入谷家

第四話「安静にしていた。けど、起きあがってしまう!」

 体調が悪くなると、多くの場合は気分が滅入る。

 昔から言われていた言葉に、「健全な心は健全な体に宿る」というのがあるがまさにそれ。

 最初に聞いた時は「なんじゃそりゃ」と思ったものだが、今では的を射た表現だと晶は思っている。


(なんでこのタイミングでインフルなんか……くそっ……)


 晶の気分は最悪だった。

 インフルエンザにかかり、熱が少し下がった二日目。

 本当なら泊と遙と一緒に遊びにいっているはずだと言うのに、未だパジャマ姿で微熱と気だるさに布団からでられないでいる。

 そんな自分に腹が立つ。

 さらに泊と遙には気にせずに遊びにいってもらいたいという本心と、羨ましいと思う本心がぶつかってストレスになる。

 特にじっとしているといろいろ考える。

 いっそうのこと、無心に料理でもすれば考えないで済んで楽ではないだろうか。


「晶、大人しくしていなさいよ。熱が完全に下がったわけでもないしね」


 まるで心を読んできたような姉の言葉。

 それは入院中の母親の代わりと言わんばかりにそっくりの口調。


「今日は私が看病してあげるから。おかゆぐらいなら私も作れるしね」


 その姉の優しい気づかいに、晶は沈痛な気持ちになってしまう。


「ごめん、姉貴。忙しいのに……仕事、休ませちまって。土日も仕事だったんだろう?」


 六畳間の端に敷かれた自分の布団。

 そこからでた首を横に向けて、畳の上で洗濯物をたたむ晶子をうかがった。

 だが、晶子は姉らしく微笑を返してくる。


「大丈夫よ。自宅でやれる仕事もあるから。作らないといけない書類、たくさんあるしね」


「でも……」


「それにかず兄も、最近がんばっているから少し休んでいいって言ってくれたし。晶のことも、心配していたよ。インフルだから見舞いには来られないけど、お大事にねってさ」


「……うん」


 ここしばらく逢えていない、幼い頃から親しくしているお兄さん。

 こんな気持ちの時こそ逢いたいが、確かにあの忙しい人にインフルエンザをうつすなどまちがってもできない。

 そう思う反面、自分が逢えないのに、毎日のように逢っている姉にはつい嫉妬してしまう。


「あ、そうそう。体調がよくなったら、かず兄がご飯食べに来るって言っていたよ」


「――ホント!?」


 思いがけない吉報に、晶はつい上半身を少し起こして姉を見てしまった。

 その様子に、晶子が笑う。


「…………」


 しまった、なんとも気恥ずかしい。

 晶は、おずおずと布団の中に体を戻していく。


「……フフン。そんなに逢いたかったんだ?」


「べっ、別に……久々だなって思っただけだし……」


「ふ~ん……」


 意味ありげにニヤニヤした顔を見せる晶子が、なんとも腹立たしい。

 でも、ここでなにか言うのは藪蛇になる。

 晶は、口げんかで姉に勝ったことなどないのだ。


「……あ、そうだ。そろそろ晶にも話しておこうかな」


 洗濯物を一通りたたみ終わると、正座したまま晶子が晶の方へ向きなおった。

 その改まった雰囲気に、何事かと思いながら晶も晶子を見つめる。


「あのね。私、今の会社を辞めることになったの」


「……え? かず兄のところを!?」


「うん。でも、かず兄と離れるわけじゃないよ」


「ど、どういう……」


「実は、かず兄に永久就職することになりました!」


「――ウソッ!?」


「……うそ」


「……ほっ……」


 思わず晶は、大きく安堵のため息をついてしまう。

 が、そのとたんにそのことに気がつき、しくじったことに気がつく。

 晶は上半身を跳ねおこすどころか、正座する姉の方に体がにじり寄っている。

 そして必死な形相から、心底ほっとした形相を一通り姉に見せてしまったのだ。


(――またやられた!)


 やはり、病気で心が不安定なのだろう。

 普段ならこんな手にかからなかったのにと悔やみながら、口を抑えて笑いをかみ殺しきれない姉にジト目を向けた。


「あはは……そ、そんなに安心したの?」


「……別に。安心したんじゃなく、残念だったんだよ」


 まだ笑いがとまらない姉に、晶は憮然と言い返す。


「行き遅れにならないで済みそうだな、やっと上手くいってよかったなって思ったのに、やっぱり行き遅れるのかとガッカリしたんじゃん」


「ちょっと! 行き遅れること確定にしないでよ!」


「フン。相手がかず兄なら、もっと積極的にならないと本当に行き遅れになるぜ~」


「それは……かもね~。もっと攻めるかな。……でも、本当にいいの?」


「……なにがだよ」


 言いたいことはわかっている。

 こんなやりとり、初めてのことではない。

 でも、自分にはとぼけることしかできない。


「だからぁ、大好きなかず兄、お姉ちゃんがもらっちゃっていいのかな?」


「オ、オレは嬉しいし。本当に兄貴になってくれるんだからな」


「……妹って立場でいいの? 小さい頃は『おねえちゃんといっしょに、かずにぃのおよめさんになる』って言ってなかった?」


「い、いつの話だよ。それにかず兄とは年齢が離れすぎてんじゃんか。かず兄もオレなんて妹にしか思ってないし……」


 彼との年齢差はどうにもならない。

 それが晶の心を縫い止める棘だった。

 晶にしてみれば、彼がたとえ四〇才でも五〇才でもかまわないのだ。

 しかし、彼はそれを気にするだろう。

 そして、晶子ならばその問題はない。

 ならば、晶子とうまくいって欲しい。

 そうすれば少なくても赤の他人にはならなくなるではないか。


「そ、それより、なんで会社辞めるなんてウソをついたんだよ」


 こういう時は話題を変える事に限る。

 だが、返ってきた返答は、晶の予想とは違っていた。


「ウソじゃないよ。やめるのは本当」


「……マジか? ど、どうすんだよ、これから! かず兄のところよりいいところなんて……」


「かず兄が新しく会社を作るの。キャンプ用品の会社」


「へ? 新しい会社?」


「そう。かず兄、キャンプ用品のブランドをいつか作りたいって言っていたでしょ」


「う、うん。言ってたな、そういやぁ。……あ。じゃあもしかして、姉貴はそこで秘書やるのか?」


「社長」


「……え?」


「社長やるの」


「……ウソ……マジで?」


「うん。女性向けのキャンプ用品ブランドだから、社長も感性的に女性がやった方がいいだろうって」


「……す……すげぇ……」


 興奮のあまり、晶はいつのまにかまた上半身を起こしていた。

 それを晶子が、「安静に」とまた寝かしつけられる。


「今までかず兄が私に社長業を裏でいろいろとやらせていたのは、これのための下準備だったんだって」


「そ、そうか……姉貴が社長かよ。しかもキャンプ用品メーカーの……。とまりんに教えたら喜びそうだな」


「え? 泊ちゃん、キャンプ好きなの?」


「ついこの前から、はまってる。もうすでに何度かキャンプに行っているよ」


「へー。かず兄も今日、キャンプみたいだけど……好きな人はよく行くわよね。私も経験が少ないからなぁ。かず兄にも言われているし、勉強のために行くようにしないと。……あ。社長の話はまだ社外秘だから言わないでね」


 晶はわかったと返事をする。

 しかし、微熱があるというのに、こうも興奮させられるとまた熱が上がりそうだ。

 それに晶の中には、また新たな熱がわきあがっている。


「そうか……姉貴、かず兄の夢を叶える手伝いをするのか……」


「そうよ!」


 晶子の顔に浮かぶ満面の笑み。

 その笑みにこめられ気持ちが、晶には非常によくわかった。


「もちろん、かず兄と結婚するのが最終目標だけど……。でも、でもね。この関係も嬉しいの。かず兄の夢を叶えてあげられるかもしれないなんて……お嫁さんになるより確率が低いことかもしれないじゃない?」


 死んでしまった父親のかわりにと働いて、母親よりも稼いだ給料を家族のために使っている姉。

 その上、彼女は長期入院してしまった母親の収入も賄おうとがんばっている。

 そんな姉の幸せを願わないわけがない。

 願わないわけがない……のだが、それでもやはりわだかまりがある。


 たぶん、かず兄の嫁に一番近い位置にいるのは姉だろう。

 他に今、女性の気配がないことは知っている。

 それに姉は、本当にかず兄を愛している。

 そんな彼女なら、彼のことを幸せにできるはずだ。

 だが彼女はその上で、彼の夢をかなえるパートナーにまでなろうとしている。

 彼にとっての大切なポジションを二つも取ろうとしているのだ。


(せめて……せめてその役はオレが……)


 力不足の分不相応な想い。

 それがわかっているだけに、晶はやるせなさと自己嫌悪を燃料に嫉妬の炎を消すことができない。

 もちろん、その炎を表にだすことなどしないのだが。


「……そうか。姉貴、ドジってかず兄に迷惑をかけるなよ」


「ドジってって……ひどいわね。私、これでも優秀な秘書で通っているんですからね」


 ショートヘアを揺らしながら、クリクリとした目を細めて口をとがらす。


「だっけか? ……まあ、おめでとう。ちょっとオレ、喋りすぎて疲れたからまた寝るよ」


「ああ、ゴメンね。ゆっくりしてて。ご飯の時間になったらおこすから」


 晶は布団の中に潜りこんだ。

 嫌なことをしばらく忘れられるまどろみを求めて。

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