第三話「楽しいとは思えなかった。されど、愛しかった」

 遙とてテントがどういうものか、そしてテントがどういう構造をしているのか、なんとなくは知っていた。

 泊からいろいろと聞かされていたからだ。

 もちろんテントの話など興味はなかったが、楽しそうに嬉しそうに語る泊が愛らしかったから、「うんうん」と聞いていたのである。


 しかし、もちろん自分がテントを立てることなど、欠片も想像しなかった。

 キャンプに行くにしても、誰かがやってくれるはずだ。

 しかも、目の前にいるのは面倒なキャンプが大好きで、テントを立てることなんて朝飯前の少し厳つい雰囲気のある男である。

 なら、役割は決まっているではないか。


「……ねぇー、お兄様ー」


 自分が肉体労働をする。

 その選択肢が、遙にはない。

 だから、こういう時は自分の魅力を十二分に活用する。


「わたくしー、テントなんて立てられないと思いますのー」


 渡されたテントを地面に置き、わずかに顔を伏せて、上目づかいに相手をじっと見る。

 手を口元に当てて、同時に腕を自然に寄せて胸を少し寄せてみる。


「だからー、お兄様――」


「大丈夫、立てられるから」


「――えっ?」


「ほら、ここに説明書がある。これはテンマクデザインというところがだしている【テンゲルスタンダード】というコスパの良いテントだ」


「は、はぁ……」


 地面に置かれていた緑の袋を開けて、営野が説明書らしき紙をとりだした。

 そして問答無用で、遙にさしだす。


「インナーフレームは、2本のフレームでベース部分が立つ。それにインナーテント上部は吊り下げ型だから、面倒なスリーブ通しもなく簡単につけられる」


「は、はぁ……」


「さらに追加する1本のフレームで、このサイズとしては広い前室を作ることができる。今回は天気がよかったからいいが、雨が降ったときでも前室で食事の支度とかやりやすい」


「は、はぁ……」


「しかも、出入り口が前後にあるので使い勝手がよい。2人用だから、1人で使うには広々と使えるぞ。まあ、バイクとか車のオートキャンプじゃないと、少しばかり梱包サイズがでかいけどな」


「は、はぁ……」


「というわけで、立ててみようか」


「あ、あのー、わたくしはー」


「ちなみにカルア、俺に媚びは通用しないからな」


 真っ正面から釘を刺されて、遙は目をパチクリとしてしまう。

 さすがにこう真っ正面からバッサリと切られたのは初めてだ。


「……あらー。せっかくのチャンスですのに-」


「チャンス?」


「だってー、こんなにかわいい女子高生に迫られるなんて経験、そうそうないでしょうー?」


「うーん……そうでもないな」


「……へ?」


「ともかく、俺はカルアにキャンプを楽しんでもらいたい。だから、その点に関しては妥協しない」


「……こんな肉体労働しても楽しくありませんわ」


「そういうことはやってから言おうな」


「やってみて、楽しくなかったらどうしてくれるんですー?」


「どーとでもしてくれ。どうせ俺は誘拐犯だ。このキャンプが終われば、俺の人生も終わるかもしれないしな。いわば無敵の人だ」


「はぁー。始末悪いですわねー」


 これはダメだ。

 営野は完全に開きなおっている。

 絶対、自分の代わりに働いてはくれないだろう。

 そして、この場には側仕えのメイドたちも、重たい荷物を持ってくれる運転手も、ちやほやとしてくれる友達もいない。


(一人……。仕方ありませんわねー)


 もともと自分で言いだしたことだ。

 そのことを今さらながら思いだした。


 テントを立てるということは、泊も晶もきっと自分でやっていることだ。

 そしてもし一緒にキャンプに行くとしたら、二人に自分のテントを立てさせる……などということをさせるわけにはいかない。

 そもそもあの二人は、自分を特別扱いしない。

 だから、友達なのだ。


「わかりましたわー。なんでも経験ですわねー」


「そういうことだ。もちろん、やり方は教える。まずは、説明書を読んでいてくれ。その間に、俺は自分のテントを立てるから」


 そう言うと営野は、また同じぐらいのバッグを車からとりだした。

 灰色のバッグでやはりテントなのだろうが、少し遙が受けとった緑のテントより大きいように見えた。


(大きいということは、わたくしのより大変なんでしょうかねー)


 そんなことを思いながら、説明書を見る。


(2本のポールを組み立てて、それをクロスするように……。なるほどですねー)


 手順数はそれなりにあり手間はかかるが、難しいというほどでは確かになさそうだ。

 遙は緑のバッグから、中身を外に出してみる。

 かるく広げてみて中身を確認すると、丸められたシートの中にポールが包まれていた。


「あの、これをどこに立てれば……」


 そう言いながら、営野の方を見ると彼もテントを広げていた。

 しかし、遙が受けとったテントとかなり違う。

 ポールがシートに最初からくっついているのだ。

 よく見ればポールに関節がつき、まるで折りたたみ傘のように広がっている。

 そして、彼がもつ先端部分には長い紐が付いていた。


「よっ、と……」


 彼がその紐を引っぱると、一瞬でシートが膨れあがる。

 いや。ピンッと張りがでて、ドーム状に広がったのだ。

 もうその時点で、ほぼテントの形ができあがってしまっていたのである。


「えっ!? 一瞬で……」


 そう言えばと思いだす。

 泊も簡単に紐を引っぱれば立ちあがるテントを買ったと言っていたことを。

 その写真を見せてもらっていたが、色は違うけど似ているような気がする。

 泊が「引っぱる力はいるけど、簡単なことこの上マックス!」と自慢していたが、確かに目の前で見ていても本当に簡単そうだ。


「ちょっと、お兄様ー! どーしてわたくしに、そっちの簡単なテントを渡してくれませんのー!?」


「ん? これは俺のテントだしな」


「なっ、なにを子供のような理屈を……」


「こっちのテントの方がいいなら、そっちのテントを立ててくれたら交換してやってもいいぞ」


「そっ、それじゃ意味がないではありませんかー。どうして簡単な方を初心者のわたくしに貸してくださらないのですー? か弱い乙女をいじめて楽しんでいらっしゃるのかしらー?」


「そういう趣味はない。さっきから言っているだろう? やってみないとわからないこともある」


「そうですけど……」


「とりあえずポールを伸ばすのは簡単だろう? あ、ポールはかなり長くなるから周囲に注意してくれ。振りまわして遊ぶなよ」


「どれだけ子供扱いするつもりですのー」


 つい、少し膨れてしまう。


「あははは。悪い悪い。まあ、こっちが終わったら教えてやるからやってみろって。それともカルアお嬢様には、この程度も難しいか?」


「そんな煽り、わたくしには通用しませんわよー。まあ、いいですわ」


 遙は仕方なく作業を始める。

 途中途中で、営野がいろいろとアドバイスをくれた。

 そのため特に迷うこともなかったが、ポールをはめ込む時は、少しだけ力とコツが必要だった。


 それから、ペグの打ちこみがなかなか大変だった。


 地面の上層はかなり細かいジャリになっていて、水はけはよさそうに見える。

 ただ、そこにペグを打ちこんで石にぶつからないかと気になった。

 実際、やってみるとすんなり入る場合と、かなり硬い場合があり、ハンマーをもつ手が痛くなってしまうこともあった。

 そもそもハンマーを使うこと自体、初体験だ。

 こんなにも手に響くとは思いもしなかった。


 ただ、深く刺さるとペグはしっかりと安定してくれた。

 どうやらジャリの層はさほど厚くなく、すぐ下には柔らかい土の層があるようだ。

 その土がしっかりとペグを噛んでくれていた。


(で、できましたわー……)


 時間はそれなりにかかったが、わりときれいに設営できていた。

 背後の山々に残る緑より、はるかに鮮やかな若草色の小さな山がそこにできていた。


「どうですー? テント設営完了ですわー……って、お兄様!?」


 振りむくと、いつの間にか営野は椅子とテーブルまで広げて、すでにビールを呑み始めていた。

 すっかりくつろぎタイムに入っている。


「ちょっと酷くありませんかしらー?」


「基本的にソロキャンプだからな。ペースはそれぞれ自由にやらせてもらう。……と、それはともかく、きれいに張れているな」


 営野が立ちあがってきて、テントの周りを品定めする目つきで一周した。


「初めてにしてはすごいな。フライシートもピンと張っているし、バランスがいい。ペグもしっかり刺さっている。才能あるんじゃないか?」


「なっ、なんの才能ですのー……」


 予想外の褒め言葉。

 褒められることには慣れていた。

 だが、褒められるとは思っていなかっただけに、遙は妙に戸惑ってしまう。

 照れて頬が赤くなるなど、何年ぶりのことだろうか。


「立派なカルアの家ができたな」


「家……」


「中に入って確認したか?」


「ああ、まだでしたわー」


「なら、ちょっと待ってくれ」


 そう言って、営野は車の荷台に向かった。

 とりだしてきたのは、膨らんだ真っ黒なエアーマット。


「それが今夜のベッドですのー?」


「ああ。厚さ一〇センチのインフレーターマットだ。このぐらいあると寝心地は問題ない。インナーテントにいれておけ」


 遙は前室からはいって、インナーテントのジッパーを開ける。

 そこはまだ何もない空間。


 営野に手伝ってもらい、インフレーターマットをインナーテントの中に押しこんだ。

 とたん、そこが寝室となる。


「……真っ黒なマットは、ちょっと味気ないですわねー」


 遙はおもむろに靴を脱いで中に入ってみる。

 そしてマットの上に転がった。

 前には、ライトを吊るためらしいフックが取りつけてある。


「ほら、これ……」


 そこにタイミング良く、営野がLEDランタンを持ってくる。

 特に面白みもない、丸い筒状をしたシンプルなライトだ。

 それを手を伸ばして受けとり、試しにフックに引っかけてみる。

 これで寝室に照明器具がとりつけられた。


(シャンデリアとは言いませんが、もう少しオシャレなのがいいですわねー)


 また寝転がりながら周囲を見る。

 インナーテントの内側の枕元や足下には、メッシュのポケットがつけられている。

 ちょっとした小物ならばしまって置けそうだ。


(つまり棚代わりですねー)


 そんなことを考えていると、営野が前室と呼ばれる入口部分に小さなテーブルと椅子を持ってくる。

 組み立て式の椅子の生地は、ちょっとおしゃれなペンドルトン柄。

 そこに、同じくペンドルトン柄のブランケットらしい物も置かれていた。

 ただし、テーブルは金属製のテーブルだ。


(ああ、半端ですわー。わたくしでしたら、全部統一してオシャレな家にしましたのに……)


 そう考えてから、ふと彼女の中に奇妙な感情が湧いてくる。


(家……。苦労して、わたくしが自分で立てた……わたくしの家……。でもそれは、一時の幻のような……自分の場所……)


 湧いてきた感情。

 それがなんであるのか、遙にはすぐにはわからなかった。

 しかし、しばらく考えてみて、それにやっと名前をつけることができた気がする。


「カルア、どうする?」


 テントの外から、営野が覗きながら尋ねてきた。

 その質問の意図がわからず、遙は尋ねかえす。


「なにがですー?」


「テントの交換だよ。あっちがいいなら、交換してやるぞ」


「…………」


 営野が立てたテントは、まずまちがいなく泊と同じものだろう。

 ならば、あのテントを使えば、泊との会話のネタになる。

 泊とおそろいのテントを使えるなんて嬉しいことではないか。


「……もう今さらですわー」


 だが、遙は断ってしまう。


「立てるのが大変だから言っただけですからー。わたしくが苦労して立てたのをお兄様に使われるのは腹立たしいですわー」


「あははは。そうか。俺はどっちでもいいが。あと、いろいろと渡しておく道具があるから受け取りに来てくれ」


「わかりましたわー」


 遙は体を起こしながら、

 本当の理由は「腹立たしさ」ではなかった。

 先ほど感じた感情のせいだ。


(このクローゼットよりもずっと狭い空間に、まさかがわくなんてー)


 たった一晩の儚い我が家。

 遙は、それが気にいっていたのだ。

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