成田ゆめ牧場ファミリーオートキャンプ場

第九話「低かった。だけど、届かなかった」

「さみぃっ!」


 車を降りたとたんに、背後から風に全身を撫でられた。そんな自然の痴漢行為に、晶は「ヒャッ」と声をもらしてブルリと身震いする。


(くそっ! 風にセクハラされた!)


 そんなどうでもいいことを考えながら、防寒ジャケットのチャックを閉める。先ほどまで温泉で温まっていた体が、一瞬で冷えてしまった。

 陽射しがなくなると寒くなることはわかっていたが、想像よりも一段階上の寒さだ。吹きさらしの芝生の上だからなのか、風が異常に強く感じる。

 かず兄に言われて、セットの防寒ズボンを履いていてよかったと思う。暑いから履きたくなかったのだが、これほど寒いと我慢できなかったことだろう。

 ちなみに、上下セットで立派なワークマン女子である。


「確かに寒いな」


 同じように車から降りてきた、かず兄も白い息を吐く。


「荷物を片づけたら、料理はシェルターの中でやるか?」


「だね。手がかじかむよ」


「一応、ガスコンロを2つと、調理器具、それとクーラーボックスを置いてある。ロースタイルだからやりにくいかもしれないけど」


「ロースタイル?」


 晶はかるく首を傾げる。


「ああ。低いテーブルだけでそろえた状態だ。普通のファミリーキャンプでは、高さ八〇センチ以上の立って作業するキッチンテーブルとか、だいたい高さ七〇センチぐらいのテーブルを用意したりすることが多い。普通の家でよくあるぐらいの高さだな」


 説明しながら、かず兄はシェルターに向かい、そのチャックを開けて中を見せる。


「でも、ロースタイルだと今回のように、高さ四〇センチぐらいのテーブルにあわせて、ローチェアとか用意するんだ」


 すでに晶も見ていたが、確かにシェルターの中には低いテーブルが三つぐらいなべてあり、その横には低めの背もたれがついている椅子と、小さな座面が三角形の椅子が一つ置いてあった。


「ロースタイルだと料理がやりにくの?」


「普段は立って料理している人のが多いだろうからなぁ。慣れの違いかもしれんが。やり方によってはロースタイルでの調理は腰が痛くなるという人もいる。少し前屈みになりやすいし」


「そうかぁ。オレも立ってやる方が楽だもんなぁ。でもさ、それならハイスタイル? にすればいいじゃん。なんでわざわざ?」


「理由は大きく二種類ある。まずはシェルターの高さが低い場合だな」


「まあ、そりゃしょうがないね。でも、このリビングシェルだっけ? 十分、高いじゃん」


 晶はそう言いながら、リビングシェルの中に入っていく。

 頭上には十分なスペースがあるので頭が上にぶつかることはない。ドーム型とはいえ、周りもわりと高めにできているので普通に行動するかぎり高さが足らないと言うことはないだろう。


「ああ。だから、もう一つの理由だな。簡単に言えば、荷物軽減だ」


「荷物? ロースタイルのが減るのか?」


「減らしやすいというべきかな。調理作業が多い時とか、食材の量が多い時とかは、確かにキッチンテーブルがあった方が効率がいいと思う。けどさ、立って作業するキッチンテーブルって、基本的に調理にしか使わないだろ?」


「そりゃそうだけど。それならキッチンテーブルもっていかないで、普通のテーブルで料理すればいいんじゃね?」


「普通のテーブルの高さって実は微妙なんだよな。立ってやるには低すぎるし、一般的な座面高五〇センチぐらいの椅子に座ってやるには高すぎるんだ。まあ、身長にもよるんだけどな」


「……ああ。そうかもな、確かに」


「それに対して、ローテーブルはだいたい四〇センチぐらいの高さに対し、ローチェアは三〇センチ前後が多い」


「一〇センチの違い……」


 晶は試しにブラウンの布が張られた椅子に座ってみる。確かに目の前の低いテーブルで作業するのにやりにくいと言うことはなさそうだ。


「なるなる。少しテーブルに覆いかぶさるのか。立って調理するときの姿勢に近くなると」


「というわけで、キッチンテーブルを省略して食卓と兼用にしてしまうことで荷物を減らせる。それにローチェアの方が、収納サイズも小さくできるものが多い。ヘリノックスのチェアとかな。まあ、冬は寒いので生地の厚いスノーピークのローチェア三〇をもってきているけど」


「スノーピーク? この椅子がそう? 確かに座り心地いいし高さもちょうどいいから、料理がラクそうだな」


「ところがそうでもないんだ」


「え?」


「晶ちゃんなら、すぐに気がつくと思うけど。そこで料理することを考えてみなよ」


「…………」


 目の前にあるのは、小さなテーブルだ。確か、かず兄は【エントリーIGT】とか呼んでいたが、商品名だろうか。天板は何枚かの板で構成され、隅にはガスコンロが備えてある。さらに小さな持ち運び用のコンロも載っていた。

 そのエントリーIGTの右横には、もう一つ似たような高さのテーブルがあり、まな板や調理具が置いてある。さらに左横にもテーブルがあり、そちらには調味料やお皿が置いてあった。


(コンロと……調理台。皿はあっちに……あっ!)


 そこまで見れば気がつく。

 このままではと。


「ああ、そうか。座っているから端のテーブルに手が届かないな。うーん。そんなら、コの字に並べて……」


 晶がテーブルを動かし始めると、かず兄もそれを手伝ってくれる。

 小さくて軽いテーブルは、あっという間に晶の座る椅子を囲むようにコの字に並ぶ。


「……やりにきぃな!」


 それはまさに自分を閉じこめる囲いのようだった。背もたれのある大きな椅子がわざわいして、身を動かす隙間が少ない。それに体を横に向けようとしても、肘のせが左右にあるために向きを変えることもできない。

 加えて、どうしても座りっぱなしというわけにはいかない。今の配置ならば、クーラーボックスやウォーターサーバーは少し離れたところに置いてある。つまりある程度、立ったり座ったりという動作はしなきゃいけない。

 しかし、実際に座ってみて気がついたが、晶にとって三〇センチという座面高はわりと立ちあがりにくい高さだった。くつろぐのにはいいのだが、アクティブさには欠けてしまう。


「ヤベ。これ、効率わるいや」


「だろ? だから、こっちの椅子を使う」


 そう言ってかず兄が持ちあげたのは、彼の足下にあった小さな椅子だった。三本のフレームに支えられた三角布地の座面は、A四サイズの紙に収まりそうなフットプリントだ。ヒップサイズが大きい人ではこぼれてしまうだろう。


「試してみてくれ」


 座りにくそうだなと思うが、晶は自分が座っていたローチェア三〇をどけて場所を作る。

 そして、かず兄からそのミニチェアを受けとる。


(あれ? 思ったより少し重いか……)


 とりあえず、そのミニチェアをテーブルの近くに置いて座ってみる。

 最初は倒れるのではないか、壊れるのではないかと思ったが、見た目よりしっかりとしていた。


「へー。まあまあ座り心地はいいね。あと少し高い?」


「ああ、座高が三八センチと少し高い。しかし、その少しが立ちやすさに繋がる。それだけで腰の負担も違うぞ」


 確かに腰をあげてみると、ローチェア三〇よりも立ちあがりやすい。


「それから、そいつは方向転換がやりやすいんだ」


「そうなの? どれどれ……」


 晶はまた座って体を横に向けようとする。

 と、椅子の座面ごとグリッと回転する。


「ああ、これ、回転椅子なのか! 確かにいいな。これなら作業がしやすい」


「だろう? くつろぐには向いていないけど、作業をするのにはこういうシンプルな方がいいもんなんだ」


 適材適所。確かにそうだった。作業をするならどっちの椅子を選ぶかと言われれば、確かにこのミニチェアを選ぶだろう。しかし、くつろぐならローチェア三〇。両方とももってきていたらけっきょく荷物になりそうだが、ミニチェアの収納サイズはかなり小さいらしい。オートキャンプなら問題にならないサイズだろう。


「なるぼどなぁ~。……でも、かず兄。さっきからテーブルや椅子の寸法とか、スラスラと出てくるけどさ、そんな細かい事まで気にしてキャンプ用品をそろえてんのか?」


「確かに、あまりそこまで気にする人はいないかもしれないな」


 かず兄は苦笑を見せる。


「だけど、俺は使う側だけではなく、作る側も目指しているんだ。そういうところは特に気にしなければならないだろう」


「あっ……」


「忘れてたな。そもそもキャンプ初心者の晶から、『これが不便だ』『こうあってほしい』というような希望を聞くためのキャンプだぞ、今回は」


「そー言やぁそうだったなあ……あはは」


「おいおい、頼むぞ。道具全般に言えることだが、作る人間はいろいろと考えなきゃならないからな。……でも、キャンプ、特に徒歩や自転車でのソロキャンプをする場合は、そこからさらにユーザー自身もいろいろと考えなくてはならない」


「というと?」


「一番は、自分で運べる収納方法やその量だな。それによる道具の兼用等、使い道の工夫も必要になる。料理だってそうだ。少ない道具でいかにすますかも考えなくてはならない。逆に言えば、それがキャンプの楽しみのひとつでもある」


「楽しみ……」


「ああ。道具の選択は楽しいぞ。自分に合った道具を見つけて、その道具とどうつきあっていくか……」


「つきあっていく……」


「まあ、相性ってのもあるし……」


「相性……」


「でもだいたい、試してみたら気にいらないところがあったりしてね」


「試したら気にいらない……」


「だから、とっかえひっかえしたりして」


「とっかえひっかえ……」


「最終的には自分の都合のいいように自作したりしてな」


「都合のいいように……。なるほど、わかったよ、かず兄」


「お? わかったか?」


「うん。かず兄がなんで女性とつきあえないかが」


「ちょっと待て。なんでそーなる!?」


 晶の中で「かず兄、軽薄プレイボーイ説」が誕生した瞬間だった。




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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。

http://blog.guym.jp/2020/02/scd005-09.html

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