的を見つけた。
ほんのひとときでいい。彼女は「不自由で自由な異世界に行きたい」のだ。
不自由な中でも自分が選べる世界に行きたかったのだ。
もし、ソロキャンプでそういう気分だけでも味わえるなら、それを楽しみたい。
「異世界転移って……そんなアニメやラノベみたいなこと言うんですねー」
「わ、悪かったな、子供っぽくて。ちょっと最近、読み始めてんだ、異世界転生ものとかな」
「そうなのですねー。でも、わたくしも好きですよ、異世界ファンタジー」
「……そうか」
「ええー」
遙は渇いた口に紅茶を注ぐ。
少し温くなっていたが、なぜか先ほどよりも香りが鼻をくすぐった。
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