第八話「フェザースティックを作る。だが、上手くいかない」
一八時の一〇分前になると、スタッフが鍵とドライヤーの入った小さなバスケットを持ってきてくれる。
鍵は風呂の鍵だ。
ここから一時間が風呂の時間となる。
横目で泊を見ると、未だにキーボードを打ち続けている。
黙々と……だったのは、最初の内だ。
そのうち、独り言が始まった。
「そう。そうこなくちゃ……ふふふ……いい展開」
「ここ! ここが足らなかった! 今なら書き足せる!」
「尊い! 我が子ながら尊い! 好き!」
「待って……この子はきっと……違うの、違うのよ!」
「え? そこで言っちゃうの? ……まあいいか……」
すべて泊がPCの画面に向かって話しかけている独り言である。
いや、独り言には不思議と聞こえない。
端から見ると、音声チャットをしているかのようにも見える。
PCがなければ、イマジナリーフレンドとでも話しているのかと思うほどだ。
まだ声が小さいから周りのサイトにまでは届かないが、前回の時もタケノコテントの中から聞こえてきたときには驚いたものだ。
何事かと思い覗きこんだが、彼女は一切、気がつかずにキーボードを打ち続けていた。
とにかく集中力がすごいことはまちがいなさそうだ。
今もスタッフが来たことに気がついていなかったようである。
(スタッフがいる時に独り言が始まらなかったのが救いだな……)
集中しているところを邪魔するのも悪いだろう。
とりあえず、彼女のことは放置して風呂に行くことにする。
風呂はキャンプサイトの隅にある木造の小屋のような建物だ。
隣には無料のシャワー室があるが、やはりしっかりと温まりたい。
(ここか……って、靴はどうするんだ?)
風呂の扉を開けると、もう目の前にはスノコが敷いてある。
外に下駄箱もないので靴をどうしたものかと悩むが、中に置いておいても濡れそうなので外で脱いでいく。
(これはまた……風変わりな……)
広さは四畳半ないぐらいだろう。
目の前のスノコの先には、脱衣用の棚がある。
左横には岩風呂。
そして奥には一畳程度の洗い場があった。
問題は、洗い場に行くのに湯船に入らないと辿りつけないということだ。
ふつう、湯船に入るには体を洗ってから、もしくは少なくとも体を流してから入るものだ。
しかし、この風呂場ではそれが不可能である。
(深足湯……)
湯船は肩まで温まれるほどの深さはあるが、もしかしたらあくまで足湯がメインと考えられているのかもしれない。
とりあえず突入してみる。
湯船には熱いお湯がずっと流れこんできている。
まるで掛け流しのようだが、そのせいでわりと熱くなっていた。
一度でて体を洗うと、もう一度入ってみる。
温度的には程よい感じだ。
湯船の横には大きな窓がある。
今はブラインドで閉まっているが、あければ開放的であろう。
(もちろん、外から丸見えだろうな。仕切りも扉一枚。ちょっと女性は不安に感じるかもしれないな……)
しばらく温まったが、時計がないために時間がわからない。
さすがに一時間も一人で使わないが、何人かで使うときは時間がわからず不便そうだ。
あまりのんびりしていても時間がなくなる。
夕飯も食べなければならない。
適度に温まったところで出ることにする。
「ほむ。ソロさん、お帰りなさい。……風呂ですか?」
サイトに戻るとトランス状態から回復したらしい泊が、声をかけてきた。
まるで何事もなかったように、彼女はガスバーナーをテーブルに広げている。
それは営野が持っていたものと同じ種類だ。
「SOTOのバーナー……買ったのか」
「ほむ。だってこんな小さくなるんですよ。買わない手はないでしょう」
「……おそろいだな」
「――そ、それは……」
「またペアルック……」
「やっ、やめてください! 服じゃないし! こんなのにおそろいも何もないでしょう!」
顔を真っ赤に否定する泊が面白い。
なぜそこまで赤くするのか謎だが、ついついからかってしまう。
だが、あまりいじめすぎてもよくない。
セクハラとかパワハラとか、よくわからないことを言われるかもしれない。
お詫びになにかと思い、ふと手に持っていたバスケットを見て思いつく。
「……泊、風呂に入るか?」
まだ時間は半分ぐらいある。
今からでも一人ぐらい余裕ではいれるはずだ。
どうせ金額は変わらないのだから、有効に使わなければもったいない。
「ほむっ!? 女子高生を風呂に誘うんですか? 通報しますか?」
「スマホ、構えるな。別に一緒に入ろうとは言ってないだろう……」
「ほむ……」
「時間が余っているからもったいないと思ってな。料金は別にいい。あと三〇分なら金額は変わらないから」
「……ほむ。では、お言葉に甘えようかな。わたしも入るつもりはあったんですよ、ここのお風呂」
「じゃあ、これ。一八時五〇分までに戻って来いよ」
「了解です。では、用意して」
「貴重品は持って行けよ」
「え? ソロさんがいるなら……」
「ソロキャンパー同士だろう。自分で責任をもて。あからさまに怪しい奴には対応するが、俺がトイレにいった間にとられても責任が取れないしな」
「ほむ。そりゃそうですね……」
泊はある意味で素直なのだろう。
率直にいろいろと言ってくるが、逆に納得すれば聞き分けも非常に良い。
(納得しないとうるさいタイプだろうけどな……)
だが、自分の主義をしっかりもっている人間は嫌いではない。
そういう人間は、面白いからだ。
「では、組長。鉄砲玉、泊……見事に散ってまいりやす!」
「散らずに時間通り戻ってこい。怒られるだろうが……」
泊が素早く用意して出かけたのを見送ると、営野は焚き火の用意をする。
薪はすでに泊が全て用意してくれた。
本当ならここで焚き火台を用意するところだが、今日持ってきているのは積載量の関係で非常に小さいテーブルサイズのものである。
これはあとで肉を炭火焼きにするために持ってきたものだ。
(まあ、直火ができるからな……)
ただし直火と言っても、後片付けはしなくてはならない。
焚き火のあとには、炭や灰が残る。
それをそのままにして帰るわけにはいかない。
もちろん灰用のスコップなどがあればいいのだが、荷物を減らすために持ってきているのは小型の火ばさみだけである。
そこで使うのがアルミホイルだ。
アルミホイルと言ってもキッチンでよく見るタイプではない。
もう少し厚手のバーベキュー用アルミホイルである。
これを三~四枚、重ねて地面に敷く。
この上で焚き火をするのだ。
これならば片づけるときに簡単である。
あまり強い火力で焚き火をすると溶けてしまうが、かるく火を楽しむぐらいなら充分だろう。
さっそく細く切った薪を井桁状に少しだけ並べる。
そして中央には、火種を置くのだがこれが問題だった。
(さて、フェザースティックだが……)
細くした薪をナイフで薄皮のように削り、しかし切りはなさないようにしていく。
すると、薄く削がれた木はクルリと丸まり先の方に集まっていく。
それを重ねていくと、鳥の羽毛のように見えることからフェザースティックと呼ばれる。
ちなみになるべく薄く削いだ物を【ティンダーフェザー】と言い、「tinder」=
火口は一言で言えば、火元から火を最初に受けとる部分だ。
そして、もう少し厚めに削いだ物を【キンドリンフェザー】と言い、「kindling」=焚きつけに使う。
つまりティンダーフェザーから火を受けとり、他の薪に火を回す役割をする物だ。
これらを何本も作ることで、焚きつけをすることができるのだが、今時の一般的なキャンプではまずやることはない。
わざわざ作らなくても、例えば新聞紙などを丸めて火種にしてもいいし、秋ならば乾燥した落ち葉を集めてきてもいい。
ぶっちゃけさほど高くないので、キャンプ用品店で着火剤を買った方が早い。
要するにフェザースティックは緊急時でもない限り、いわゆるロマンだ。
ブッシュクラフトという趣味の世界の話である。
(うーむ……やはり、うまく作れない……)
本やネットで調べると、非常にきれいに作っている例がある。
だが、営野はわりと手先が不器用だった。
どうしても、フェザーにならずついつい切りはなしてしまう。
切りはなした薄い木も火種にはなるのだが、作りたいのはフェザースティックなのだ。
割り箸で練習するといいというが、それでもなかなか難しい。
(まあ、今回はこんなもんでいいか……かっこよくないが……)
何本か挑戦するも、満足のいく出来映えにならない。
「それなんですか?」
「――のわぁっ!」
いきなり背後から声をかけられて、営野は椅子から転げそうになる。
「ほむ。驚きすぎですよ、ソロさん」
そこには逆に驚いた顔の泊が立っていた。
少し湿った長い髪をタオルで巻き、温まったのか頬が少し紅潮していた。
背後から声をかけられて驚いて転びそうになるなんて、いつしかと逆の立場だなと思いながら、営野は平静を装う。
「おっ、おお。早かったな……」
「そうですか? わりとぎりぎりまではいっていましたが」
そう言われて腕時計を見ると、確かにもうすぐ一八時五〇分になりそうである。
意外と時間をかけてやっていたようだ。
「あれ? それはなんですか?」
「あ……いや、これはなんでもない……」
失敗作のフェザースティックを見られて、営野は慌ててそれらを拾いあげる。
そして井桁に組んだ細い薪の真ん中に並べていく。
正直、あまり見られたくない。
「なんとなく削っていただけ――」
「――ほむ! フェザースティックってやつですね」
ところが、予想外に泊が当ててきた。
おかげで営野は言葉に一瞬、詰まってしまう。
「これ、焚きつけに使うやつだ」
「……知っていたのか」
「ほむ。泊さんは勉強熱心ですからね。まあ、焚き火に関しては、たまたま見ただけですが……。でも、なんかネットで見たフェザースティックとはずいぶんと……毛がむしられた鳥のような……」
「うぐっ……」
「ほむ……。もしかして、ソロさんって不器用?」
にまっと弓の字になる双眸に腹が立つが、口惜しいことに言い返すことができない。
だからと言って、ここでなにか言い訳するのも大人げない。
「ほむほむ。キャンプに慣れているソロさんでも、苦手なものがあるんですね~」
だが黙っていたら、完全に勝ち誇り始めている。
もしかしたら、今までいろいろといじめたことを根にもっているのかもしれない。
これも因果応報かと思うが、彼女は調子にのってくる。
「まあ
「――ほれ」
「ほむ?」
黙らせるために、出来損ないのフェザースティックを一本手渡した。
そして一緒に、ナイフをプラスチックのシース(ケース)にいれたまま渡す。
「……なんかおもちゃみたいなナイフですね」
「失礼な。これは【モーラナイフ】といって、ちゃんとしたスウェーデンのブランドナイフだ」
使っていたナイフは、モーラのシースナイフ【ベーシック五一一】。
ブッシュクラフトがやりやすいように、刃の厚さ二ミリのモデルにしている。
色はやはりそろえて赤と黒だ。
モーラナイフは、切れ味も悪くなく、扱いもしやすい上、非常に安価であり、手軽に手にいれられるアウトドアナイフだ。
折りたたまずケースにしまう【シースナイフ】としては代表的なブランドであろう。
ちなみに折りたたみ型の【フォールディングナイフ】として有名なブランドには、【オピネル】がある。
こちらもコストパフォーマンスに優れ、キャンパーの間では知らない物がいないナイフであった。
「ほむ。それはいいのですが……これは、わたしにやって見せろという意思表示ですか?」
「『この程度』と言うぐらいなんだから、できるんだろう?」
「あ……当たり前ですよ。わたしはなんでもこなすマルチな人間を目指していますからね」
退けなくなったのか挑戦を受けたので、グローブも片方かしてやる。
すると台の薪の上に削る薪の先端を当てて、ナイフを構える。
「見ててください。こんなの簡単ですよ。これをこう……」
泊は力いっぱい、ズバッとナイフを走らせた。
それはもう勢いよく。
「あっ……」
泊が手にした薪を持ちあげる。
削がれた木の先端は、太さが半分ほどになっていた。
もちろん、営野が作ったフェザー部分も見当たらない。
それはもうきれいさっぱりに切り落としてしまっていた。
「…………」
「…………」
「着火材、使うか……」
「ほ、ほむ。それがいいですね!」
結局、2人とも不器用だった。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2018/12/scd002-08.html
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