株式会社イーフィールドワン・社長室

第一三話「秘書をクビにする。だが、夢を託す」

「おはようございます。社長……って、脚をどうされたのです?」

 

 晶子に怪訝な顔色で見られながら言われるのも仕方ないだろう。

 営野は今、両脚をフットマッサージャーの中に突っこんで、ウォンウォンという音に包まれ揉みほぐしてもらっている最中だ。

 新しい週の始まりであるというのに、その顔は社長室でだらけきってしまっている。


「……これは、まだ俺が若いという証拠だ。筋肉痛が早く来たんだからな」


「ああ。自転車でキャンプに行かれたんでしたっけ? そんなの負け惜しみじゃないですか。いい歳なのに無理するから」


「いい歳とか言うな」


 どこかで聞いたやりとりだと思いながら、晶子のことを見る。

 優秀で頼りになる秘書は、片脇には厚いバインダーを挟み、両手でスマートフォンを操作し、本日の予定等の連絡事項をまさに告げようとしている。

 朝は誰よりも早く出社して仕事を始め、営野が動きやすいように懸命にがんばっている。

 別に彼女は才能があるとか、天才であるとかそういうわけではない。

 彼女はとにかく人一倍、がんばるのだ。

 人一倍学び、人一倍努力し、人一倍準備に余念がない。

 一生懸命……というより、まさに一所懸命。

 恩を返そうと、営野のために秘書という仕事をがんばっている。

 そのことは営野とてよくわかっていた。


(でも、そろそろかな……)


 だからこそ、彼女に告げなくてはいけない事がある。


「社長。忙しいのですから、翌日に影響でることはやめてくださいね」


「わかっているって……」


「わかってませんよ。今日も予定はたっぷりですよ。秘書として面倒みきれませんからね」


「わかった。……なら、秘書はクビにするよ」


「はいはい。わかりましたよ。クビですね、クビ……クビッ!?」


 最後に悲鳴のような声をあげて、目を見開く。


「しゃ、社長……それ、もちろん冗談ですよね?」


「いや、本当」


「まっ、待ってください! 面倒みきれないってのはウソですよ!?」


 必死な形相で彼女は両手を社長机について、身を乗りだして営野に迫る。

 それに対して、営野は悠然と対応する。


「わかっている。だから――」


「じゃ、じゃあ、『いい歳して』って言ったことに対する報復ですか!? それはパワハラですよ!」


「関係ないよ。そうじゃな――」


「じゃあ、もしかして陰で社長に女性社員が近づかないように、あることないこと噂を流していた事に対する逆恨みですか!?」


「いや、そうじゃな……ってか、そんなことしてたのか。それ、俺が恨んでも逆恨みじゃないだろう……」


「じゃあ、なんなんです!? 私、なんかミスしました!? 家には腹を空かせた妹と弟がいて、入院中の母親もいるんですよ!」


「そう聞くと冗談のような話だが、それが本当だと言うこともよくわかっているよ」


「それに……それにもっとがんばって……わたしは……かず兄に恩を返さないといけないのに……」


 最後は鼻声まじりに言葉を失っていく。


(やれやれ……)


 あまりの剣幕で本題にはいれなかった営野は、大きくため息をついた。

 昔から興奮すると暴走する癖は直らない。

 だが黙ってくれたおかげで、やっと説明を口にできる。


「だから、何度も言っているけど、俺が勝手にやっていることだから、恩返しはしなくていいんだ」


「――そんなっ!」


「だけど、晶子ちゃんはもっと家族のために稼がないとダメだろう。だから、秘書はクビだけど社長になってくれ」


「……えっ? ……しゃ……社長?」


「そう。社長」


 突然のことに思考が追いつかないのか、彼女は泣いているのか笑っているのかわからない珍妙な表情のままで固まってしまう。

 しかたなく、営野はそのまま話を続ける。


「今まで悩んでいたんだが、方針が決まったんだ」


「……まさか……新規事業のキャンプ用品ブランドの話ですか!?」


「ああ。それを晶子ちゃんに任せたい」


「わ、私が……社長……」


「当初の計画通り、イーフィールドワン・ホールディングスの子会社として設立。流通は顧客であるUMアイランドの全国展開しはじめたアウトドア用品店をメインにお願いしようと思っている。向こうもアウトドア用品テコ入れのため、特徴のある商品を並べたいらしく、すでに向こうの社長には、内々で話をしてある。……はい、これ」


 また晶子に割りこまれないよう、一気にまくし立てるように言ってから、営野は机にA四で数十枚の資料をポンッと放りだす。

 それは昨夜、遅くまでかかって作成したコンセプトのアイデアをまとめたものだ。


「…………」


 晶子は無言でそれを手に取ると、ペラペラとめくり始める。


「……若い女性をターゲット……かわいい、手軽、安全……」


「そうだ。今までも女性層をターゲットにした商品はあったが、まだ本格的なものはなかった。もっと専門的に攻めるブランドを確立し、若い女性のキャンパーを増やすことが目的だ。ソロキャンをメインにし、慣れてきた女性ソロキャンパーが集まってのグルキャンなども楽しめるスタイルを目指す」


「……着替えるテント……鍵付き……合体? ずいぶんとアイデアが豊富ですね」


「ま、まあな……」


「ブランドシリーズは三タイプ……」


「ああ。一番下は高校生から大学生。アルバイトして買える価格帯。移動は電車か自転車やバイクがメインの層なので軽量・コンパクト。次が大学生から二〇代前半までをターゲットに、もう少しアップグレードしたものをそろえる。そしてそれ以降が大人の女性をテーマとする。もちろん、いっぺんに開発は難しいので、最初は低価格ブランドから展開する。マーケティングとして、女子キャンプ会なども開いてもらいたい」


「こ、これ……大変じゃないですか? こんなの私には……」


「晶子ちゃんには、そのためにいろいろな俺の仕事を手伝ってもらってきた。もう俺のやり方ぐらいは、充分に勉強できたと思う」


「え? 今まで単に自分が楽をしたくて、私に仕事を押しつけていたわけではなかったのですか!?」


「ち、違う……」


 多少はあるが、それは黙っておく。


「すいません。で、でも……荷が重すぎます……」


「女性向けのブランドだからね。俺がやるより女性がやる方が感性が合うと考えた。そしてこれを信頼して任せられるのは、晶子ちゃん……【入谷いりたに 晶子】くん、きみしかいない」


「――!!」


「俺の長年の夢、キャンプ用品のオリジナルブランドの設立……かなえてもらえないか?」


 昔からキャンプが好きだった自分が、いつからか抱いていた夢。

 それを託したいという意志を彼女に伝えるため、営野は真摯な気持ちをこめて右手をさしだす。


「…………」


 束の間の黙考。

 しかし、意を決するように首肯すると、彼女は営野の手を力強く握った。


「かず兄の夢……私が必ずかなえます!」


 決意の固まった彼女の強さは、営野はよく知っていた。

 きっと彼女はがんばってやり遂げてくれるだろう。

 あとはそれをサポートすればいい。


 もちろん、これは第一歩……いや。スタート位置についただけだ。

 キャンプで言えば、行く場所を決めて荷物を詰めはじめようとしている段階である。

 道のりは険しいし、キャンプ場はいわば極寒の地のようなものだ。


(だけど……キャンプはやはりわくわくするよな……)


 ふと、泊の顔を思いだす。

 もしこのブランドが無事に立ちあがったら、彼女は喜んでくれるだろうか。

 いつかは購入して、「こういうのが欲しかった」と言ってくれるだろうか。


「……そう言えば、晶子ちゃん。『転生したら神になってどうのこうの』という小説を知っているか?」


「それ、ラノベですか? もしかして、『転生したら神になったので、異世界を正しく導き中』です? 【天下あました 唯我ゆいが】先生の?」


「ああ、それだそれ。よく知っているな」


「実は妹が集めていて、私も読んではまったんですよ。面白いですよね、あれ!」


「いや、読んだことないんだが……」


「……ああ、やっぱり。かず兄の趣味じゃないからおかしいと思った。いきなりどうしたんです?」


「知り合いが面白いと言っていたんでね、気になって」


「なるほど。面白いですよ。お貸ししましょうか?」


「いや、自分で買うよ。それにキャンプ場で読むなら電子書籍の方が便利だしな」


「また行くんですか? 今度はどこに?」


「そうだなぁ。フリーサイトで川の近くとか。そう言えば、日本一うまい軍鶏肉がある場所の近くにあったな。それを食いながら、読書と洒落こむか……」


 営野は泊と最後にした約束を思いだす。


(キャンプを続けていれば……か。まあ、そうは言っても、もう遇うこともないだろうけどな)


 泊には泊の人生キャンピングデイズがある。

 そして、営野には営野の人生キャンピングデイズがある。

 それは普通に考えて、もう交じりあうことのない二つの道のり。


 でも。

 営野が泊の書いた小説を買うことで間接的に交わるかもしれない。

 泊が営野の作ったキャンプ用品を買うことで間接的に交わるかもしれない。


(それには、やはりこのプロジェクトをなんとしても成功させないとな……)


 営野は決意を新たに席を立つのだった。

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