袋田温泉・関所の湯→キャンプ村やなせ
第一六話「読者になってくれた。ところが、読まれたくなかった」
「お尻に根っこが生える」という言葉を聞いたことがあるが、まさにそれだ。
その根は太く、そして深くまで伸びてしまっている。
泊はその根っこのせいで、多くの時間を費やしてしまったのだ。
関所の湯の温泉は、疲れた体には天にも昇る心地だった。
泊の柔肌に染みこむような湯加減で、露天風呂からの山や川の景色も心が穏やかになった。
心も体も癒され、やはり温泉はすばらしいと再認識した。
ホールに戻ると、売店で瓶ラムネが売っていた。
祭りやイベントなどでは見るが、なかなかお目にかかれない、光の加減で浅黄色に見える瓶につい手が伸びるのは当然至極のことだろう。
ビー玉でカランと軽い音を立てならがら、シュワシュワとした甘いラムネを片手に持ち、木製の椅子に腰をおろす。
頭を上げれば、地域性のあるコマーシャルを流すテレビ。
これがまた面白い。
普段見ないローカルなコマーシャルは、その地域にどんなものがあるのかを知る役にも立つ。
たまに手作り感あふれる、シュールで、小学生の学芸会レベルのコマーシャルなど見てしまうと、もうそれだけで得した気分になってしまうから不思議だ。
さらにそこから始まったバラエティの特番がまた面白かった。
「これも小説家として必要なインプットだ」と、ついついもう少しもう少しと見てしまう。
それが実は疲労感から来る脱力が意志を曲げた結果だと気がついたときには、もう遅い。
風呂から出てから、二時間が経過していたのだ。
「――ほむみゃぁぁぁ!」
時計を見た時、本気で泊はわけのわからぬ声をあげてしまった。
そしてお尻から生えた根っこを断ち切るどころか、引きちぎるようにして立ちあがると大急ぎで関所の湯をあとにした。
「遅かったな、泊」
キャンプ場に戻ったのは、薄暗くなり始めている一八時近く。
テントの横にバイクを停めると、光を灯したLEDカンテラを手にしながら、ソロがすぐに近寄ってきていた。
もう片方の手には、なにかが載った皿。
「これ、約束の軍鶏皮な。ちょうど焼けたところだから早めに食べろよ。味はつけてあるから」
泊がバイクから降りてヘルメットをはずしていると、すでにミニテーブルの上にトリ皮の皿は置かれていた。
狐色に染まり、その色がまた食欲をそそる。
上着の中から長い髪の毛をとりだすために頭を動かすと、皿から薫ってきたであろうガーリックの香りが鼻の頭を通り過ぎる。
さらに空腹感が募る。
「う、うまそう……。ありがとうございます。早く、わたしも夕飯の支度をしなければ」
「遅かったのは、滝でも見に行っていたのか?」
「ほむ? 滝?」
「袋田の滝だよ。日本三名瀑の一つだろうが」
「ほむ、そうでしたね。それは明日に行こうかと。……実は、温泉でまったりタイムを楽しみすぎまして……」
「ああ。温泉の魔物に捕まったか」
ソロがかるく笑うので、泊はコクリとうなずいた。
「あの魔物は危険ですね。強すぎます」
「あはは……。それは【刹那】が倒した【天魔王ゼロシス】よりも強いのか?」
「ほむ、そうですね。ゼロシスよりもある意味でやっか……えっ!?」
泊は言葉を途中で詰まらせる。
そして一瞬でソロの言葉を脳内反復させて、その意味を理解する。
とたん、少し顔がひきつった。
【刹那】も【天魔王ゼロシス】も、泊が【天下 唯我】のペンネームで書いている小説にでてくるキャラクターの名前である。
「……ま、まさか、ソロさん。わたしの小説を……」
「ああ、少し前から読んでいる。たぶん、このキャンプで第一部を読み終わるな」
あまりの意外性に、泊はひきつった表情のまま動きをとめてしまう。
まさかソロが、自分の小説を読んでくれているとは考えもしなかったのだ。
確かにソロにタイトルは教えたが、あの時はかるく聞き流したように見えていた。
それにたとえ義理で本を買ってくれたとしても、読むことなどないと思っていたのである。
「ほむ……アウト・オブ・予想です。けっこう読み進めてくれているんですね」
「なんで最後だけ日本語なんだよ。……ちなみに発売している分は全巻買いそろえたぞ。ただ、電子書籍だから大先生のサインをもらうことはできないけどな」
「サインなんていくらでもあげますが……。あ、あげると言えば、これを」
泊は背負ったままになっていたリュックをおろすと、そこから先ほど買い物したビニール袋を取りだす。
そしてその中から、目的の物をとりだしてソロに差しだした。
「これ、途中の【こんにゃく関所】って店で買ってきたので、おつまみにどうぞ。いろいろとお世話になったお礼です」
「ああ、あの店に寄ったのか。……【生とろこんにゃく】か。うまそうだな」
透明なビニール袋に入った片手サイズのこんにゃくが、ソロの手の上でプルンと揺れた。
「生とろこんにゃくが、どうやらあそこの一押しっぽかったので、とりあえずそれを。本当はあの辺りの店、全部見てみたかったのですが時間がなく、名前が面白い【こんにゃく関所】にだけ寄ってみました。まあ、予想はしていましたが、こんにゃくばかりでした」
「そりゃそうだろう。……ちなみにあの辺りの店舗、全部【関所の湯】の系列らしいぞ」
「ほむ? そうなんですか?」
「ホームページ見ると全部いっしょみたいだな。……まあ、それはともかく、ありがたく頂戴するよ。ただ、俺は他に食う物もあって一人で食べるには多いから、半分ずつにしないか?」
「ほむ。わたし、自分の分も買ってきているんですよね」
「なら、今日は俺の分を食べて、泊の分は明日にまわすというのはどうだ? 俺のクーラーボックスに入れておけば、明日の昼までは保つだろう」
「そうですね。わたしも少し多いかなと思っていたので、そうしていただけるのはありがたいです」
泊は自分の分のこんにゃくをテーブルにだす。
半透明のミルク色が、水の中でまるで生きているようにぬるんと動いた。
「では、こちらをわたしが切っておきますので、そっちはクーラーボックスにお願いします。……ほむ。やっぱいりいいですね、クーラーボックス。こういう時に便利で。わたしも欲しいけど、荷物になるしなぁ……」
一泊キャンプならば大して必要性は感じないのだが、二泊するとなるとやはり保冷のありがたみを感じることが多い。
どう保存するかも、キャンプ飯では重要な要素だった。
「そうだな。バイクだと悩みどころだ。確かにあると便利なんだが、荷物になりやすいし、使い勝手もわりと難しい」
「難しい? 別に冷えたものを入れておけばいいだけでは?」
「まあそうなんだが、たとえば今回の二泊三日のキャンプみたいなときだ。自宅から冷しておきたいものをクーラーボックスに入れて持ってくるとする。で、必要なものを出した後、クーラーボックスはどうする?」
「ほむ。どうするって……普通にジュースとか買って入れて冷やしておくとか?」
「そのままじゃ冷えないぞ? 夜には入れてきた保冷剤も効かなくなっているだろう」
「なら、氷を買ってきて……ってめんどうですね、確かに」
「キャンプ場によっては氷を売っているところもあるし、土産に冷凍物などを買って持って帰るときなどは、保冷剤を一緒にもらえばいいのだろう。ただ、保冷剤があるところは簡易保冷バッグなども売っていることが多いしな。金はかかるが、それを買えば荷物が減る」
「確かに……」
「もし持っていくなら、泊の場合はソフトタイプだな。イメージ的にはクーラー
「ほむ。なるほど」
「あと、このキャンプ場のように、冷蔵庫をレンタルさせてくれるところもあるから活用するのもありだ」
「ほむっ? 冷蔵庫を貸しだしてくれるんですか?」
「なんだ。知らなかったのか。レンタルと言っても、テントに冷蔵庫を持ちこむわけじゃないぞ。小型の冷蔵庫がいくつか設置されていて、それを借りることができるんだ。夏なんかは助かるぞ」
「それはいいですね。ちなみに、ソロさんはどんなのを使っているんですか?」
「俺はソフトタイプだと、ロゴス製ソフトクーラーボックスの【ハイパー氷点下クーラー】だな」
「なにそれ、めっちゃ強そうな名前……」
「実際、強いぞ。保冷力はハードに迫るほど高い。使わなければ折りたためるし、専用の【氷点下パック】っていう保冷剤と組み合わせると、保冷どころか中に入っているものを冷凍にできるぐらいだ」
「そいつはハイパーだぜ……」
「あとは、車載用の冷蔵庫を持っていくこともある」
「車載用……くっ! また車の利点を自慢げに!」
「別に自慢はしてねーよ。それに、キャンプスタイルはいろいろだ。徒歩には徒歩の、オートキャンプにはオートキャンプの楽しみ方がある。徒歩や自転車なら、いかにミニマムにアイテムを厳選するか、アイデアを駆使するかもまた楽しみ方だ。登山アイテムでもそうだが『UL』――ウルトラライト系ってのが、キャンプアイテムには結構あってな。そういうギアをそろえて軽量コンパクトに持ち歩き、足らない部分はアイデアで補う。それこそが本来のキャンプスタイルでもあるしな」
「ほむ。わかりますが……わたしは執筆が目的なので、なるべく手間をかけずに楽にキャンプをしたいスタイルなんです」
そう言いながら泊は、我慢できず軍鶏皮を手づかみで一つつまんだ。
とたん、口の中に鳥の油が、ガーリックの香りと塩胡椒の刺激と共にグワッと広がっていく。
歯ごたえが違う。
普通の鶏皮よりも、弾力がある。
よく焼いてあるにもかかわらず、パリッとしているのは一部だけだ。
擬音で例えるならプリンプリンしている。
「――うまっ!」
「行儀悪いぞ……」
「歯ごたえがすごいです。これは酒がすすみそうですね」
「酒の味も知らんくせに……」
「いいのです。私はコーラーで一杯やりますから!」
「一杯やるのはいいが、今日はまったく執筆しているところを見ていないのだが、泊……いや、天下大先生?」
「――ほむんっ!」
思わず噛んでいた軍鶏皮をゴクリと呑んでしまう。
慌ててリュックから買っておいたコーラーのペットボトルを取りだし、キャップを開けて口に運んだ。
シュワシュワとした甘みが、すぐに軍鶏皮の脂を流してしまう。
少しむせりながらも、泊はソロを上目づかいでかるく睨む。
「ちょっ、ちょっとソロさん。いきなり痛いところを突かないでください」
「痛いところだったのかよ……」
「そんなところ突くなんて……ソロさんのエッチ……」
「なんでだよ。……俺は単に、読者の一人として心配してやっただけだ。久々にこういうのを読んだが、純粋にワクワクと楽しめる。だから、続きが出ないと残念だ」
「――ぽむゅぅ……さ、作者冥利につきることをこのタイミングで……」
感想として「続きを楽しみにしています」などは、別に普段から言われ慣れていることだ。
だが正体を隠しているために、実のところ正面から顔を見て言われたことはなかった。
否。正確には、言われたことがあった。
ただ、相手が担当編集だったり、親友たちだったりなので、もらった感想は六〇パーセント減ぐらいで聞いていたのである。
身内びいきされているとは思わないが、やはり予防線は自然に張ってしまうのだ。
だから、身内でもない相手に正面から言われたのは初めてだった。
おかげで、ゆるんだ頬、下がった目尻のにやけた顔が戻らない。
これは、しばらく顔をあげられそうにない。
「お? なんだ、照れているのか、大先生」
「そっ、そんなことは……そんなことはないことも鳴かずんば鳴かせて見せようホトトギス……」
「いきなり秀吉!? いや、意味が分からんが……」
「ほむ……あ、あの……その……」
「……なんだ?」
「ちょ……ちょっと嬉しかった……だけです……」
地面を見つめながら、泊は正直に気持ちを伝える。
感想をくれた読者に対して、作者として嬉しさと感謝はきちんと返したい。
だから、恥ずかしさをかみ殺しながらも言葉を紡いだ。
「お、おお……そうか。まあ、あれだな。書籍版を読み切ったら、ウェブ版を読めばいいんだろう?」
「ほ、ほむ。そうですね。ウェブ版の方がだいぶん進ん……――ダメです!!」
「――えっ?」
泊は恥ずかしさも忘れて顔を勢いよくあげた。
そしてギュッとソロの顔を今度は強く睨んでしまう。
「いや、ウェブ版を読んでも、書籍版をちゃんと買うぞ?」
「そ、そういう問題ではなくですね……えーっと……そのぉ……」
泊は思考を高速回転させる。
まずい。
ソロにウェブ版を読まれたくない。
理由をひねりださなければならない。
「そ、そのですね……あれですよ、あれ。ソロさんには、ちゃんと推敲して完成版になった原稿だけをぜひ見て欲しいのですよ!」
「……そ、そうなのか? まあ、いいけどな。なら、執筆をがんばってくれよ」
「もちろんざんす!」
怪訝な表情ながらも、ソロはこんにゃく片手に自分のテントに戻っていった。
その背中を見送りながら、泊は背中に冷や汗が流れるのを感じる。
(ヤバい……あの女冒険者の部分を読まれるのはヤバい……)
現状、ウェブ版にだけでている新キャラ、名もない女冒険者。
そのキャラクターは、決してソロをモデルとして書いたキャラクターではない。
そうではないのだが、そう読まれる可能性もある。
(ソロさんは関係ないけど……本当に、本当に関係ないけど、薪割りのシーンとか、焚火のシーンとか、そのままだから……恥ずかしいことこの上マックス!)
幸いにして、まだウェブ版の最新章の最終稿の提出はまだ先だ。
(……そうだ! 書籍版では、女冒険者は出さないことにしよう。ほむ。それがいい!)
泊はこんにゃくを握りしめながら、そう心に誓う。
しかし、そのアイデアは担当編集者・池袋の強い反発にあい、あえなく今のこんにゃくよりも強く握りつぶされてしまうのだが、それはまた別の話であった。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2019/06/scd003-16.html
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