第17話 魔道書
「聞き覚えのある話し声が聞こえてきたと思ったらやっぱり!メルもここへ来たのね」
互いの手を取り合って開口一番にシャーロットが叫んだ。
「ええ。光に包まれたと思ったら、ここに来ていて」
「私も一緒!その通りよ。白い光の前に、本から文章みたいなのが出てきているのも見た?」
「ええ、見た」
「やっぱり。他の人もみんなそう言ってることよ」
「他のみんな……。ということはやっぱり、行方不明になった人はみんなここにいるのね」
「ええ、みんないるわ。……あら、あの人はどなた?」
突然走り出したメルを追いかけて、階段を小走りに登ってきているアーサーを見たシャーロットが首を傾げた。メルは振り帰り、「アーサーよ」と答える。
「いつか話したでしょう?図書迷宮を探している男の子」
「ああ!あの子」
やがて、アーサーがメルとシャーロットのところまで追いついたので、メルは改めてシャーロットにアーサーを、アーサーにシャーロットを紹介した。
「彼女はシャーロット・クラプトン。私と同じく王立図書館の図書館司書です」
「初めまして。シャーロット・クラプトンです。以後お見知り置きを」
にっこり微笑んで、シャーロットは友好の印にと右手を差し出した。アーサーは、最初こそ彼女の見事な金の巻き毛と愛らしい顔立ちに面食らっていたようだったが、「ああ、よろしく」と握手を交わした。
それからちょっとばかし照れたように鼻の頭を指でこする。
「いやあ、随分とべっぴんさんがいたもんだ。俺の村にはこんな女の子そうそういないよ」
「あら、お世辞がお上手ですこと」
シャーロットがクスクス笑うと、アーサーは「いや思ったことをそのまま言っただけなんだが……」と少し困り顔だ。
メルはわざとらしくコホンと咳払いをすると、「シャーロット」と声をかけた。
「はい、なあに?メル」
メルはシャーロットの顔をじっと見つめた。シャーロットがいなくなってから三日〜四日経つはずだが、彼女の薔薇色の頬や美しい金髪は少しも変わっていない。いや、わずかにやつれているような気もするが、相変わらず溌溂としていて元気そのものである。
「元気そうね……。食べ物はどうしているの?」
「心配しないで。食べ物はちゃんと食べてるわ。朝、昼、晩とね。まあ、ここにいたんじゃ今が何時なのかもわからないのが難点だけれど」
「ということは、ここには食べ物があるのか?」
アーサーが二人の会話に割って入る。
シャーロットは「そうよ」と頷いた。
「最初は食べる物も水もないし、ここから出る方法もわからないし、どうしようと思っていたのだけれど、幸い食べ物と飲み物を見つけたの。これでゆっくり落ち着いて、ここから出る方法を考えられるわ。まあ、まだ何も算段はついていないのだけれど」
「じゃあ、ここへ来た人達はみんな元気なのね」
「もちろんよ。……小さい子供たちは親を恋しがって泣いてるけれど、今のところ体の健康状態に問題はないはず」
「そう。よかった……」
メルは胸をなでおろした。これで最悪の事態は避けられたわけだ。
「でも、食べ物なんて一体どこにあったの?」
疑問に思ってメルが尋ねると、シャーロットは「それはね……」と内緒話をするようにささやき声になった。
「話してもいいけど……見た方が早いわね。こっちよ」
シャーロットが身を翻して手招きするので、メルとアーサーは彼女の後ろへついて、再び階段を上り始めた。
シャーロットはしばらく階段を上った後、蔓の間の本棚へと続く階段に二人を案内した。
短い階段を上った先には、複雑に絡んだ蔓の間から覗く本棚がある。本棚の下には別の蔓でできた足場があって、その足場は螺旋を描くようにして太い蔓の後ろの方へ伸びている。
メルはシャーロットに続いて、階段が接触している蔓でできた足場へ足を下ろした。思いの外しっかりしていて道幅も広いので、よほどのことがない限り下に落ちずに済みそうだ。だがやっぱり下を見れば怖いので、メルは目の前の本棚を見つめることにした。
本棚は人二人が並べるほどの幅で、高さはメルの頭より一つ上くらい。棚には隙間なく本が並べられている。
食べ物のあるという場所に向かう途中ではあったが、ここにある本はどういう本なのかどうしても気になったメルは、棚から適当な本を一冊手に取ってみた。手に取った本は古く分厚い本で、腕にずっしりとした重みが伝わってくる。表紙には複雑な紋章のようなものが書かれていたが、題名のようなものは書かれていなかった。
「これって、開けても大丈夫なもの?」
不安になってシャーロットに尋ねる。シャーロットは「大丈夫よ」と請け合った。
「私も何冊か気になって中を見てみたけど、なにも起こらなかったわ」
そこでメルは、恐る恐る本を開いてみた。古びた紙には、表紙にあるような複雑な紋章が黒いインクでたくさん書かれていた。そばに字も書かれてあるが、走り書きのような感じで正しく読み取ることができない。
「これ……。魔道書?」
書かれた複雑な紋章が、一定の魔法を発動するためのものだと察したメルは、これが何について書かれた本なのかがわかった。
隣からアーサーが興味深そうに覗き込んできて、「おお」と声を上げる。
「ここにあるのは、ほとんどが魔道書みたいなの」
シャーロットが声をかける。メルは本から顔を上げてシャーロットへ向き直った。
「ほとんどが?」
「そうよ。ここにいても何もすることないから、目に止まった本を片っ端から読んでみてわかったの。まあ、ここにあるすべての本を見たわけじゃないから、一概にそうとは言い切れないけれどね。けど、少なくとも百冊か二百冊以上はあるはずよ」
「二百……」
魔道書とは、魔法を使うための指南書のようなものだ。その存在自体は特別珍しいものではない。王立図書館にも何十冊も保管されている。メルが驚いたのはその量だ。国中に現存している魔道書を集めたって、二百冊には届かないだろう。魔法が盛んだったという古の時代の頃は、何万冊もの魔道書が存在していたらしいが、現在まで残っているのはそのうちのわずかな量だけだ。それ以外は全て、燃えたり、水害にあったりして大昔に失われているはずだった。だが……。
「ずっと、ここにあったんだわ。図書迷宮に、ずっと保管されていた……」
メルはその事実に震えながら、手に持っていた魔道書を元の位置へ戻した。
「ひょっとしたら、ここにはとっくの昔に失われたと思われてた本が、魔道書以外にもいっぱいあるのかもな」
アーサーが、上へ伸びる蔓を見上げながらつぶやいた。
「じいちゃんは言ってた。図書迷宮には、幾億もの本があり、幾億もの知識が詰め込まれているって。これも本当のことだったんだ」
「図書迷宮」
アーサーの言葉にシャーロットが反応した。
「薄々そうなんじゃないかと思っていたけれど、やっぱりここが図書迷宮だったのね……」
三人は、この魔法で作られたという不思議な空間を改めて感慨深げに見渡した。
どこまでも広がる青い空の中。無数の巨大な蔓と、その上にある大樹が織り成す不可思議な空間。壮大で、幻想的で、人智をはるかに超越した場所。こんな場所を、自身の魔法で作り上げたというシーグリッド・エルヴェスタムという名の魔女。彼女は一体、どんな人物だったのだろうか。そして何のために、この場所を作ったのだろう。
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