第一八話「孤独が怖かった。ところが、大好きになった」
「ん? どうかしたか?」
足音で気がついたらしいソロが、椅子でくつろいだまま泊に顔を向けた。
しかし、泊はその問いに答えられない。
なにも考えないで、ここまで来てしまったのだ。
「……あのぉ……えーっと……」
「…………」
ソロは手にしていたタブレット型パソコンのカバーを閉じると、それを置いて黙って泊の返事を待っている。
その様子は、いつもの素っ気ない感じの表情とは少し違った。
泊はなぜか脳裏で一瞬だけ、父親のことを思いだす。
「ほむ……その……ソロさんに聞きたいことが……あ、あれですよ、あれ……そう、連絡先! 次に遇ったら教えてくれるって約束……ほむ、まだ聞いてなかったですし!」
しどろもどろに、その場で思いついたことを口にした。
「……こんな時間にか?」
自分でもそう思うが、「忘れないうちに聞いておこうかと」と言い訳じみた返事をする。
今はとにかく、会話がしたい。
「まあいい。……座れよ。オニオンスープでも飲むか? ちょうど飲もうかと思っていたところなんだ」
「オニオンスープ?」
「ああ。酒の酔い覚ましにな。温まるぞ」
「……ほむ。でも……」
「おいおい。泊のくせに遠慮するのか?」
「しっ、失礼な! わたしは遠慮の塊ですよ!」
「うそつけ。……で、飲むのか?」
「い、いただきます……」
そう言うと彼は席を立ち、キッチンテーブルの方に向かう。
そこには白い電気ケトルが1つ。
彼がその注ぎ口の蓋を開けると、湯気がもわっと空中へ踊りでた。
彼はそのままケトルをジャグのところまで運び、湯気を鎮めるように水を追加する。
(ほむ……湯気……)
ふと泊は、ソロの座っていた椅子の横にあるテーブルに目を向けた。
視線の先にあったのは、柔らかな湯気をかかげたマグカップ。
中には、まだたっぷりとコーヒーらしき黒い液体がはいっている。
(酔い覚ましに、どれだけ飲むつもりなんだか……)
それを指摘したい気持ちもあったが、泊もそこまで無粋ではない。
口に出さず、胸の奥にしまっておいた方がいいこともある。
「それで、本当はどうしたんだ?」
「――ほみゅっ!?」
ケトルのスイッチをいれながらしてきたソロの問いかけに、泊は少し動揺する。
それでも平静を装って「なにがですか?」と聞き返す。
「急いで執筆しなきゃならんって言っていたのに、明日でもいいことをわざわざこのタイミングで聞きに来るとは思えない」
「だ、だから忘れないうちに……」
「何度か見せてもらったからな、集中して執筆している姿を。きみが集中して書いていたなら、後でいいことに時間を割くとは思えない。……で、集中できなかった理由は?」
「ほむぅ……」
ソロの声には確信があった。
これは完全に見透かされている。
泊は小さくため息を吐いてあきらめた。
「……なんか突然、『わたし、こんなところでなにやっているのかな』なんて思い始めたら不安になって。一人になりたいのなら、ほかにも方法はあったはずなのに、こんな自然の中で一人で……なにかあったらどうするんだとか、夜食を気楽に買いに行けないとか、汗をかいてもすぐに風呂に入れないとか……自分で選んでここにいるはずなのに、なんだかよくわからないけど不安で不安で……」
ソロの方をうかがうと、彼は黙ったままマグカップにスープの粉を入れていた。
そして早々に沸いてスイッチが切れた電気ケトルに手を伸ばす。
「あ、別に怖くなったとか、ホームシックになったとか、そういうわけではないですよ……たぶん……」
ソロが噤んだままでいるので、泊はついつい言い訳じみたことをしゃべってしまう。
そしてしゃべればしゃべるほど、どこか自分が情けなくなってくる。
キャンプなんだから当たり前じゃないか、今さらなにを言っているんだ、なんて幼稚な悩みなんだと、忸怩たる思いにさいなまされる。
「……わたし……ソロキャンプ、まだ早かったですかね……。あはは……恥ずかしいな……」
不安は不安を呼ぶのだろうか。
一言不安を口にするたび、自虐的な気分が高まる。
これはただの泣き言ではないだろうか。
そう考えると、自分が愚かに感じてくる。
「『星の王子様』の話なんだが……」
沸いた湯をマグカップに注ぎながら、ソロが呟くように開口した。
「知っているか? 『星の王子様』」
唐突な質問に驚きながらも、泊はかるくうなずく。
「ほむ。読んだことはないのですが、タイトルぐらいは……」
「その話の中で、確か星の王子様が砂漠にいた花に『人間はどこにいるんだ?』みたいなことを聞くシーンがあるんだ。すると花は答える。『風に吹かれて歩きまわるのです。根がないんだから、たいへん不自由していますよ』って」
「ほむ……?」
「根がなく風に吹かれるなんて『自由』なイメージに感じるが、花はそれを『不自由』だと言う。確かに自分の意志で移動できないことは『不自由』かもしれない。でもここで言う『根』とは、『よりどころ』の比喩なんじゃないかと俺は思ったんだ」
「よりどころ……」
「たとえば、心のよりどころ。それは、家族や友達かもしれないな。場所のよりどころなら、自宅とかな。環境のよりどころなら、『便利な場所』とかかもしれない」
そう言いながら、ソロは指先でトントンと電気ケトルを叩く。
「社会にいる俺たちは、そこに根を張って暮らしている。と言っても、その場から動けないわけじゃない。根というより、そのよりどころに片手を添えて広げられる範囲で、普段は動いていると言った方がイメージが近いと思う」
「ほむ……わりと自由に聞こえません。鎖につながれた犬のようです」
「犬の鎖は、他者からつながれたものだ。でも、よりどころをつかむ手は自分の意志だろう。迷子にならないよう、困ったらすぐによりどころに戻れよう、無意識かもしれないが手を離さないようにしているのは自分だ。自分の自由意志だ。
「…………」
ふと泊は、自分の執筆する小説の主人公【刹那】のことを思いだす。
一人で異世界に飛ばされた刹那は、まさによりどころを失った状態ではないのか。
そんな彼は気ままに旅をしているが、彼のよりどころはどこにあるんだろう。
彼の選んだ「自由」とは、どんなものだったのだろう。
「ところが、俺たちはこのよりどころから、ふと手を放してしまうことがある。まあ、俺は意図的に手を放しているわけだが……」
そう言いながらソロが、かきまぜたオニオンスープの入ったマグカップをテーブルに置いた。
お礼を言ってから泊は、その目の前のマグカップを手にする。
取っ手には感じなかったが、そえた片手にスープの温かい熱が伝わってくる。
多分、二層になったマグカップなのだろう。
ほどよい温かさに、思わず包むように両手で持つ。
見れば手の間から、ふわふわと湯気があがっていた。
まだかなり熱そうだ。
その食欲をそそる香りをかぎながら、泊はソロへ尋ねる。
「意図的に手を放す……。ほむ、それってもしかしてソロキャンプしているときですか?」
その問いに、ソロは答えなかった。
ただ、ランタンの放つオレンジの光に照らされた中で一瞬だけ口角をあげる。
「よりどころから手が離れたとき、よりどころを見失ったとき、人は不安になる。この不安は『
「せきりょう? ……ちょっとお待ちを」
泊はポケットからスマートフォンを取りだすと検索をかける。
「……これかな? 『ものさびしいさま。ひっそりしているさま』、ほかには……『心が満ち足りず、もの寂しいこと』」
「ああ。前者を英語で言うなら“solitude”だな。後者は“loneliness”だろう。ちなみに前者の語源に“Solo”という単語が含まれる」
「ソロ……この不安の正体は、孤独感?
「泊は今まで区画サイトばかりだったし、周りにキャンパーも多かったからあまり感じなかっただろう。しかし、空いているフリーサイトは他のキャンパーとの距離も自然と空くことになる。静かになりやすいし、明かりも少なく暗闇に包まれやすくなる。暗闇に包まれると、よりどころから手が離れてしまったり、見失ってしまったりする」
「だから、不安になる……」
「まだ、ここなんていい方だ。冬のキャンプを続けてマイナーなところに行ったりすると、下手すればキャンプ場に自分ぐらいしかいないときもある。管理人も夜は自宅に戻っていたりしてな。しかも、それが山奥だと携帯電話の電波も入らない。真っ暗な木々の中に自分一人。まさに隔離されて、孤独……本当のソロが楽しめる」
「楽しめる……って、不安を楽しむ?」
「いいや。不安は楽しめないな。楽しむのは、孤独になった状態だ」
「ほむ? 孤独になったら不安になるんですよね?」
「そうとは限らない。孤独になっても不安にならない方法がある」
「不安にならない方法……不安になるのは、よりどころから手が離れるから。なら、よりどころへもう一度、手を伸ばせばいいと?」
「それじゃ面白くない。よりどころは、見方を変えれば『しがらみ』だ。せっかく孤独になって、そんなしがらみからも解放されたんだ。新しいよりどころを作らないとな」
「ほむぅ? よりどころを作る?」
「たとえば、よりどころたる場所だ」
そう言ってソロは、親指を立てて背後に向けた。
そこにあるのは、ソロの茶色いテントだ。
「ペグを打ちこんで根を張る。雨や寒さから守ってくれる、テントは立派なよりどころだろう。しかも、テントをいくつか持っていれば、そのたびによりどころの形を変えられる。これはこれで楽しいだろう?」
「ほむ。なら、心のよりどころは?」
「知らん」
「ほむぅっ!?」
「そんなものは人によって違うだろうが。……そうだな。泊は今回、何を楽しみにキャンプに来た?」
「肉」
「シンプルに即答したな……。まあ、でもわかりやすい。食欲は一番簡単な欲求だ。おいしい物を食べたいという楽しみのために頑張る。それはよりどころにならないか?」
「ほむ。……確かに」
「だろう? だから、キャンプ飯は大事なんだ。……ほかに楽しみは?」
「ほか? ……温泉で気持ちよくなりたい。きれいな風景を楽しみたい……とか?」
「いいんじゃないか? 前に自分でも言っていただろう、大事なのは自己満足だ。たまには今日みたいに、温泉でまったり贅沢に時間を費やすのもいいだろう。普段はあまり見ないだろうが、明日は夜明け前に起きて、地平線や山から上る日の出を楽しむのも気持ちいいだろう」
「ほむ」
「誰にも邪魔されず、見たいときに見たい景色を見て、食べたいときに食べたいものを食べる。もちろん、不便はある。しかし、夜食を買いにコンビニに行けなくても、こうやってスープぐらいなら楽しめる……だろ?」
「…………」
そう言われて、泊は両手を温めていたマグカップを口に運ぶ。
塩気と玉ねぎの甘味のある出汁が、舌の上を転がって喉の奥へと流れていく。
つぅーと、熱が喉から体の中に流れていくのを感じる。
「ほむ……おいしい」
泊の言葉に、ソロがうなずき席に戻る。
そして自分は、すでにコーヒーの入っているマグカップに手を伸ばした。
「
「
泊はまたスマートフォンを出すと、メモ機能でソロの言葉をメモしていく。
「メモするほどのことか? まあ、とりあえず今日は、それを飲んだら寝ちまうといい」
「でも、執筆があまり……」
「早く寝て早起きして執筆してみたらどうだ? 朝日を見て、川を見て……その方が進むかもしれないぞ」
「ほむ……」
そう言われると、どこか肩の力が抜けるような気がした。
同時に、自分は先ほどまでなにを不安に思っていたのだろうと不思議に感じてしまう。
もしかしたら、執筆が遅れてしまったという焦燥感も不安を煽ったのかもしれない。
そう思ったら、今度は景色が変わった。
自分の周りにあるのは、
これを楽しまず、なにを楽しむと言うのだろう。
「ソロさん……ありがとう」
泊は大丈夫だという意味を含め、ソロに笑みを向ける。
それに彼が微笑で応えた。
「気にするな……キャンプの先輩からのおせっかいだ」
そのおせっかいが、どれだけ嬉しかったことか。
そのおかけで、どれだけ心臓が高鳴っていることか。
泊は、それを伝えたくなる。
「ソロさん……わたしね……」
「ん?」
「わたし……大好きです」
「――えっ?」
「……キャンプ、大好き」
「……ああ、はいはい」
第三泊・完
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