第22話 エルヴェスタム・デ・エスタンテ
昔、祖母から聞いたことがあった。竜は残忍で凶暴な生き物ではあるが、人間と同じく高い知能を持ち合わせており、中には人語を解して人と分かり合おうとする竜もいたと。ひょっとするとこの竜もそうなのではないか。
そう考えたメルは、恐る恐る立ち上がった。動いたメルを、竜はじっと見つめている。
背後で、アーサーとシャーロットが慌てて引き止めようとする気配を感じたが、メルは構わなかった。背筋を伸ばし、まっすぐ竜を見つめて、丁寧に尋ねた。
「あなたは、何者ですか?」
少し語尾が震えた。勇気を持って立ち上がったはずだが、足もガクガクと震えている。
メルは必死で願った。この竜の深緑の瞳に宿る知性と理性が、自分の見間違いでないことを。観察するようにじっとメルたちを見つめているのは、襲うつもりではないということを。
その時、竜の口がかすかに開いた。空いた口の間から、鋭利な刃物のような牙が並んでいるのがちらりと見えた。メルは思わずぎゅっと目を瞑って、身を縮ませる。だが、メルの体に降りかかったのは竜の牙ではなく、どこか偉そうな中性的な声だった。
「僕はエルヴェスタム・デ・エスタンテ。お前は?」
メルは目を開いた。さっきの言葉は、この竜が発したものなのだろうか。だが、そうとしか考えられない。目の前の竜は、返答を待つようにじっとメルを見つめている。
メルはおずおずと名乗り出た。
「わ、私は、メル・アボット。リヴレ王国王立図書館で、図書館司書を務めています」
「リヴレ……」
竜は目を細めると、メルの背後にいるアーサーとシャーロットの方を見やった。
「後ろの者たちは?」
「友人のシャーロット・クラプトンとアーサー・ウォルホードです」
「友人……」
どうやら、瞳に宿る知性と理性は、メルの見間違いではなかったようだ。友人という言葉に対して複雑そうな表情をする竜へ、メルはおっかなびっくりしながらも話しかけた。
「あの、さっき。自分の名前はエルヴェスタム・デ・エスタンテと言っていましたが、どういう意味ですか」
「む?」
「その名は、この場所を表す言葉ではないのですか」
メルの問いに、竜はフンと鼻を鳴らして答える。
「そうだとも。シーグリッドの生み出したこの場所こそ
竜は誇らしげにムンと胸を張った。
「僕は、この空間を維持している魔力が長い時間をかけて積み重なり生まれた者。ある意味この場所そのものでもあるというわけだ。だから、この名を名乗っている」
「魔力が積み重なって……」
途方もない話に面食らいなりながらも、メルは必死で頭を働かせた。この竜が図書迷宮そのものだということは、ここから出る方法を知っているかもしれない。
「すごいだろう。ああ、ついでに言っておくと、こんな姿だけど僕は竜ではないよ」
メルの思考をよそに竜は話を続ける。どうもおしゃべりな性格らしい。竜が意外と人懐っこくしゃべるので、アーサーとシャーロットも警戒を少し解いたのか、「竜じゃないの!?」と小声で尋ねる。
「ああ。さっきも言ったが、僕は魔力が積み重なってできた存在。要は魔力そのものでもある。だからこれと決まった形はなくてね、とりあえず竜の姿に擬態してみてるんだ」
「なんで竜なんだ?」
アーサーが聞くと、竜——エルヴェスタム・デ・エスタンテは「かっこいいか
ら」と無邪気な答えを返した。
「ここにある本で知ったんだ。他にもいろんな生き物の絵があったけれど、竜が一番かっこよかったな。猫でも良かったんだけど、この場所だと飛べるのが便利だし、かっこよくて空も飛べる竜にしといた」
「へえ」
シャーロットがなぜか感心した様子で頷いている。
このままだと、いつまで経ってもメルの望む方向の会話にはなりそうにない。タイミングを見計らい、メルは自分から話を切り出すことにした。
「あの、ちょっと質問してもいいですか」
「うん、いいよ。なんだい」
エルヴェスタム・デ・エスタンテは宝石のような緑の瞳でメルを見つめた。その瞳の美しさに吸い込まれるような感覚を覚えつつ、メルは続ける。
「今、私たち以外にも大勢の人がここへ迷い込んできているんです。出口を探しても見つからず、皆途方に暮れています。ですが、この場所そのものだと言うあなたなら、出口をご存知なのではありませんか」
メルの投げかけた問いに、エルヴェスタム・デ・エスタンテはゆっくりと首を横に振った。
「知らないのですか」
否定の意味と受け取ったメルはそう尋ねたが、エルヴェスタム・デ・エスタンテは「知らないわけじゃない」と言った。
「ただ出口は、今はもうないよ」
「……」
メルもアーサーもシャーロットも、揃って目を丸くした。
「今はないって、じゃあ昔はあったのか?なんでなくなったんだ」
アーサーがメルの横から尋ねる。それに対し、エルヴェスタム・デ・エスタンテは短く答えた。
「僕が壊したからだ」
「……壊したって」
アーサーは竜へ詰め寄る。
「なんで壊した?」
「なぜって……。出口があったらみんな出て行っちゃうじゃないか」
エルヴェスタム・デ・エスタンテは暗い目をして言った。さっきまで宝石のように煌めいていた深緑の瞳に、どこか暗い影が落ちている。その瞳を見ながら、メルはハッと気がついた。確か館長はこう言っていたはずだ。
「図書迷宮はエルヴェスタムの死後、暴走状態となり、長らく封印状態にあった」と。目の前の黒い竜が図書迷宮そのものだというのなら、暴走状態にあるのは彼自身だ。
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