第四話「カップラーメンを食べた。されど、紅茶は飲めなかった」

(えーっとー……これでわたくしに、どうしろと言うのかしらー?)


 目の前のテーブルの上には、ガスバーナーらしきものに、ステンレス製のケトル、金属製のコップ、シエラカップ、箸、それにカップラーメンが1つ。

 そう言えばと、遙は自分が空腹になっていることに気がつく。


 今は14時を過ぎているというのに、朝食をとってから今まで何も食事をしていなかったのだ。

 途中のサービスエリアかなにかで食事でもするのかと思っていたが、そんなことをすれば見つかる可能性が高くなると言われればその通りだった。

 おかげでまだまだ育ち盛りの遙は、かなり空腹状態である。


(つまりランチは、このカップラーメンを食べろー……ということなのかしらー)


 別に遙とて、カップラーメンぐらい食べたことがある。

 といっても、泊から何度か味見をさせてもらった程度で、最初から自分で作ってまるまるひとつを食べたことはさすがになかった。


(まあ、作ると言ってもお湯を入れるだけですし、とまとまにさえできたことですしー……って、お湯はどうするのかしらー?)


 もちろん、ボタンを押せばすぐにお湯が出るような便利な道具は置いていない。


「…………」


 カップラーメンを手に持つと、遙は営野のテントに歩みよった。

 彼は椅子に身を預け、オッドマンのようなものに脚をのせて、優雅に手にしたタブレットPCでなにかを見ている。

 誘拐犯のくせに、なんともまったりとキャンプを堪能していた。


「お兄様、読書ですかー? 楽しんでいらっしゃいますわねー」


「まあね。何か用事かい?」


 かるい皮肉など歯牙にもかけず、ビールを口に運びながらの呑気な口調。

 遙は内心で苛立ちを感じながらも感情を抑えて尋ねる。


「わたくしのランチは、このカップラーメンということでしょうかー?」


「ああ。俺のおすすめの味噌味だ。うまいぞ」


「うまいぞってー……。もう、いいですわー。それでお湯はどこでいただけますのー?」


「そんなの沸かすに決まっているだろう」


「……ですわよねー」


「水場はあの建物の反対側にある。ケトルがあっただろう? それに水を入れて湧かすことになるのだが、焚き火台に火を入れてそれで沸かしてもいいし、ガスバーナーを置いておいたから、それで沸かしてもいい。好きなのを


「……ガスバーナーにさせていただきますわー」


「なら、そこにガス缶が並んでいるから、好きなのを持っていってくれ」


 そう言って彼が指さした先には、小さなコンテナボックスが置いてあり、その上には何種類ものガス缶が並んでいた。


(どうしてこんなに多種……まあ、なんでもいいですわ)


 遙はその内の一缶を適当に手にする。


 そして振りかえると、もう営野は読書に戻ってしまっていた。

 自分を放置する、いつもと違うその態度。

 遙はその様子に、またモヤモヤとしたものを感じてしまう。


「お兄様ー。わたくしはてっきり、地元のおいしい食材とか買ってきて、キャンプっぽい食事をご馳走してくださるのだとばかり思っていましたわー」


 だから、無駄とは思いながらも苦情を少しもらしてみる。

 きっと「カップラーメンもキャンプ飯っぽいだろう」とか言って、一笑に付されることはわかっている

 なにしろ泊からも「カップラーメンは立派なキャンプ飯!」とよく聞かされていた。

 しかし同時に、泊は「地元のおいしい物を食べるのも醍醐味!」とも言っていたのだ。


「少し残念ですわー」


「カルアの高校は、山岳さん……お祖父さんのご指示で普通の高校だったよな」


「……はい? え、ええー……」


 脈絡のない営野の問いに、遙は戸惑ってしまう。


「その学校にいる一緒にキャンプに行きたい友達は、みんなカルアと同じような金持ちなのか?」


「そ、そんなわけはー……」


「ならさ、きっとそんな友達と行くキャンプは、いつもいつも地元のおいしい物を食べられるようなキャンプにはならないと思うぞ」


「……そう……ですわねー……」


「カルア、ちゃんと爪を切ってきたんだな」


 ちらっと営野の視線が自分の手を向いたことに気がついた。

 それがなんとなく、なぜか恥ずかしくなって手を後ろに隠す。


「こ、これは、お兄様が切ってこいとー……」


 キャンプに連れて行く条件の1つとして、爪が引っかからないよう切ってこいと言われていたのだ。

 キャンプで作業をする時に、爪が長いと割れて怪我をする可能性があり危険だからという理由だった。

 だから朝方、学校に着いてからすべて短く切りそろえてしまったのである。

 もちろん、オシャレで伸ばしていたこともありかなり抵抗感があったが、どうしても泊に近づきたかった、晶と肩を並べたかったのだ。


「今まできれいに整えられ、手入れされていた爪を短く切って……それだけ覚悟を決めて、一時的にでも『遙』を捨て、『カルア』として今はここにいるんだろう?」


「…………」


「この前のグランピングのように、うまい食事を目指すのもいいけど、そういうキャンプは『遙』でもできる。大人になってからでもね。だから今は、今しかできないようなキャンプ……普通の高校生『カルア』としてのキャンプをやろう」


「普通の……」


「友達と行くキャンプを楽しみたいのだろう? しかも、友達たちは自立した……ソロスタイルでグループキャンプをするつもりと言っていたじゃないか」


「ええ。自分たちのことは自分でやると……」


「そして、そういうスタイルを楽しめるのか、カルア自身も知りたかったんだろう?」


「そうですわねー……あら?」


 ふと、遙たちの上に影が落ちた。

 空を見ると、今まで照っていた太陽の明かりが雲に遮られてしまっている。

 すると、急激に寒さを感じ始める。


「雲がかなり出てきたな。雨は降らないが、午前中にいい天気だったからな。こういう日は、明日の朝にかけて急激に冷えこんでくるぞ」


「そうなのですかー」


「ああ。早く腹に入れとけよ。食べないと寒さに耐えられないぞ。冬のキャンプは、わりとガチでやらないといろいろヤバいからな。ああ、あと夜は一緒に食べよう。きっとソロスタイルのグルキャンと言っても、食事をいっしょにすることはあるだろうしな」


「わかりましたわー」


「ただ、大して高くないスーパーで買った肉でバーベキューをするだけだがな。過度な期待はしないでくれよ」


「しませんわよー。では、水でも汲みに行ってきますわねー」


 遙はかるいため息とともにテントに戻ると、ケトルをもって水場に行き、水を入れて戻ってくる。

 たったそれだけでも、かなり距離がある。

 ただ水を汲むだけなのに、どうしてこんなに歩かなければならないのか。

 その不便さを金を出してまでやりに来ている。

 遙は、そんな自分をつい笑ってしまう。


(まあ、お金を出しているのは営野……お兄様ですけど)


 とりあえず、ガス缶を接続してコンロに火を点けてお湯を沸かす。

 やる前に、コンロの使い方は教えてもらった。

 ガスの栓を開けて、着火スイッチで着火する。

 ただそれだけ。

 普通のガスコンロとは違うが、大して悩むことはない。

 水の入ったケトルを載せると、あとは湯が沸くのを待つばかりである。


(本当に冷えてきましたわねー……)


 日が陰ったとたん、急激に温度が下がってきた。

 先ほどまでは陽射しが強く暑いぐらいだったのに、今はもうダウンジャケットを着ていないと寒くて仕方がない。


(何もないせいかしらー。こんなに寒さを感じるのねー)


 椅子に座って、置いてあったブランケットを脚に掛ける。

 いつもと違う不安定な椅子は、学校の椅子よりも頼りない。

 テントの前室に体をしまい、風をよけながら湯が沸くのを待つことにする。


(これ……わたくし、何をしていればいいのかしら?)


 スマートフォンは足がつくので使えない。

 暇つぶしの本も特に持ってきていない。


(しかたありませんわねー。勉強でもしましょうかー)


 遙は車に行くと、自分の鞄から英語の教科書をとりだした。

 そして椅子に戻ると、教科書を開いてみる。


(ノートを広げる余裕はないわねー)


 英語はわりと得意な方だ。

 復習としてなら、教科書を読みなおすだけでも十分だろう。

 しばらくは、黙って読むことにする。


「…………」


 湯はまだ沸かない。

 椅子の上で姿勢を直すと、椅子が少し斜めになっている。

 足下を見ると、細い脚が剥げた芝生にめりこんでしまっていることに気がつく。


(面倒ですわねー……)


 椅子を一度持ちあげて、座りなおす。

 そこでケトルからやっと湯気が大量に出始めたことに気がつく。

 慎重にケトルを持ちあげ、自宅のランチョンマット程度しかない小さなテーブルに置いたカップラーメンに湯を注ぐ。


(おいしい……のかしらー?)


 これでも遙は、かなり空腹を感じている。

 ところが、湯を注がれたカップラーメンを見てもおいしそうでもないし、いい香りもしないから、食欲はそそられない。

 なんとなく、こんなものが食べられるのかとつい思ってしまう。

 腕時計を見て時間を確認。


(3分……)


 カップラーメンの蓋を閉めて、また教科書を開く。

 しかし、教科書を押さえる手がかなり冷たい。

 ダウンジャケットにダウンパンツを履いていたが、全体的にもかなり冷えこんでいた。


 ふと営野の方を見ると、いつの間にやら彼の前には煙が立っていた。

 それが見る見る間に薄れ、代わりに炎が立ちのぼっていく。


(いつの間に焚き火を……)


 営野はその踊り始めた火に掌を向けながら、ふうと口元を緩める。

 その様子を見ているだけで、遙の体がプルッと震えた。


(…………)


 遙は立ちあがると、ブランケットを肩からまといながらツカツカと営野の元に近寄っていく。

 ここは交渉しなければなるまい。


「ずるいですわー、お兄様。自分だけ暖まるなんてー。わたくしにも暖まらせてくださいなー」


「ずるくはないと思うが、焚き火に当たるのはかまわないぞ」


 遙も同じように掌を開いて向けてみる。

 すると突き刺すような熱を掌で感じる。


(焚き火って……こんなに……)


 思わず時間を忘れて焚き火に当たってしまう。

 なにしろ少しでも離れたら、急に寒く感じてしまうのだ。

 離れたくても離れられない。


「あっ……」


 だが、危ないところで思いだす。

 自分はカップラーメンを作っていたのだ。

 空腹の虫よ、ありがとう。

 そう思いながら、遙は自分のテントに戻ってカップラーメンを開けた。

 湯気がフワッと浮きあがり、先ほどとは打って変わって食欲をそそる味噌の香りが漂ってくる。

 割り箸を割って、遙はすぐにカップラーメンをかき回した。


――カップラーメンをおいしく食べる極意のひとつは、素早く、そして底の方を麺でこするようにしてかきまぜ、ひっくり返すのをくり返すのだよ、ワトソンくん。


 唐突に、どうでもいいと思っていた泊から聞いた知識を思いだす。

 まさかあの知識が役に立つとは思わなかったが、遙はその通りにかき回してみる。

 すると、さらに湯気が舞い上がり、鼻腔に独特の香りがまとわりついた。


(えっ!? どうしましょう、これ……なんかすごくおいしそうに見えてきたわー)


 我慢も限界とばかり、湯気を纏わせながらラーメンをすする。


「おいし――っ!?」


 思わずもれそうになった感嘆を慌てて顔を背けて止める。

 さほど食べたこともなかったが、カップラーメンがこんなにおいしいと感じたことはなかった。

 そしてそのおいしさに顔がほころびそうになった自分がなぜか恥ずかしかったのだ。


(でも、なんで……寒さに震えて耐えて、食べる安いカップラーメン……これ、すごくご馳走感があるわー……)


 いけないいけない、美容にはよくないと思いながらも、結局はスープまで飲み干してしまう。

 でも、満足感があったし、体はかなり温まった。


 ところが、その満足感には代償があった。

 味が濃くてしょっぱかったのだ。

 おかげで、喉がすごく渇いてしまう。

 だからと言って、冷たい水を飲む気はしない。


(そう言えばさっき……)


 テーブルの横に小箱が置いてあった。

 空けると、そこにはパックのドリップコーヒーや、紅茶やハーブーティーのパック、ミルクポーションやシュガースティックなどがしまってあった。

 これならお湯を沸かし直して、ティータイムを楽しむ事もできそうだ。


 遙はまたケトルに十分、温めの湯が残っているのを気がつくと、ガスコンロにまた火をいれようとした。


(……あれー?)


 ところが、着火しない。

 火花は散っているのに、バーナーから炎が出ないのだ。

 やっと出たと思っても、しばらくするとすぐに消えてしまう。


(ガス切れとかー?)


 缶を触ってみると、びっくりするほど冷たくなっている。

 だが、ガスは残っている感触はあった。


(冷えてガスがでなくなったのかしらねー)


 ガス缶が冷えればガスが出なくなることは知っていた。

 だから、そういうこともあるのだろう。


 しかしだ。

 遙には解せないことがあったのだ。


(どうしてお兄様のは、簡単に火が付いているのかしら?)


 今まさに彼も湯を沸かそうとしていたのだが、彼のコンロではいとも簡単に炎が踊っていたのだ。

 しかも、火の勢いもさほど衰えているようには見えない。


「…………」


 遙はまた席を立つ。

 そして営野の元にツカツカと走りよった。

 少し温まったとは言え、すぐに寒くなり、しかも温かい飲み物さえ飲めないでいる。

 それなのに、彼は焚き火で暖まりながら、温かいコーヒーを飲み始めたではないか。

 ならば文句のひとつも言いたくなる。


「今日のお兄様は、わたくし専用のキャンプインストラクターではなかったでしたかしらー?」


「……そういうことになるのかな?」


「ならば、わたくしが寒がっているのですからいろいろと教えてくださってもよくなくてー?」


「聞かれなかったからな」


「聞かれなかったって……親切さの欠片もありませんわー」


「それに今の状況は自業自得だろう?」


「え? 自業自得ぅ!?」


 あまりの言い草に、遙は目をパチクリしてしまう。

 だが、対する営野は腹立たしいほどのんびりとした口調で付けくわえてくる。


「そうだ。カルア、君はちゃんと選択しなかったじゃないか」


「選択……?」


「そうだ。ソロキャンプで大事なことは、自分で考えて選択することだ」


「…………」


 営野の言葉を今ひとつ呑みこめず、遙は思わず眉間に皺を寄せてしまうのであった。

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