第15話 図書迷宮
握りしめたアーサーの手の感触を確かめながら、メルはゆっくりと目を開いた。先ほどの眩い光がまだ視界の中に残っていたが、次第にそれも取れて、周囲を視認できるようになる。そうやって周囲を見渡したメルは、自分が今いる空間を見て唖然とした。驚きのあまり声も出ない。隣のアーサーも同様らしく、突っ立ったまま動かず、目の前の景色を見て呆然としている。
二人が今見ている景色は、これまでで一度も目にしたことのないものだった。
少なくとも建物の中ではないだろう。だが同時に、海でも山でも草原でもない。眼前に広がるのは、現実ではありえないような形態をなしたもの。二人の頭上はるか上。城のように聳え立つのは、樹齢何千年かと思われるような大樹。その大樹の節くれだった根に絡みついて大木を支えるのは、太い蔓のような無数の植物。蔓は、大樹に至るまでの道筋の途中で何本かに枝分れており、あちこちで複雑に絡み合ってさらに大きく太い柱のような蔓を作り上げている。絡み合う蔓の間間には、半分埋もれるようにして本のぎっしり詰まった本棚が覗いている。そうした本棚へ自由に行き来するためのものか、蔓と蔓の空いた空間にはいくつもの木製の階段が設えられている。その階段の一つ一つは、すべてが宙に浮いていた。
今、二人が立つ場所もそんな階段のうちの一つだった。ちょうど踊り場に立っていたので、目の前の景色にびっくりして階段から足を踏み外す心配はない。
メルは、はるか上に伸びる茎の先を見つめた。先ほど述べた通り、その先にあるのは城のように聳え立つ大樹。よくよく目を凝らすと、その大樹の枝にも本棚のようなものが見える。壮大で美しい、人智を超えた不可思議な光景だった。
「ここが、
大樹を首が痛くなるまで見上げていたメルの隣で、アーサーが呟いた。
メルは大樹から目をそらしてアーサーの横顔を見る。
アーサーのハシバミ色の目は大きく見開かれ、親から思わぬプレゼントをもらってはしゃぐ子供のように、頬が紅潮していた。
「じいちゃんが言っていたのとそっくり同じだ……。本当にあった。あったんだよ。じいちゃん!」
「……」
感動して声を上げるアーサーの隣で、メルは恐る恐る足を踏み出した。踊り場の端まで歩き、手すりに手をかけて、改めてこの驚くべき景色を観察する。下を覗き込んでみると、上と同様に緑の茎と本棚がずっと下へ続いているのが見えた。それがどこまで下へ続いているのかは見当もつかない。そもそも底があるのかどうか。無限に続くかのように見える茎の下層部を見て、メルは少し怖くなった。もともと高いところは苦手だ。震える足に力を込めて、後ろへゆっくりとあとずさる。
「大丈夫か?」
アーサーが心配して声をかけてきた。メルは、ちょっぴり強がって「平気です」と答える。
「そうか?……ならいいんだが」
今度はアーサーがメルと入れ替わるようにして、踊り場の手すりから身を乗り出した。頭上に広がる大樹を仰ぎ、それから下を覗き込む。
「こりゃ一体どうなってるんだ。そもそもこの茎どこから生えてるんだ?」
「……あの、そんなに体を乗り出すと危ないですよ」
危なっかしく手すりから身を乗り出すアーサーを見かねて、メルは思わず注意の声を上げる。なんだか子供に注意してるみたいだ。
「大丈夫だよ、これくらいなら」
そう言いつつもメルがハラハラしているのに気をつかってくれたのか、アーサーはすぐに体を引っ込めた。それを見て内心ホッとしたメルは、自分もアーサーの隣へと並び立つ。
その時、どこからか柔らかな風が吹いてきた。メルの銀の髪とアーサーの赤い髪をさわさわと揺らして、風はどこかへと吹き抜けていく。
「風があるんだな」
心地よい風に目を細めながらアーサーが言った。メルは「そのようですね」と頷く。
本当に不思議なところだ。古の魔女が自身の魔法で作り出した空間、という館長の言葉にも納得がいくというものだ。“魔法”でなければ、このような不可思議な場所の説明がつかない。それに、さっき本から文字が実体化して飛び出してきたのも。
「見た所人影はないようだけど、行方不明になった人たちは本当にここにいるのかな」
アーサーが周囲をぐるりと見渡しながらメルに尋ねてきた。メルもあたりの様子を伺ってみるが、見渡す限り自分たち以外に人はいないようだった。だがいないことはないはずだ。メルは自分の考えを述べてみる。
「いると思います。現に私たちは、さっきの白い光に包まれてここへ来ました。行方不明になっている人たちもきっと同様の目に遭い、ここへ来ているはずです。でないと、行方不明事件の説明がつきません」
メルの言葉に、アーサーも真面目な顔をして頷いた。
「確かに。メルの言う通りだ。……いないのは、きっとこの近くにいないだけなんだろう。……となれば」
アーサーはうーんと元気よく背伸びをして、「よし」と腰に手を当てる。
「探しに行くべきだな。ここでじっとしているわけにもいかないし」
「そうですね」
メルもアーサーの意見に賛同する。ここでじっとしていても何も始まらないのは考えるよりも明らかなのだから、前へ進むべきだ。
「では、手始めにどの方向へ進みましょうか」
メルがそう言ったのは、二人が今いる踊り場を起点として、左右に登る階段と下に降りる階段に道が分かれていたためだ。
アーサーは迷いなく「下はなしだな」とメルの問いに答えた。
「俺なら下じゃなくて上へ登る。あの大樹も気になるし。で、右か左かで言うと……メルならどっちへ進む?」
「……左で」
「よし、じゃあ左だ」
そう言うと、アーサーは左側の階段を意気揚々と登り始めた。メルもそのあとへ続く。できるだけ下を見ないように、手すりを持ちながら慎重に……。
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