キャンプ村やなせ

第六話「優しいと言われた。しかし、傷つけた」

 冬の装備は、アイテム数も増えて、アイテム個々の体積も場所をとりやすい。

 寝袋だって厚くなるし、暖房器具も増えていく。


 しかし、今年の冬将軍は足がのろいらしい。

 確かに今、太陽が沈みかけても、厚手の上着があればまったく問題がないぐらいの陽気だ。

 ただ、これから完全に日が落ちれば、さすがに肌寒いと感じるだろう。


 仕事の区切りがいいところで、営野はパソコンを閉じて顔をあげる。

 広がる山や木々の輪郭が、オレンジの光でぼやけるようにみえる。

 それはまどろむ視界のように、どこか現実感を失わせる。

 いわば世界が切り替わる境界の時。

 もうすぐ闇の世界が待っている。


(昨日よりは冷えるな。日が落ちる前に、火をおこすか……)


 タープの下で立ちあがると、営野はすぐに準備を始める。

 買いたした薪を割って、焚き火台の側に置く。

 そして、手早く火をおこす。

 薪はよく乾燥していたのか、小さい火は瞬く間に育っていく。

 今回は大きめの焚き火台を持ってきているので、薪はかなりくべることができる。

 暖をとるには充分だろう。


(さて、夕飯はどれにするかな……)


 電気ケトルと、小さな鍋とガスコンロを取りだす。

 すなわち湯の力でできる簡単飯だ。

 明日は片付けがあるから、早寝して早起きしなければならない。

 だから今日はもう手抜きである。


 ただ、手抜きとは言っても、メニューはある。

 その時の気分で何が食べたくなるかわからないため、いくつか用意してきていたのだ。

 営野は詰めた箱の中から、どれを食べようかと物色する。


「あのぉ、ソロさん……」


「――うおっ!?」


 考え事をしていたせいか人の気配に気がつかず、背後からかけられた声にビクッと背筋を伸ばして体を強ばらせてしまった。

 そして一瞬の硬直から逃れたら、すぐに後ろへふり向く。


「ほむ。そこまで驚かないでも……」


 もちろん、泊だ。

 彼女は「むしろ、驚いたのはこちらだ」というような困り顔で立っていた。

 営野は肩を降ろして胸をなでおろす。


「驚かすつもりはなかったんですけど……」


「ああ、わかってる。ちょっと考え事していたからな。……で、なんだ? まさか食べ物の気配を感じて釣られてきたのか?」


「ソロさんは、わたしをなんだと思っているんですか、失礼な」


 と言われても、今までの言動を振りかえれば、そう思われても仕方ないのではないかと思わないでもない。

 イメージ的には、口をいつもパクパクと動かしている鯉なのだ。

 が、営野は口を噤む。

 沈黙は金、雄弁は銀。


「あのですね、ちょっと教えていただきたいことがありまして」


 そう言いながら、泊の目線が向いた先は、バチバチと音を立てながら燃える焚き火台であった。


「そろそろわたしも、季節的に焚き火をやりたいのですが。なにをそろえればいいかなと……」


「なるほど。そういう話か」


 まだ今はある程度の装備で耐えられるが、もうすぐ本格的に寒くなっていく。

 そうなれば、焚き火は必需に近い。

 というより、営野にしてみれば焚き火はキャンプの楽しみの醍醐味である。

 夏場なら荷物の関係で焚き火をあきらめることもあるが、冬場に焚き火をあきらめるなどという選択肢はありえない。

 そんな彼にしてみれば、泊が焚き火道具をそろえたいというならば、全力で協力してやりたい。


「ふむ。……飯はどうした?」


「まだですけど。どうせお湯を入れるだけなので……」


「ああ、泊もか。じゃあ、一緒に食いながら説明でもするか?」


「ほ、ほむ。それは嬉しいですけど……な、なんか……」


 泊が体を少し前屈みにして、下から上目づかいを向けてくる。

 その瞳に色は、訝しさ。

 意味がわからず、営野は眉間に皺を寄せる。


「なんか……なんだ?」


「……今回のキャンプでわたしに対して、妙に優しくありませんか?」


「俺はいつも普通に優しいだろうが……」


「きっぱりとノーと言える泊さんですよ。今まではもう少し、冷たかったというか、突き放した感があったというか……面倒だけど仕方ない感があったというか……」


「そうか? そんなことないだろう」


「ありますよ。だって、昨日の夜も夕飯を一緒に食べてくれたし、袋田の滝にも車に乗せて行ってくれたし、さらに今日だって夕飯に誘ってくれるし!」


「い、いや、誘っているというより、話を聞きたいというついでだろうが」


 言葉的にも距離的にも少し迫り気味の泊に、営野はついつい狼狽してしまう。


「そ、それにだな、昨日の飯も交換するからだし、車だって、ほらその……」


「ほむほむ。わかりました。わかりました。……要するに、わたしの魅力にまいってしまったというわけですね?」


「まっ、まったくわかってないじゃないか……。泊に魅力なんて感じてないぞ!」


「……ほむ」


 静かな「ほむ」と共に、泊が迫っていた顔を後退させた。

 その表情には、すーっと静寂を告げるような陰ができる。

 目尻も口角も気持ちさえも下に向いている。

 それは、思いを止めた顔色。


「……やっぱ……あの二人みたいな……か……」


 今まで聞いたことのないタイプの弱々しい声。

 何を言っているのか途中は聞き取れなかった。


 だが、そこでやっと営野は自分の言葉の刺に気がついた。

 その刹那、自分の心臓にもそれが刺さったかの痛みを感じる。


「す、すまん。今のは言い過ぎで――」


「――食事……」


「え?」


「食事、持ってきますね。焚き火道具のこと、教えてください」


「……あ、ああ」


 いつものように笑顔を見せてから踵を返す泊。

 いや、違う。いつもと同じわけがない。

 あの表情で、気にしていないわけがない。

 謝ることさえ許してくれなかったのは、怒りの表れなのか。

 それとも、彼女の感情の決壊が限界なのか。


(……ああ、くそ。だから、苦手なんだ……)


 一線を引いて接していれば、まだなんとかなる。

 だが親しくなり慣れてくれば、口も滑りやすくなる。

 それがわかっていたはずなのに、また同じミスをする。


(晶子ちゃんのときに反省したはずなのに……)


 さすがの営野も、晶子が自分に好意を向けてくれていることは知っている。

 しかし、営野にとって晶子は妹という枠に入ってしまっていた。

 最近になって、その枠から段々とはずれてきてはいるのだが、過去にはやはり知らずに傷つけることも口にしていた。


(やっぱ……関わりすぎず、ソロでやっていくのが一番だな……)


 心の中のテントとテントの距離は、少し離して設営しよう。

 営野は改めてそう決心するのだった。

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