株式会社UMIホールディングス・会長宅

第一二話「プレゼントを渡せなかった。しかし、渡せるようになった」

「――ああ。俺からも連絡しておくけど、晶ちゃんからもキャンプのことは晶子ちゃんに伝えておいてくれ。詳しいことは、明日にでもメールで送っておくから。それじゃ、また……」


 営野は通話を切った。

 そして、スマートフォンのガラスに映る自分の顔を見ながら苦笑する。


(俺が晶ちゃんとキャンプするとはな……)


 晶子とキャンプに行こうと思ったのは、本当に仕事として必要だと感じたからだ。

 知識も薄く、経験も少ない商品を新しく開拓するなど、方位磁石もなしに未開の地を歩くようなものだ。

 もちろん、先入観がない方が自由な発想ができることもあるだろう。

 が、やはり「なにが必要か」「どういうものか」ということは体験してもらう必要はあるはずだ。

 机上の空論だけで作っては、実際に役立つ商品になるとは限らない。

 だからこそ、晶子にはもっとキャンプを経験してもらおうと考えたのだ。


 しかし、晶に限っては仕事としてそこまで必要なことではなかった。

 確かに彼女ぐらいの年齢の子にモニターを頼むなら、きっとそれは有効なことだっただろう。

 ただそれは、商品のプロトタイプができてから誘えばいいことだ。


 ならばなぜ誘ったのかと言えば、その昔に「一緒に行きたい」という願いを断ったときのことを思いだしたからだ。

 「一人ソロがいい」と伝えたときの晶の表情。

 それが唐突に脳裏に浮かび、次の瞬間に「誘ってみるか」と思い至ってしまったのだ。


(これは完全に……あの子の影響だな……)


 未だに一人の時間は好きだし、ソロキャンプをやめる気もない。

 ただ、もう少し間口を広げてもいいのかもしれないと思った。

 少なくとも親しい人との関わり合いは、もっとあってもいいのだろう、きっと。


「さて……と」


 気持ちを切り替えるため、車の中で独り言ちる。

 ここからは、仕事モードである。

 車を降りて、広い駐車場に立つ。

 どこのショッピングモールの駐車場だと思わす広さがあるが、ここは個人宅の駐車場にすぎない。

 正面に建つ館を「個人宅」と呼んでいいとすればだが。


「何度見ても……デカいものはデカいな……」


 そびえるような四階建てのそれは、中世ヨーロッパでも思わせるような館だった。

 高さで言えば大したことはないのかもしれないが、なにせ横幅がすごい。

 はたして、端から端まで歩いたら何分かかるのだろうか。

 まだ距離が離れているというのに、迫力に圧倒されてしまう。


 もちろん、迫力あるのは建物だけではない。


 建物と営野の間には、身長の一・五倍の高さがある天使を象った噴水がある。

 そしてその周囲は、立派な花壇が道を象っている。

 ピンクのシクラメン、わずかに残ったオレンジのマリーゴールドが、暗闇の中で煌々と灯る電灯により照らされていた。

 建物の周りは、多くの木々が並び、周囲の視界を遮っている。

 だが、その向こうには、まるでこの家を守る結界のように、取り囲むような高い壁があるはずだった。


「いらっしゃいませ、営野様。お待ちしておりました」


 玄関にたどりつくと、白髪ながら中心がぶれない立ち姿で頭を静かにたれる紳士が待っていた。

 そのタキシードをまとった立ちふるまいは、何度見ても惚れ惚れする。

 どうせ年をとるなら、このようにシャンとした姿になりたい。


「ご無沙汰しております、竹橋さん。お元気そうでなによりです」


「ありがとうございます。営野様こそ、ご健勝でお慶び申し上げます」


 初めて来たときは、玄関横まで車でくると、この紳士が車を駐車場まで運んでくれていた。

 しかし、慣れてきてからは、営野は自分で駐車場まで車を運ばせて欲しいと頼んでいた。

 年長者に傅かれるのは、あまり好きになれない。


「主がお待ちしております。お食事のご用意も整っておりますので」


 レリーフで飾られた大きな観音扉が自動で開くと、目の前には絢爛な玄関ホール。

 正面の大きな階段までは赤い絨毯が走り、その上にはガラス細工がキラキラと光を返すシャンデリア。

 よくわからない高額そうな壺や絵画も、そこにあるのが当たり前のように飾ってある。


 営野もどちらかと言えば裕福な生活を送っている方だろう。

 しかし、ここのレベルはまったく違う。

 ただ羨ましいかと言えば、そんなことはない。

 この大きな建物を見て思うことと言えば、「いくらキャンプ用品を買っても問題なくていいかも」程度である。

 このような雰囲気、彼にとって場違いにもほどがある。


 ならば、なぜここによく来るのかと言えば、営野にしてみればほぼ仕事のためだった。


 ここに住んでいるのは、コングロマリットであるUMIグループの創始者家族。

 UMIグループは、カラオケボックス等の遊戯施設、スーパーマーケット、コンピューター産業、自動車産業などなど、ありとあらゆるグループ会社をもつ。

 そして、営野が立ち上げるキャンプ用品会社と提携する予定のアウトドア専門店【WILD CATS】もUMIグループであった。


「あらー。営野様……」


 正面の階段に、一人の少女が現れた。

 純白のシルクでできたワンピースのドレスは、一般的にはパーティ用の洋装に見えるが、彼女にとってはたわいない普段着なのだろう。

 なにしろ、これから単に夕食を共にするだけなのだ。

 彼女は、少し栗色のカールした長髪と、真っ白なドレスの裾を風に揺れる花のようにして階段を降りてくる。

 こういう服装だけ見ていたら、まさか彼女が高校一年生だとは気づけないはずだ。

 その楚々とした仕草も、抜群のスタイルも本当に大人っぽく、色気で言えば晶子でも勝てやしない。


「ご無沙汰しております、遙お嬢様」


「うふふ。本当にご無沙汰しておりますわー。でも、もう高校生ですから、『お嬢様』は恥ずかしいですわー」


「それは失礼しました。では遙様、高校入学おめでとうございます」


 そう言いながら、営野は手にしていた小さな白い紙の手提げ袋をさしだす。


「遅ればせながら、高校の入学祝いです。手に入るのに時間がかかりまして。かなり遅くなり、申し訳ありません」


「あらー。お気づかいいただきありがとうございますー。ということは、なにか珍しいものなのかしらー? 拝見させていただいてもよろしくてー?」


 営野が「もちろん」と応じると、彼女が袋の口を広げて白い肌の手を差しいれる。

 そして中に入っていた、飾り気のない桐の木箱を取りだした。

 袋を側で控えていた竹橋に持たせると、彼女は木箱の蓋を開けてみる。


「……えっ? これはー……ナイフですかー?」


 そう木箱の中に、緩衝材で包まれて入っていたのは、革ケースに包まれたシーズナイフだった。


「はい。私が作ったナイフです。と言っても、刃部分は既製品で、私はそのタングに木製グリップを作って付けさせていただきました」


「は、はぁ……。え、えーっとー……」


 非常に困惑している。

 それは無理はないだろう。

 もちろん、営野も予想の範囲内だ。


 彼女の手にあるのは、刃渡り一五センチほどのステンレスナイフ。

 タング部分は、明るい煉瓦色をした優しい木製のハンドルが包んでいた。

 たぶん、普通に彼女が生きていたら、こんなナイフを握る機会などまずなかっただろう。

 特に今の見た目だと、不釣りあい極まりない。


 しかし、相手はいわば超弩級の金持ちだ。

 生半可なプレゼントではゴミ箱に直行だろう。

 だから悩んだ末に用意したのが、このナイフだったのである。


「わたくし、ナイフなんてー……」


「別に使う必要はないのです。御守りだと思ってください」


「御守り……ですかー?」


「はい。実は恋愛成就で有名な神社の神木が、先日の台風で折れてしまいまして。その木材を縁あって少しだけわけていただけたのです」


「はあ……」


「御神木は花梨の木だったのですが、硬くてちょうどいいので、ワークショップに参加して加工してみたのですが……難しいですね、これ。不格好ですいません」


「い、いえ……」


 まだ彼女は困惑していた。

 どう答えていいものか悩んでいるのだろう。


「私、ナイフが好きでして。目の前の障害を切り開いたり、よけいなを断ち切る……そんなイメージを持っているんです」


「で……でも、それを恋愛成就の神木と組み合わせてしまったら、『切る』のイメージで失恋になりそうな気もしますねー……」


 そう言われるだろうことも予想範囲内だ。

 だから、対応も考えている。


「花梨の花言葉って知っていますか?」


「えっ? い、いいえー。知りませんわー」


「二つあるそうで、一つは『豊麗』。もう一つは……『唯一の恋』だそうです。どうしてそういう花言葉なのかは知りませんが、そのナイフが断ち切るものは『唯一の恋を守るためのしがらみ』になればよいと思い作りました」


「……あらあらー。随分と、ロマンチストですわねー」


 遙の瞳が、少し揶揄するように揺れた。

 だが、それは一瞬のことだ。

 すぐにまっすぐに営野を見つめる。


「もしかして営野様、わたくしの見合いのことをご存じでー?」


「まあ、噂ぐらいは……」


「あらー。お喋りさんがいらっしゃるのねー」


 遙が横目で、すました顔で直立不動の竹橋を睨む。

 だが、竹橋の表情は一向に動かない。

 こっそり情報メールを送ってきたくせに大した人だと、営野の方がむしろ冷や汗をかいてしまう。


「……営野様ー。わたくし、お父様の決めてくださったお見合いに不満などありませんのよー」


「それは幸いです。でしたら、その見合いで『唯一の恋』の相手が見つかることを祈る御守りとしてお納めいただければと」


「…………」


 営野が会社を興したとき、なんだかんだと応援してくれたのが、遙の父であった。

 ある学生向けのプレゼン大会で営野に興味をもったらしく、そこで声をかけられた。

 なんだかんだと個人的なつきあいも始まり、遙の祖父にも紹介されて気に入られた。

 なぜ、どうして気に入られたのかは、未だにわからない。

 しかし、いつのまにかたまに夕食に招待されるようになっていたのだ。


 当然、遙とも顔見知りになっていた。

 もちろん、そこまで仲がよくなったわけではない。

 しかし恩人の娘である。

 幸せを望まぬはずもない。


 ただ、実はこのナイフを渡そうと思い立ち、完成したのは随分と前だった。

 用意していたのだが、なかなか渡せなかったのだ。

 これはよけいなお世話なのではないかと。

 むしろ相手を傷つける刃なのではないかと。


 しかし――。


「……営野様、なにか雰囲気が変わられましたねー?」


 遙のジッと見つめる双眸をいなすように、営野は力を抜いて微笑を見せる。


「そうでしょうか。だとしたら、ちゃんとキャンパーとして生きていこうと思っただけかもしれません」


「キャンパー……。よくわかりませんが、そう言えばキャンプ用品を始められるらしいですわねー?」


「はい」


「キャンプねー……。面倒そうなんですが、楽しいのでしょうかー……」


「面倒なんですが、楽しいんですよ」


「わかりませんわー。……今度、いろいろと教えてくださいませんかー?」


「もちろん、かまいませんよ。私でよければ」


 その後、竹橋から催促され二人は豪勢な夕食の場に向かった。

 そこで今度、キャンプを体験する約束を営野は遙とするのだった。




                               第四泊・完



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  第二部・完

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