第一三話「かっこよくない。でも、ドキドキする」
泊が目を覚ますと、すでに九時近かった。
まだ二日目だからよかったが、これが最終日だったらチェックアウトに間にあわなかったかもしれない。
陽射しは、もうすでにテントの斜め上から降りそそいでいる。
体が少し汗ばみ始めている気がしたので、寝袋から抜けだした。
パジャマ代わりのトレーナー姿のまま、ベッドに腰かけてからテントの中を見まわす。
だが、視界がぼやけてよく見えない。
(……コンタクト外してた……メガネは……)
まだ少し寝ぼけながらも、枕元に置いてあったメガネケースを見つける。
そこから赤いフレームのメガネを取りだして、やっと視界をクリアにする。
だが、テントの中にソロの姿はなかった。
「お。起きたか」
と思っていたら、テントの入り口がめくられてソロが覗きこんできた。
まだ眠気が完全に取れないながらも、泊はなんとか口を開く。
「おはようございまふぅ……」
「おはよう。ラーメン食べるか?」
「……ほむぅ? 朝からぁ……ラーメンなんですか~ぁ?」
「昨日のすき焼きの残りがもったいないからな。ラーメンをいれて煮込みラーメンにして、卵を落とす」
「……それっ、絶対おいしいやつ! いただきますっ!」
一瞬だけ眠気が覚めた。
「なら、窓を閉めて着替えて身なりを整えてこい。髪の毛、凄いぞ」
「ほむ。了解です……」
そう答えながら、ソロの姿が見えなくなるのをボーッと何の気なしに見ていた。
「……着替え……」
見ていた。
「……髪の毛……?」
見ていた。
「……あ……」
そして気がついた。
寝ぼけ眼の腑抜けた表情だったことに。
髪の毛が激しくボサボサだったことに。
かなりみっともない姿を見られてしまっていたことに。
「――恥ずか死にマックス・スペシャル!!」
おかげでしばらくベッドにひれ伏して、着替え終わるまでにかなり時間がかかってしまった。
とりあえず着替えを終え、身なりも整えて、まるで何事もなかったかのごとくテントからでると、すでに鍋へラーメンが投入されていた。
「今、煮込んでいる」
「なら、ちょっと洗面とかすませてきます」
タオルと歯ブラシを持つと、泊は炊事場に向かった。
このキャンプ場の炊事場は、中央に固まって設置されている。
吹きさらしだが屋根付きで、シンクの数は十分そろっていた。
しかし、その場に行って泊は愕然とする。
(ほむ。酷いな、これは……)
まず目に入ったのは、排水溝が詰まって、泡まじりに汚水がたまったシンク。
その横は、詰まっていないもののシンクの横に生ごみが山積みにされていた。
完全に排水溝が詰まっていないシンクでも、かなり食べ物の残りかすなどがうかがえる。
たぶん、昨日の夕食後の片づけから汚れていたのだろう。
(マナー……悪い人ってけっこういるんだな……)
泊はとりあえず割ときれいなシンクを探して、洗面などをすませて戻る。
そして、そのことをソロに話してみた。
「ここは高規格キャンプ場だからな。連休などの客が多いときはたまにあるさ」
「高規格……だから?」
「そうだ。高規格だとどんな客が来やすい?」
「初心者……ほむ。なるほど。慣れていない人たちが多いのか」
「正解だ。調理すれば生ごみが出るからな。わかっていれば、生ごみ用に排水溝ネットみたいなアイテムを用意する。生ごみもちゃんとゴミ袋に入れて捨てることもする。だが、慣れていないキャンパーは、対策をもってきていないことも多い。それどころか、『生ごみはおいておけばいい』と思っている者もいる」
「そんなことしたら次に使う人が困るじゃないですか」
「その通りだ。でもな、特にグループキャンプとかできていると、『仲間の誰かがやるだろう』みたいな責任放棄の意識も出てしまい、つい放置することもある。……まあ、ここはきちんとしているからな。もうすぐきれいに掃除されるだろう」
「ほむ。ちゃんと準備しない初心者はだめですねぇ、まったく」
「どの口が言うんだ……。って、ほら。できたぞ」
小さなお椀によそわれた朝ご飯が差しだされ、泊はそれを受け取った。
アツアツの熱を掌に感じながら、「いただきます」と箸をいれる。
(……肉のうまみがリメンバー……)
半熟の卵とあえながら食べるラーメンは、朝だというのにガツガツとお腹に収まってしまう。
肉の旨味が溶け込んだ甘塩っぱいタレが、これほど凶悪なうまさだとは思わなかった。
あっという間に、お椀が空になる。
曇ったメガネの下で満足そうに目を細めていると、ソロから冷たい麦茶が差しだされた。
そうそう、ちょうど何か冷たい物が飲みたかったのだと、それを嬉々として受け取る。
しかし、なんて気の利く男なのだろう。
泊は、深く感心してしまう。
「ソロさん……いいお嫁さんになりそう」
「なれねーよ」
「えっ!? なりたくないの!?」
「なんで、なるのが当然みたいな言い方なんだ……。そんなことより、今日は一日、いい天気だそうだ。すでに陽射しが強くなり始めている。テント、中が乾くように干しておけよ」
「あ。そうですね」
「テントが乾くまでは荷物を置かせておいてやるが、面倒を見てやるのは、それで終わりだ。初めてのソロキャンプだと言うから、特別にサポートはしてやったが、このあとは自分の力でソロキャンプを楽しめ」
「はい。ありがとうございます。何かお礼を……。あ。わたしのサイン入り色紙とかいりますか?」
「いらん」
「なんて素っ気ない……。わたしのファンなら泣いて喜んでくれるんですよ?」
「そうか。なら、ファンに書いてやれ」
「意味がないじゃないですか。……なら、かわいいわたしのコスプレブロマイドカードをプレゼンツ!」
「いらん」
「本気で冷たい……。せっかくの
「なんのカードだよ」
「ぷぅ……。こんなかわいいわたしに興味をもたないなんて、ソロさんは失礼です」
「こんなオッサンが女子高生に興味をもったら、変態呼ばわりされるだろうが……。そーだな、お礼と言うなら……俺はキャンプを楽しむ人間が増えて欲しいと思っている」
「ほむ?」
「だから、誰かキャンプで困っている人がいたら、今度は
「……な、なんかずるいですね」
「なにがずるいんだよ」
泊はそのツッコミには顔を伏せて答えなかった。
答えたくなかった。
顔を上げたくなかった。
(かっこよさげな台詞で、名前呼びされてドキッとしました……なんて言いたくない。負けた気がする。認めたくない!)
少し赤面しているのが自分でもわかる。
自分でも、なぜこんなにニヤついてしまいそうな気分なのかよくわからない。
不思議だった。
学校の人気者である幼馴染の男子に迫られた時も、ドキドキなどまったくしなかった。
他の男子から告白されたこともあったが、「ときめき」という言葉は物語の中だけに存在するものだと思っていた。
それなのに、二枚目というわけでもなく、しかも三十路男にこのありさまだ。
昨夜からの吊り橋効果に、泊はすっかり振りまわされている。
「それから、もう一つアドバイスだ」
しかし、そんなことに気がつきもしないソロは、普通に話しかけてくる。
「昨日も言ったが、今日もどこかの風呂に行くなら早目に行っておけ。暗くなったらバイクだと危ないし、夕飯の支度も遅くなるからな」
「ほ、ほむ。了解です。ありがとうございます。ちなみに昨日の場所以外だと、近くにいい温泉をご存知ですか?」
「そうだな……近くなら、【道の駅・両神温泉薬師の湯】というのがある。露天風呂とかではないが、手軽にはいれるし、そこまで高くない」
「ほむ……『りょうかみおんせん やくしのゆ』と」
スマートフォンで検索をかけてみると、すぐに情報が見つかった。
【道の駅・両神温泉薬師の湯】
http://www.kanko-ogano.jp/spa/
「昼飯をかるくすますつもりなら、そこの休憩所で軽食がとれる。ちなみに、そこの味噌ポテトは個人的にお薦めだ」
「ほむ。でたな、最強の敵。その名は、味噌」
「味噌と戦っていたのかよ……」
「二度ほど敗北しています」
「強いんだな、味噌……」
「それはともかく、確か龍勢会館にもありましたよ、味噌ポテト。食べませんでしたけど」
「この辺のいわばソウルフードというところだな。だいたい、どこの店でもメニューにある。ざっくり切った蒸したジャガイモに衣をつけて揚げ、味噌をかけてあるだけの単純な料理だ。だが店ごとに、衣も、かけてある味噌も異なる。両神温泉のは、見た目がフリッターのようだが、噛んでみるとサクサクで、中はホクホク。それにしょっぱめの味噌が非常によく合う。ご飯のおかずになりそうなぐらいだ」
「『語られる味噌ポテトの姿を想像し、泊は思わず口の中にたまった唾液をごくりと呑みこんだ』」
「……小説家らしく地の文で語ってきたな」
「『泊にとってそれは、興味あること、この上マックスであった』」
「いや、その文章は推敲の余地があるだろう……」
「あはは……そうですね。ま、とりあえず、テント干したりしたら、ドライブがてら行ってくることにします。……その味噌ポテトを食べに!」
「目的は風呂の方じゃないのかよ」
「まずは味噌を倒す!」
「三度目の正直だな。ガンバレ」
ソロの応援に親指を立てる泊だった。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2018/12/scd001-13.html
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