県立越谷中央高校・調理実習室
第一四話「約束はしていない。でも、また……」
カッカッとかるい音で、その白い殻にひびが入った。
今度こそと、泊は両手でそれを持ち指先に少しの力をこめて、パカッと割ってみせる。
そこからこぼれ落ちる黄色い球を包んだ透明な粘液。
それが待ち構えていたフライパンの上にきれいに広がり、ジュワッという音と共にすぐさま白く変色していく。
「ほむ。見るがいい。きれいな形になったぞ」
「いや、なに自慢してんだよ。一〇個入りパックの最後の一個でやっと成功しておいて……」
そう言いながら下向きに指をさす晶。
指先にあるのは、テーブル上のステンレスボール。
中には、黄身が割れたり殻が入ってしまっている失敗された卵たち。
「失敗は成功のマザーベース!」
「どこの基地だよ、それ! ったくぶきっちょだな、とまりんは」
「ほむぅ。そんなことない。見ててよ。あとは教えてもらわなくてもできるし」
「ふーん。ならオレはこっちを……」
そう言いながら、晶が菜箸を手にすると器用に混ざっていた殻をボールから取り除く。
そして手早くかきまぜる。
「卵焼きにしちゃうぞ」
「いいわねー。甘くしてー」
晶の言葉に応えたのは、調理実習室のテーブルに頬杖をついて二人を見学していた遙だった。
彼女はニコニコとしながら、泊にも話しかける。
「とまとまの目玉焼きも、わたしくにちょうだいねー。とまとまの初料理はわたくしの物よー」
「いや。初料理じゃないし。この前のキャンプで肉まん焼いたからな。それにこの目玉焼きはわたしが食べる」
「えー。いじわるー」
二人の会話に晶がため息で割って入る。
「その前に、肉まんを焼いただけの物や、目玉焼きを『料理』認定していいものか検討の余地がある気がするがな……」
「立派な料理だろう」
「そうねー」
「……マジか」
また、晶がため息をもらす。
これで調理実習室に入ってから何度目のため息か、もうわからないほどだ。
とは言え、泊はそれに文句は言えない。
それどころか感謝しかない。
晶の所属する陸上部の練習が休みである水曜日の放課後。
週に一日だけ早く帰れる日だから、いつもどおり早く帰って姉と弟のためにいつもより豪華な夕飯を準備したいところだろう。
しかし、晶は泊の頼みとあれば無碍にもできないと力になってくれているのだ。
「でもまさか、ここまでとはな。とまりんは勉強でも人づきあいでも器用にさばいていくくせに、手先の不器用さは予想以上だな……」
「ほむぅ……。くやしいが否定できない。せめて卵七つ目あたりで成功していれば……」
「卵三つの差で否定できると思うなよ」
そう言われても、難しいのだから仕方がない。
ただ、なんとなく感覚は掴んできたので、もうすぐできるだろうと泊は手応えを感じる。
「卵が割れるようにさえなれば、料理マスターと言っても過言ではないだろう」
「過言だ、アホ……」
「そんなことより、とまとまー。今度の土曜日、遊ばない?」
呆れる晶に対して、遙は微笑で割りこんだ。
「ほむ……。そうだなぁ」
「晶も空いてるみたいだしー。久々に三人でラブラブブラブラしたりしよー。最近、とまとまはキャンプばかりだしー」
「ラブラブはしねーぞ。それにオレは空いてるって言っても、午前中はかーちゃんの見舞いがあるからダメだかんな。その後に帰って飯を作って……早くても家を出るのは一三時ぐらいになるな」
「わたくしも午前中は用事あるけどねー。だから、やっぱり午後からねー」
「ほむ。でも、わたしは買い物に行きたいのだが……」
「買い物? どこにだ?」
「ワイニャン」
泊の言葉に、晶が首を傾げる。
「ワイニャン? どこの店だ、それ」
「ワイニャンは、【WILD CATS】のことよー。アウトドア専門店のー」
「ああ、レイクタウンにある店か。行ったことないけど」
晶は合点がいったとばかり、指をパチンと鳴らした。
スポーツ用品店ならまだしも、アウトドア専門店だと晶はあまり詳しくはないのだろう。
かく言う泊自身、少し前まで興味もなかったし、一度だけつきあいで行ったぐらいだった。
「ってことは、キャンプ用品を買いに行くのか?」
「ほむ。いろいろと置いてあるらしいので、ゆっくり見てこようかと。冬用の寝袋とかも見たいんだ……あ……」
ふと思いださないようにしていたことを思いだす。
自分とは違う匂いのする寝袋で寝た時のこと。
それはまるで彼に包まれているかのような不思議な感覚。
「ん? どうした、とまりん? 顔が赤い気が……」
「なっ、なんでもないのであります、軍曹!」
「誰が軍曹だよ!」
晶に対しておちゃらけてごまかしながら、あの夜のことは記憶の奥にしまいこむ。
思いだしてはいけない。
「ワイニャンねー……。よーし。なら、わたくしもついていってあげるわよー」
しばらく何か考えていた遙が、手を叩いて提案してきた。
「いや、別についてきてくれなくてもいいんだが?」
「ウフフフー。そんなこと言っていいのかしらー?」
遙が口許に手を当ててしたり顔を見せた。
なにかのゲーム中に彼女がこういう顔を見せる時は、必ず勝てるカードを持っている。
だから泊は、今もつい身構える。
「ほ、ほむ。どういうことだ?」
「わたくし、ワイニャンのVIP会員カードもっているから、いろいろと安く買えるわよ」
「なんと……」
やはり彼女は、文字通り強いカードを持っていた。
しかし、泊は納得できない。
「でも、なんでアウトドアと無縁そうな、はるはるが?」
「ウフフフ。それはねー、ワイニャンはうちのグループ会社だからねー」
「……本当に、はるはるのお父さん、なんでもやってるな」
「ちなみに、とまとまなら紹介でVIPカード作ってあげちゃうわー。ポイントもたまりまくるし、いつも割引価格なのよー」
「……はるはる」
「なーにー?」
「わたしの愛がこもった目玉焼き、食べるか? 少し焦げたけど」
焼けた目玉焼きを皿に移した後、泊はそれを遙にさしだす。
横で晶がまたため息をもらす。
「とまりん、チョロすぎ……」
「素直なとまとま、大好きよー」
なんと言われても仕方がない。
キャンプ用品をいろいろと集めるのは金がかかるのだ。
それにキャンプへ行くことも、思ったより金がかかる。
なんでもお得になるのならば、それにこしたことはない。
(料理ももっといろいろやりたい。現地のうまいもの食べたい。焚き火もやりたい。バイクキャンプもいいけど、そのうち車でキャンプもやりたい……)
これからも、キャンプを続ける。
前回のキャンプの最後に、それをソロと約束した。
それは普通なら、守られているのか確かめようのない約束だ。
たとえ破ったとしても、バレることはない。
でも、約束がなくとも泊は続けるつもりだった。
(しかしまさか、メールアドレスさえ教えてくれないとは……。ソロさん、冷たい)
これも何かの縁だからと別れ際、泊はソロにチャットのIDかメールアドレスの交換を迫った。
しかし、彼は「もう遇うこともないだろう」と教えてくれなかったのだ。
それでも泊は、「ならば、また遇ったらその時は教えてくれ」と食いさがった。
たぶん、彼はもう遇うこともないと思ったのだろう。
その約束は呑んでくれた。
(ほむ。遇うわけはない、そりゃそうだな……)
ここしばらく、ソロのことをよく考える。
最初は、
しかし、改めて考えると少し違うかもしれない。
(もしお兄ちゃんがいたら、あんな感じなのかもしれない……)
一人っ子の泊にしてみれば、彼は初めての頼れる年上の異性だった。
妙にドキドキとしたのは、そういう存在に慣れていなかったせいではないだろうか。
それに相手は、泊から見れば「オジサン」だ。
まちがっても
ならば、兄のような存在。
彼女は、そう結論づけていた。
(ほむ。今度、遇った時にはうまい物をご馳走できるように腕を上げておこう。おいしい素材も探しておかなければ……)
卵も割れるようになったはず。
泊は、今度こそ自分のキャンプ料理を認めさせ、喜ばせてやるのだと決意を固める。
「ちなみに、次はどこにキャンプしに行くんだ?」
大きな卵焼きを器用に形作りながら尋ねてきた晶に、泊は少しの間だけ黙考する。
そして考えていた候補から一つを口にする。
「ほむ。これ以上、寒くなる前に少し北の方にいこうかと」
「北? 北海道か?」
「わたしの装備では死ぬわ」
「昭和基地?」
「そんなにわたしを殺したいか。ってか、北極じゃなくてなんで南極なんだよ。……考えているのは、茨城。あの辺り、奥久慈ポークとか瑞穂牛とかうまい肉がいろいろあるし。そのあたりでキャンプ場を探してみる。今度こそフリーサイトで……川の近くとかいいな……」
「へー。肉のみやげ楽しみにしているぞ」
「ほむ。晶には世話になっているからな。任せておきたまえよ」
「とまとま、わたくしにもねー」
「わたしがわざわざ買ってこなくても、はるはるの体は、A五ランクでできているだろうが」
「ひどいわねー、人を牛みたいにー。わたくしは、とまとまの愛がこもったのが食べたいのー」
そう言うと、遙が泊を抱き寄せる。
長身の遙に引っぱられると、泊の頭などが豊満な胸に沈んでしまう。
「わかった、わかった。A五ランクの牛胸に沈めるな……ん?」
遙のけしからん胸と比べたら、少し控えめの泊の胸に振動が伝わる。
そう言えば、さっき鞄から胸ポケットにスマートフォンを移動したことを思い出し、それを取りだす。
着信。
相手は、泊が書いている小説の担当編集者。
泊は二人に断って、少し離れて電話を取る。
「はい、
『お世話になっています。池袋です!』
いつもの妙にハイテンションな女性編集者の少し低めの声が、スマートフォンのスピーカーから響いてきた。
別に嫌いなわけでもないのだが、泊はこの声を聞くと、逆に不思議と妙にローテーションになる。
「お疲れ様です」
『先生、原稿受けとりましたけど……あの、ウェブ版からの直しの部分、すごくいいですね!』
「ほむ……」
『旅の途中で火さえおこせなくて困っているシーン、一時的に神としてのチート的な力が使えなくなった刹那が、今まで簡単にできていたことができなくなり、自分がどれだけ能力に頼っていたのかと反省する……すごく伝わります!」
「ほむ……」
今日は特にすごい。
まるで高波のように、ハイテンションな音声が襲ってくる。
二〇代半ばの彼女のパワーは、ゆうに一六歳の泊を超えている気がする。
『そこにたまたま現れた女冒険者が、刹那に焚き火のやり方を教えるシーンとかすごくリアルで! 取材されたと言っていましたが、臨場感バリ高! 今までは刹那は散歩でもしているかのように旅をしていましたが、ここから一気に冒険している感じが出てきましたよ!』
「ほむ……」
『そして刹那の女冒険者に対する心情描写! 今まで女性に対してクールだった主人公なのに、今回はあの変化! 甘酸っぱい!」
「ほ、ほむ……」
『萌えですよね、萌え! 私ね、先生。刹那大好きでしたが、今回ので刹那にマジ惚れましたよ! 尊い! 最高じゃないですか、ありがとうございます!』
「ほ、ほむ……」
『それに、あの名前もわからない女冒険者……ちょっとかっこよくて、でもさりげない優しさがあって、愛らしさもあって……やだもう素敵!』
「ほ……ほむ……ぅ……」
心で違う違うと否定しながらも、なぜか泊は頬が熱くなるのをとめられない。
あの新キャラは誰かを参考にして生み出したものではないのだ。
そのはずだ。
『ところで、先生。これ大事なことなんですが……』
「ほ、ほむ?」
『女冒険者と最後に別れましたけど、これ絶対に冒険のどこかで、また再会しますよね! ますよね? ねっ!?』
「…………」
この編集者に、ここまで否とは言わせぬ迫力を見せられたのは初めてである。
たぶん、本当に気にいってくれたのだろうと、泊も嬉しくなる。
彼女は再会を心から期待してくれているのだ。
そして、それは彼女だけではない。
「ほむ。再会しますよ、
第二泊・完
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第一部・完
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