第21話 遭遇

「メル、何かあったの?」  


 シャーロットが近づいてきて、メルがじっと見つめている右手を心配そうに見やった。


「聞いてきたの」


 メルはたった今起こった出来事を話した。


「文字が連なり文章になって、私の右手に絡みついてきたの。その文章には、『何が知りたい?』と書かれてた」


「試しに何か聞いてみたらどうだ?」


 メルとシャーロットの話を聞いていたのだろう。アーサーが面白半分といった調子で口を挟んだ。


「でも、聞くって何を」


「そりゃあ、出口はどこですかとか」


 アーサーの言葉について少し考えてみてから、メルはおずおずと金の文字たちに向かって話しかけた。


「ここから出る出口がどこにあるのか、知りたいです」


 すると、編まれた糸がほどけるようにして、帯状に連なる文章がメルたちの前に滑り出てきた。それらは短い文章を作り、宙に浮かんだ。


<該当する知識はありません>

 

「ないのか」


 アーサーが少し残念そうに言った。

 すると、シャーロットが「ねえ、これひょっとして、調べ物をするものなんじゃないのかしら」と背伸びして金の文字たちを見つめた。


「でも、出口を聞いても何も出てこなかったわ」


 メルが言うと、「そりゃあね」とシャーロットが言った。


「きっとふさわしい質問じゃなかったのよ。例えばそうね……」


 シャーロットはちょっと考えてから、「うん、これにしましょう」と一人納得したように頷いた。


「竜について教えて」


 するとまた、先ほどのように繭を構成する文字群の中から何文字かが飛び出してきて、三人の前に文章を展開した。今度は何行にもわたって字が書かれている。

 シャーロットはそれを声に出して読んだ。


「竜、またはドラゴン。大きなトカゲのような体に、コウモリに似た翼を生やした生き物。多くの種があるが、ほとんどのものは高い知力・魔力を有する。中には口から炎を吐くものもある。かつては大陸上に分布していたが、今日では絶滅したものと考えられている……」


 そうやってシャーロットが読んでいるうちにも、文章が下の方へどんどん追加されていく。メルもそれにさっと目を通し、この文章が竜という生き物の特徴、生態、種などについて長々説明しているのだとわかった。


「まるで本に書かれている内容みたい」


 さすがに全部を読んではいられないので、途中で読むのを切り上げたシャーロットが、文章の印象を大雑把に述べた。メルはその言葉に「いいえ」と首を横に振った。


「みたいな、じゃない。これは、本に書かれている内容そのものなのよ」


「どういうこと?」


 メルはここへ来る前にアーサーと共に見た、本から文字が実体化して抜け出ていく光景を思い出した。ここにある実体化した金の文字と、あの時に見た光り輝く文字はきっと同一のものなのだ。


「きっとここにあるのは、図書迷宮が外の本から取り込んだ文章、つまり知識」


「外の本から取り込んだ……」


 シャーロットがハッとした表情をする。


「文字の消えた本……。消えた文字はここにあったということ?」


「あくまで、私の推測だけれど」


 メルとシャーロットは、もう一度金のそれを見上げた。相変わらずそれらは美しく煌めいている。


「二人とも」


 アーサーに呼ばれ、メルとシャーロットは我に帰った。見れば、さっきまですぐそばにいたアーサーは身を低くして、二人を手招きしている。


 メルもシャーロットを連れて、身を低くしながらアーサーのそばへ駆け寄った。


「どうしたんですか」


 メルの問いに、アーサーは固い口調で告げた。


「竜だ。こっちに近づいてきてる」


「……」


 メルは耳を澄ました。確かに、翼の羽ばたく音が次第にこちらに近づいてきているのが聞こえる。


「どこにいるの?」


 シャーロットが不安そうにささやいた。

 アーサーは「ちょっと待ってろ」と言うと、登ってきた階段近くへかけより一二段降りて下を見下ろすと、すぐに戻ってきた。


「この大樹の下だ。多分じきにここに来る」


「どうしましょう」


「とにかく、じっとしていよう」


 三人で固く身を寄せ合い、竜が通り過ぎてくれるのをメルたちはじっと待った。どうか大樹に茂る緑の葉々が、三人の姿を竜から覆い隠してくれることを祈りながら。


 やがて、メルたち三人の前に大きな黒い竜が姿を現した。メルたちに腹を見せる形で、竜は力強く上空へ羽ばたいていく。それに少し遅れる形で、竜の翼により巻き起こされた風が、大樹の枝を、葉を、ざわざわと揺らした。風で暴れる自身の銀髪を抑えながら、メルは上空へ飛んでいった竜の姿を、枝々の間から透かし見た。黒い竜の体は、明るいこの空間の中では酷く目立っている。


「気づかれなかったかしら」


 竜が行ったのを見計らってから、シャーロットが再びささやいた。しかし、誰かがそれに答えようと口を開くよりも先に、轟く翼の音とともに、三人の頭上から力強い突風が押し寄せてきた。その風に、大樹はたまらずその身を震わせ、天空に伸ばす枝を激しく揺らした。その上に乗っていたメルたちも、短い悲鳴をあげて振り落とされないように必死に枝にしがみつく。その間にも、メルの耳には何度も何度も翼を羽ばたく大きな音が届いてきた。メルは、枝に掴まる腕の力を抜かないよう気をつけながら、頭上を振り仰いだ。


「あ……」


 思わず声が漏れた。メルの視界いっぱいに、黒い竜がいた。茂った葉でその全体像を見ることはできなかったが、たくましい後ろ足が太い大樹の枝を掴み、空を覆い隠すほどに広がった黒い翼を何度も何度も羽ばたかせていることから、どうも自分の体を落ち着かせる定位置を探っているようだ。


 シャーロットもそれを見たのか、メルの隣で悲鳴を上げかけた。とっさにメルは彼女の口をふさぐ。しかし、ガサガサという音と共に何枚もの葉を散らしながら、黒い大きな竜の頭が葉をかき分けてメルたちのすぐ上に現れた。


 体同様黒い鱗に覆われた竜の頭部。狼のように前へ突き出した鼻と口からは、熱い吐息が漏れだしメルの前髪を揺らす。鼻筋の先にある宝石のような瞳には、美しい深緑の光が灯り、その瞳の中に、メル、アーサー、シャーロットの姿が鏡のように写り込んでいる。


 竜の美しい瞳に見つめられたメルは、体を動かすことができなかった。アーサーとシャーロットも同様らしく、すっかり竦み上がってしまっている。


 竜の方は、翼を動かすのをやめてじっとメルたちを見つめていた。メルはその目から視線をそらすこともできず、高鳴る心臓を無理に押さえつけながらも、自分も真正面から竜と向き合いその深緑の瞳を見据えた。すると、トカゲなどの爬虫類に似た目をしているが、その目からは人間のような知性や理性といったものが感じ取れることにメルは気がついた。


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