第23話 暴走状態
「出口からみんなが出て行くのが、なんでダメなんだ」
アーサーは、ゆっくりとエルヴェスタム・デ・エスタンテに尋ねている。アーサーから怒っている様子は見えない。ただただエルヴェスタム・デ・エスタンテの意図がわからず困惑しているようだ。
「アーサー」
メルはアーサーの袖を引っ張って自分の方へ来させた。
「図書迷宮は暴走して、封印されたと伝えましたよね」
「え?あ、ああ。そんなこと言ってたな。……まさか、」
気がついたのか、アーサーは目を見張って竜を見た。
「あいつが暴走してるってことか」
「たぶん……」
メルは進み出ると、慎重に言葉を選びながらエルヴェスタム・デ・エスタンテへ声をかけた。
「出口がないということは、ここから出ることは不可能ということですか」
エルヴェステム・デ・エスタンテはメルの予想に反して「可能だよ」と答えた。
「僕の力で扉を出現させることはできる。そこから出られる」
「そうしないのはなぜですか」
「みんないなくなっちゃうからだ」
瞳にまた暗い影が差した。メルは質問の角度を少し変えてみる。
「みんなをここに連れてきたのは、あなたの意図ですか」
「そうだよ。外の世界にあちこち扉を出現させて、たまたま近くを通りかかった人たちを呼んだんだ」
「本の中身を取り込んだのも同様にですか」
「うん」
エルヴェステム・デ・エスタンテは素直な子供のように頷いた。それから頭上にある文字で形成された繭を見上げる。
「それがこれだよ。綺麗でしょう。何か知りたいことがあったらこれに向かって尋ねるといいよ。取り込んだ知識が答えになる質問だと、教えてくれる」
メルは思考を巡らせた。エルヴェスタム・デ・エスタンテは、外の世界、つまりメルたちの世界で「扉」をあちこちに出現させたと言った。これで館長が十三区画の本を別の場所、すなわち臨時書庫に移動させた理由がなんとなくわかった。図書迷宮は移動するのだ。館長はそのことを知っていて、十三区画付近に図書迷宮の「扉」があることを察知し、本の中身を取り込まれないように遠ざけたのだろう。
だが、これがわかったところで大した解決策にはならない。今メルたちは図書迷宮から出る方法を探している。そして、図書迷宮の魔力によって生まれた存在であるエルヴェスタム・デ・エスタンテと名乗る彼の口から、出口は破壊されていることを聞いた。だがここから出られないわけではなく、彼の力で外の世界につながる「扉」を出現させることが可能だということがわかった。問題は、この力を持つエルヴェスタム・デ・エスタンテに、人々を解放する意思が全く見られないことだ。
どうにかして彼を説得できないだろうか。そう考え込むメルに向かって、エルヴェスタム・デ・エスタンテは無邪気な声で「ねえねえ」と呼びかけてきた。
「見てるだろうからわかると思うけど、ここにはたくさんの本があって退屈しないし、食べるものにも困らない。それにすごく綺麗な場所だ。ここでみんなで暮らそうよ。ずっとずっと。きっと楽しいと思うな。君たちとも友達になりたいし」
「……」
メルはなんと答えたものかと口を詰まらせた。確かに綺麗な場所だし果実もあるから食べ物には困らない。それにメルの好きな本がいっぱいある。だが、自分には帰るべき場所がある。待ってくれている人がいる。ここで暮らしたいとは到底思えない。
「ふざけないでよ」
メルが逡巡していると、今まで黙って話を聞いていたシャーロットが彼女に似つかわしくない声をあげた。表情を見なくてもわかる。彼女は怒っている。
「シャーロット……」
エルヴェスタム・デ・エスタンテを刺激するのはやめておいたほうがいい。メルはシャーロットを制止しようとしたが、シャーロットが口火を切るほうが早かった。
「勝手にこんなところに連れてきておいて、ここでずっと一緒に暮らしましょうですって?私たちのことを何だと思っているの?私たちには暮らしがあるの。家族がいるの。友達がいるの。ずっとここで暮らせるわけないでしょう。あなたにここへ連れてこられた人たちはね、みんな怯えてるわ。小さい子たちはママに会いたいって泣いてるし、大人だって愛する人や家族のことを気にかけてる。みんなみんな、自分の家へ帰りたいの。帰せる力があるのなら、早くみんなを、私たちを解放して」
シャーロットはキッとエルヴェスタム・デ・エスタンテを睨みつけた。だが彼女の言葉は彼には届かない。
「解放?しないよ。そうしたら僕はまた一人ぼっちになっちゃう。それは嫌だ」
「信じられない。自分勝手にもほどがあるわ」
「シャーロット、やめて」
メルはなんとかシャーロットを落ち着かせようと彼女の腕を掴んだ。シャーロットがハッとした顔でメルへ振り返る。
「多分、彼には何を言っても無駄だと思う」
「でも。じゃあ、どうすればいいのよ」
「……」
メルはシャーロットの問いに無言で返すと、彼女に代わってエルヴェスタム・デ・エスタンテへ話しかけた。
「あなたはさっき、人々を元の場所へ帰さないのは、そうすれば皆がいなくなってしまうからだと言いましたね。皆がいなくなってしまうと、あなたは寂しいのですか」
メルは慎重に、できるだけ優しい感情を込めて言葉を紡いだ。エルヴェスタム・デ・エスタンテはそれに「うん」と頷く。それから続けて答えた。
「シーグリッドが、みんなが知識を共有できるようにって願いを込めて作ったのが僕なんだ。身分も人種も超えて、みんなが学べる空間。みんなが知識を共有できる場所。それが僕だ。最初は、毎日人がたくさん来て、皆すごく楽しそうで賑やかで、僕はそれがすごく嬉しかった。でも、シーグリッドが死んだ後、
エルヴェスタム・デ・エスタンテは悲しそうに目を伏せた。
「シーグリッドはいなくなってしまって、誰も僕のところへ来てくれなくなって……。僕は……ずっとずっと一人だった。だから、今みたいに何かの拍子に封印が解けた時、僕は扉の近くを通りかかった人を呼び寄せたんだ。その人たちを閉じ込めたら、あの時みたいに帰ることもないし、そしたら僕とずっと友達でいてくれるでしょう?」
「……」
メルは何も返せなかった。図書迷宮が暴走し、そのことによって封印されたのは、きっと何百年も昔のことだ。彼は何百年もの間、孤独に苛まれ続けてきたのだろう。人々が身分も人種も超えて知識を共有できる場所は、誰も訪れることのない場所となり、エルヴェスタム・デ・エスタンテは独りになった。
「なあ、ちょっと待ってくれ」
不意に、アーサーが口を挟んだ。エルヴェスタム・デ・エスタンテは伏せていた目をアーサーへと向ける。アーサーは前に進み出ると、尋ねた。
「俺のじいちゃんが若い頃、一度ここへ迷い込んでるんだ。多分六十年くらい前のことだと思う。その時、じいちゃんは無事に元の場所に帰ってこれた。あんたさっき、『あの時みたいに帰ることもないし』と言ったよな?それってひょっとして、俺のじいちゃんのことを言ってるのか」
「……エディのこと?」
「それはじいちゃんの名前だ。エディ・ウォルホード」
「その名を口にするな」
エルヴェスタム・デ・エスタンテがカッと口を開けた。裂けた口蓋から、赤い舌と整然と並んだ鋭利な刃物のような牙が現れる。
メルはギョッとして、アーサーの腕を掴んで一緒に後ろへ下がらせた。だが、エルヴェスタム・デ・エスタンテはメルたちに危害を加えるようなことはしなかった。ただおずおずと口を閉じて、静かに告げる。
「あいつは、約束を破ったんだ。思い出したくもない……。君があいつの孫だというのなら、ここから去ってくれ。もう見たくもない。扉を開いてやる。あいつの髪も、君のような赤毛だった……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます