第16話 笑顔
二人はどんどん上へ登って行った。メルからすればどうしても蔓の間から覗く本棚に目がいってしまうが、今は人を探すことが優先事項だ。
「あ、そうそう。お腹が空いたら言えよ。さっき食べてたリンゴ、まだ二つ残ってるから」
前を行くアーサーが振り返りながら、大きく膨らんだズボンのポケットをポンポンと叩いた。
「はい」
メルは返事をしながら、ふと嫌な予感が頭によぎるのを感じた。その考えに囚われて、次の段差にかけようとしていた足が止まる。メルが止まったことに気づき、アーサーも足を止めた。
「どうした?お腹でも痛い?」
「いえ。大丈夫です。体調が悪いんじゃありません」
「……?」
メルは頭に浮かんだ悪い想像を、ゆっくりと言葉にして吐き出した。
「……ここって、食べ物ないですよね」
「あ……」
メルの言おうとしていることがわかったのか、アーサーは顔を強張らせた。二人の間にしばしの間重い沈黙が漂う。
「私たちの食糧も心配ですけど、先にここへ来ているはずの人たちは大丈夫なんでしょうか……。最初に行方不明者が出てから三日、いえ四日は経っています」
「四日くらいなら……まあ、なんとか持ちこたえてるんじゃないか」
アーサーが自身なさげに言うが、問題はそれだけじゃない。
突然のことに頭から抜けていたが、ここへ来る直前にも考えたことだ。図書迷宮に迷い込んでいるはずの行方不明者たちが誰一人帰っていないということは、ここから出られない、もしくは出る方法がわからないということだ。つまり、もしこのままここへ閉じ込められて出られなかったら……。想像するのも恐ろしいが、待っているのは餓死だ。何としてでもここから出る方法を見つけるしかない。もちろんここにいるはずの行方不明者たちも連れて。
メルはアーサーの顔を見て、彼の祖父が図書迷宮へ一度来ていることを思い出した。それで一縷の望みをかけて彼に尋ねる。
「あの、お爺様は何か言っていませんでしたか?ここから出る方法とか」
「いや、特に言ってなかった」
アーサーはあっさりと首を横に振った。希望を打ち砕かれたメルはがっくりと肩を落とす。
「どうしましょう……」
「まあ、何とかなるだろ」
「なりませんよ!どうしてそう楽観的なんです。このまま行けば餓死ですよ。餓死。飢えて死ぬんです」
あまりに楽観的なアーサーの言葉に半分呆れながらメルは叫んだ。そんなメルを落ち着かせるように、アーサーは「待った待った」と両手をあたふたさせる。
「考えてみろよ。俺のじいちゃんはちゃんと生きて帰ってこれてる。ということは、必ず出口があるはずだ。ここにいるはずの行方不明になった人たちと、手分けして探す。そしたらすぐ見つかるさ」
「すぐに見つかるのなら、どうして行方不明者は誰も帰って来てないんですか」
「ぐ……」
痛いところを突かれて、アーサーは口ごもった。
「はぁ……」
メルは肩を落として階段の上に座り込む。行方不明者たちを探すという方針を変更する気はないが、今は元気が出ない。最悪ここに閉じ込められて餓死なんて、考えただけで気が滅入ってくる。祖父が帰って来ているのだから、必ずどこかに出口はあるはずだというアーサーの言い分も最もではあるが……。
隣にアーサーが座る気配がして、メルは顔を上げた。アーサーの表情は自分のように暗く沈んではいなくて、悲観的な自分がちょっとだけ情けなく思えた。アーサーはメルを気遣うような目をしながら、静かな口調で語りかける。
「メル。気持ちはわかるけど、今できることをしよう」
「今できること……行方不明になった人を探すこと?」
「それだよ。さっき決めたことだ。とにかくそれをやろう。な?」
アーサーはメルを元気づけるようにして微笑んだ。出会った時から彼が時折見せていた、人懐っこくて純真な子供のような無邪気な笑みだ。心がポカポカと温められるような、太陽の色をした花がパッと咲いたような、そんな笑顔。状況は何も変わってないが、その笑顔を見ると不思議と心が落ち着いてくるのを感じた。
メルはコクリと無言でそれに頷く。それを見てメルが少し元気を取り戻してきたことに気がついたのか、アーサーは「よし」と膝を叩いて立ち上がった。
「それじゃあ、気を取り直して出発しよう」
メルの前に、アーサーの手が差し伸べられる。メルは迷いなくその手を取った。白い光に包まれた時に思わず掴んだ時もそうだったが、アーサーの手に触れると少し安心した。心に張り付いた不安が温められて薄れるような、そんな気持ち。
立ち上がる途中、メルの蒼色の目とアーサーのハシバミ色の目が合う。恥ずかしくてメルはすぐに反らしてしまったが、綺麗な目だと思った。
その時、二人の頭上から「メル!」と叫ぶ聞き覚えのある声が降ってきた。メルは驚いて声の出所を探ろうと上を仰ぎ見る。すると、斜め上に浮く階段の上を、キラキラした金色の何かが走っていることに気がついた。
「あれは……女の子?」
メルと同じものを見つけたアーサーが小首を傾げる。
その金色の何かは、髪の毛だった。くるくるとした金の巻き毛。キラキラ輝いて、元気に彼女の背中で跳ねている。あれは……。
「シャーロット!!」
嬉しさのあまり、メルも駆け出した。高いところにいるという怖さも忘れて階段を駆け上る。向こうもこちらへ向かって階段を降りてきているので、二人はすぐに手を取り合うこととなった。
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