第六泊「一緒には歩けない。されど、一人で歩けば並ぶことはできる」
都内・とあるグランピング施設
第一話「キャンプ体験をする。されど、何か違った」
仕事で世話になっている大企業の親会社【UMIホールディングス】、その実権を握る創業者一家の一人娘、【梅島 遙】。
彼女から来た、平日の夜、都内で、デイキャンプという、なんともちぐはぐなお誘いを受けてから、なんとなく予想はついていた。
営野にはありえない組み合わせのキーワード。
だが、そのキーワードから推測できることは存在した。
「あらー。なかなかおいしいですわねー」
営野が炭火で焼いたA五ランクの牛ステーキ肉や、新鮮な野菜類を少しずつ摘まむ遙が満足そうに感想を言う。
営野は「そうですね」と相づちをうちながら、用意されていた残りの肉を焼いていく。
後ろには七~八人は入れそうなティピー型テントが張られている。
ティピー型は、真ん中にポールが立っているタイプのテントだが、これは周囲にも短いポールが八本ほど立っていて居住空間が確保されているタイプだった。
入口は大きく開かれていて、中には絨毯が敷きつめられ、毛皮のカバーが掛けられたラブソファ、クイーンサイズのベッド、それにテレビや冷蔵庫まで設置してある。
バス・トイレがないぐらいで、ちょっとしたホテル顔負けの設備だった。
その豪勢なテントの裏にあるのは、ビルの壁。
反対側には花壇があり、木々と柵で向こう側にある街の風景が見えないように工夫されていた。
ここは、とあるビルの六階にあるかなり広いルーフバルコニーだ。
風よけもあり、大きめの石油ストーブも置いてあるが、冷たい風が肌を刺す。
「でも想像していたのと、なんか違うわねー。キャンプをしたいと言ったら弥生が選んでくれたのだけどー」
弥生とは、遙の側仕えの一人だ。
今も姿こそ見えないが、メイド服をまとってルーフバルコニーの入口あたりで待機しているはずである。
「うーん。弥生が任せてくれと言うから任せたけど……」
それはそうだろうと、営野は思う。
たぶん遙の身の回りを守る者たちは、自分たちが守りやすい環境を選んだはずだ。
確かにここならば、そう簡単に不審者は入ってこられない。
「これはやはり、キャンプとは言えないのではないかしらー?」
遙は高級そうなダウンジャケットに包んだ上半身をアウトドア用リクライニングシートの背もたれに預けた。
「どうでしょうかね」
くつろぐ彼女に、営野はふわりと答える。
そして遙の分と自分の分の肉を皿に載せると、それを遙まで届けた。
遙の隣に置いてあった、アウトドア用のリクライニングチェアに腰をおろすと営野も肉に口をつけた。
確かにうまい。
これは文句なしだ。
もちろん、この口の中の脂をビールで流し込めれば最高なのだが、今日は飲酒禁止ときている。
それがなにより辛いところだ。
「営野様……どうして何も言わないのですー?」
「ん? ああ、うまいですよ、肉」
「そうではなくてー。『こんなのキャンプじゃねーよ!』みたいなこと言わないのですー?」
「ああ、そっちですか」
「そっちですか……ってー。わたくしだって、そこまで世間知らずではありませんわー。女子中は確かに箱入り娘の園でしたけど、高校に入って世間を学んでおりますのよー。普通の方がおこなうキャンプが、こういうものではないぐらいわかっていますわー」
「なるほど。そう言えば、高校は山岳様のご指示でしたっけ?」
「はい。お祖父様が普通の学校に行くようにと仰ってー。まあ、お父様はお嬢様高校に通わせたかった見たいですけど、わたくしは今の学校で嬉しいですわー」
「そうですか。それはよかった」
「ええ……って、そうではなくてー」
「ここで自然は感じられましたか?」
営野は空を見上げながら、そうつぶやいた。
都会の空は、どう着飾っても寂しいものだ。
「微少……でしょうねー。自然という意味では、まだ我が家の庭の方が感じられると思いますわー」
「そうですね。晴れているのに星空もまともに見られない」
「ええ、自然をあまり感じられないわー。ですから、やはりこれはキャンプではないということかしらー?」
「でも、いつもと違う食事が楽しめたのではないですか?」
「うーん。それは確かにそうですけど、それでしたらどこか別のお店でも味わえたと思いますわー」
「かもしれません。ここはそんないくつもあるレストランの中でも、少しの自然を感じながら食事が楽しめる店だったという事でしょう。泊まらなくてもキャンプの雰囲気を味わえるという意味では、キャンプの一種だったと言ってもいいとは思います」
「ずいぶんと定義が広いですわねー」
くすくすと笑う遙の様子を見て、営野も少しだけ微笑する。
彼女の笑顔は、本当に楽しいからではないだろう。
それは自然にあふれる社交性。
営野は肉がなくなった皿をもちながら、炭火コンロの近くにまた進む。
そろそろ次の肉が焼ける時間である。
「お肉のおかわりは?」
「では、もう少しだけ……」
営野は網の上で脂を弾けさせていたステーキをトングでとると、用意されていたまな板の上で切り分けていく。
飴色に焼けた肉の切断面は、まだ赤身が残るぐらい。
いい感じの焼き加減だろうと、営野は思わずニンマリする。
それを遙が食べやすい大きさに切りそろえる。
しかし、道具がすべて揃っていて、片づけもしなくて良いというのは非常に便利だ。
キャンプ時間が少ないデイキャンプなどでは、助かることはまちがいない。
「私は、こういうグランピングも嫌いではないのです」
営野は、切り分けた肉を皿にわけながらそう言った。
「グランピング?」
「ええ。簡単に言えば贅沢なキャンプのことです。なかには『グランピングはキャンプではない』という人もいるかもしれませんが、私は少しでも自然にふれあえて、本人がキャンプだと思ったものがキャンプでいいと考えています」
「アバウトですわねー。生業になさろうとしているのに定義が曖昧ではないですかー?」
「生業にするからこそ、固定観念をなるべくなくしたいのですよ」
「なるほどー。確かにそれは必要なことかもしれませんわねー。ご慧眼、お見それしましたわー」
おっとりとしたしゃべり方で、遙は自然な流し目を営野に向ける。
油断すると、目の前の女性が高校生であると言うことを忘れてしまいそうになる。
その色気もスタイルも、そして雰囲気も営野がよく知る高校生とはかけ離れていた。
単純な色気で言えば、秘書だった晶子さえも敵わないと営野は思う。
彼女はきっと大人になったら、どんな男でも手玉にとる妖艶なる美女になることだろう。
そんな末恐ろしさを感じながら、営野は尋ねる。
「それで遙さん的にはどうでしたか?」
「そうですわねー。結論を申し上げれば、わたくしはこれをキャンプだと思えませんわー。寒い中で食事をしただけ。楽しかったことと言えば、営野様とお食事できたことぐらいでしょうか」
そう言いながら、彼女はいつも通り薄く開いた双眸を上目づかいにしながら、何かを隠すかのように膝にかけていたブランケットの位置を直す。
彼女はかなり厚着をしているというのに、なぜか妙に艶めかしい。
仕草の一つ一つまでもが、妙に計算されているかのようだ。
この年齢で、ここまで自然に社交辞令ができるのは才能なのか、英才教育の賜なのか。
彼女を知らない男なら、コロッと騙されてしまうかもしれない。
「私も遙さんと食事ができて楽しかったですが……残念ながら、キャンプとしては遙さんの目的に合わなかったのでしょう」
「目的……ですのー?」
「ええ。キャンプには目的が必要なのですよ」
「キャンプなんて楽しめばいいだけではありませんのー?」
「では、なんのために楽しむのですか?」
「なんのため……ですかー? ずいぶんと哲学的なお話ですわねー。楽しそうだからではいけませんのー?」
「哲学ではなく、もっと簡単な話です。遙さんの場合は、
「なぜキャンプを……」
「ええ。きっかけがあったはずですが?」
「そうですわねー。確かに、ありますわー」
「お聞きしてもよろしいですか?」
「そんなたいそうな理由ではありませんわー。友人たちがキャンプにはまり始めましたのー」
「ああ。なんか若い子の間でもキャンプブームみたいですから」
実際、営野もキャンプにはまった女子高生を2人も知っている。
「ですから、わたくしも彼女たちが
「なるほど。それなら話は簡単です。その友人たちがしているというキャンプを同じようにしてみればいいのです。まったく同じではなくても、楽しむポイントは一緒ですから」
「同じように……」
「ご友人はどのようにキャンプをなさっているのですか?」
「それは……ソロキャンプを。一人でするキャンプを楽しんでいると……。で、でも、今度はみんなで行こうと誘ってくれましたのー」
遙の声が、今までと違って妙に弾んだ。
この時の彼女は、営野の瞳に年相応の女の子として映る。
(ああ、その子と一緒にいたいのか……)
遙を初めて、泊や晶と同じように見ることができたのだ。
そのためか、ふと営野は微笑してしまう。
「なっ、なんですの、笑ったりしてー」
動揺する彼女など珍しい。
それが妙に営野は嬉しくなってしまう。
「あはは。すいません。ちょっと遙さんもかわいいところがあるのだなと……」
「――なっ!」
不意打ちだったせいか、遙がまた動揺する。
いつもきれいだ、かわいい、美しいと賛美されまくり、そんな言葉を余裕で受けとめている彼女にしては珍しい姿だ。
「営野様も意外と口説き上手でいらっしゃいますわねー」
「いえいえ。本心ですよ。……ちなみに、そのソロキャンプをしたご友人は、どんな感想を言っていましたか?」
「え? 感想……たしか、地元の食べ物がおいしかったとか、温泉が気持ちよかったとか……それに……」
遙はふと顎をあげて、空を見上げる。
「星がきれいだったとか……」
見えないものを見ようとしている彼女に、営野は「なるほど」と静かに告げた。
そして言葉を続ける。
「ならば、いろいろと作戦を立てないといけませんね」
「作戦? キャンプのスケジュールということですかー?」
「それもありますが、まずは遙さんを誘拐する作戦が必要だということですよ」
「――へっ!?」
営野はこの時、全開まで見開いた遙の双眸を初めて見たのだった。
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