第13話 再会

「そんな簡単にいくわけないか……」


 市場の開かれた大通りの真ん中で、メルは小さなため息をこぼした。


 王立図書館の周囲の宿屋を片っ端から訪ねてアーサーを探す。そう息巻いたものの、図書館周辺の宿屋の数は大小問わず数えれば思ったよりはるかに多く、元々体力のないメルはすぐにへたってしまった。おまけにメルは人と話すのが不得手なのだ。入ったこともない宿の扉を開いて、初対面の気難しげな顔をした宿主に会い、アーサー・ウォルホードという名前の男はいないかと尋ねる。宿主は大抵知らないと答え、傘も持たず雨にぐっしょりと濡れるメルを不審げな目でちらりと見やる。これだけでも随分気力を使ってしまった。


 さらに一度、メルは宿屋と間違えて随分とガラの悪い連中のたむろする居酒屋に入ってしまった。体に入れ墨を入れた目つきの悪い男たちに睨まれ、メルは半泣きで居酒屋から飛び出す羽目になったのだ。おかげですっかり気分が滅入ってしまった。やはり最初に思ったとおり、広い王都から人一人を自分だけの力で探すのは並大抵のことではなかった。


「おーい、そこのお嬢さん。ため息なんかついてどうしたどうした?うちの林檎でも食べて、元気でも出しな」


 ちょうど前を通りかかった果物屋の男が、メルに目をつけて声をかけてきた。メルはちらりと、男の手に握られた丸くツヤツヤした林檎に目を向ける。途端、メルのお腹がぐるぐるとなった。買おうかと思ったが、図書館の事務室に財布の入っている鞄を置いてきたのを思い出して、メルは首をふるふると横に振り、その場から逃げるようにして駆け出した。


 しばらく小走りに移動したメルは、軒が張り出した雨宿りのできる場所を見つけて、そこへ駆け込んだ。


 そうしてなかなか止みそうにない雨を眺めながら、メルはなんだか自分が惨めな生き物になったような気分になった。


 大勢の人の前で男性の名前を叫んで注目を浴びてしまうし、その恥ずかしさに耐えきれなくなり荷物も持たずに職場から飛び出してしまうし、傘も持たずに雨の街を宿屋を訪ねてウロウロするし。端から見たら絶対変な人だろう。まだ勤務時間だから図書館に戻るべきなのだろうが、戻るのも恥ずかしくてそれもできない。家に帰り、仕事が早く終わったと嘘をついても、きっと勘の鋭い祖母には何かあったと見抜かれるだろう。


 メルはどうしたものかと頭を抱え込みたくなった。そもそも、なぜ自分はアーサーの名前を声に出して叫んでしまったのか。あんなの皆の注目を集めること間違いなしではないか。叫ぶのは心の中だけにしろと、メルはついさっきの自分を恨みがましく思う。


「私の馬鹿……」


 吐き出したメルの声は、雨音に混じってすぐに消える。しかし、誰かがその声を拾いあげた。


「誰が馬鹿って?」


 いつの間にか、メルの頭上に傘の影が投げかけられていた。はっと顔を上げると、目立つ赤毛が真っ先に目に飛び込んできた。


「……アーサー」


 傘を差し掛けて、片手に林檎の詰まった紙袋を持ったアーサーが、不思議そうな顔をしてメルの顔を覗き込んでいた。


 探していた人物に会えた驚きに一瞬固まったメルだったが、対するアーサーも

「ん?」という顔をする。


「君、俺のこと名前で呼んでたっけ」


「え?」

 

 指摘されてみると、確かに彼のことをウォルホードさんではなくアーサーと呼んでいたことに気づく。


「……そういえば、そうですね」


「気付いてなかったの」


「そうみたいです」


 メルは真面目くさった顔で答えた。それを見て、アーサーはおかしそうに笑う。


「メルさんは面白いな」


「……メルでいいですよ」


「じゃあ、メル」


 アーサーはそう呼ぶと、メルに尋ねた。


「こんなところで何やってんの?仕事は?ああ、図書館は休館なのか」


「休館中ですけど、仕事はあります」


「おお、ひょっとしてサボり?なかなかやるね。俺も村の学校に行ってた頃は、よくサボってたなあ」


 懐かしそうな目をして、アーサーはにししと笑う。メルは「別にサボってません」とムッとした。


「どうしても伝えなければいけないことがあって、あなたを探してたんです」


「俺を?」


 意外そうにアーサーは目を丸くする。


「そんなびしょびしょになって?」


「急いで飛び出したので、傘を置いてきてしまいました」


「あわてんぼうだなあ」


「いいから、聞いてください」


「わかったよ」


 そう言うと、アーサーは傘をたたんでメルの隣へ並んだ。


「何?」


メルは息を吸い込んでから、隣に来たアーサーの目を真っ直ぐに見つめた。そして告げた。


「あなたの探している図書迷宮は、実在します」


「……」


 前置きも何もなしに言ったので、アーサーはしばしの間、間の抜けた顔をメルへ向けてきた。完全にきょとんとした目をしている。やけに石畳を打つ雨音が耳に響いた。そして一拍間を置いてから、アーサーはやっと口を開いた。


「え、ど、つまりどういうこと?」


「伝えた通りです。図書迷宮は実在します。あなたのお爺様の言っておられたことは本当のことだったんです。それが、たった今わかったんです」


「図書迷宮がある?」


 メルは力強く頷いた。続いて、館長から聞いた話をアーサーへ伝える。


「はい。館長の発言なので、きっと確かです。図書迷宮は通称で、正式名称は魔女の本棚エルヴェスタム・デ・エスタンテ。昔実在したシーグリッド・エルヴェスタムという魔女が、自身の魔法で作り出した空間。それが魔女の本棚であり、図書迷宮なんです。図書迷宮は、魔女の死後暴走状態になり、長い間封印されていたらしいのですが、現在その封印は解かれているみたいです。そのせいで、行方不明事件を始めおかしな事件が起きているんです。そして、図書迷宮の封印を施す鍵は、本の形をしていて、ちょうど真ん中のページに歯車の絵が描かれているんだそうです」


アーサーはメルの話を驚いた表情で聞き入っていた。しかし、封印を施すという鍵の話になると、にわかに表情を強張らせた。


「歯車……。それって」


 アーサーが目を見開く。メルは頷いた。


「はい。あなたが先日私に尋ねてきた本のことです」


 アーサーは視線を足元に落とした。それから、思いつめた表情でメルの方へ向き直る。


「たぶん、俺が封印を解いたんだ」


「たぶん?」


「意図して封印を解いたんじゃない」


「それは、なんとなくそうだとは思っていましたけど。やっぱり、本を、鍵を見つけていたんですね」


「ああ。でも、見つけたのはたまたまで、あの本がどういうものなのかは全然知らなかった。あの時メルに本のことを聞いたのは、あまりにもあの本のことが不思議で、図書司書のメルなら何か知っているんじゃないかと思ったからだ」


 メルはアーサーにゆっくりと尋ねた。


「本を——鍵を見つけた時、何かあったんですか?」


「ああ。あった。……中を見ると、知らない言語が書かれていて、真ん中あたりのページに来ると、綺麗な歯車の絵が描かれていた。あんまりにも綺麗な絵だったから魅入っていると、いきなり紙に描かれた歯車が回転しだしたんだ。それに驚いて俺は本を落っことした。そしたら、大きな古い扉が開く時に出すような、ギイィィィって音が聞こえてきて。怖くなった俺は本を棚に返して、その場から逃げた」


 アーサーが話し終えると、会話が途切れ、その沈黙を埋めるように雨の音が二人の間に鳴り響いた。やがて真剣な表情をしたメルがゆっくりと口を開く。


「図書迷宮の扉が開いた。館長は、そうおっしゃっていました」


「扉?」


「あなたが聞いたという扉の開く音。それは、図書迷宮の封印が解けた証だったのではないでしょうか」


「じゃあやっぱり、俺が図書迷宮の封印を解いていたんだな」


 そう言ってから、アーサーはハッと目を見開いた。


「なあ、さっき、封印が解かれたせいで、行方不明事件とかおかしなことが起きてるって言ってたけど、それはどういうことなんだ」


「館長の受け売りですけど、行方不明者は図書迷宮に迷い込んでいる可能性が高いです。それと、これはあなたに言ってませんでしたが、最近図書館の本の中から文字がごっそり消えるという事件が起こっていて……。たぶんこれも、図書迷宮の影響によるものだと考えられます」


「なんてこった」


 うめき声をあげて、アーサーは地面にしゃがみ込んだ。赤毛をくしゃくしゃと掻きむしってうなだれる。


「ほとんど俺のせいじゃないか。行方不明者がたくさん出たのも、図書館が休館に追い込まれたのも」


 アーサーの目線に合わせるように、メルもしゃがみこんだ。


「アーサー、今は自分を責めている場合じゃありません。今すぐ封印の鍵となっている本を探しに行きましょう。本の場所を知っているのは、一度見つけているあなただけ。あなたの力が必要なんです」


 だがしかし、アーサーは「いや、それが」と急に歯切れ悪くなった。


「どうしました?」


「実は、場所覚えてないんだ。本を見つけた場所の」


「……」


 メルは目をパチクリした。本の場所を知っているアーサーと図書館に戻り、速やかに本を見つけ、行方不明になった人を救出して図書迷宮を封印する。頭に思い描いていた筋書きが崩れさる。だが、アーサーを責める気にはなれなかった。


 アーサーは、申し訳なさそうにぎゅっと目を瞑って謝る。


「本当にすまん。けど、探すのには協力する。これは俺が招いた事態だ。図書迷宮が本当にあったのは嬉しいけれど、その存在のせいで図書館が大変なことになっているのなら、図書迷宮を封印するのを手伝う。いや、手伝わせてくれ」


 アーサーの真摯な申し出に、メルは「もちろんです」と頷いた。断る理由などどこにもない。


「一緒に、図書館へ戻りましょう」

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