第20話 大樹へ

 上を見上げれば、目的地である大樹が悠々とした佇まいでメルたちを見下ろす。一方竜の方はどこへ行ってしまったのか、姿はどこにも見当たらなかった。


「あそこの階段から登っていけば、まっすぐ樹まで辿り着けそうだ」


 アーサーがある一点を指差して言った。


 メルも目を凝らしてアーサーの指差したところを見つめる。それは、メルたちが今いる蔓のすぐ隣の蔓に接している階段だった。その階段は、途中近隣の蔓へ続く分かれ道があるものの、長く上まで伸びていて、まっすぐに行けば大樹まで辿り着けそうだった。


 メルたちは、一旦魔道書が収められた本棚の前まで戻り、隣の蔓へ続く階段を登った。そして、アーサーが言っていた階段まで辿り着く。あとはまっすぐにこの階段を登っていけばいいだけだ。


「こうして見ると、なかなかの長さだわ」


 シャーロットがちょっとばかしうんざりした口調で言った。正直メルも右に同じ気持ちである。


 大樹まで伸びた階段の長さは、下から見上げれば尋常ではない。大樹そのものは大きすぎるあまり、それほど遠くには感じられなかったが、実際の距離はかなりあった。


「二人はここで待ってるか?」


 早くも階段の長さにギョッとなっている二人に、アーサーが冗談めかして言った。シャーロットはすぐに頭をガンガン左右に振った。おかげで隣にいたメルの頬に彼女の金髪がパシパシ当たる。


「行くわ。行くと言ったのだから行く。私は有言実行だもの」


 そう言い放つと、シャーロットは制服のスカートの裾をたくし上げて、階段を上り始めた。メルとアーサーもその後へ続く。


 三人並んで階段を登って行く途中、メルは何度も階段から見える景色に目を奪われた。


 上を見上げても太陽のようなものは見えないが、どこからか振り落ちる光が途中大樹に茂った葉に遮られて、メルたちの頭上へ木漏れ日となって降り注ぐ。柔らかな木漏れ日は緑の巨大な蔓や木製の階段、あちこちから顔を覗かせる本の背表紙を優しく撫でて、時折吹く風に合わせてゆらゆらと揺れる。その度に光の色が絶妙に変化し、メルの視界を鮮やかに彩った。

また、大樹を支える蔓はそのすべてがまっすぐに伸びているのではなかった。中には横向きに伸びつつ徐々に上へ向かっているものもある。そんな蔓の中には、メルたちが登る階段の真上を横切っているものもあった。

 その蔓を見上げて下をくぐり抜けるとき、蔓の間から小さな美しい花が咲き乱れているのが見えた。その花に寄り添うようにして、数冊の書物が入った本棚も顔を覗かせている。


 やがてメルたちは、大樹の根元にまでたどり着いた。今まで登ってきた階段はそこで途切れており、メルたちは落っこちないよう用心しながら大樹の節くれだった根へ飛び移った。


 大樹の根は下から伸びてきている何本もの蔓によって支えられている。蔓たちは糸のように絡まり、大樹が自身の巨体を維持できるように、大きな土台までこしらえていた。大樹はその上に根を張っているといった様子である。


 メルは、上から降り注ぐ木漏れ日に目を細めながら頭上を仰いだ。人間が何十人も手をつないで囲まなければ一周回ってこれないほどの太さの幹には、ほとんどひっつく形で階段が設置されているのが見える。メルたちがこれまで登ってきた階段は幅が広く、三人並んでもまだ幅が余るほどだったが、大樹にある階段は人一人分くらいの狭い幅だ。


「どうする?まず木の周囲を調べてから上へ登ろうか?」


 アーサーの提案に、メルは「そうしましょう」と頷いた。


 足元に気をつけながら、三人でぐるりと木の周囲を回る。竜の気配にも注意を配りながら目を皿にして出口を探したが、それらしきものは木の根元周辺には見つからなかった。ならば上だと、アーサーを先頭に、メル、シャーロットと続いて、大樹の上へ螺旋状に伸びる階段を三人は登って行く。


 幹の部分を登り終えると、今度は大樹の枝が現れた。樹上だというのに落ちるという心配を抱かせないほど、枝は太くがっしりしていて、幅も今まで登ってきた狭い階段とは比べものにならないくらい広い。


 まず、最初に階段から枝へ移ったアーサーが、上を見ながら「なんだ、あれ」とうわ言のような声を漏らした。メルはすぐにアーサーのそばへ行き、彼が見ているものを自分も見た。


「きれい……」


 思わず、率直な感想がメルの口からこぼれた。シャーロットが隣に来る気配がして、彼女もメルたちと同じものを見て「まあ……」と感嘆の声を上げる。


 三人が見上げているのは、大樹の樹冠に抱かれるようにしてある、実体化した美しい金の文字で構成された繭だった。無限の文字がゆったりと流動的にくるくる回って動きながら、丸い形を形成している。一文字一文字が放つ金の光はそれほど強烈なものではなく、優しい、それこそ木漏れ日のような光だった。きらりきらりと、瞬くように煌めきながら、緑の葉に包まれて舞っている。


 なんと美しいのだろうか。そう思いながら、メルはゆっくりと実体化した文字たちに近づいた。天に瞬く星をぎゅっと一箇所に閉じ込めたような、不思議な光源。それにそっと指先を伸ばす。すると文字たちは、メルの指を避けるようにして、ふわっと周囲に散らばった。しかし、すぐに元に戻る。そして文字が連なって文章を作り、それが帯のようになって、メルの伸ばした右手を優しく取り巻いた。メルは自分の右手を取り囲んだ金の文字を読んだ。


<何を知りたい?>


 メルはハッと息を飲んで、手を引っ込めた。引っ込めると、文字は振りほどかれるようにして散らばり、再び繭の中へ戻っていった。

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