第二泊「キャンプは趣味。だが、やりがいのある仕事にもなる」

株式会社イーフィールドワン・社長室

第一話「仕事は大事。だが、キャンプには行く」

 ふと部屋を見渡して、営野は「大きくなったな」とあらためて思った。


 この部屋だけで一六畳ほどある。

 たぶん面積だけで言えば、この前のキャンプで立てたタケノコテントと同じぐらいあるだろう。

 もちろん天井が高い分、この部屋の方が容積は大きい。


 そしてそれに見合うように、家具もかなり立派だ。

 横には書類が山ほど詰めこまれた木製の本棚が並んでいるが、これらはすべて建具屋でわざわざオーダーメイドしている。

 中央にはガラス張りのテーブルと、革製のかなり大きめの二人掛けのソファーが二つ。

 そして自分の目の前には、頬杖している両肘を支えるテーブルがある。

 一人で使うには広すぎるサイズで、ちょっと場所を動かしたいと思ってもとても一人では持ち上がらないほど大きいものだ。

 こんな贅沢なものはいらないと思っていたが、「社長室なら、見栄やハッタリも大事」と部下に説得されてこのありさまだ。

 ただ、椅子だけは譲れないと、メッシュの機能性重視のものを選ばせてもらった。

 もちろん、値段的にはかなりいい値段の贅沢品だ。


 最初は、安いテーブルと必要最小限のパソコンしかない、小さなマンションの一部屋から始めた会社だった。

 それがわずか一〇年程度で、東京のオフィス街にある高層ビルに本社を構え、ここまでいろいろと余裕を持って揃えられる会社に大きく成長していた。

 最初のアイデアが当たったと言うこともあるが、それよりも腕のいいプログラマーと、働き者の営業職たちのおかげだと営野は思っている。


「――社長? 聞いていますか?」


 そんな物思いにふけっていた営野を聞きなれた女性の声が現実に引き戻した。

 営野は椅子の上でボーッとしていた顔を前に向ける。

 そういえば、これまた有能な秘書と二人きりでスケジュールの確認をしていたのだと思いだす。


「ああ、すまん。聞いてなかった」


「社長……ぶっとばしますよ?」


 にこやかに物騒なことを言う、幼いころからなじみの顔は整っているだけに空恐ろしい。

 クリクリとした目玉をしているのに、どうしてこんなに眼光が鋭いのか。


(昔はこうじゃなかった……よなぁ? もっと物静かな……だったか?)


 今の彼女を見ていると、その記憶が正しいのか自信がなくなってしまう。

 ショートに切りそろえた髪、その下で揺れるイヤリングで、最近は大人びて見える。

 特にスラリとしたスタイルも、魅力的に育っている。

 その姿を見ていると、幼いころの姿がなかなか思い出せないのだ。

 考えてみれば、もう彼女も二五歳。

 大きくなったのは、会社だけではないのだ。


「社長? なんかずっとボーッとしていますけど、お疲れですか?」


 なるほど。今日、やたらと昔のことを思い出すのは、そのせいかもしれないと営野は納得して「そうだな」と答える。


「最近、やっと落ち着いてきたと思ったら、また急に忙しくなったからな……」


「それ、社長のせいですよね?」


「……あれ?」


「あれ? じゃありませんよ。社長が新事業を始めるとか言いだしたから、仕事量が三倍ぐらいに膨れ上がったんです。巻きこまれている私の身にもなってくださいよ!」


「すまん……。確かにちょっと、晶子ちゃんに頼りすぎたな。秘書として優秀だからついね」


「ま、まあ、社長のためなら、なんでもやりますけどね……」


 褒め言葉が効いたのか、彼女は目を伏せて鋭い眼光を鎮めてくれた。

 しかし、優秀なのは本当である。

 彼女がいるからこそ、休日に休みを取ることもできていた。


「……ありがとう。迷惑をかけていると思っているけど、感謝している」


「そ、そう思うなら、たまにはご飯でも食べに来てくださいよ!」


 タイトなスーツ姿で、彼女は腰に両手を当ててすごい勢いで顔を突きだしてきた。

 よく見れば真っ赤な唇が少し尖って、頬もわずかに膨らんでいる。


 怒っているのかと思いながらも、営野は首をひねってみせる。


「……それを言うなら、『たまにはご飯にでも誘ってくださいよ』じゃないのか?」


「そっ、そんなこと、かず兄に言えるわけないじゃないですか! お母さんの入院費を払ってもらっている上に、さらに飯を奢れなんて。だからといって、私にかず兄が喜ぶような店でおごる甲斐性なんてないし……。だから、せめてうちの手料理を……」


 だんだんと消え入りそうな声で、もじもじと下を向く。

 こういうところを見ると、なんとなく昔と変わらないと安心してしまう。


「手料理か……。でもそれ、晶子ちゃんが作るの?」


「うぐっ……。す、少しは妹に習っているので……」


 面白いように、彼女の口角がヒクヒクと動く。

 それを見て笑ってしまえば、また怒られてしまう。

 営野も笑うのを我慢して、頭を切り替える。


「まあ、そうだな。時間を作って、飯でもごちそうになりに行くよ」


「な、なら、明日の土曜日とか!」


「すまん。キャンプ場の予約が入れてあるんだ」


「え? 土日の一泊でキャンプにまた行くんですか? かず兄、どれだけ好きなんですか……」


「いやいや。これも仕事の内だよ」


「ウソです! 半分以上、趣味ですよね!」


「そんなことない。六〇パーセントは仕事だよ」


「……そんな微妙なライン……」


「ちなみに今度のテーマは、『人力アシスト電動バイクでキャンプ』だ」


「……電動アシストではなく?」


「人力アシスト」


「……変なバイク……」


「変、言うな。けっこうユーザーがいるんだぞ」


「だって、普通にバイクに乗ればいいじゃないですか。持っているんだし」


「まあ、そうかもしれないが……こういう変な乗り物って楽しいだろう? ロマンだよ、ロマン」


「男の人は困ると、すぐに『ロマン』という言葉でごまかそうとしますよね」


「ごまかす、言うな。……とりあえず、それにトレーラーをつけて荷物を積んでキャンプに行く。普通のバイクキャンプよりも荷物が多く、車よりも荷物が少ない……そんなキャンプだ」


「でも、電動バイクってことは充電しないとはしらないんですよね? 電池が切れたらどうするんです?」


「ああ。そのために予備のバッテリーを持っていく。計算ではバッテリーが二つでギリギリ到着できる。キャンプ場ではACサイトを借りて、すぐに帰りのために充電だな。充電できないと帰れなくなるかもしれないし。動力は人力でもいいが、バッテリーが完全に空になるとライトやウィンカーまでつかなくなる。そうなると原付だから違反になってしまうんだ。バイク自体は折りたためるのでタクシーに積んで帰ることもできるが、今回はトレーラーで大量の荷物もあるからそう簡単にはいかない。……な? やっかいだろう?」


「な? やっかいだろう? ……って、なんでそんな嬉しそうに。かず兄、バカですか?」


「バカ、言うな」


 ふと泊にも言われたことを思い出し、営野は顔をしかめる。


「一応、俺は社長だぞ」


「だって、それなら普通に自転車キャンプでいいじゃないですか」


「だから、こういうのはロマンなんだよ。男のロマンはおん――」


「――『男のロマンは女にはわからん』とか言ったら、セクハラですからね!」


「えっ? それ、セクハラなのか?」


「それはもう立派な」


「難しいな、セクハラ問題……。それはともかく」


 営野は立ちあがると体をグッと伸ばした。

 そして晶子の方に歩みよる。


「仕事をちゃっちゃっと片づけるか。そろそろミーティングだったな」


「はい。一〇時から社内規格コンペの確認、一一時から我が社がソフト開発を担当したUMアイランド社の顧客管理システムに関する仕様確認、一二時からは人事部とのミーティングになります。一三時からは第三営業会議で――」


「あれ? 飯時間は?」


「都合、一五時からになります」


「……あ、そう」


「明日、お休みを取るためになるべく今日中に片づけられるようにしたんですから、あきらめてください」


「そうか。ありがとうよ……」


 営野はつい昔の癖で、その頭を撫でてしまう。

 晶子とは、子供の頃から家族ぐるみのつきあいをしていた。

 だから彼にとって、彼女はかわいい妹みたいなものだった。


「あ、あの……かず兄……じゃなく、社長……」


 頭を撫でられたまま体を小さくし、うつむき加減のまま晶子がつぶやく。


「そ、それ……セクハラですよ……」


「え? セクハラなの? 褒めたのに……。それに頭を撫でられるのは、子供のころ好きだったじゃないか」


「い、今はそのぉ……ともかく女性の心を動揺させたら、もうセクハラなんです!」


 怒りか羞恥か、顔を真っ赤にして言い放った晶子に、営野は大きなため息をつく。


「袖触れ合うも多数の冤罪……バカにできないな」


「え? なんです、それ?」


「なんでもないよ……」


 人間関係は難しい。

 特に女性との会話は得意ではない。

 仕事のために多くの者とコミュニケーションをとっているが、本来は人付きあいなど好きではないのだ。


(あぁ、面倒……。やっぱり、ソロのが気楽だな)


 そう思うたびに、一人でキャンプに行きたくなるのだった。

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