袋田の滝→キャンプ村やなせ

第五話「早く帰りたいと言われた。しかし、ゆっくりでいいと言われた」

 黒檀色のテーブル上は、営野の予想よりも豪華なものが並んでいた。

 鮎の塩焼きということだけに目を奪われ、メニューの細かいところは見ずに注文していたため、これほどボリュームがあるとは思わなかったのだ。


 まず目についたのは、この時期には嬉しい冷たい蕎麦だ。

 海苔がのっているが、皿に盛られているので、「ざる蕎麦」ではなく「盛り蕎麦」だろうか。


(どっちでもかまわんが、蕎麦だけでもけっこう量があるな)


 こんもりと盛られている、薄いほうじ茶色の蕎麦は、ヘルシー系を好む女性には多いぐらいだろう。


 もちろん、それだけではない。

 その奥には、天ぷら。

 ざっと見ただけでも、エビ、イカ、ゴーヤに茸類と、五、六品目はもられている。

 まとっている明るい狐色は、肌色に近いほどクリア。

 その横には、深い緑の抹茶塩が出番待ちしていた。


 さらに赤い味噌のようなものがかかった冷や奴。

 箸休めの壺漬けに、デザートのグリーンとピンクの鮮やかなまんじゅう。

 中身は、フルーツ餡らしい。

 青のりが混ぜられ、少し緑がかっている刺身こんにゃく。

 この周辺の名物である、こんにゃくはあって当然だろう。


 だがしかし、名物と言ったら今日の主人公はこんにゃくではない。

 そう。


(おお。これはそそる……)


 考えてみれば、見た目はグロテスクと言えるのかもしれない。

 なにしろ切り身にもならず、そのままの姿で尻尾から串刺しにされて焼かれているのだ。

 白目を剥いた顔など、どう考えても食欲をそそるものではない。


 しかし、口の中に唾液がたまる。

 営野は知っているのだ。

 この塩っ気が効いた焼き魚がどれだけうまいのかを。


「ヤバテスト……やっとありつけましたよ、塩焼きに!」


「それはいいけど、泊はこんなに食えるのか?」


「ほむ。大丈夫です。女性はが別腹ですから」


「女性全体の別腹を拡張するな……」


「おっと。食べる前に写真を撮らねば……」


 正面に座っている泊が、そう言いながらスマートフォンを取りだす。

 そして資料にでもするのか、それとも友達に送るためなのか、写真を撮りまくりはじめた。


(さて。俺はどれから手をつけるかな……)


 この組み合わせだと、蕎麦は早めに食べてしまいたいところだ。

 しかし、やはり今は熱々の塩焼きだろう。

 店員から「熱いですからお気をつけて」と注意されていたが、確かに串もかなり熱くなっている。

 別に箸で千切って食べればいいのだが、やはり串焼きはかぶりつきたい。

 なんとか冷ましながらも、かぶりと鮎のど真ん中にかぶりつく。


(……おっ!)


 パリとした歯ごたえはほんのわずか。

 すぐにフワッとした歯を包みこむような白身が、口の中へ攻め入ってくる。

 川魚と言っても癖はない。

 わずかな苦みもアクセント。

 出汁の味を強くしたような風味と、わずかな甘味。

 それに口の中に広がっていたたっぷりの塩気が混ざる。

 続けざまに、もう一口。

 口の中でほぐれていく感触がたまらなかった。


「んんん~~~!」


 言葉にならない声が、泊からもれた。

 見れば彼女も食べ始めており、その顔は恍惚としている。


「ああ……身が、ですよ!」


な……」


 ツッコミも待たずに、泊がまた鮎を横からかぶりつく。

 小さい顔の口許に、大きな魚が横になる。


「お魚くわえたどら猫状態だな……」


「――ほむ!? どら猫とは失礼ニャン。でも、うまいニャ、うまいニャ、塩焼きうまいニャ」


「完全に、どら猫じゃねーか……」


 だが、そうは言いながらも猫のようにかぶりつきたくなる泊の気持ちもわかった。

 営野とて、ガツガツとかぶりついてしまっている。

 とにかく塩味があとをひく。


(ああ……日本酒が欲しいな、こりゃ……)


 塩気に甘口の日本酒でも合わせたい。

 もちろん、車で来ているからには禁酒だが、その代わり食べる物はたくさんある。


(いやまて。でも、天ぷらも日本酒が欲しくなる……。酒のシメに蕎麦はもってこいだし……)


 一度、考えだすとなかなか酒の魅力から離れられない。


(テントに戻ったら……一杯、やるかな……)


 思わず、早くテントに戻りたくなってしまう。

 こうして外食するのも楽しいし楽なのだが、やはりテントで気ままに食事をとる方が向いている。

 なにより気楽に酒が飲める。

 とは言え、テントで本格的な天ぷらは面倒だし、品数をここまでそろえるのも一苦労だ。

 これはこれで、ここでしか味わえない、足を運んだからこそ味わえるものなのかもしれない。

 酒はなくとも、今はこの料理を心から楽しむべきだろう。

 そのあとしばらく、二人とも黙々と鮎を味わうことに集中していた。


「……あ、ソロさん。温泉はどこにするんです?」


 鮎を食べ終わって一段落ついた泊の問いに、営野は豆腐をつまみながら答える。


「同じところじゃつまらないから、少し離れたところに行ってみようかと思っている」


 袋田の滝を見学して、一度戻ってきたあとにまた風呂に出かけるのは少し面倒だ。

 だから、そのまま温泉に寄って帰ろうということにしたのだ。

 もちろん、同乗してきている泊は別行動……というわけにはいかない。

 当然ながら、泊も一緒の温泉に行くことになったのである。


「ほむ。離れたところ……というと、混浴の秘湯ですか?」


「なんで混浴なんだよ……」


「いや、まあ、ほら、ソロさんも男だし……ねぇ?」


「『ねぇ?』じゃねぇ。別に俺は求めてないぞ。それに今時、こんな観光地に混浴なんてない」


「ほむ。……そんなに無理をして」


「してねぇよ……」


 こいつはすぐに大人をからかおうとする。

 怖い目にでも遭わせないと治らないのではないだろうか。

 そうだ、そうしよう。

 ここは少し怯えさせ、警戒心を持たせようと、営野はからかうことにする。


「そんなに一緒に入りたいなら、家族風呂とか行くか? 俺はかまわないぞ?」


「…………」


「…………」


「……うわあぁぁぁぁ――……」


「――そんなドン引きするな! 冗談に決まっているだろうが!」


 怖い目を見させようとして、怖い者を見る目をさせてしまった。


「ほむ。びっくりしましたよ。家族風呂に行きたいなんて……わたしと家族になりたいという遠回しなプロポーズかと」


「驚いたのそこなのか……。というか、ものすごい深読みしてきたな。高校生にそんなプロポーズする奴は、俺も『捕まってしまえ』と思うぞ」


 営野はガックリと肩を落とす。

 泊との会話は、なんとも思うようにコントロールできない。

 やはりやめだ。やめだやめ。

 泊相手には余計なことを言わないのが一番だ。

 だいたい自分には、そう言ったコミュニケーション能力が欠けているのだ。

 そう思いなおし、営野は話題を変えることにした。


「温泉だが、【三太の湯】というところが楽しそうなのだが、ここからだとちょっと離れすぎているかもしれないな。あとは候補で考えているのが、【森林の温泉もりのいでゆ】という温泉だ」


「ほむ。さんたのゆ……と」



【三太の湯】

http://www.santanoyu.server-shared.com/


森林の温泉もりのいでゆ

http://morinoideyu.com/



 泊がスマートフォンで、「ほむほむ」言いながら調べだす。

 思った通り、泊は【三太の湯】に興味を持った。

 建物も面白いのだが、謎の「三太の像」というのがあるのも彼女の好奇心を刺激したのだろう。

 なんでも地元の民話のキャラクターらしい。


 対して、【森林の温泉もりのいでゆ】の方は少し近代的なイメージだ。

 高台の上にあり、その露天風呂からの景色は空が広く山々が眺められ魅力的だった。


 ただ、面白みという意味では、【三太の湯】の方に軍配が上がる気がする。

 だから当然、営野は泊が【三太の湯】を選ぶと予想していたのだ。


 ところが、しばらく悩んだあと、泊は【森林の温泉もりのいでゆ】の方を選んだのだ。


「まあ、確かに【三太の湯】の方が興味があるんですけどね」


「なら、どうしてだ?」


「ほむ。実はいろいろとみたおかげで創作意欲がわいてきて、早くテントに帰って小説を書きたい気分というのもありまして……」


「ああ、なるほど。だったら、ここから一番近い、昨日も行った袋田温泉とかのがいいんじゃないか?」


「そ、それはそうかもですが……ほら、どうせなら別の温泉にも行きたいじゃないですか」


「なら袋田温泉の近くにも他の温泉が……」


「――い、いや、そのですね」


 なぜか泊が目を泳がせ始める。


「もちろん、早く帰りたいというのもあるのですが……それはそれとしてというか、一方であまりにすぐというのも……も、もう少しぐらいはいっ……」


「……い?」


「い……いえ。そのまあ、そっちの【森林の温泉もりのいでゆ】にも興味ディーペストということです、ほむ」


「そうなのか? よくわからんが……」


「お、乙女心は湯の花のように漂い、捉えるのが難しいのですよ……ふふんっ!」


「ふふんって……温泉にかけてうまいこと言ったつもりだろうが、湯の花は沈殿物だぞ。乙女心がそれでいいのか?」


「ほむむ……。そ、それはそれとして、もう少しぐらいゆっくりいきましょう」


「ああ……かまわんが……」


 やはり泊との会話はよくわからない。

 しかし、不思議と嫌ではない。


 それに、もある。


 その後に往った温泉は、紅葉の残った山々を見ながら入浴できて気持ちよかった。

 泊と一緒に、温泉の良さを語り合った。


 テントに戻ると、二人ともつい自分のテントに向かって「ただいま」と声をかけてしまった。

 泊と一緒に、そのことについて少し笑った。


 そして互いに自分たちのテントで、自分たちの仕事を始めた。

 泊と一緒に、作業に集中してしばらく話すこともなかった。


(わかる……というより、近いのかもしれないな)


 その土地の楽しみ方。


 テントに「帰る」というの感覚。


 そして、大事にしたい一人の時間。


 少なくともキャンプに求めているもの、その根底にあるものは、二人とも似ているのだ。

 だからこそ、歯車がかみ合う。

 適度な距離感でぶつからない。

 故に、重ならない。

 そんな関係。


(……いいキャンプ仲間になってくれそうだな)


 もしかしたら、泊も同じように思ってくれているのかもしれない。

 営野は、そんなことを一人で考えていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。

http://blog.guym.jp/2019/08/scd004-05.html

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