塩原グリーンビレッジ

第二話「特別なキャンプだと思った。されど、普通だった」

 遙は自己分析してみる。

 そして彼女は「焦燥していた」という結論に達した。


 最初にそれを感じたのは、泊がキャンプにはまったときだった。

 泊が一人でどこかに行ってしまう……そんな気がしたのだ。


 だが少なくとも学校にいるとき、泊はすぐ側にいてくれる。

 そんなに心配することはない、そう思えた。


 ところが、予想外にも晶までキャンプにはまり始めた。

 高校生になるまでいなかった、初めてできた親友と呼べる存在。

 その二人がそろってキャンプにはまったのだ。

 これでは学校にいるときにまで、キャンプに二人をとられてしまっているようだ。


 ここで焦燥感というより、危機感が強くなった。

 だから、すぐに手を打とうとした。


 まずは、キャンプのことを教えてくれそうな営野に尋ねることにした。

 社交辞令だったが、「キャンプについて教えてくれ」という話をしていたのでちょうどよいと思った。

 そしてよくわからないから、仲の良いメイドの弥生に頼んで近くのキャンプ場を探してもらったのだ。


 後から考えればだが、キャンプに関する教師である営野にすべて任せれば良かったのだ。

 しかし、いつもの仕切り癖というか、イニシアティブをとらなければならないという性格のせいか……いや、やはり慌てていたせいなのだろう。

 つい、場所から予定まですべて自分の方で手配してしまったのだ。


(だから、こんな事になったのかしらー?)


 そう思ってから、遙は「違う」と一人で首をふる。

 なにしろこれは、営野が考えたことだ。

 最初からすべての事情を話して営野に頼んでも、結局同じ事になっていたかもしれない。


 土曜日の校内。

 試合が近い野球部の練習する声が、校庭から聞こえてきた。

 テニス部も練習をしているらしく、コートを叩くボールの音もしていた。


 しかし、教室には誰もいない。

 泊も晶もいない。


 それなのに、遙は一人で校内の廊下を歩いていた。

 家に「行事で学校に行かなければならない」と嘘をついて。


 遙はそのまま裏門まで向かう。

 そして人目を気にしながら、外にでた。

 しばらく道を進んで一本曲がると、見覚えのある車が駐まっていた。

 その助手席側に行って、窓を叩く。


 すると運転席の営野が、手ぶりで乗るように誘ってきた。

 遙は、そそくさとドアを開けて助手席に乗りこんだ。


「まさか本気だとは思いませんでしたわー」


 運転席の男――営野に向かって、遙は苦笑した。


「本気だと思わなかったのに、ここまできたのですか?」


「わたくし、約束は守る主義ですのよー。でも、バレたら営野様は大変なことになりますわよー。あなただけではなく、ご家族もこの国では生きていけなくなるかもしれませんわー」


「大丈夫ですよ。家族はいません」


「え?」


「心配なのは会社ぐらいです。まあ、私の会社はUMIに買い取ってもらいましょうかね」


「……どこまで本気なのですー?」


「さあ? とりあえず、これをつけてください」


 営野が、膝に載せていたボストンバッグを遙に渡してくる。

 それを開けると、中には黒縁の眼鏡と、マスク、それに衣類が見えた。


「これは?」


「念のための変装です。着替えも入っています。学生服で歩き回るわけにもいかないでしょうし。高速のサービスエリアあたりで着替えてもらえれば。今はとりあえず、上からダウンでも着ておいてください。ああ、髪型も三つ編みにでもして、イメージチェンジしてくださいね」


「そ、それはいいのですけどー……こんなお粗末な変装なんてしても、我が家の目から逃れられませんわよー?」


「キャンプは一泊です。明日の朝まで時間が稼げれば十分ですよ」


「そうかもしれませんけど、どうしてそこまでなさるのですー? まさか本当にわたくしを誘拐して身代金をとろう……というわけでも、ありませんわよねー?」


「それにしては雑なプランですからね」


「でしたら……」


「私の目的は単純です。遙さんに頼まれたとおり、ソロキャンプの楽しさを知ってもらいたいだけです」


「そ、それだけのためにこんな大それたことを!?」


「あなたが頼んだのではありませんか。それに、キャンプ好きが増えてくれることは嬉しいことですからね。まあ、あとのことはあとで考えるとして、そろそろ行きましょうか」


「はぁ……」


 営野の車は、静かに走りだした。




   §




 途中のサービスエリアで休憩をとったとき、遙は用意された服に着替えた。

 下着の替えなどは持ってきていたが、上着とズボンなどは家から持ちだすわけにはいかない。

 そこで営野がコスパの良さそうな若者向けの服を用意してくれたわけだ。


 ただ、驚いたのはサイズがピッタリだったことだ。

 ちなみに営野に尋ねたら「そういうのは得意なんで」と言われ、遙は思わず少しひいてしまった。


 そこからまたしばらく高速を走り、昼ぐらいには目的地に着いた。



【塩原グリーンビレッジ】

https://shiobara-gv.net/



 裏は寒々とした山に囲まれ、その他の部分は箒川に囲まれている。

 川を渡る橋を通らないと辿りつけない、陸の孤島のイメージがあるキャンプ場だった。


(思ったよりオシャレですわねー)


 舗装された駐車場の横に、わりと大きめの管理棟らしきものがあった。

 間口のほとんどは木の板の塀で囲まれている。

 その真ん中には、「Village Square」と書かれた緑の看板があり、その右側にはテラス席らしきものがうかがえた。

 どうやら、レストランが併設されているらしい。


 反対側には、「福のゆ」という温泉施設があるようだった。

 遙はそもそも入浴自体が大好きだ。

 それが温泉ともなれば、なおさらである。


(ホテルや旅館の温泉以外で入るのは初めてですけど……)


 那須塩原の風は、かなり冷たかった。

 そのうえ木々からは緑が消えかけて、灰色の枝が寒さをより訴えている。

 遙は、すぐにでも温泉に入りたくなる。


「受付してきます。しばらく車で待っていてください」


 言われたとおり営野が受付をするまで、車で一人待っている。


(車の中で一人……なんて初めてかもしれないわねー)


 運転手も、側仕えのメイドも、友達もいない一人の空間。

 しかも、初めて乗った他人の車。

 それはなんとも居心地が悪く感じる。


(居心地が悪い……というより、これは……)


 学校を出てからここに来るまで、ピンとこなかった。

 が、いきなり遙は自分の状況を再認識してしまう。

 頼れる者が誰もいない。

 いや。営野がいるが、はたして彼に頼っていいのだろうか。


 子供の頃は、たまに親を困らす悪戯をしたこともあったが、それは本当に子供の悪戯だった。

 今回のことも、その延長のように考えていたが、それではすまないことなのではないだろうか。


(今ならまだ……)


 と、思った時に、車のドアが開いた。

 営野がいつものような微笑で話しかけてくる。


「遙さん、それではキャンプのお時間ですよ」


 否。その微笑はいつものような愛想笑いではない。

 今まで見たこともない、どこか楽しそうな笑顔。

 感じるのは、まるで無邪気な子供のようなワクワク感。


 その表情に少し驚いてしまい、遙は言おうとしていた言葉を呑みこんでしまう。


「どうかしました?」


「い、いえ……」


「そうですか。ああ、ここは区画サイトなんですけど、わりと広いサイトもありましてね。なかなか過ごしやすいんです。地面は、細かい砂利が敷きつめられていて水はけもいいんですよ」


 車をゆっくりと走らせながら、営野が説明し始める。

 その声は喜びにあふれていて、とても女子高生を誘拐してきた犯人とは思えない。

 三つ編みに髪を束ね、黒縁の伊達眼鏡をかけ、マスクで顔を隠し、安い服を着た遙は、俗っぽく言えば大金持ちのお嬢様である。

 その自分を誘拐するということがどういうことか、この目の前の男はまったく理解していないのではないかとさえ思えてしまう。


「そうだ。キャンプネームを決めておきましょうか」


「キャンプネームですかー?」


「ええ。キャンプレクリエーションなどをやるときは、親しみやすさをだしたり、現実と切り離したりするために、あだ名みたいなのをつけることがあるんです」


「は、はあ……」


「今回、遙さんの名前はあまり表にださない方がいいですからね。自分で考えますか?」


「い、いえ。そういうのは……お任せしますわー」


 要するに正体を隠すための偽名と言うことだろう。

 遙にとっては、本当にどうでもいいことだ。


「では、アナグラム的に『HARUKA』ですから……『KAHRUA』……『カルア』とか?」


「スペルが違いますけど、コーヒーリキュールみたいな名前ですわねー」


 その適当さに笑ってしまうが、たった実質1日だけの名前だ。

 大した問題ではないだろう。


「それでかまいませんわー」


「では、カルアさんということで」


「あらー? わたくしは妹ということにするのではなかったかしらー? なら、『さん』付けはおかしくなくてー? それに敬語も変ですわー」


「なるほど。ならば、カルアと呼ばせていただ……呼ばせてもらうよ」


「では、わたくしも『営野様』では変ですわね。私もアナグラム的に……『ZATUKO』と呼ばせていただきますわー」


「呼ばないでください。雑子って……もしかして私、嫌われていますか?」


 その営野の反応に、遙は思わず笑ってしまう。


「冗談ですわよー。


「なるほど。ならば、それでお願いします」


「敬語ですわよー」


「おっと。そうだった。なかなか難しいもんだな」


 そうこう言っている間に、車は木々とログハウスが並ぶ道をゆっくり抜けて、テントが張られているエリアに着く。

 さらに砂利道を進むと、ある場所でとまった。

 車を降りて地面を見ると、地面に紐が張られており、それでエリアわけされているらしい。


(こんなものなのですねー)


 営野は「広いサイトだ」と言っていたが、遙にしてみれば想像よりかなり狭い。

 横幅も縦幅も10メートルちょっとぐらいしかないのではないだろうか。


「ここにテントを張りますのー?」


「ええ、そうですよ」


 営野が車のハッチバックドアを開けながら、また敬語で答えた。


(癖はなかなか抜けないものですわねー)


 荷物を下ろしはじめた営野から目を離し、遙はふと空を見る。

 先ほどまで陽射しを隠していた雲が、太陽に場所を譲った。

 そのために、わりと暑く感じ始める。

 下手すれば日焼けしてしまうかもしれない。

 営野に言われて日焼け止めは持ってきたが、確かに日焼け止めはしておいた方がいいだろう。


(でも、寒いのにけっこういますのねー。晶の言っていたとおり、冬のキャンパーも多いみたいですわー)


 両隣のサイトにもテントがすでに張られていた。

 空いているサイトもあったが、基本的にほとんどがテントで埋まっている。

 あと見えるのは、木々と山々、それに池やテニスコートなどだ。


(どうせなら、絶景の見える場所にしてくださればよかったのにー……)


 景色が悪いとは言わないが、感動するような風景が広がっているわけでもない。

 どこか感じ。


「は……カルア」


 そこに不自然なぎこちない呼び声。

 振りむくと、目の前に営野がきていて、その手には横50センチ、高さ20センチ以上はありそうな大きなバッグが抱えられていた。

 それが遙に差しだされる。


「はい、これ」


「これは……重い!」


 両手で抱きかかえるように受けとるが、予想していたよりずっとりとした重量で思わず前のめりになってしまう。


「か、か弱い女子にこんな重い物を持たせるなんて酷いですわー。お嬢様は箸より重いものを持ったことがないと知りませんのー?」


「きみがしっかりと鍛えていることは知っているぞ。このぐらい平気だろ?」


 確かにスタイルを維持するためにも健康のためにも毎日、欠かさず運動はしている。


「確かに……持てますけど、これなんなんですのー?」


「テントだよ」


「テント……ってまさか、わたくしに自分で立てろと?」


「ああ、そうそう。今回のキャンプの目的……というかテーマを教えていなかったね」


「テーマ……?」


「今回のテーマは、『普通のキャンプ』だ。それを経験してもらうつもりなんだ」

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