第一〇話「嬉しい。でも、涙が落ちる」
肉はうまい。
そのうまみの一番のポイントは、やはり脂だ。
花園黒豚の時も改めて思ったが、今の泊はそれ以上に脂のうまみというものを感じている。
(溶ける……蕩ける……ああ、おいしい……おいしいこと、この上マックス・アルティメット……)
すでに空は闇となり、そこからしとしととキャンプ場に雨が降り注いでいる。
天幕となったタープに水滴が落ちる音が最初は気になったが、今は慣れてBGMのように感じてしまう。
否。慣れたというよりも、それよりも圧倒的な迫力を伝える脂の跳ねる音が、新たなBGMを作りだしているからだ。
鍋の上でいくつもの肉が、たれの上で踊った後に箸につままれる。
金色の服をまとえば、儀式の準備は終わる。
(三枚目……いただきます)
口の中に入れれば、卵のまろやかさ。
そしてあまじょっぱいタレの味。
そこからひろがる肉の甘味。
歯ごたえはある。
しかし、三つの味が溶けあうように、口の中で解けるように広がっていく。
舌の上に存在する時間のなんと短いことか。
消えゆく感触に、尊さと儚さを感じて夢心地。
「そろそろ野菜とか入れていくぞ」
そしてすき焼きは第二段階に移行する。
まずいれられたのは、豆腐だ。
手の上で一口大に切られて、次々と鍋の中に飛びこんでいく。
さらに立派なシメジ。
そしてネギや春菊、シラタキも入っていく。
小さい鍋が、あっという間にいっぱいになると、たれが追加されてガラスの蓋が閉められた。
じーっと見ていれば、蓋の向こうではグツグツと賑やかなパーティーが始まりつつある。
「しかし、なぜすき焼きなんです?」
その鍋の様子を見ながら、泊はふとした疑問をソロに投げる。
「普通はバーベキューとかじゃないんですか。……あ、そういえば、わたしが見たキャンプのアニメでもすき焼きやっていたけど……」
「アニメは知らん。俺がすき焼きにしたのは、これのせいだな」
そう言って出したのは、豆腐の入っていた空のビニール袋。
「道の駅・龍勢会館って知っているか?」
「あ、はい。わたしも寄りましたよ」
「そうか。この豆腐は、そこで買った【七平とうふ】だ。吉田にある新井豆腐店というところで作っている、かなり堅めの豆腐でな。パックに入れず、ビニール袋で売られても崩れないぐらい堅めだ。だから、煮物にしてもボロボロと崩れていたりしない」
「ほむ……」
「そして一緒に入っているシメジも、道の駅で買った【長瀞ぶなしめじ】。シラタキも道の駅で買った、地元のこんにゃくで作られたもの。これらを使って豪勢な肉料理を連想したら……」
「ほむ。なるほど、すき焼きですな……」
「そういうことだ。来る前にいろいろと見てたら、どうしてもすき焼きをしたくなった。やはり現地の素材で料理を作りたくなるからな」
「そう……ですね、うん。確かにそうだ」
泊は心の底から同意してしまう。
カップラーメンの手軽さは、もちろん捨てがたい。
だが何泊かするならば、一回ぐらいはこういう料理にも挑戦したい。
もちろん、バイクだから荷物はそんなに積めないだろう。
しかし、もっていく食材や調味料は最小限にして、あとは現地調達すればそれなりの料理が作れるのではないだろうか。
(まあ、その前にわたしの調理スキルがたらないけど……)
帰ったら、晶に習うことも考える。
簡単なのならば、何とかなるかもしれない。
(それには行く前に、現地で何が売っているかを調べないと。……ああ、なるほど。こういうのも事前準備なのか)
泊はメモを出すと、急いで思いついたこと、やることを書きだしていく。
「そういえば、荷物はすべて車の中か?」
鍋の様子を見ながら、今度はソロがたずねてくる。
「テントの中には、残ってないんだな?」
泊はコクリとうなずいた。
「あ、はい。荷物は基本的に全部、温泉に行くときは持っていきました。ただ、寝袋とガスコンロは置きっぱなしだったのでさっき回収して、そこに置かせてもらいました。寝袋用のマットは濡れていたので放置していますが……」
「そうか。なら、今日はこのタケノコテントに寝ればいい。この中ならマットもいらない。俺は車で寝るから」
「いやいやいやいや。いくらわたしでも、それはさすがにできませんよ。テントの主を追いだして自分だけで寝るなんて」
「かまわん。俺は慣れているから」
「ダメです! 一緒に寝ましょう!」
泊は腰を少しだけ浮かせて、ソロに迫るように言い放った。
だが、自分が言った内容に気がつき、カーッと頬が熱くなっていく。
「――ちっ、違いますよ! そ、そういう意味ではなくてですね、この大きいテントなら離れて寝れば大丈夫という意味で、けっして、一緒の寝袋でとか、隣でとか、あの、その……」
「いや、あわてなくてもわかっているから」
「…………」
「…………」
「うっ……うう……恥ずか死にマックス……」
「限界突破して、とうとう逝ったか……」
泊は両手で顔を覆ってうつむいてしまう。
自分は何を口走っているのかと、真っ赤になる顔をとめるように押さえこむ。
「もうそろそろできるな……」
「ほ、ほむ。そ、そうですか……」
顔が未だに上げられず、伏せて覆ったままで言葉を続ける。
「た、楽しみですね……。ご飯がないのが残念ですね……あはは……」
「ご飯……あ。そう言えば……」
ソロが立ちあがって、なにかごそごそとしている気配がする。
そしてしばらくすると「あった」とつぶやいた。
「念のために、コンビニで買っておいた塩にぎりが二つほどあった……」
「――マジですか!」
泊の恥ずかしさがふっとんだ。
バッと顔を上げると、ついついギラギラとした目でソロの手元を見てしまう。
すると確かに、パッキングしたおにぎりが二つ。
「ソ……ソロさん……いやさ、ソロ様」
「――様!?」
「どうか……どうかそのおにぎりを一つでいいのです、惨めで矮小なわたくしめにお譲りいただけないでしょうか」
「なんでそこまで自分を卑下する」
「お酒の呑めないわたくしには、このうまいすき焼きに、ご飯のお供が必要なのです! わたくしにできるかぎりの金額で買い取らせていただきます故!」
「いや。二つともただで食っていいぞ。俺はビールでいいし」
「――マジですか! あなた神ですか!」
「おにぎり二つで、不審者から神にグレードアップしたな……」
「ありがとうございます! このご恩は、決して朝まで忘れません!」
「せめてチェックアウトまでは覚えておけよ……。と、そろそろいいかな。食べるか」
ソロがガラスの蓋を開けた。
とたん、湯気が舞い上がり、その空間の色を変える。
雨の音が完全に消えた。
その場を満たすのは、ぐつぐつと煮えるすき焼きの音。
(ああ……今、この世界は……すき焼き色だ……)
泊の思考回路の一部が破壊される。
だが、それも仕方なかった。
うまかった。
本当にうまかったのだ。
タレをまとった豆腐は、肉のだしとタレの味、さらに豆腐自体のしっかりとした濃厚な味わいもあり、今まで食べたことのないインパクトがあった。
正直、泊はすき焼きの豆腐など、しょせんは肉の脇役だと思っていた。
しかしどうだろう、この豆腐の旨味は。
豆腐だけでも主役を食いかねない、濃厚な大豆の味わいをもたらしてくれる。
そして、ぶなしめじ。
これも脇役に留まらず、深い茸の味わいをもたらしてくれる。
同じ味付けなのに、素材の味がしっかりしているせいでまったく別の味付けのようにさえ感じるのだ。
しらたきも、春菊も、葱も……すべてが、泊の口の中で踊り狂っていた。
そのダンスのパートナーは、もちろんおにぎりだ。
(ああ……コンビニおにぎりが、当社比五〇〇倍ぐらいうまいのです……)
こんなにおいしいものばかり食べさせてくれて、なんとお礼を言えばいいのかと、泊はソロの方をうかがい見る。
だが、ソロは箸を休めて、ビールを片手に横を向いていた。
彼の視界に見えるのは、きっと他のキャンパーたちがいるサイト。
この山逢の里キャンプ場は、大雑把にはサイトが円形に並んでいる。
泊たちがいる場所は、その円からはずれた少し高くなったサイト。
木々に遮られてはいたが、その位置からは多くの他のサイトを見ることができたのだ。
(いろいろあって気がつかなかったけど……こんなにここにいるんだ……)
ちょうど食事時ということもあるのだろう。
弱い雨が降る中でも、タープの下で多くの人たちが食事や会話を楽しんでいる。
家族連れらしきサイト、カップルらしきサイト、友人同士らしきサイト。
それぞれが、それぞれの形で同じ今という時間を過ごしている。
(ほむ。みんなキャンプを楽しんでいる……)
今まで耳に入ってこなかった、周りの音も入ってくる。
話し声、笑い声……聞き取れないが、それらが環境音楽のように届いてくる。
「ソロでキャンプをしていると、不思議と他のサイトの光が眩しく見える……」
視線を横に向けたまま、ソロが開口した。
「それを見て寂しく思うこともあるが、同時に嬉しく思うこともある」
「ほむ……嬉しいんですか?」
「ああ。周りはグループで
(嬉しい……)
泊は、ソロが言った「嬉しい」理由を考える。
自分はどうなのだろうと思い返す。
(道の駅・はなぞので食べたメンチカツがすごくおいしかった。それは「楽しいこと」……じゃないな。……ああ。「嬉しいこと」なんだ……)
それは道の駅・龍勢会館で食べたカレーも同じ。
食べ物だけではない。
道の駅を訪れたことも、「楽しい」と言うよりも「嬉しい」と言った方が適切な気がする。
キャンプ場で執筆が進んだことも、「楽しい」ではなく「嬉しい」だ。
温泉も「楽しんだ」が、感想を聞かれれば「嬉しい」の方が気持ちを表せる。
そしてテントの中が濡れて泊まれなくなり、食事もとれなくなった絶望的状態から、こんなおいしいすき焼きをご馳走になって、泊まれる場所まで得られたことも「嬉しい」だ。
(おいしいご飯が食べられた。雨に濡れず寝る場所ができた。もうダメだ、もう嫌だと思っていたことが、嬉しいことに変わった。……ほむ。安心できた……。なんて素敵なことが起きたんだろう。おかげで、わたしもここにいる他の人と同じように、キャンプという大切な時間を過ごせているんだ……。それって……なんか……凄いことだよね……)
今、こうしてここにいること自体が、ここまでにいくつも感じられた「嬉しさ」が、泊はすごく「幸せ」と感じられた。
そう思えた瞬間、体に熱がわきあがる。
「そういうことがソロキャンプだとわかりやすく感じられて、俺は好きなんだ。まあ、今日はソロキャンプとは言えなくなって……って、おい!?」
ソロが振りむくと、泊の顔を見て目を丸くする。
だが、その驚いている理由がわからず、泊はかるく首を傾げる。
「どうしました?」
「いや、どうしたっていうか……ど、どうして泣いてるんだ?」
「……ほむ? 泣いてる? ……あれ?」
泊は自分の頬に触れる。
それでやっと、自分が涙を流していることに気がついた。
しかも、それに気がついた途端、さらに目頭が熱くなってくる。
「あ、あれ……別に悲しいわけじゃないのに……ほむ? なんで? と、とまらない……」
辛くもなんともないのに、涙が次々と流れだす。
「……やれやれ。これじゃあ、俺が女の子を泣かせているみたいだな」
冗談めかしたソロに、泣きながら泊は笑う。
「あはは……。通報事案……ですね」
「神から不審者に逆戻りか……。まあ、悲しいわけじゃないなら、泣くのもいいんじゃないか」
「ほむ……」
「外なのに空が見えないタープの下……『空知らぬ雨』もキャンプならではかもしれないからな」
そう言って、ソロは照れ隠しのようにビールをまた口にした。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2018/12/scd001-10.html
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