第一四話「一人で炎を見ていた。だけど、退屈していなかった」
四角錐を逆さにして足を付けたような焚火台の上で、数本の薪が燃えている。
炎は、たまに吹く風に煽られると横に踊り、勢いを増して背を伸ばす。
風が止むと、背を縮めて左右にゆらゆらと体を揺する。
パチパチと細かくなにかが跳ね回るような音に、時降りる混ざる強くバチッと弾ける音。
茶と黄土と黒と灰の上で、朱と紅と赤と赫。
鼻につく煙の香りに全身が燻される。
風向きによっては、その煙が顔に迫ってきて目が沁みた。その度に体を大きく傾けたり、場所を移動したりする。
だが、晶はその場を離れるわけには行かない。
まあ、ずうっとひっついている必要もないのだが、離れても特にやることもない。
本でももってくればよかったと後悔しながら、また焚き火の方を見る。
目の前には四本の金属ポールが、その炎を跨ぐように立っている。お互いを支えるように斜めに立ち並び頂点で接続され、そこから鎖が垂れていた。
この手でよくあるのは、トライポッドと呼ばれる三本足だが、これは四本足でクアッドポッドと言うらしい。かず兄曰く、安定性をとるか軽量さをとるかの違いのようだ。
ただ、晶にしてみればそれ自体はどうでもよかった。気になるのは、そのクアッドポッドの中央から吊り下がっている鎖の先だ。
そこにはS字管がぶら下がり、大きな豚のバラ肉ブロックが引っかけてある。
かず兄が、ソミュール液に一晩漬けておいた吊るしベーコンの素材だ。
ずっしりとした存在感。今はまだ、朱と桃色の間ぐらいの赤味と、真っ白い脂身がたっぷりと見えている状態で、うまそうには見えない。
これを火の真上ではなく、少しずらした位置に配置する。直火にならないように高さを調整し、煙と火の熱で豚バラブロックをベーコンに変身させていく。
(これは根気がいるなあ……)
一時間経ったらひっくり返す。さらに一時間経ったら半分に折るようにして引っかける。また一時間経ったら裏返す。これを繰りかえしながらだいたい六時間近くかかるらしい。
もちろん買った方が早いけど、そんなことを口にだすわけがない。せっかくかず兄が用意してきてくれた料理だ。絶対においしく仕上げたい。
焚き火を見ると、三本載っていた太い薪が一本、焼き崩れた。
とりあえず、一本足すことにする。
(空気が通るように……隙間を空けて火が移るように……)
かず兄に言われたことを思いだしながら、赤い耐熱グローブを着けて薪をつかむ。
そして焚き火台にそっと載せた。
かず兄が朝から焚き火をしていたおかげで、火床に火は完全に通っている。だから、そうそう消えることはないらしい。
(さて、なにしようかな……)
薪を足したばかりで、これでしばらくはやることがない。
風も今は落ちついている。
晶は、なんとなく焚き火を見る。
(暑いな……)
昼も近づき始め、陽射しが強くなり始めていた。
あまり炎に近いと熱いぐらいなので、少し離れて様子をうかがうことにする。
座っていたローチェア三〇をさげて、また腰をおろす。
陽射しの下で炎が揺れる。
それを見ていると、ふと脳裏に疑問が響く。
――なにしているの?
なにをしているのか、それは焚き火を見ている。
――なぜ?
吊るしベーコンの面倒を見るように、かず兄に頼まれたから。
――かず兄のため?
そう。かず兄に喜んで欲しいから。
――なぜ?
喜んでくれれば、オレも嬉しいから。
――なぜ?
なぜ……好きな人や大切な人が喜んでくれれば普通は嬉しいんじゃないか?
――自分が我慢しても?
我慢しているわけじゃない。
――本当は、かず兄と一緒に買い物に行きたかったのに? 一緒にいたかったのに?
それは……。
炎が少し弱まっている。
晶は近づき、薪を足す。
炎が揺れる。
――陸上部に入りたかった?
そういうわけでじゃない。でも、喜んでもらって嬉しかった。
――料理部に入りたかった?
入りたかった。
――なぜ入らなかった?
陸上部に入部しちゃったし。
かーちゃんも期待していたし。
――だから我慢した?
我慢……我慢?
オレはしたのか?
バチッと音が鳴る。
はたと気がつき薪を見ると、一本がすっかり炭化していた。
スマホで時間を確認する。
(一時間……。あ、かず兄……)
いつのまにか、かず兄から「道が混んでいる」とメッセージが着ている。
バラ肉を見ると、火に近かった部分の色がすっかり変わっている。
全体的に白っぽくなり熱が回り始めているのがわかる。
そこでひっくり返すことにする。
そして薪を足す。
バチバチと相変わらずの音が響いている。
そのBGMにあわせて炎が踊る。
すぐに視界と意識が奪われる。
――なぜ我慢した?
我慢しないなんて甘えだからだ。
かーちゃんが入院して、姉貴が働いているんだから、オレが我慢するのは当たり前だろう。
――当たり前?
当たり前。甘えちゃいけない。
――少しも?
少しも……かな?
――自分の時間は?
あるよ。学校だってあるし、友達と遊ぶときだってある。
――共有の時間?
共有?
確かにそうだけど、一人だけの時間になにをするんだ?
――なにをしている?
……え?
パチッと焚き火が弾ける音。
見ていたはず、視界に入っていたはずの焚き火の様子。
しかし、いつのまにか薪が2つも燃え尽きていることに気がつかなかった。
晶は、薪を一本足す。
慌てて二本は足さないようにと言われていたので、そのまま火が回るのを待つ。
(二時間……もう?)
バラ肉ブロックを折るようにして、真ん中に火を通すようにする。
肉の両端が、桃色や肌色のようになっている。
まだ熱量が足らない。
もっと向きあわないといけない。
…………。
…………。
…………。
ジュッと音が鳴る。
見ると、バラ肉の下の方に白い脂が滴となって、いくつもぶら下がっている。
それを見ている内に、食欲によって意識が外に引っぱりだされる。
「あ……」
かず兄の車が戻ってきた。
晶は時計を見る。
そして驚く。
かず兄が買い物に行ってから、もう三時間弱が過ぎていたのである。
(寝てた……のかな、オレ……)
それは今まで感じたことのない、不可思議で不思議で不可解な時間であった。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2020/03/scd005-14.html
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