第14話 文字と光
道中でアーサーの持っていたリンゴで腹を満たしつつ、メルがアーサーを連れて図書館に戻ると、皆は館長の指示通り図書迷宮の鍵を探している様子だった。
本棚の間を忙しなく行き交う図書司書たちの姿が見え、その中の一人がメルに気づいて「あっ」と声をかけようとしてきたが、まだ恥ずかしかったメルはアーサーの手を強引に引っ張ってその場から離れる。
「どうしたんだ?」
人気のないところへ移動したメルに、アーサーが不思議そうな顔で問いかけた。メルは「別になんでもないです」と固い口調で告げる。
「それよりも、私たちも早く歯車の絵が描かれた本を探しましょう。さっきどこで見たのかわからないと言いましたが、大雑把な場所だけでもわかりませんか?」
メルの言葉にアーサーはしばし考え込んだ。
「確か、あの時俺はどっかの書庫で図書迷宮を探してて、結局一番奥までたどり着いたんだ。それから、行き止まりになった壁に沿って右側に歩いて行って、角っこに来たところで、引き返してきたんだ。引き返す途中であの本を見つけた」
「どこの書庫かわかりますか?」
「ちょっと待ってくれよ」
そう言うと、アーサーはキョロキョロしながらどこかへ歩き出した。メルもそのあとを追う。
「確か、あの日はこっちに歩いて行って……。それからどっちに行ったっけ。ああ、そうだ、多分こっちだ」
当時の記憶を手繰り寄せながら、アーサーは迷いつつも図書館の奥へ奥へと進んでいく。
「思い出してきましたか?」
「ああ、多分な。見たら思い出してきた。あっ」
短く声を上げると、アーサーは館内に設置してある案内板の方へ駆け寄って行った。
案内板には今いる一階部分の簡単な地図が書かれている。現在地と各区画の番号と、どこにどのジャンルの本が置いてあるのかがわかりやすく書いてあるので、来館客はこれを頼りに本を探す。
「確か、この地図を見てどこの書庫へ行くか決めたんだ。……これだ」
そう言って指差したのは、十五区画にある書庫だった。
「この書庫へ入った」
「わかりました。行きましょう」
*
十五区画の書庫は、一階部分では最奥部に位置している。他の奥の書庫も同様だが、ここに置かれている本は貸し出し用ではなく、貴重な資料として保管されているものばかりだ。どの本も古びていて、かなり年季の入ったものだということが黄ばんだ紙をみればすぐにわかる。そのような本ばかりが置かれたここは、どこか埃っぽくて薄暗く、陰気ですらある。しかしその陰気な雰囲気が、この場所が古の叡智が眠る、どこか怪しげで人を寄せ付けない神秘的な空間であるということを示していた。
屹立する本棚は、はるか昔に滅びた文明が残した神殿を支える柱の如く、床を歩く少年と少女を超然と見下ろす。棚に詰まった無数の本は、時が止まったかのように身動き一つせず、静かな眠りについている。また誰かの目に止まるのを待ちながら。
「ここで行き止まりですね」
黙々と書庫の奥へ奥へと歩き続けていたメルとアーサーの前に、行き止まりであることを示す白い壁が現れた。
アーサーは前に進み出ると、壁に右手のひらを押し当てた。
「こうやって壁に触ったんだ。そして、触ったまま、こう、なぞるようにして、右側へ移動した」
メルに話しながら、アーサーは言葉通りに動いた。
二人は行き止まりの壁に沿って、まだ右側にずっと続く棚を尻目に右へ右へと歩いて行く。やがて、壁と壁が垂直に接した角まで来た。
「ここまで来たら、多分すぐだ」
言いながらアーサーは壁に背を向ける。後ろには、本棚の間に長く伸びた通路がある。
「この筋にあるということですか?」
「ああ」
頷き、アーサーはその通路へ足を踏み入れた。
「確か、右側だった。入りきらなくて、一冊だけ棚から飛び出した本があるんだ。それが鍵だ」
「右を見ていればいいんですね」
二人は、ずっと右側の棚を凝視しながら歩いて行った。しかし、行けども行けども棚からはみ出た本は見つからない。
「おかしいな……。そんなに歩かないうちに見つけたはずなんだが」
途中、アーサーが足を止めた。後ろを歩いていたメルは彼にぶつかりそうになる。
たたらを踏みながら、メルは「もうすでに他の司書が見つけたんでしょうか」と声をかける。
それに何か言葉を返そうとアーサーが口を開きかけた時、二人の周囲で不思議なことが起こった。突然、周囲の本が淡い光を放ち始めたのだ。
「な、何だ」
「これは……?」
よく見ると、本そのものが輝いているのではなかった。本の中から、光が漏れ出しているのだ。やがてその光とともに、本の中から何かがするすると出てきた。それは、金色の光を発する帯状のものだった。それがあちこちの本から幾筋も出てくる。
「まさか……」
帯の正体を悟ったメルは、目を見開いた。
「これ、文だわ……、文章が実体化してる」
帯は、幾つかの塊から構成されていた。その塊というのが、よく見ると文字だったのだ。一文字一文字が連なり、意味のある言葉を綴っている。本から出てきた光輝くその物体は、文章が実体化したものだった。
メルは、ちょうど自身の目の前を通り過ぎていった文章を声に出して読んだ。
「1433年。メルス大陸南東の島にて新種の鳥を発見。発見した自分の名にちなんで……」
アーサーもメルと同じように、目に付いた文章を読む。
「この理論に従えば我々の発見したこの事象は次のように説明することができ……」
メルはハッとして、手近にあった本を一冊棚から抜き取った。その本からも、文章が実体化したものがスルスルと出てきている。中を開くと、黒いインクで描かれているはずの文字が一つ一つ発光しており、紙から一文ずつのまとまりで剥がれ、外へ飛び出していた。
「図書迷宮は際限なく知識を吸収しようとする……」
メルは館長の言っていた言葉を暗唱した。アーサーが「え?どういうこと」と怪訝な顔をする。メルは言葉を続けた。
「その働きによって、本の文字が消失するという現象が起きていると館長は言っていました。今、図書迷宮がここにある本から知識を吸収しているんです。つまり、本に書かれた文字を、内容そのものを取り込んでる。だから、文字が本から消えた」
「そんなことが……」
メルとアーサーは、自分たちを取り巻くいくつもの光の帯を見つめた。 キラキラと煌めいて、薄暗い書庫をほんのりと明るく照らしながら、紙から飛び出した文字たちは同じ方向に向かってゆっくりと移動している。幻想的な美しい光景ではあったが、いつまでも見ているわけにはいかないと、メルは気を取り直した。
棚から出した本を元の場所へ返し、アーサーに言う。
「早くこれを止めないと、大切な知識が失われてしまいます」
「でも、どうやって」
「それは、やっぱり図書迷宮を封印するしか」
「でも、図書迷宮には行方不明になった人がいるんだろう。まずはその人たちを救出するのが先じゃないのか。あれ、でもどう救出したらいいんだ」
アーサーは、自分で言って自分で首を傾げた。
メルも「それは」と口をつぐむ。
館長の推測が正しければ、行方不明者は図書迷宮にいるはず。そして彼らは誰一人として帰ってきていない。それはつまり、図書迷宮から出る方法がわからない、もしくは出られないということではないのか。では、仮に救出しに図書迷宮へ入ったとしても意味をなさないではないか。救出しに行った自分たちも外へ出られないのだから。
メルがそこまで考えたとき、急に目の前が真っ白になった。どこかから強烈な光が差してきてメルの目に突き刺さり、ろくに目も開けていられなくなる。
「メル!?」
「アーサー!」
互いの居場所もわからなくなり、メルとアーサーは白い光に包まれながら互いの名を呼んだ。
メルが手を前に伸ばすと、その指先に誰かの手が当たった。きっとアーサーだ。見失わないように、メルはその手を掴む。
そして、白い光が突如収縮した。
光に邪魔されなくなり、メルは閉じた目を開く。するとそこには、見たこともない景色が広がっていた。
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