第一一話「乙女心が壊れそうだった。だけど、乙女心は強かった」

 晶には、かず兄の食事をコントロールするアドバンテージがあった。なにしろ作った本人だ。その本人が薦める具材を相手が手にするのは自然な流れである。


(よしよし。計画通りだぜ……)


 もともと数を少なめにしていた焼きタラコや、奮発して買った数の子など、は消費された。あとは鶏肉や野菜など、少し多めの具材のみ。バリエーションも減ってきた。

 計画は、次の段階に進む。


「かず兄、そろそろ味に飽きてきたんじゃないか?」


「うーん……まだそこまでじゃないが、確かに少しはな」


 チーズフォンデュはうまい。うまいのだが、自分で作ってみてすぐに気がついた。けっきょく、なにを包んでもチーズの味が強いのだ。最初の内はいいのだが、どうしても味わいが単調になる。よほどのチーズ好きとかではないと、飽きが来てさほど量が食べられない。


「というわけで、ちょい足しするぜ」


 チーズの入ったケトルを取ると、それを別のガスコンロの上に置く。

 中火にかけて、牛乳を少し追加して緩める。

 そこにカレーの缶詰、【いなば】というメーカーの【スパイシーカレー 辛口】の登場だ。カレールーを使うのが一番安上がりなのだが、溶ける時間やなじませる時間を考えると、こちらの方が手っ取り早い。食事の途中であまり間を開けると、腹具合が落ちついてしまう。スピード命だ。

 それにこの商品は、牛脂や豚脂を使わずサラッとしているのが売り。チーズにソースとして混ぜるのにも向いている。さらに、いろいろとすでに溶け込まれて旨味も強い。

 手軽でうまい。これをケトルにいれて、よく混ぜればカレーチーズフォンデュのできあがりだ。

 ちなみにかず兄も晶も辛口大好き。好みにもピッタリである。


「おお! 口の中が一新される! カレーの風味が食欲をそそるな」


 さっそくカレーチーズをまとわせた鶏肉を口にしたかず兄が頬を緩めた。

 つられるように、晶も微笑する。チーズにカレー、そして肉や野菜。想像してみて欲しい。これが合わないわけがない。


「でしょ? はい、ビールのおかわりあるよ」


 すかさずビールをさしだした。

 かず兄は、礼を言ってからそれをうまそうにグビグビと呑む。


 正直なところ、晶はかず兄が酒を呑むところをあまりよく見たことがなかった。見たことがあるのは、晶が六歳のころ。二十歳になった彼が、父親と初めての酒を楽しんでいるときぐらいだ。それ以降、彼が晶たちの前で酒を呑むことはほぼなかったはずだ。なにしろ、その二年後に父親は死去してしまったし、その頃には彼も引っ越してしまい、入谷家に来るときはバイクや車を使うようになっていた。

 だから、彼がどのぐらい酒に強いのか知らなかったのだ。


(計算が狂った……。なんかぜんぜん酔ったように見えないぞ。かず兄、酒にかなり強いのか? まあ、そういうところも、なんかカッコイイけど……じゃなくて、今は作戦的に困る!)


 その後、具材はすぐになくなった。もともと少なめに作っていたので、もちろんそれは計算の内。酔わせられなかったのは残念だが、つまみ具材を増やすわけにはいかない。なにしろ、シメのメニューが待っている。


 先ほどのカレーチーズフォンデュに、カタクリでとろみをつけためんつゆを少し足して温める。

 それに添えるのは、太麺のうどん。これをつけて食べるのだ。


「これぞ、晶オリジナルシメメニューのカレーチーズフォンデュうどん! 麺にたっぷりからめて食べてね!」


「和洋コラボのすごいメニューだな。……でも、うまいぞ」


 ちゅるちゅると口の中に入ってくれば、チーズの利いたカレーうどんの風味だ。お腹もすっかりふくれ、辛口のカレーのおかげで体もすっかり温まる。


(というか、ここもけっこう暖かくなってきたな)


 シェルターの中で食べているから冷たい風に晒されてはいないが、暖まってきた理由はそれだけではない。

 シェルターの中では小さなストーブに火が灯され、それが熱源となっていた。


「ちっこいのに、けっこう暖かくなるね」


 全身オレンジの小さなストーブ。煙筒型でどこかレトロな雰囲気を醸しだしている。昭和初期の古い映画の中に出てくる駅、その待合室に置いてありそうなストーブを小さくしたようだ。


「いいだろ、センゴクアラジン」


「戦国?」


「【アラジン】ってブランドの【センゴクアラジン ポータブルガスストーブ】っていう商品だ」


「へー……って、ガスストーブなの? これ? 石油とかじゃなく?」


「ああ。CB缶、いわゆるカセットボンベ、一本で動いている」


「え? 前にかず兄が見せてくれた、カセットボンベのストーブってもっと小さかったじゃん。それに比べたら、このストーブかなりでかいけど、マジでカセットボンベなのか?」


 カセットボンベ程度で、ここまでシェルターの中が暖まるものなのかと驚いた。

 昔、かず兄が見せてくれた、CB缶ストーブはまさにテーブルサイズ程度のものだった。正面にいる一人を暖めるのがやっとで、けっしてシェルター全体を温められるような熱量ではなかったのだ。

 それに形も違う。目の前のは、そもそも形からして石油ストーブっぽい。


「へー。すげーな」


 晶はもっと温まってみようかと、ストーブの近くに寄ってみる。シェルター内を暖められるのだから、さぞかし周りは暖かいのだろうと思ったのだ。


(……あれ?)


 ところが、ストーブの目の前まで来て、高さを合わせるようにしゃがんでみたが、ほとんど温かさを感じない。掌を煙筒の横に向けてみるが、やはりシェルター内を暖めているほどの熱など感じない。

 だが、上の方に手を運んでみると、急に熱気を感じることができた。特に真上の方などは、掌が熱くなりすぎて長い時間かざしてなどいられないほどだ。


「かず兄、このストーブって上しか熱くならないのか?」


「ああ。それは対流型だからな」


 質問した不可解に、かず兄はとばかりに答えた。

 しかし、晶はそれがなんなのか知らない。


「対流型って? 他流派同士の対戦バトル?」


「なんで戦うんだよ……。そのストーブは、温めた熱を上に向かって放っているんだ。熱気は対流を起こして上がっていき、今はシェルターの天井にぶつかって、今度は横に流れ、壁を伝って地面を流れる。そうやって、対流で空間を暖めるストーブ。それが対流型だ。それに対して、たとえば晶ちゃんのうちにある石油ストーブは、正面に向かって遠赤外線を発することで前にいる人を温めてくれる。ちなみにファンヒーターだとファンで熱風を送りだして暖める。まあ、もちろん複合型もあるけどな」


「ふーん……。あ。ということはさ、このストーブは外では使えないってこと? 屋根がないと熱がみんな上に逃げちゃうよね」


「おお、鋭い。まあ、使えないことはないが、効果はかなり薄いよな。たとえばストーブファンという、ストーブの上に載せると熱でモーターが動いてファンが回る道具があるから、それを使えばファンヒーター的にもなる。けど、あくまで補助的なもんだ。少なくともタープの下とか、対流した熱気をつかまえられるものがないと、このストーブの使用には向かない」


 そう言いながら、かず兄も立ちあがり横に来てストーブの上の方に手をかざす。

 晶と二人、並んでストーブで暖をとる。

 その温かさに、そろって思わずほっこり頬を緩める。


「まあでも、今の内だけだな、これも」


「ん? なんで?」


「ソロのテントぐらいならまったく問題ないんだけどな。これ以上寒くなると、このサイズのシェルターを暖めるにはパワー不足なんだ。CB缶自体、寒さに強いわけじゃないしね」


「そうかぁ。じゃあ、寒くなったらやっぱり薪ストーブだよな、かず兄?」


「おお、そうそう。晶ちゃん、よくわかってるじゃないか」


 嬉しそうに破顔すると、かず兄の手が頭の上に来た。

 そして優しく髪の上を撫でていく。


「――!!」


 声にならない悦楽の悲鳴が晶の中に上がる。

 これこれ、これが大好きだったのだ。かず兄に頭を撫でられるのなんて何年ぶりだろうか。

 よく漫画などで似たようなシーンになると、「死んだ父親に撫でられたことを思いだす」というのがあるが、ぶっちゃけてしまうと父親に撫でられるよりも、かず兄に撫でられる方が好きだった。心の中で「とーちゃん、ゴメン」と謝るも、この「ふにゃぁ」と力が抜ける愉楽にはかなわない。もし晶に尻尾があったら、もっと撫でてとブンブンと振りまわしていたことだろう。


 ただ、今日はいつもより撫でている時間が長い。このままでなで続けられたら、しまいには、体どころか乙女心までとろけてしまいそうだ。


(……ってか、ずいぶん長いな……長すぎる?)


 ふと横目でかず兄の顔を見上げた。

 すると、なぜか破顔したままで晶の方を見ながら、手だけが無心に撫で続けている。


(あれ? もしかして、かず兄、わりと酔ってる?)


 たぶん、泥酔するほどではないのだろう。しかし、少なくとも少しハイぎみになっていることはまちがいない。こんなに撫で続けるなど、普段のかず兄には見られない行動だ。


(ああ……酔わせてよかったぜ! こんなに撫でてもらえるなんて、ラッキー! これなら抱っこギュウぐらいしてもらえるんじゃないか?)


 期待で胸が早鐘を打つ。心臓というポンプが激しく動きだして、血流が沸騰するのではないかと感じられる。もしかしたら今なら愛の告白をも、ノリで受けつけてくれるのではないだろうか。



――かず兄、大好きだよ。


――俺も晶ちゃんが一番好きだ。ずっと俺のためにキャンプ飯を作ってくれないか?



(……なんてさ!)


 最高の蜜月の始まり。

 晶の乙女恋愛脳がフル回転する。


 だが、その期待はまちがいだった。

 甘かった。

 相手は、三〇にもなる大人なのだ。

 そんな期待などぬるすぎる。


「晶ちゃん……」


 撫でる手がとまり、晶の肩に大きな掌が移動した。

 ダウンジャケットの上からだというのに、その掌の熱がすぐ肩から伝わってくる気がする。しかも、掌はのせられただけではない。けっして強くはないものの、その指は晶を逃がさないかのように肩をつかんでいる。

 そして、その瞳は潤みながら晶のことを見つめていた。


「か、かず兄……?」


「晶ちゃん。そろそろ、一緒に寝る準備をしようか……」


「――ひゃへっ!? いっ、いっ、いっ……準備!?」


 確かにそういう期待もあった。しかし、それはとうに打ち破られた夢としてあきらめていたことだ。そしてそのときに感じたのは、不思議と安心感だった。キャンプに来る前に覚悟を決めたつもりだったが、期待と同時にあった恐怖や罪悪感を完全に消せたわけではなかったのだ。


 それなのに、今になってあきらめた夢が目の前に現れる。酔った勢いでのハプニングを狙ってはいたが、彼女が願っていたのはそんな大それたものではなかった。


(かず兄、実はかなり酔ってる!? 一緒に寝る……準備って、心の準備ができてないよ!?)


 首から上の血液が、一気に沸点を超えていた。脳が高熱で燃えだしそうだ。頭の上にホットサンドメーカーをのせれば、おいしいホットサンドが作れるのではないか。


「オレ……あ、あたしはまだ、そのぉ……」


「晶ちゃんは、まだがいいのか?」


 晶はその言葉に首を激しく左右にふる。

 まさかだ。けっして現状維持このままでいいとは思っていない。このままなら、とてもじゃないか姉に勝てるわけがない。動きださなければならないと、心に決めたはずだ。


「じゃあ、やろうか。俺は熱くなってきたから脱ぐよ」


(――えっ!? もうなの!? かず兄、早い! 気が早くない!?)


 ダウンジャケットを脱ぎ始めるかず兄を見て、晶は思わず顔を下に向ける。

 その顔は熱い。センゴクアラジンどころか、薪ストーブさえ凌駕する高温。今なら、自分一人でこのリビングシェルを燃やすこともできそうだ。


(い、いいの、かず兄は……本当にオレでいいの!?)


 いきなり、大人の階段が目の前に現れた。それは怖いが期待もある。だが、こんな所で階段を登ってもいいのだろうか。階段を登る音が、テントから外にもれないのだろうか。


(ええいっ! 女は度胸って昔のエライ人も言っていた! な、ならオレも覚悟を決めて……)


 と言っても顔をあげることはできないので、そのまま覚悟を口にする。


「い、いいよ。あたしも……」


「そうか。なら、まずは食器とか片づけて……」


(あ、ああ。そうだよね! そのまま、ねねねね……寝るんだから、汚れ物を片づけないとね!)


「テーブルとか寄せて、ストーブをそっちに近づけて……」


(あ、ああ。そうだよね! ははははだ……裸になったら寒いもんね!)


「コットを組み立ててから……」


(あ、ああ。そうだよね! 床に直だと痛いしね!)


「それに説明したとおり、ポップアップテントを載せて設置するから」


(あ、ああ。そうだよね! そうだよね……そう……だよね……!?)


 顔をあげれば、すっかり横に追いやられたテーブルや椅子類。

 そして、かず兄が小脇に抱えるのはコットとポップアップテント。


 もちろん、そこまで見れば晶も理解する。

 自分の大いなる勘違いを。


「よし。コットを組み立てるか。んじゃ、晶ちゃん。を手伝ってくれ。あ。でも、その前にまずは食器を洗いに行――」


「――食器を洗う前に顔洗って出直してこい! ってか、オレが顔洗って頭冷やしてくるわ!」


「――はいっ!?」


 呆気にとられているかず兄をよそに、晶はシェルターから飛びでる。

 そしてきれいに瞬きだしている、街では見られない星々を見上げて思う。

 きっと自分の乙女心は、熱され、叩かれ、冷やされて、こうして強くなっていくのかもしれないと。


(オレの乙女心は刀かよ!)


 自分に対してもツッコミ体質の晶であった。




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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。

http://blog.guym.jp/2020/02/scd005-11.html

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