第一〇話「諭された。しかし、ダメではなかった」

「と……泊……なにを……」


「それに自然に同い年の友達ととか、なにが自然かなんて勝手に決めて! 自然ということをわかってないじゃないですか! 自然っていうのは、自然になるから自然なんですよ! わかりますか!?」


「い、いや……ちょっと……難しい……」


 とまどう営野を子供を叱る母親のように泊が睨む。

 言っていることは、わかるようなわからないような内容だ。

 しかし、言い返すことなどできやしない。


 若くして会社を興して、大成功させた三〇歳。

 それなりの地位も資産もある大の男が、女子高生の迫力に口をうまく動かせないでいる。


 だが、彼女はまだまだ言いたいことがたまっているのだろう。

 食べかけのカツカレーとカトラリーをテーブルに置いて立ちあがった。

 そして彼女の人差し指が、ビシッと音を立てるように営野の顔へ向けられる。


「だいたいね、矛盾しているんですよ、矛盾! ソロさん、本当にキャンパーなんですか!?」


「なっ……なにを……」


「だって、『自然を知るために、自然を傷つけながらも自然と触れあうのがキャンプ』なんですよね? それはって自分で言ったじゃないですか! なら、『人を知るために人を傷つけながらも人と触れあうのが』じゃないの!?」


「――!!」


 それは、激しいカウンターだった。

 軽い気持ちで相手に刺さらないかと投げた槍が、すごい勢いで投げ返され、営野の脳天から心臓まで貫いていった。

 声さえも出やしない。


「ほむ……。言いましたよね、ソロさん。『傷つけることを恐れていたらキャンプはできない』って。なら、人づきあいだって、傷つけることを恐れていたらダメなんじゃないですか? キャンパーは傷つけたら、その意味を考えて思いやりと優しさでカバーするんじゃないんですか?」


「…………」


 容赦のない追撃に、まさにぐうの音も出ない。

 自分は、わかっていなかったと痛感した。

 頭の中でこねくり回して、それを実践できていなかったと理解した。

 彼女の言葉は、すべて自分の言葉だ。

 その言葉に、これほどの衝撃を受けている。

 これほど愚かしいことがあるだろうか。


(ないな……これはない……)


 残っていたビールを口にしようかと、缶に手を伸ばしかけてやめた。

 酔いなどスッカリ覚めている。

 そもそもビールを少々、呑んだぐらいで酔える気分でもない。

 それに酔って逃げるわけにもいかない。


「……なら、俺はキャンプをする資格がないな。今まで俺はその失敗をくりかえしてきた」


 だからと言って、なにかできるわけではなかった。

 ただ過去を振りかえり、苦笑するしかなかった。


 しかし、そんな自虐的な態度さえ、彼女は許してくれない。


「キャンプで失敗した人に、ソロさんはもうキャンプするなって言うんですか?」


「言わない……が、俺は思いやりで優しくカバーしたりできないからな」


「ソロさんは、キャンプで失敗したわたしを助けてくれました。優しくしてくれました」


「あれは……」


「単にソロさんの優しさは、不器用なだけです。でも、不器用な人はキャンプできないんですか? ……ほむ。それならわたしもできませんよ、不器用ですから」


 ふと、泊とフェザースティックを作ったときのことを思いだす。


「二人そろって、心も手先も不器用か?」


「ほむ。そうですよ」


 彼女も同じ事を思いだしたのか、ふふっと力を抜くように微笑する。

 つられて、営野も少しだけ自虐的ではない笑みが作れる。

 考えてみれば、いつも彼女のペースに営野は引っぱられている。


「ソロさん……ウェブ小説家は、けっこういろいろあるんですよ」


「そう……なのか? そうえいば、さっきウェブ小説家、舐めるなって言っていたな」


「ほむ。そうなのです。……小説を書いて、誰かに読んで欲しいからとウェブ公開すると、始めたばかりの頃は一切反応なし。なんかせっかく公開したのに、だーれも見てくれない。知名度もないから当たり前なんだけど、一方で他の人の作品が読まれていることが、すごくというか、ショックに感じてくるんです。そしてそのうち、自分の作品どころか、自分自身に価値がないような気さえしてくる……」


 一生懸命に自己アピールしているのに無反応。

 無視される自己顕示欲。

 なるほど、それはすごく寂しいことなのかもしれない。

 そんな経験をしたことがないが、営野にも想像ぐらいはできる。


「でもね。人気がでてくると、今度は感想にまみれて、いろいろな反応が送られてくるんですよ。しかも、ウェブ小説はそれらが作者を直撃で攻めてきます」


「いろいろな反応?」


「ほむ。読者からの嬉しい感想もですが、感想という名の押しつけエゴ……希望、要望という皮を被った欲望もまぎれてきます。『ずっと応援してやったのに、どうしてこんな展開にした』とかね。それと『つまらない』『くだらない』『ありふれている』とかの『嫌』という感情を単にそのままぶつけてくるだけの刃たらん文字列。これがまた超痛い! そして嫉妬というファイヤーボール……ならまだいいけど、人をブラックホールに引きずりこもうとする誹謗中傷という呪文とか……。それらの攻撃が、人気がでるほど増えてきますよ……はふぅ」


 それは一気に吐きだされたストレスなのだろう。

 末尾に添えられたため息は、小さいながらも重く感じた。


 すべてではないが、少しはわかる。

 営野自身も若くして成功の道を歩み始めたとき、多くのやっかみを受けたものだ。

 それに一部のマスコミや、ウェブ上でも叩かれたことは知っている。

 もちろん、そういう人を傷つける言葉を見るのが嫌なら見に行かなければいい。

 それである程度の平穏を保てる。


 しかし、ウェブ上で作品を公開して、感想を直接受けとる立場の彼女に、それは難しいのだろう。

 すべて自分で処理しなければならない。


「誹謗中傷も、そんなに来るのか……」


「そりゃもうすごいですよ。『女だからチヤホヤされているだけ』とか、『編集者に体を売っている』とか。女性作者同士で仲良くすれば、『徒党クラスタを組んでいる』とか……。いつの間にか知らない人間関係まで作られて、根も葉もないことを言ってくる。どっちが創作者だかわからないぐらい。ふざけんなって感じ……」


「そりゃめげるな……」


「ほむ? めげませんよ?」


 なに言っているんだとばかりに、目を見開いてパチクリ。

 そして彼女は、したり顔を作り、両手を腰へ当てて胸を張る。


「傷ついても、めげてやるもんか。すべて糧にしてやる!」


 揺さぶるような声に重ねられていたのは、強くて雄々しい決意。

 だから、気がついた。

 目の前にいるのは、この分野において歴戦の強者。

 ただの小さな女の子ではなかった。


「……大きいな……」


「ほむ? 大き――っ!? どっ、どこ見て言ってるんですか! 普通サイズですよ!?」


「違う違う。胸を隠すな……」


「か、隠すなってことは、もっと見せろって事ですか!? やっぱ、お好きなんですか!?」


「い、いや、そういう事ではなくて……」


「ほ、ほむ。そ、そんなに見たいなら、通報して警察が来る直前に見せますが……」


「完全に現行犯逮捕だな、それ……。俺が大きいって言ったのは……まあ、そのなんだ、存在感だ。強いなって思ってさ」


「ほ、ほむ。そ、そうですか、なるほど。確かに……強くなったのかもしれません。傷つけられてもやめたくなかった結果、メンタルだけはわりと鍛えられましたから。それに、わたしもきっと誰かを傷つけて生きている……そのつもりがなくても、身近な人を特に……」


 ふと視線をそらして、彼女はタープの横から暗い空を見る。

 その先に誰を見ているのか、もちろん営野にはわからない。


「ともかくですね、傷つけることも傷つけられることも嫌ですけど、恐れすぎてもなにもできないわけで。だから、ミニマムインパクトの話はすごく共感できたんです」


 彼女は椅子にまた座った。

 そしてコップに残っていた飲み物を飲み干してから、また開口する。


「ソロさん。わたしは、この三回のキャンプの中で、ソロさんからいろいろな影響インパクトを受けとりました。いいことや嬉しいことだけじゃないけど……それもすべて、わたしはわたしの糧にしているつもりです」


 そう語る彼女の明眸から、営野は目が離せなくなっていた。

 ああ。理由は、簡単だ。

 まったく彼女は、楽しくて面白くてワクワクして、自分と似ていて自分とまったく違う。

 そう。それを一言で表すならば……。


「だから、もっとソロさんからインパクトをもらいたい。そもそも、わたしは『自然』じゃない。小説家なんで、どころか、むしろだし」


「おい。それは世界中の小説家に怒られないか?」


「小説家なんて、そんなもんですよ。まさに、どっか一本ネジがはずれて、異常なまでにいつも刺激を求めて生きている。……まあ、少なくともわたしは、そう。だから、ミニマムインパクトなんて気にしないで。ミニマムどころか、、どんとカミングだ!」


「……最後、『どんとこい』と言いたいのだろうが、英語で“Don‘t coming”みたいになっているぞ」


「ほむほむ。知的だから自然に英語がでてしまったようですね」


「いや。英語なら“Don‘t come”だろうし。そもそもそれじゃあ、『来るな』だろうが……」


「ほみゅっ!?」


「泊……きみはすごいな」


「し、真剣な眼差しでバカにされた!?」


「いや。バカにしていないし、今の英語の話でもない。……きみは、本当に『すごい』と思ったんだ」


「ほむ……?」


 営野が感心したのは、たかだか一五、六歳なのに魅せる【新宿 泊】という生き様だ。

 しかし、その生き様が小説だとすれば、それに対して言えたのは「すごい」という陳腐な感想。

 自分は、なんと考えの浅い読者なのだろうか。


「いろいろ、すまなかった。俺は……ダメだな」


 そしてそんな自分に対する感想も、また陳腐で語彙力の欠片もないものだった。

 仕方がない。他にどんな言葉があるのだろう。

 キャンプ場の暗闇で、LEDランタンから放たれ小さい光に照らされた、両肩を落とす自分の姿。

 目の前にいるのは、女の子。

 しかも、自分の半分程度の年齢から窘められる自分に、「ダメ」以外のなにが似合うのか。

 やはり他に探すなら、「惨め」か「愚か」か。


「ほむ。『ダメ』じゃないですよ、ソロさん」


 どうやら他に適切な表現があるらしい。

 ならばプロの小説家は、この大人をなんと表現するのか。

 彼は彼女の言葉を黙って待つ。


「わたしは思うのですよ。人って大人になるほど、のって難しくなりません? たとえば自分の評価を下げたり、自分の過ちを認めたりできなくなっていく……」


 また彼女視線が、どこか遠くを見はじめる。

 たぶん、誰かを思いだしている。

 いったい誰なのだろう。

 その存在が気になりながらも、営野は別の思考で口を開く。


「でも、自分の価値を下げるというなら、よく自己否定する奴はいるだろう。自分はなにをやってもダメだとか」


「ほむ。でもそれは、『オレはぁ~さぁ~、ダ~メダ~メなヤツなんだ~ぁよ~ん』という考え方をしているだけです。大人になってからその考えを改めて、『私はダメな奴ではないっ! 最高だっ! ヒャッハー!』となるのはなかなか難しいんじゃないですか?」


「その薬でもやったかのようなテンションの変化の方が難しそうだが……まあ、確かにそうだな……」


「だから……だからね、ソロさん。過ちを認められる大人は、それだけでんです。ソロさんはダメじゃありません。んですよ」


「…………」


「これからもわたしは、インパクトを与えて欲しいんです。わたしとソロさんの間にスパッタシートなんていりません。そんなすごいソロさんの熱は、すべて感じてみたいです!」


「そ……そうか……」


 やっとそれだけ口にして、営野は顔を背ける。

 なにしろ、まるでウォッカでも一気にあおったかのように体が熱くなったのだ。

 顔面までカッカとする。


(やはり俺の方が微生物なのかもしれない。若い熱エネルギーに自分の方が焼かれそうだ……)


「ソロさん?」


 かけられた声にすぐふりむけない。

 三十路男の赤面など、誰が見たがるものか。


「…………」


 深呼吸をして心を落ちつかせてから、ゆっくりと顔を戻してまた彼女の顔を見る。

 ランタンの光に映しだされた少女。

 楽しくて面白くてワクワクして、自分と似ていて自分とまったく違う少女。

 やはりそうだ。それを一言で表すならば、この言葉しかない。


「泊、今のきみはまだ子供だ」


「ほむ。そんなことはわかって――」


「――だけど」


「……?」


「だけど……きみは将来、絶対にすごく魅力的・・・な女性になる」


「ほみゅっ!? ……やっぱり今は違うと?」


「今は、違うな。……少なくともではない」


「ほむ。その言い方……ちょっとずるいです」

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