第一〇話「準備はできた。だけど、まだ食べない」

 ガス台の上に五徳代わりのクッキングスタンドが二つ並べられ、その上に跨ぐように鉄板を広げた。

 晶としては使ったことのないガスコンロのため、火のつけ方がよくわからなかったが、そこはかず兄に教わる。これがまた、わりと火加減が難しい。

 本当はホットプレートがよかったが、とりあえずこれでもなんとかなる。なにかを焼くわけではなく、保温程度の熱があればよい。

 温め始めてから、クーラーボックスへ。そこからいくつものタッパや封をしたビニール袋を取りだす。


(ジャガイモ、ブロッコリー、ニンジン、シメジ、芽キャベツ……)


 タッパに入っていた野菜類は、あらかじめ自宅で蒸してから一口サイズに切ってある。それを鉄板の上に並べて温めていく。

 今回の具材は、一種類ずつの量を減らして、多種にしている。下準備の手間は非常にかかるが、この方が絶対に楽しい。


 次にステンレスの小さな円筒形ケトルを借りる。

 形が変わっていたので、つい「これ、ケトル?」と聞いてしまったら、かず兄が「これはスノーピークの【ケトル・ナンバーワン】といって……」とかウンチクを始めてしまった。料理をしていないときなら聞いてあげるのだが、今は「はいはい。またあとでね」と受け流して作業を続ける。


(本当は専用の鍋がいいけど、贅沢は敵! キャンプは道具のやりくりって、かず兄も言っていたしね)


 ケトルの内側に、切ったニンニクの表面をこすりつけて匂いを移す……のが定番だが、今日のメニューにニンニクは入っていない。ちなみに、明日のメニューにもニンニクは入っていない。そうなると、こすりつけて残ったニンニクの欠片がもったいない。


 ちなみにニンニクがメニュー素材に入っていない理由は、「二人きりでニンニクくさくなるのはイヤだ」とか、「ニンニクを食べるとイモと同じで、腸の働きがほら……ね?」という晶の恥ずかしさ回避のためだ。

 だけど今回の料理で、ニンニクの香りはスパイスとして重要だから省くわけにはいかない。

 仕方なくニンニクは、代用品を使うことにした。


 まずケトルに、白ワインを入れる。これはスーパーの福引きで当たった調理用ワインだ。これを小瓶に移してもってきているので、だいたいカップに一杯強いれる。

 それをもう一つのガスコンロで温め始めたら、途中ですりおろしニンニクを入れる。

 ちなみにこのすりおろしニンニクは、スーパーで鰹のタタキを買ったときにつけてもらった小袋を残しておいたものだ。常温保存できる小袋の調味料などは、お弁当などにも使える。だから、晶は自宅では、なるべく使わずに残しておく癖がついていた。


(キャンプにもいいよな、こういうのは!)


 お手軽に風味をつけられ、あとに匂いも残りにくいのだが、香りが今ひとつ弱い。そこでガーリックパウダーも加える。まあ、なんだかんだと口にガーリック臭は残ってしまうのだが、風味のわりに次の日にもち越すほどではない。あと、ガーリックパウダーは風味が足らなければ手軽にたせるのもよい。


 そのままひと煮立ちさせたら、ビザ用のチーズを溶けるように少しずついれていく。だいたい一人一〇〇グラムぐらいの感覚だが、今回は少し少なめ。なぜなら、さらに成田ゆめ牧場で先ほど買ってきたモッツァレラチーズも少し千切って追加するからだ。

 それが溶けたら、これまた成田ゆめ牧場で買ってきた牛乳を半カップいれ、さらに片栗粉を溶いたものをいれてとろみをつける。

 仕上げに、胡椒を少々。


 ちなみにこの料理を作ったことがなかった晶は、チーズがドロドロだからとろみなんていらないのではないかと最初は思っていた。ところが試したところ、とろみがないと具材にまったく絡まない。やはり、先人の知恵は大事だったと思い知った。


(よし。あとは具材の追加)


 追加するのは、タラコである。

 フライパンにアルミホイルを敷いて、その上にタラコをのせる。中火で各面を三分ずつ焼いていく。これでだいたい火が通るので、それを一口サイズに切っていく。

 プチプチのタラコは、チーズとの相性も抜群である。

 これはこれ以上、火を通したくないので鉄板の横で待機。


 次に冷たくなったビニール袋の一つから、爪楊枝に刺さった具材を取りだす。それはアスパラにベーコンを巻いたおなじみの具材。それをフライパンで炒める。味付けは、【マキシマム】という万能スパイスで薄めに調整。

 こちらは火が通ったら鉄板へ。


 次に取りだしたのは、一口大に切った鶏モモ。あらかじめ低温調理しておいたが、それをフライパンにのせて強火で炙る。表面を少しパリッとさせるためだ。こちらの味付けは、【黒瀬のスパイス】という万能スパイスでかるく味付け。

 これもまた鉄板、但し火から離して端の方に配置。


 そしてさらに魚介として、むきエビをオリーブオイルで軽く炒める。味付けは、【ほりにし】という万能スパイス。こらちは【黒瀬のスパイス】に似ているが、ガーリックが利いている代わりに、胡椒の風味が少し弱い。


 ちなみにこれらのスパイスは、すべてかず兄がお薦めだと入谷家に持ち込んだものである。お薦めならば、かず兄の好みである事はまちがいない。だから、味付けはこれにしたのだ。


 とどめに、調理の必要がない一口サイズのスモークチーズと、調理済みのウズラの煮卵、そして一口サイズに切りそろえ済みのバゲットも小皿に並べる。


「よし、準備完了!」


 鉄板の真ん中にトロトロに溶けたチーズの池。それは白い靄を頭上に抱く、黄金の池。

 その周りには、それを飾る花畑のように広がる野菜をはじめとする具材たち。

 その具材をバーベキューフォークに刺し、チーズにつけて食べれば口の中はパラダイス。


「そう! お酒のおつまみにも最適! 今日のメニューはご存じ、チーズフォンデュです!」


「おお! いいね!」


 かず兄にしてはノリがよく、拍手で賛辞を送ってくれる。


「これはうまそうだな。ソロキャンだとチーズフォンデュなんて、俺は絶対にやらんメニューだし。やったとしてもこれだけ品数は絶対にそろえないからなぁ。今までにない体験だが……大変だったろ、準備?」


 確かに大変だった。キャンプ場に来てからの用意時間をなるべく短縮するために、あらかじめ火が通りにくい食材は通し、食べやすいように切りそろえて個別にタッパやビニール袋に収めてもってきたのだ。

 しかも、失敗しないようにあらかじめ自宅でも練習してきている。なにがチーズに合うか、それをどのぐらいの火加減で調理するかなど、一通り試してきたのだ。


 だが、晶は笑って「大したことなかったよ」と答える。実際問題、かず兄が喜んでくれるなら、このぐらいの苦労などないも同じだ。


「チーズだから、ビールでも日本酒でも合うなぁ。……とりあえず、まずはビールか?」


 かず兄が期待感をあらわにしながら、ビール片手にローチェアに腰かけた。

 そんな彼に、晶は掌を向けて「待った」をかける。


「その前に、少しお腹になにかいれないと。まずは、ジャガイモなんてどう?」


 そう言いながら、晶は長い棒の先端が二股のフォークになっているバーベキューフォークに、鉄板の上で転がっている皮も剥いていない小さな一口大のジャガイモを突き刺した。

 そしてチーズを纏わせ十分にオシャレをさせると、皿に載せてからかず兄に手渡した。


「イモ自体は平気だけど、チーズは熱いから気をつけてよ」


「了解。いただきます」


 かず兄は、ふぅと息で冷ましてから口に運ぶ。

 彼の丈夫そうな歯が、小さなジャガイモを噛みきる瞬間をジッと見つめる。気分は、判決を待つ被告人だ。

 そしてジャッジメントは、その表情で決する。


「……うん! これはいい!」


 双眸が見開き、頬がふわりとゆるみ、彼の表情が明るくなる。

 それは晶にとって大きな手応え。


「こいつは、イモ自体もうまいな。チーズと合う。」


「でしょ! それ、【インカのめざめ】っていう品種で、加熱しても崩れにくいから扱いやすいんだ。それに甘味も強いしね」


「ああ。味もだけど、歯ごたえが少しねっとりとしているし、中の見た目もきれいに黄色くて、なんかサツマイモみたいだな。チーズの塩っ気がアクセントになって……これはビール案件なんだが?」


 先ほどテーブルに置いたビールの缶を持ちあげてこちらに見せる。その表情は、晶に「おあずけ」を食らった犬を思わす。


「しょ、しょうがないなぁ~。まあ、お酒のおつまみを目指したものだしぃ。少しずつにしてくれよ。飲み過ぎたら、他のが食べられなくなっちゃうからな」


「おお、サンキュー!」


 それはもううまそうにビールを呑むかず兄。

 その様子を弛みそうな頬を引きつらせ、「ヤベェ、今日のかず兄、なんかカワエエ!」と心で叫びながら晶は見守る。

 本当はすぐにでも抱きつきたい気分なのだが、そんな恥ずかしいことはできない。ぐっと我慢して、今度はバーベキューフォークに焼きタラコを突き刺す。


「次はこれを食べて見てくれ。まじうまいんだ」


「どれ……」


 サーモンピンクに焼けたタラコが、金色の衣をまとう。

 そしてそのまま、かず兄の口へ。


「……おお、これはプチプチとした感触でまたうまい。けど、ちょっとしょっぱいかな」


「そこで、さっきのインカのめざめの残りをすかさず口へ運ぶんだ、かず兄!」


「え? ああ、これか……――んっ!?」


 唐突に黙ってモグモグと口を動かすかず兄。

 だが、晶にはわかっていた。自分が食べたときもそうだった。思わず、黙って噛みしめたくなる味なのだ。


「……どうだ、かず兄?」


「…………」


 かず兄は黙って、しかし満面の笑みで親指を立てる。ジャガイモとタラコとチーズ、この組み合わせがうまくないはずがないのだ。

 そのまままた、彼はビールをグビグビと飲み始める。


「はい。次は野菜な。ブロッコリーもうまいぞ」


 そそくさと用意した、緑のブロッコリーが刺さったバーベキューフォークをかず兄に渡す。

 その晶の表情が、ほくそ笑んでいることなど彼は気がつかないだろう。


「ブロッコリーもうまいなぁ……」


「キノコ類もチーズと相性いいからね。はい、シメジ!」


「サンキュー……って、晶ちゃんも食べなよ。腹が減ってるだろう?」


「あ、うん。まあね」


 そう言いながら、晶もシメジをとる。だが、そこで手がまた止まってしまう。

 もちろん、空腹ではある。が、正直なところは今、それどころではなかった。姉にも弟にも誰にも邪魔されず、かず兄の世話をやくことができる。こんな楽しくて嬉しいことは、なかなかないのだ。


「かず兄。実はとっておきもあるんだぜ」


 そう言って、晶は横に控えさせておいたタッパを取りだす。その中に入っていたのは、わざとださなかった究極のチーズフォンデュ具材。


「じゃーん! ご覧くださーい!」


 そう言いながら小さなタッパの蓋を開ける。

 そこに並んでいたのは見慣れた食材。


「……ちくわ?」


「だよ!」


「まあ、ただのちくわのわけないよな。中になにか入っているのか?」


「そりゃね。ってなわけで、中は見ないで食べてみてよ」


 かず兄が「ふむ」と納得してから、バーベキューフォークをちくわに刺す。そして晶の言ったとおり中を見ないようにしてチーズに漬け、口に一気に運んだ。


「……これは……プチプチ……タラコよりプチプチしたのが中に……数の子か!?」


「あたりー! これがまた合うんだぜ」


「これは……これは……うますぎる! 晶ちゃん。悪いけど――」


「日本酒だろ? ちょっと待っててよ」


 晶はさっと立ちあがってクーラーボックスへ。

 その顔は、またほくそ笑む。


(ふふん。いい感じじゃん! 料理の腕があまり主張できないけど、こいつはアルコールが進むメニューだからね! もう少し胃の中に食べ物を入れたら、もっと呑ましちゃうからな。かず兄だって、酔えば箍が外れやすくなるだろうし。そうすりゃ過ちのひとつもあるかもしれない! たとえば、抱きついてくれるとか! いや、もしかしたらキスぐらいは!? ……エヘヘヘ……)


 大の大人を泥酔させて嵌めようしているわりに、その野望は妙にかわいらしい晶であった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。

http://blog.guym.jp/2020/02/scd005-10.html


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る