第一一話「酒を飲む。だが、酔えない」
「ううっ……本当にすいません」
ガックリとうなだれる泊に、営野は何度目かの「かまわん」を返した。
結局、寝袋を泊に貸すことになった。
まだ一〇月とはいえ、寒気の影響で今夜はそれなりに冷える。
しかし、泊の厚着の服装はバイク用のジャケットとパンツだ。
それで横になっても、とてもゴワゴワして眠れたものじゃない。
明日も朝から早起きして片付けし、またバイクで帰らなくてはならないのに寝不足では危なくて仕方がない。
一方で営野が着ているウインドブレーカーは、そこまで寝にくいものではない。
しかも、念のためにヒーター内蔵のベストとスウェットパンツをもってきていた。
服からでているケーブルにUSBモバイルバッテリーを接続すれば、服に内蔵されているヒーターで体を温めることができる。
おかげでこの季節ならば、寝袋がなくともこれだけでなんとでもなった。
「面目ナッシングです……」
「ああ、それは意味がわかるな。とにかく、もうこの話はこれで終わりだ」
そう言いながらビールの残りを空ける。
ビールは肉に合うが、やはり体が冷える。
寒くなってきたから、次当たりからはウィスキーやブランデー、温かくした日本酒やワインに切り替える必要があるかもしれない。
そう思いながら空き缶を見ていると、泊がなにか言いたそうにこちらを見ていた。
「……どうかしたか?」
「ほむ。ソロさんってお酒に強いんですか?」
椅子に座った泊が、両手で頬杖のように顎を支えなが上目づかいで営野を見ている。
その目にあるのは、好奇心となんであろうか。
営野には不可解な感情が見えている。
「強い方かもしれないが、そこまでではないな……」
どうせ今時の女子高生の考えなどわかりはしないと、とりあえず普通に答える。
「それがどうした?」
「ほむ。この前のキャンプの時もですが、けっこう呑んでいるな……って。うちの父などビール一杯で顔が赤くなり、二杯でモードチェンジするのに」
なるほど父親と比べていたのかと納得する。
ただ少なくとも彼女の父親なら四〇代だろう。
比較対象としては一〇歳ぐらいは違うはずだが、彼女から見たら「オジサン」という一枠に収まり大差などないのかもしれない。
「ソロさん、呑んでもあまり変わりませんよね……。そういうのって、なんかいいですよね」
泊が妙に嬉しそうな顔をこちらに見せる。
だが、やはり営野には何がそんなに嬉しいのかわからない。
「何がいいのかわからんが……お酒に強い弱いは別にしても、抑えて呑んでるからな」
「ほむ。そうなんですね」
「俺たちは、なんでも自己責任でやらなくてはならないソロキャンパーだろ。泥酔なんてしたら、自己責任が果たせないじゃないか」
「ほむ。そりゃそうか」
「もちろん飲まないのが一番いいが、俺にとってはこれもキャンプの楽しみでもある。だから呑んだとしても、ある程度の正常な判断ができる程度でやめておく。特に泊は、大きくなって酒が飲めるようになっても、かるく嗜む程度にしておけよ。かわいい女性は悪い奴らに狙われやすいぞ。気をつけることだな」
キャンプ場にいる者たちが必ずしもマナーを守る、すばらしい人々とは限らない。
そうそう質の悪いのには遭わないが、中にはやはり関わりたくない人種も存在する。
特に酒が入ると箍が外れる者は多いのだ。
「親が弱いなら、泊も弱いかもしれないから、できたら酒は……ん?」
「…………」
そこで始めて営野は気がついた。
泊がなぜか頭を両手で抱え込み、体を丸めて小さくなっていたのだ。
しかも、微妙に震えているように見える。
「……と、泊? どうした? 寒いのか?」
「ほみゅっ!? あっ……いや、その……と、特に……かっ……かわ……はうわっ!」
まったく何を言っているのかわからないが、やはり顔を上げずに丸まっている。
営野にしてみればそこまで冷えこんでいないと思うが、もしかしたら彼女は少し寒がりなのかもしれない。
(あ、そうだ。肉も焼き終わったし、ちょうどいいか……)
営野は炭火コンロでまだ火がついているエコココロゴスを火ばさみでとりだして、焚き火のために用意したアルミホイルの中央に置いた。
火種になるように作った、失敗したフェザースティックをその上に乗せ、周りを囲んだ細い薪に火が移るように並べる。
(これなら早いだろう……)
思った通り、すぐに火が薪に移っていく。
その周りを太い薪で井桁に積んでいき、炎の上を橋渡しさせるように細い薪を少し並べてみた。
今は炙られているだけだが、このまましばらくすれば火が移っていくだろう。
残りの薪も近くに並べておく。
これで多少、熱で湿気を飛ばすこともできる。
「寒いなら焚き火に当たってろ。すぐに温かくなるはずだ。俺はちょっと食器とか洗ってくる。火が消えそうだったら、細い薪を少しずつくべてくれ。危ないから耐熱グローブをして、いっぺんにではなく少しずつな。まあ、着火剤があるから火が消えることはないだろう」
そう告げてシェラカップとカトラリーなどを持って炊事場に行くことにする。
ちなみに彼女は無言だったが、抱えたままの頭をうなずかせたので大丈夫だろう。
(具合が悪くなったわけじゃないならいいんだが……)
すっかり空は暗くなったが、最小限の照明が木々の間に設置されているためキャンプ場は真っ暗にならない。
それに洗い場はお風呂広場の横にあり、歩いてすぐの場所だ。
ライトをもたずに歩いてもなんとかなるのは助かった。
お湯が出ないため、寒い夜に洗うのは少し難儀だったが、洗い物はなるべく夜の内に片づけておきたい。
翌日の撤収を簡単にすると言うこともあるが、出しっぱなしはよくないためだ。
ここはまだせいぜい出ても野良猫ぐらいだろうが、場所によってはいろいろな野生動物がキャンプ場に入ってくることがある。
食べ物の残りや生ゴミが出ていると、それを漁りに来てしまうのだ。
それに季節によっては虫が集ってしまうこともある。
また物によっては、洗った後に翌日まで干して乾燥させる時間も取れる。
(ここは洗剤もタワシも用意されていて助かるな。まさか金属タワシまであるとは……)
場所によっては、それらが一切ないところもあるのでやはりここは便利だ。
しかも洗剤は普通の中性洗剤が使えるので汚れを落とすのも楽である。
手はスッカリ冷えてしまったが、一番手強かった炭コンロの網も洗い終えることができた。
拭くのには、使い捨て出来るキッチンタオルを持ってきている。
これは後で雑巾化できるので非常に便利だ。
(おっ。復活したか……)
サイトに戻ると、泊が焚き火に薪をくべているところだった。
見た感じは、いつもと同じような感じに見える。
「寒かったのか?」
「べっ、別にそういうわけでは……。もう大丈夫です」
ところが、なぜかいつもよりしおらしい。
しかも薄暗いためよくわからないが、少し顔が赤らんでいる気がする。
いや、それは焚き火のせいかもしれない。
(……よく燃えているな)
炎はすっかり太い薪にまで移り始めている。
これならもっと薪を加えても大丈夫だろう。
もう少しだけ火を強くするため、太めの薪を井桁型に並べる。
この形が空気が入りやすく、火のコントロールもしやすい。
ただ、気をつけないと燃えて崩れるので高く積むのはよろしくない。
「ソロさん……」
椅子に座ったまま、焚き火を真っ直ぐに見つめた泊が口を開く。
「焚き火って、なんか面白いですね」
泊の明眸に炎が揺れる。
どうやらずっと見ていたらしい。
「……面白いか?」
「ほむ。……実はブログとかで『キャンプで焚き火が楽しい』って書いてあるの見て、なにが楽しいんだろうと思っていました。ただ、木が燃えているだけで、都会にいる人には物珍しいかもしれないけど、それは決して面白いものじゃないではないかと。意味なく二酸化炭素ばらまいて面白がっている人ってバカじゃないかと思っていました」
「おい、こら……」
「でも、そういう意味では、わたしもバカの仲間でした。カラフルなグラデーションで揺らめく炎。弾けて舞う火の粉。血潮のような炎を抱き、鳴くような音を立てて崩れる薪。そして終着の姿を語る積もった灰。……ただ木が燃えているという中に、これだけの景色が見えているんですね」
「ずいぶんと詩的な表現だな……」
「ほむ。今のわたしは、わりと乙女モードなので」
また営野を見て微笑する。
横から炎に照らされた顔が、妙に大人びて見える。
「普段は何モードなんだ?」
「……普段の私を知りたいですか?」
今度は小悪魔的な表情。
これもまた、今まで営野が見たことがない泊だ。
「そうだな……別にどうでもいいかな」
「ほむぅ~。なんと冷たい……」
「俺は泊がキャンプを楽しんでくれればそれで十分だ」
「……ほむ。そうですか。まあ、
泊がまた薪をくべる。
そして炎を見つめたまま口を動かす。
「ソロさん……わたし今、焚き火に興味ディーペストです」
「……興味津々と言いたいのだろうが、その英語はどうなんだ?」
「ほむ。それはともかく、焚き火って適度な距離を保てば、面白い景色を見せて和ませてくれたり、寒いときは温めてくれたりしますよね」
「ああ」
「でも、近すぎると、火傷したり燃やされてたりしてしまう怖さがある……」
「そうだな」
「それって、似てますね」
「……ん? 何と?」
「ソロさんと」
「俺? ……おいおい。近づくと、俺はそんなに怖いか?」
「ほむ。別の意味で怖いです……」
「ああぁ……それはあれか。不審者、近寄るな危険ってことか?」
「あははは……」
「サイト、追い出すぞ」
「ほむ。違いますよ。ただ……」
「ただ?」
「近寄り過ぎると熱くなって……火傷しそうです」
「なんじゃ、そりゃ……」
その時、焚き火がパチッと弾けた。
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