WILD CATS・越谷レイクタウン店
第一二話「嫌われていなかった。けど、友達どまりだった」
【
別に疲れたわけではない。毎日のようにサッカー部の練習で走っている量に比べれば、自宅からここまでの距離を自転車で走ることなど大した運動量ではなかった。太股も、ふくらはぎも、やっと温まってきたぐらいだと、ズボンの中で血流を脈動させている。
数十台の車が駐められる駐車場。その片隅にある自転車置き場に自転車を駐めて、秋葉はチェーンをかける。それからヘルメットをはずして、髪をかるく振った。とたん、ひんやりとした朝の風が毛髪の付け根を撫でていく。
(今日は昨日より寒いな……)
練習のない日曜日。暖かい家の中で休養でもすればいいのに、九時ぐらいから出かける準備をして、寒い中を自転車で走ってきたのは買い物のためだ。自宅の周辺で一番品揃えがいいのはここしかなかったのだ。
秋葉は、顔をあげて看板を見あげる。
――アウトドア専門店【WILD CATS】・越谷レイクタウン店
通称、「ワイニャン」と呼ばれるアウトドア専門店である。今日の目的地はここだった。
ガラスの壁の向こうには、薪やらテントやらアウトドア感満載の商品が並んでいるのがうかがえる。
自転車用の軽量ヘルメットとグローブを背負っていたリュックに詰めこむと、さっそく店内に入ろうとした。
だが、ふと少し離れた場所に見覚えのあるバイクが見える。モスグリーンをした無骨なデザイン。そのアウトドア的イメージのシルエットは、この店の客が乗っていても珍しいことではない。
(あのバイク、泊と同じ……)
バイクの近くに近づいて見てみるが、ナンバーまで覚えているわけではない。だが、もしかしたらという期待が胸を膨らませていく。
(まさか、いたりして?)
とりあえず、早足で店内に入ってみる。
「おお……」
思わず、声がもれた。外から見るより中はもっとすごい。いくつもあるテントやテーブル、椅子、焚き火台、ランプ、季節的にストーブもいろいろな種類が展示してある。アウトドアショップを訪れたことがなかった秋葉にしてみれば、その風景は新鮮だった。
(なんか楽しいな……っと。その前に……)
秋葉は店内をキョロキョロと見まわす。もちろん、バイクの持ち主を探すためだ。
その様子は商品を探しているようにも見えるが、下手すると不審者のようだったかもしれない。
(いた! 泊、やっぱり来てたのか!)
しかし、幸いにも店員にその挙動を捉えられる前に彼は目的の人物を見つけることができた。腕を組んで考え事をしている愛らしい横顔はまちがいない。ジャケットにジーパンというラフな姿で、奥の方のテントコーナーらしいところで品定めをしている。
秋葉ははやる心を押さえて、展示什器を回りこみ背後に向かう。
そして、力を抜いてから肩を叩く。
「よおっ!」
「――ほみゅっ!?」
予想通りの反応で驚き、振りむいてくれる。
まん丸の両目をより一層、見開いて、さらに小さな口まで大きくアングリと開いていた。
「ハイト!? び、びっくりした……」
「そんなに驚かなくとも……」
と言いながらも、秋葉としては驚かすつもり満々だったので大成功なのだが、そこは空とぼける。異性とあったときにドキッとした方が印象に残るらしいという、誰かから聞いたことを実践してみたなど言えるわけがない。
「驚くに決まってる。だいたいハイト……秋葉くんがなんでここに?」
上がった心拍数を抑えるために胸に手を当てる泊。
そんな仕草は可愛いのだが、彼女の言葉には顔をしかめるしかない。
「ねえ。ここには僕以外の知り合いはいないじゃん。だから、無理して呼び方を変えなくてもいいんじゃないか?」
「…………」
泊がなぜ学校で自分を避けるのか、親しげな態度をとりたがらないのか、その理由はある程度わかっている。しかし秋葉は、「自分に好意をもつ女の子たちが、影で泊に嫌がらせをした」などということが、本当に起こったなどとは信じていなかった。男友達が噂として教えてくれたことだ。そんな少女漫画みたいなこと、自分程度の男に起こるわけがないと思っていた。
だから最初のうちは、かまわず秋葉は泊に言い寄った。が、すればするほど、泊は頑なになる。だから秋葉も、最近は学校での接触は控えめにするようになっていた。
ところが、しばらくして秋葉は知った。
それが本当に起こった事件だったと、泊の親友である【入谷 晶】から聞かされたのだ。
だから学校で泊に冷たくあしらわれても、秋葉は我慢していた。
「ほむ、確かに。別にわたしも、ハイトを嫌っているわけではないから」
「あ、あはは……よ、よかったよ……」
思わず頬がゆるむ。嫌われているわけではないとはわかっていても、やはりはっきりと言われると安堵する。泊に「秋葉くん」と呼ばれるたびに、胸が細い棒で突かれたように痛くなり、不安が募っていたのだ。
「でも、泊。それで、なんでここに? 今日は締め切りがヤバいから缶詰だって聞いたけど……」
「ほみゅっ……そ、それはまあ、ほら……」
「あ……逃げてきたな?」
「ま、まさか……『ま~さか』とかついだ金太郎♪ですよ」
「ごまかす気が満々の金太郎じゃないか。要は、脱出してきたのか?」
「そ、それより、ハイトこそどうしてここに?」
いつも冷たくする仕返しに、しどろもどろの泊をもう少し困らせてやろうかとも思ったが、今日のところは「ハイト」と呼んでくれていることで勘弁してやることにする。というより、せっかくだから泊とたくさん話して親睦を深めたい。これはチャンスだ。
「どうしてって、そんなの買い物に決まってんじゃん。キャンプ用品、見に来たんだよ」
「ほ、ほむ。そりゃそうか。アウトドアに興味があるって言っていたしね。もしかして、本当にキャンプもよく行くの?」
そう聞かれれば、本当は「そりゃもうたくさん」と言いたいところだが、この前の様子だとすぐにばれるだろう。だからここは素直に、そして謙虚に攻めることにする。
「そんなに行かないよ。僕が中学生になってから家族で年に二~三回かな。ただ、おかげで僕も興味がでてさ。ソロキャンもそろそろやってみたいって思っていたんだ」
「ほむ。なるほど。わたしもハイトが、アウトドアの話を女子に言っていたのを聞いて、執筆キャンプを思いついたみたいなところもあるから」
「え? そうだったの?」
「ほむ。他にも理由はあったが……。で、ハイトはなにを見に来たのかね? この泊先輩が相談にのってしんぜよう」
「先輩って、おまえがキャンプに行ったの何回だよ?」
「三回である」
「僕より少ないじゃないか! 泊より僕の方が先輩だろう!」
「ほむ。
「……どこの人だ、おまえは?」
「おまえさん、ソロキャンプは未経験じゃないのかい?」
「そ、そうだけど……」
「ならば経験豊富なわたしが先輩。大先輩。いや、もう師匠って敬っていいよ」
「……僕は、そのおまえの根拠薄弱な自信がたまに羨ましくなるよ」
「ほむ。なかなか言ってくれるね、お兄さん。なら自信の証明に、この泊師範がきみのキャンプギア探しを指南してあげよーじゃないか。まずはテントとかかね?」
「まあ、そうだけどさ。僕も雑誌やネットでいろいろと調べてきたんだ。やっぱり、男らしくパップテントとか……」
「ほむははは。これだから素人は」
「そんな無感情に変な笑い方されても……」
「パップテントなんて、きみのような素人に扱える品物じゃないぞ」
「なんでだよぉ……」
「だいたい、キャンプはいつから行く気なんだ?」
「そりゃあ、買ったらなるべく早く行きたいけど……」
「ほむ。なら、これからますます寒くなるのに、密閉性の低いパップテントでどうやって暖をとるか考えてる?」
「もちろん焚き火だろう?」
雑誌の「男のソロキャンプ特集」みたいなので見た、ワイルドで男前なキャンプスタイル。軍用テントのパップテントの前で焚き火をして肉を焼く……なんともかっこよかったのだ。
どうせやるなら、男らしくやりたい。
だが、そんな決心は泊に鼻で笑われる。
「ふっ。やれやれだぜ」
「な、なんだよぉ……」
「焚き火で一晩暖をとるのが、どれだけ難しいかわかっているのかね?」
「え? 難しいの?」
「だいたい、パップテントの前で焚き火するということは、パップテントはTCじゃないと」
「TC?」
「ほむ。ポリコットン製ということ」
「ああ。ポリエステルより焚き火に強いんだっけ? それがどうした?」
「TCは重いから、歩きだとけっこうな重量増になるのだ」
「な、なるほど」
「それから……」
そこからは、泊師匠のテント講座が始まった。テントの種類やメーカー、前室がどうの、スカートがどうのと、鼻高々に説明している。
秋葉は、たまに質問を挟みながらそれを聞いていた。
(こんなに泊と話すのは久々だなぁ……)
その一方で、秋葉は泊との時間に幸せを感じていた。彼女にしてみれば、好きなこと好きなように語っているだけなのだろう。しかし、偉そうに語る彼女を見るのも、嫌ではなかった。むしろ、喜々としている彼女を見るのは、至福そのものだった。彼女といられるなら、たとえ罵倒されても内心で喜んでしまうかもしれない。
「ほむ。ハイト、聞いている?」
「……あ、もちろん。聞いてるよ。というか、泊。本当に詳しいじゃん。泊も雑誌とかで調べたのか?」
「雑誌もウェブも見たけど、ほとんどは教えてもらったことかな……」
「教えてもらった? 師匠の師匠ってことか? 誰?」
「そ、それは……まあ、いいから。それよりもほら……えーっと。そもそもハイトは、キャンプに行く暇なんてあるの?」
泊が目を泳がせながらごまかす。
彼女が隠した「師匠の師匠」のことが少し気になるが、せっかくのいい雰囲気だから追求はあきらめる。
「別に暇ぐらいは作れば……」
「ほむ。でも、土、日でもけっこう部活の練習に……あれ? 今日は?」
「休みだから、ここにいるんじゃん。昨日、練習試合だったしね。誰かさんのようにサボったりしてないよ」
「ほみゅっ! な、なんのことかな……」
「それにまあ、別にそこまでサッカーに打ちこんでいるわけではないしね」
「ほむ。そうなの? ハイト、一年なのにレギュラーになれるんじゃないかって、クラスの女子が騒いでいたけど」
「うん。まあ、そういう話もあるけど……」
「すごいじゃん」
頭を掻きながら、秋葉は照れ笑いをしてしまう。
実際、もう少しがんばればレギュラーにという話も出ている。昨日の練習試合でも、わりといい仕事をして褒められたばかりだ。このまま続けていれば、現実になるだろう。
しかしだ。しかし、自分の中でそのことに関してはわだかまりがある。
「でも、僕はサッカーが好きでサッカーを始めたわけじゃないからさ……」
まるで独り言のように、秋葉はそう言う。脳裏に浮かぶのは、中学時代にサッカーを始めることになったきっかけ。
彼は、どちらかと言えばひ弱だった小学生だった。だから中学生になったとき、体を鍛えようと考えたのだ。離ればなれになってしまった泊と再会したとき、男らしい自分を見せて好きになってもらえるようにと。
でも、そのことを言うわけにはいかない。
「体を鍛えようと思っていたら、サッカー部希望の同級生から『一緒にやろう』って誘われたんだ。運動部ならなんでもよかったし、サッカーは好きな方だったし」
それから、誘った同級生から「サッカー部員はモテる」と聞いたこともあったが、それも言わないことにする。泊に「サッカー部員のハイト、かっこいい!」と言ってもらうためだ、などと口にだせるわけがない。
「ほむ。好きだけど、青春のすべてをぶつけるほどではないと?」
「せ、青春って……」
「だけど、それなのにレギュラーになれるなんて、やはり才能があるのでは?」
「そ、そうかな……」
泊に褒められて、またニヤついてしまいそうになる。
泊に「レギュラーになって」と言われたら、秋葉にとってはそれだけでサッカーの猛練習をする理由には十分だった。
もしかしたら、この流れで自分に期待して言ってくれるかもしれない。
「ほむ。なんとなく、晶に似ているかも、ハイトは……」
「入谷さん?」
ところが予想外の名前が出てきて、ハイトは首を少し捻る。
「ほむ。そう。晶も別に走るのが大好きだから陸上を始めた……というわけではないから」
「え? だって毎日、あれだけ走りこんで、あれだけの成果をだして……」
「もともと中学生のときに、足が速いからと同級生から部活の人数あわせに誘われたのが始まり。晶は頼まれたらなかなか断れない性格なんだ。そうしたら、本当に速くて中学生で有名になっちゃってね」
「じゃあ高校でも?」
「ほむ。晶自身は、もう陸上部にはいるつもりはなかったみたい。むしろ、料理部とか考えていたみたいだった。けど、中学時代に名を馳せた女子が入学してきたからね。陸上部の部長から先生からが晶のところに押し寄せてきて、とりあえずお試しでいいから入ってくれないかと」
「それで出場しては優勝するって……やっぱりすごいじゃん、入谷さん。僕とは似てないよ」
「才能の度合いではないの。そこまでうちこみたいことではないけど、才能があって努力もちゃんとしているっていう話。……そう言えば、なんか二人は他にも似ている気がする」
「そう……かなぁ」
「ほむ。二人ともわたしが友達として合うタイプだから、似ていても当たり前なのかもしれないけど」
「……ああ、うん」
友達として認められている。それは喜ばしいことだが、秋葉にしてみれば枷になる話でもある。一度、友達として認められたところから、恋人になるにはどうしたらいいのだろうか。
やはり、それには距離をもっと縮める必要がある。離れていた中学時代の分を埋めるぐらいに一緒の時間を過ごさなければならない。
(やっぱりキャンプで距離を……)
ソロキャンプに興味があることは嘘じゃない。しかし、今までためた貯金をおろして、このタイミングでキャンプ用品を見に来たのは、すぐにでも泊との関係を深めたいからだ。これしかないと思ったからだ。
その作戦は今、正しかったと手応えを得ていた。こうやって話をすれば、まるで昔に戻ったような空気が感じられている。
「ま、まあ、ともかくサッカーも好きだけど、今はキャンプしてみたいんだよ」
「ほむ。了解。ならば、テント選びをがんばろう」
「うん! ……って、あれ?」
「…………」
「……泊、なんかおまえのケータイ、鳴ってない?」
「さあ、テント選びをがんばろう」
「無視しないで執筆に戻ってやれよ……」
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2020/03/scd005-12.html
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