第四話「これはキャンプなのかと心配された。しかし、これもキャンプだ」

「こ、これは……」


 目の前には、泊にとっての新情報、営野にとっては既知の情報が書いてある。

 本当はトンネル内に、この情報を現すモニュメントもあったのだが、二人はたまたまそれを目にしなかった。

 泊など動画撮影しながら観察していたにもかかわらずだ。

 たぶん、「滝を早く見たい」という気持ちが先走ったためかもしれない。


「こ……恋人の聖地……だいハート? この……袋田の滝が?」


 第一観瀑台よりもさらに高く、滝上の方まで見わたすことができる第二観瀑台。

 その手すりの看板には、確かにそう書いてある。


「なんでも【地域活性化支援センター】とかいうNPO法人が、少子化対策として【恋人の聖地プロジェクト】とかいうのをやっているらしい」


 平然とした顔で、営野はウェブから手にいれた情報を説明する。


「では、さっきの花で作られたハートも?」


「それを現しているんだろうな」


「ほ、ほむ……。『少子化対策』と『恋人の聖地』が結びつくのは、『風が吹けば桶屋が儲かる』ならぬ、『恋人できれば子供が授かる』ぐらい離れていませんか?」


「その二つは同じぐらい離れていたのか? ……まあ、ともかくここは、そのプロジェクトやらでプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットとして【恋人の聖地】に選定されたそうだ」


「ほ、ほむ……しかしそれ、そのなんとかという法人が決めたことですよね?」


 そう言いながら、泊が先ほどの看板をもう一度、見る。



――恋愛に効力をもたらすパワースポットと言われる袋田の滝には、流れ落ちる水量によってハートの形に見える岩肌が出現します。貴方の目に映るハートが、幸運やパワーをもたらしてくれるかもしれません。



「……選定されたらパワースポットになるんですか? 岩肌にハートがいきなり出現するんですか?」


「俺に聞かれても知らん。パワースポットが先にあって、選定されたのかもしれないだろう?」


「ほむむ……とんと解せないインコンプレンシブ


「珍しく難しい英単語を使ってきたな……」


 腕を胸の前で組んで小首をかしげる泊に、営野はここぞとばかりに言葉で攻める。


「そう言えば、泊。さっき言っていたよな」


「ほむ? なにをです?」


「ここに俺と一緒に来られてよかった、また一緒に来たい……と」


「ほむ? ああ、さっき――ほみゅっ!?」


 気がついたのか、看板を一瞥。

 それから面白いように、泊の顔がひきつっていく。


「しょ、しょれは、わたしが知らなかったからで……ザットはザットで、ディスはディスなわけで……」


 太陽の下でもわかるぐらい赤く狼狽する泊に、営野は笑ってしまう。

 それを見て、泊が口を尖らせ怒りだす。

 まさにしてやったりだ。


(まあ、このぐらいで許してやるか……)


 高校生の女の子がオッサンと恋人扱いされても、いい気分ではないだろう。

 これ以上は大人げないと思い、営野は滝の方を見わたす。


 上から見る滝は、下から見た滝とまた違って見える。

 下から見た時は、距離が近かったこともあり、その迫力に圧倒された。

 だが上から見ると距離が離れた分だけ全貌がうかがえ、今度はその雄大さに圧倒される。

 確かに大きく四段ぐらいの滝のようで、上の段差はさほどなく水も平らに流れている。

 そこから段々と落差がつき、その分だけ水流も激しくなっていた。


 ふと営野は、その流れの変化を人生に重ねてしまう。

 小学生とか中学生の時は、なんとなく時間がゆっくりと流れていたような気がしていた。

 しかし年をとり始めると、一年がやたらに早く感じる。

 大学を卒業してからは、その感覚がさらに加速していった。

 きっと四〇、五〇才と年齢を重ねるほどに、年をとるのが早く感じることだろう。

 この段々と段差がついて激しさが加速する滝の流れのように。


(だからもっと、いろいろとやりたい……が、とりあえず今は移動したいな)


 太陽が直に当たる分、第一観瀑台よりもましだが、それでもまだ街中よりも寒い。

 しばらく半分呆けるように見ていたいが、先ほども泊につきあって寒い第一観瀑台にいたばかりだ。

 そろそろ体が冷え切ってしまっているし、さすがに腹も減ってきた。


「泊、そろそろ戻って飯に……」


 と声をかけて、泊が一生懸命に滝を見ていることに気がついた。

 両手の親指と人差し指でフレームを作り、まるで写真撮影でもするように観察している。

 そして一人でなにか納得したようにうなずくと、スマートフォンで写真を撮りまくり始めた。


「……? 泊、そろそろ行くぞ?」


「――ほみゅんっ!? りょ、了解でありんす」


 なぜか、また慌てふためく泊。

 だが、「どうかしたか?」と尋ねる前に、泊が「行きましょう」と急かしてくる。

 それどころか、とっとと先にデッキから降り始めた。

 なんだなんだと、営野は眉をしかめるが、しばらくしてふと気がつく。


(……あ。なるほどな。さては、学校にでも好きな奴がいるんだな)


 泊が熱心に写真を撮っていたのは、岩肌のハートマークが見えるという場所の辺りではないだろうか。

 たぶん、撮影した写真を恋の御守り代わりにでもしようと探していたのだろう。

 なんとも年頃の乙女チックなところもあるもんだとニヤけてしまいそうになるが、顔にはださずに我慢する。


 その後、吊り橋を渡るコースをたどり、山道を越えてから元の観光街に戻ってきた。

 二人で相談して、ある店に昼食を取るために立ち寄ることにする。


「鮎の塩焼き定食を二つお願いします」


 六人掛けの座敷席に座り、営野は泊と一緒に鮎の塩焼きを食べることにする。

 泊ではないが、通り道のあちらこちらであれだけ鮎の塩焼きを売られていれば、頭の中は鮎の塩焼きでいっぱいになってしまう。

 営野とて、もう食べたくて仕方なかったのだ。


「しかし、これってキャンプって言えるんですかね……」


 店員が去ったのを確認し、茶を一口飲んだあと、泊がその湯飲みの中を覗きながら開口した。

 泊がなにを言わんとしているのかはわかったが、営野は黙って続きを待つ。


「キャンプに来ているのに、なんか優雅に観光して、こんな所でのんびりと外食して……」


「問題か?」


「ほむ。問題……だとは思わないのですが、なんだかキャンプとしては、もしかしたら邪道なのかなと思ったり。本当は自分で料理を作らないといけないのではないかと……。よくわからない罪悪感みたいなのがあります」


 予想通りの疑問に、営野はかるくうなずく。

 これはキャンプに限ったことではない。

 スポーツのようなルールが明確なものであれば、あまり迷うこともないが、境界線が曖昧なこの手のアクティビティにはよくある悩みだろう。

 だから営野としても、その悩みをもつことはいいことであると思っている。

 それはいろいろなことに疑問をもって考えるという姿勢ができているということに、ほかならないからだ。


「キャンプなんて、みんな自由にやればいい……とだけ言ってしまうのは簡単なんだけどな」


 彼は同じ疑問を抱き、そして自分なりに考えたことを口にする。


「たとえば『キャンプとはなにか?』という定義は必要だと思うか?」


「ほむ。……必要ない?」


「そうか。俺は必要だと思っている。たとえば、キャンプインストラクター試験というのがあるのだが……」


「そんな資格があるんですか?」


「まあ、資格と言っても国家資格とかではなく、講習を受けたという証明程度の内容だけどな」


「ほむ。面白そう……」


「で、その教科書には確か『キャンプとは、自然環境のもとで、必要最小限の装備で生活したり宿泊したり活動したりすること』みたいにとりあえず定義が書いてある」


「……それなら、わたしたちのこれはキャンプではないと?」


 眉を顰める泊に、営野は首を横にふる。


「いいや。教科書にはそのあと、『種類や形態はいろいろとある』とも書いてあった。大事なことは目的だと」


「目的?」


「そうだ。自然の中でなにを目的にするのか……って事だな」


「楽しむこと……とかでもいいのですか?」


「もちろん。ファミリーキャンプのほとんどそれだろうな。あとは学校とかのキャンプになれば、共同生活による社会性うんぬんかんぬんという目的が設定されることもあるだろうし」


「わたしの場合は、食べ……執筆が目的になりますね」


「今、一瞬、目的を見失わなかったか?」


「そ、そんなこと、まったくないどころか、マックスナッシングですよ」


 泊がプイッと視線をそらす。


「なんだそれ……。それはともかくだ。たとえば、パソコンで執筆するならやはり電源は欲しくなるだろう。でも、それが『必要最小限の装備で生活』には当てはまらないなら、電気を使うことさえ邪道になってしまうかもしれない」


「ほむ。そうですね。昔は使わなかったでしょうし」


「ああ。ただ、それなら昔は使われなかったけど、今は使われている道具なんてたくさんあるだろう?」


「ほむ……」


「だからな、定義は存在していても、その解釈は広くていいんじゃないかと思っているんだ。こうして、キャンプ地の地元の味を楽しむのも、ある意味で自然を楽しんでいる事になるだろう。滝を見に行くことだって、自然を楽しんでいると言えるだろう」


「ほむ……少し強引な気もしますが……わからないでもないです」


「それだ」


「それ?」


「その『わからないでもない』って感性だ。こういうことには、それが必要だと思う。確かにキャンプは自由だとは言ったけど、たとえば昼間にカラオケボックスに入り浸ったり、映画館でずっと過ごしていたりしたらキャンプらしいと言えるか?」


「いや、それはさすがにないです」


「だよな。わからないでもない……とは言えないはずだ。キャンプはやはり、形やレベルは別にしても自然に関わるべきだし、昨日も言ったがある程度は『不自由な自由』であるべきだ。……なんて『べきだ』と言うと決めつけだと言う人もいるが、全くの定義もなければカオスすぎて、なにがキャンプなのかわからなくなる」


「ほむ。確かに」


「泊にとって、キャンプのイメージを一言で表すとすれば?」


「そうですね……うーん……やはり『非日常な自然』でしょうか」


「おお。なかなかいいな。……じつはもともと、『キャンプ』の語源はラテン語で『平らな』という意味らしい」


「平ら? ほむ。どういうことです?」


「まあ、これはさっき言った教科書に載っていたのだが、自然にできたデコボコした地面を平らにして拠点を築くところからだという話だ。それが今のキャンプのような定義に変わったわけだが、もしかしたら今は『地面』を平らにするのではなく、『日常』を平らにしているのかもしれないな」


「日常を平らに……リセットするみたいなイメージですか?」


「ああ。日常を一度とっぱらって、自然の中のキャンプサイトに新たな日常と非日常の混ざった空間を作るんだ」


「日常もいれてしまうので?」


「完全な非日常なんて、いきなりおくれないだろう。サバイバルってわけでもあるまいし」


「ほむ。まあ、そうですね」


「日常と非日常を自分のバランスで行き来しながら楽しめばいいんだ。自然の中でずっと過ごしたいなら過ごせばいい。別の形で自然を感じたいなら、そうすればいい。……どうだ、『泊のキャンプ』はできているか・・・・・・?」


 突飛な質問だったからか、泊は瞬きを数回してから答える。


「ほむ。……そうですね。楽しんでいますよ、わたしのキャンプ」


「なら、いいじゃないか。ここに来たことも、立派なキャンプの一部だろう。邪道も正道も。罪悪感みたいなものはいらない。『好きなキャンプができてよかった』とだけ思えればいい」


「そう……ですね。関係ない……か。形に囚われず、好きに……」


 泊がなにか吹っ切れたように、大きくうなずいてから顔をあげた。

 営野は、その顔を見て驚く。

 牡丹の花のような、満面の笑みを見せていたのだ。


「ソロさん。わたし、にソロさんと一緒に来られてよかった」


「…………」


 営野は、つい息を呑む。

 泊がいつもと違う、どこか落ちついた口調で、大人の女性としての空気をまとっている。

 目の前にいるのが、子供に見えなくなってしまう。


(女の子は……こわいな)


 たった笑顔一つで、大の男がペースを乱されてしまった。

 しかしここは、揶揄してでもペースをとりもどさなければならない。

 少し口角をあげて、営野は悪ガキのような顔を作る。


……って、それはこの店のことか? それとも、もしかして袋田の滝か?」


 こう言えば、きっと彼女は慌てて「この店のことですよ!」と反論するはずだ。

 その狼狽でペースを取りもどす。


「……さあ?」


 だが、相手はで、で、だった。

 狼狽など見せなかった。

 それどころか、フフッと楽しそうに笑ってみせる。


もしかして・・・・・……かもしれませんよ?」


 言いながら彼女が見せたのは、スマートフォンの待ち受け画面。

 そこには、白滝に浮かぶハートマークが見えている。


「え? それは――」



「――はい、お待たせしました。鮎の塩焼き定食です!」



 女性店員の明るい声と、食欲をそそる食事の膳がテーブルにやってきた。

 とたん「ほむ。待ってました」と言って、泊の顔はいつも通りに豹変する。

 その風貌には、先ほどまであった落ちついた雰囲気も不思議な色香もまったくない。


(……手強いな)


 営野は並べられる膳を見ながら、静かに苦笑するしかなかった。

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