第一二話「寝袋に入った。でも、眠れない」
夜になり少し肌寒くなった。
上着の前を閉じながら泊がトイレから戻ってくると、ソロはお湯を沸かしていた。
小さなコンロの上で、潰れたヤカンを火にかけている。
「……そのコンロ、小さくていいですね」
泊が持ってきたコンロは、普通に家で使っているカセットコンロだった。
箱に入れて持ってきたが、長い辺で四〇センチ弱あり、厚みも九センチほどはあった。
それに対して、ソロが使っていたのは本当に小さい。
まるでコンロのバーナーと五徳、脚の部分が骨組みだけで構成されているようだった。
それにカセットボンベが直接、突き刺さっている。
「ああ。これはキャンプ用のバーナーだ。SOTOというブランドのもので、レギュレーターストーブという。きみが持ってきたカセットコンロのメーカーであるイワタニも似たようなのを出しているが、この手は折りたためばポケットサイズになるのが便利だ」
「ほむ。ポケットサイズ……それはすばらしい」
「バイクであの家庭用カセットコンロを積んできたのは凄いが、こういう小型の方が嬉しいだろう」
「まったくですよ。わたしなんてカップラーメンのお湯を沸かすためだけに、あのデカいのを持ってきたんですからね。しかも雨で使わなかったというこの悲しみをどうしてくれるんですか」
「俺が知るか。でもその悲しみの道具、明日は使えるだろう。思う存分、お湯を沸かしてカップラーメンを食べるがいい」
「……今夜とのギャップに、また泣いてしまうかもしれません。今度は悲しみの涙ですよ」
「それも俺は知らん。……せっかくそんな立派なコンロを持ってきたんだから、料理にでも挑戦してみればいいじゃないか」
「ほむ。料理は……ちょっと……」
「……なんだ、苦手なのか。まあ、いきなりは道具もないだろうしな。次回はそのガスコンロと一緒にいろいろと持ってくるといい」
「いえ。次回はわたしも、そういう小型のを手にいれさせていただきます。絶対に便利そうですし」
「そうだな。一般的なCB缶が使えるので手軽だしな」
「CB缶?」
「一般的なカセットボンベ缶でCB缶だ。それに対して、アウトドア用に火力が強く使いやすいのがOD缶――アウトドア缶という。山の上や真冬ならば外気温に影響されにくいガソリン燃料缶がいい。でも普通のキャンプなら、CB缶で十分だ」
「ほむ……」
さっそくウェストバックからメモを取りだして書き留める。
それは泊の癖だった。
ネタになりそうなことは、なんでもメモするのだが、これは今度のキャンプのためである。
「とくにこのレギュレーターストーブは、CB缶でもマイクロレギュレーターという機構で外気温が低くても安定しやすくなっている。初心者向けではあるな。気をつけることは、バーナー部分にCB缶が直結しているような構造なので、上に大きめの鍋などを置いて長時間煮込む……みたいな使い方は少し怖い」
「ほむほむ……」
「あと、風が強いとやはり火力が落ちたり、火が消えたりするから、折りたたみの風防などがあると便利だ」
「ほむほむほむ……」
「それからコーヒー飲むか?」
「ほむほむほ……む?」
ソロがエスプロのコーヒープレスを親指で指さす。
見れば、その横にはすでにステンレスのコップが二つ並んでいた。
そしてすぐ側には、あのミルクポーションの袋が置いてある。
「……いただきます。横、座ってもいいですか?」
ソロがうなずくのが見えたので、泊はもうひとつの椅子に座る。
ちなみにソロが一人なのに複数の椅子を持ってきていたのは、「グランピングなのに椅子が一つだと味気ないから」という理由らしい。
妙なこだわりだなと思ったが、椅子が濡れて座れなくなってしまった泊にはありがたかった。
「ほら。入ったぞ」
泊は礼を言ってから、カップを受けとる。
カップの中は薄暗くて見えないが、上には湯気が立っていい香りが漂っている。
それは昼間も味わった落ちつく香り。
「一応、薄めにしているが……もう少しだけがんばるんだろう?」
「ええ。まあ……」
「それなら大丈夫か……」
「…………」
そこで泊は、初めて気がついた。
コーヒーが気にいった泊のために、ソロはコーヒーを淹れてくれていたのだ。
しかも邪魔にならないように、泊が休憩するタイミングを待っていた。
そして、わざわざ酒をやめてまで。
カフェインの濃さまで気にして。
(ほむ……そうだ。気にしてくれていたんだ……)
興味がないわけではない。
でも、踏みこみすぎない。
相手との距離を測りながら関わってくれる。
(相手のサイトに入ってこない程度の……隣のソロキャンパーに対する気づかいみたいな? ほむ……もう少しだけ近いかな。……ああ。この距離感、好きだな……。でも、もう少し……)
泊はカップを口元に運びながら、横目でソロをうかがう。
そしてその横顔に話しかける。
「わたし、実は小説家なんですよ」
「……ほう」
「一番、売れている本は一〇〇万部突破していて、アニメ化もしています。『転生したら神になったので、異世界を正しく導き中』というタイトルなのですが……」
「アニメとか見ないが……その主人公がとんでもないということだけはわかった」
「ほむ。やっぱり知りませんでしたか。ちなみにペンネームは【
「……それ、大事なところ削ってしまって寂しくなってないか? 意味的に『地上に独りぼっち』みたいな……」
「きっ、気にしないでください。ノリで決めて、後で気がつき愕然としたけど、今さら変更できない、などということはないのです……本当ですよ……」
「……そうなのか。辛いな」
「ほむぅっ……同情しないでください……。同情されるとよけいに恥ずかしいこと、この上マックス……生き生き
「……それ、辛いのか辛くないのかわからんぞ」
「ま、まあ、ともかくですね。わたし、キャンプしながら執筆したかったんです。そうしたら効率がよくなるかな……と」
「で? どうだったんだ?」
「ほむ。超進みました」
「それは良かったな」
「はい」
「そういえば空が晴れたから、すばるが六つまで見えた」
「ほむ? ……おお、本当だ。ってか、星が多いですね……」
そこで会話が途絶える。
しばらく、無言の時間。
それでも居心地悪くない。
たまにボケとツッコミがある程度のすっきりとした会話。
でも、わかる。
父親や母親との会話と違う。
上辺で話しているわけではない、晶や遙と同じ空気の会話。
その後、しばらく執筆した後、泊はベッドに寝袋を使って横になった。
そして離れた床のラグの上に、やはり寝袋に包まれたソロが背中を向けて寝ている。
薄暗くなったテントの中。
男女二人だけの空間。
(ほむ……。これはさすがに……緊張する……)
自分で言いだしたことだが、状況を考えると心臓がバクバクと音をたてはじめる。
こんな静かな中では、ソロの耳に音が届いてしまうのではないかと心配になる。
何かあるはずがない。
ソロのことは信じられる。
そう言い聞かせながらも、やはり「何かあったらどうしよう」と心配する自分がいた。
ふと、ソロの背中を見る。
もちろん、動きだす様子はない。
「まだ……」
だが、唐突にソロが開口する。
その声に、泊は引きつった声で「はひぃ!?」と答えてしまう。
「な、なんでしょう……」
「まだ、キャンプに来なかった方がよかったと思っているか?」
「……ほむ?」
なんでそんなことを聞くのだろうと考え、泊は自分のことを思い返す。
そして数秒で思い出す。
そうだった。
自分はそう愚痴ったのだ。
――キャンプになんて、来なければよかったなぁ……。
確かにあの時は、本気でそう思った。
雨でびしょびしょで、食事もできない、寝る場所もない。
なにかもう、いろいろと嫌になってしまった瞬間。
だがいつの間にか泊は、そんなことを忘れていた。
それどころか「次にキャンプするときのこと」を考え、ワクワクしながらノートにメモをとっていたぐらいである。
ところが、ソロは覚えていたのだ。
キャンプのことを。
いろいろと気にかけてくれていた、そう思うだけで心臓の早鐘が一段とスピードアップする。
音漏れ注意と、思わず胸を押さえる。
「い……今は、次に行く場所、次に食べる食事、そのための用意で頭がいっぱいですよ」
平常心を装い、いつものようにクールな口調。
なんでもないようにそう答えた。
だが平静を保てたのはそこまでだった。
「そうか。ならよかった。……おやすみ、泊」
(――はうっ!? そこで呼び捨てか!)
その攻撃は、すでにドキドキしていた彼女にとってクリティカルヒット。
ただのドキドキが、ドックンドックンという熱き血潮の暴れ回る音に切り替わる。
これでは目がさえてしまって、とても寝つけない。
(これも吊り橋効果か……ヤバい……吊り橋ヤバい……吊り橋怖い……)
しばらくすると、ソロの寝息が聞こえてきた。
それでも泊は、しばらく寝つくことができなかったのである。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2018/12/scd001-12.html
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