キャンプ村やなせ
第一七話「集中しようとした。ところが、不安になった」
生とろこんにゃくは、実に不思議だった。
普通の刺身こんにゃくと同じように薄切りにして食べてみたのだが、その食感は明らかに普通ではない。
さっぱりとした風味に箸が止まらなかった。
付属のタレに漬けて、ワサビを少しだけのせてから口の中に運ぶ。
ひんやりとした冷たい感触が舌の上と歯茎の裏を撫でる。
歯ごたえは確かに在る。
あるのだが、こんにゃくとしては抵抗感が弱い。
それどころか舌でも千切れそうな、溶けてなくなりそうな感触。
ただし、マグロの大トロのような溶け方ではない。
そこにはこんにゃくらしい歯触りも確かにあった。
さらに切った厚さがまばらだったために、食べるごとに少し違う触感が楽しめた。
――とまり@大先生:摩訶不思議でうまいのなんの。一言で言えば、刺身こんにゃくの生とろ版!
――AKIRA@インフル:そのまんまだな 大先生!
――ハルハル@凱旋:とまとまは、下手にまとめない方がいいわよー
――ハルハル@凱旋:感情のままに話した方が、わかりやすいわー
――とまり@大先生:一切れずつ厚さを変えたのも正解だった。
――AKIRA@インフル:それ、単に切るのが下手だからじゃねーの?
――とまり@大先生:違う。計画的犯行。
――AKIRA@インフル:犯行なのかよ!
パソコンの画面の中に表示される、いつも通りの友人たちの反応。
非日常の中にある、ちょっとした日常。
泊は、それを見て不思議と安心してしまう。
逆に言えば、非日常のキャンプに対して無意識に不安を感じていたということだろうか。
だが、なにが不安なのか、ピンとこない。
――AKIRA@インフル:そんで 執筆は進んだのかよ 大先生?
――とまり@大先生:進んだかだと? 愚かな質問だね、晶くん!
――AKIRA@インフル:お? 自信ありか?
――ハルハル@凱旋:前のキャンプの時もー、すごく進んだって言ってたものねー
――とまり@大先生:ほむ。今日は川辺のキャンプ場なのだよ。清らかな川を眺めながら、そよぐ風の中で心が安らげば、筆が進むことまちがいなし!
――AKIRA@インフル:おお!
――とまり@大先生:……のはずだったのだが、執筆を始めたのはついさっき。不思議なことにまっくらで、目の前に広がるのは川どころか夕闇の世界でした。
――AKIRA@インフル:不思議じゃねーよ!
――ハルハル@凱旋:もう夜だしねー、とくにそっちは明かりもないでしょうしー
――AKIRA@インフル:ということは まったく進んでねーの?
――とまり@大先生:言い方を変えると、そんな描写になる。
――AKIRA@インフル:描写……とは?
――ハルハル@凱旋:あらあらー、「大先生」というより「大失敗」ねー
――とまり@大失敗:←修正しました。
――AKIRA@インフル:素直だな!
――とまり@大失敗:というわけで川は見えないが、今から死ぬ気で書く。
――ハルハル@凱旋:川が見えるようにヘリを飛ばしてー、空からスポットライトで煌々と照らしてあげるー
――とまり@大失敗:やめろ。本来の目的の安らぎがふきとぶだろうが。
――AKIRA@インフル:遙は「大迷惑」だな。
――ハルハル@大迷惑:←修正しましたー
――AKIRA@インフル:おまえも素直だな!
――とまり@大失敗:晶も変更すれば?
――AKIRA@インフル:なににだよ?
――とまり@大失敗:ほむ、そうだなー……。
――とまり@大失敗:たとえば、「大脱走」とか。
――AKIRA@インフル:なにから逃げるんだよ!
――ハルハル@大迷惑:「大爆笑」とかー?
――AKIRA@インフル:……オレ 笑いものか!?
――とまり@大失敗:ほむ。みんなを笑わせる人気者みたいでいいじゃないか。
――とまり@大失敗:さて、本当に執筆するのでまた明日。
――ハルハル@大迷惑:はーい、おやすみなさいませー
――AKIRA@大爆笑:はいよ おやすみ
――とまり@大失敗:おやすみ。
――とまり@大失敗:ってか大爆笑、気にいったのかよ!
チャットのウインドウを閉じると、泊は改めて周りを見る。
二人に語った通り周囲は薄暗く、川の方は全く見えなくなっている。
見えるのは、電球色のLEDランタンに照らされた自分のまわり。
そして点在する、いくつかのテント。
まだ寝るのには早いため、多くのテントの前では焚き火の赤い揺らぎが踊り、談笑している人々の姿があった。
だが人数も少ないせいか、今までのキャンプ場よりもかなり静かだ。
横を見れば、ソロも焚き火の横で、手に白い光を持っている。
それはたぶん、タブレット型パソコンだろう。
自分の手元にあるパソコンと同じように、それは自然の中で違和感を放つ光だった。
(ほむ。やっぱり続き、読んでくれている……のかな?)
そう考えると、どうにも頬のあたりがムズムズとする。
今、どこを読んでいるのだろう?
今、どんなふうに思っているのだろう?
ランタンの弱い灯りでは、表情もうかがえない。
同じ場所にいるのに、間には闇の川。
近いのに離れた場所。
うずうずする。
闇の川を突き抜けて、彼にいろいろと聞きたくなる。
(……アホかわたし。読書の邪魔してどうするんだ、作者が)
メガネを一度はずして、目元をつまむ。
そしてかるく息を吐く。
彼は今、ソロキャンプという時間を楽しんでいる。
邪魔されない空間を味わっているのだ。
そして自分も、その邪魔されない一人の時間を味わうためにここにきているはずだ。
(ほむ。集中、集中……)
跳ね上げたテントのキャノピーを屋根にして、椅子に腰かけながらパソコンのキーボードをまたたたく。
スマートフォンのフリックで小説を書く者たちもいるが、泊はキーボード派。
カタカタ、カタカタ。
キーの音が静かに鳴り響く。
(冷えこんできたな……)
しばらくはそのまま集中していたが、気がつけば指が少しかじかんでいた。
ソロの目の前で、天に向かって伸びる暖かそうな赤をチラリとうかがう。
そして自分の目の前で、灯りを抱かない炭火コンロを次に見る。
そろそろ暖房が欲しい季節だ。
泊は管理棟で売っている薪を買っておくべきだったと後悔する。
(……あ、でも、薪を買っても鉈もナイフもないから、細かくできないしなぁ)
それにたとえ細かくしても、この炭火コンロは成人男子の掌よりも少し大きいサイズだ。
大して薪をくべることもできやしない。
はたして、このサイズでどのぐらい暖をとれるのだろうか。
(ほむ、しまったな。買う時に、肉を焼くことしか考えていなかった。もう少し大きい方がよかったかなぁ……)
最初に買ったテントで大失敗したため、自分的には吟味して炭火コンロを買ったつもりだった。
しかし、実際に使ってみるといろいろと問題や不満が出るものだ。
今のライダーズバイクインテントも気に入ってはいるが、「冬は寒そう」と言われると確かにそうだ。
そこは他の装備でなんとかなるとしても、寝る時は保温のため、屋根として跳ね上げているキャノピーも結局は閉じないといけない。
そうなれば、バイクは露天状態で朝露に濡れやすくなってしまう。
(まあ、バイクは濡れたら拭けばいいだけなんだけど……。でも、タープを別にもってこようかな)
しかし、荷物が当然ながら増えてしまう。
そうなるとテントをもう少し軽く小さくしたいところだ。
(あ、そうだ。ソロさんにテントの話の続きを――って、またわたしは……)
今日はどうも落ち着かない。
妙にどこかソワソワとする。
自分のテントから一番近いソロのテントは、二〇メートルほど離れている。
その距離が妙に遠く感じる。
それだけではない。
今までのキャンプ場と、雰囲気がどこか違う。
自分の周りは、なにもない。
そこに響く鳥の声。
それがさらに不安を刺激する。
(ほむ……なんでこんなに……)
漠然とした不安が高まる。
どうしたことだろう。
わからない。
(わたし……なんで、こんなところで独り……なにしているんだろう……)
おかしい。
まるで我に返ったように、はたまた我を失ったように、自分がここにいる理由に疑問を抱いてしまう。
(…………)
気がつけば泊は、パソコンを閉じて椅子から立っていた。
そしてLEDランタンで闇をかきわけ、ソロのテントへ向かって草と土を踏みしめはじめていた。
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