第10話 アーサー・ウォルホード
あれからメルは、へとへとになるまで図書館中をくまなく探したが、結局子供が見つかることはなかった。
カウンター近くで待っていた母親に、「申し訳ありません」とメルは頭を下げる。
「探す人数も増やして、図書館の外も探したのですが、見つかりませんでした」
「そうですか……」
そう答える母親も元気がない。
顔を上げて、メルは受付カウンター前に群がる人々を見やった。そこにいる人々も、メルの目の前にいる母親同様子供を図書館で見失った親たちだった。皆子供がいなくなったと、受付に殺到しているのだ。そして、それとは逆に親とはぐれてしまった子供たちの姿もある。その子達の親も見つからないのだ。子供たちは半泣きで、大人は皆自分の子供の行方を気にして不安そうな顔を並べている。
はっきり言ってこれは異常事態だ。たった1日でこんなに迷子が出たことなど、メルの経験では一度もなかったことだ。そしてそれ以上におかしいのは、どれだけ探しても見つからないということだ。一人くらい見つかってもいいはずだが、今日受付カウンターに持ち込まれた迷子の案件で解決できたものは一つもない。それどころか、迷子を捜しに行った職員まで帰ってこないという始末だ。保護された迷子達の親も見つからないし、もはやこれは図書館司書だけで解決できる問題ではなくなっていた。
「みなさん、この件については町の警吏の方へ捜索依頼を出します」
カウンターの方で、図書司書の一人が慌ただしい声で人々に向かって叫んでいる。確かにそうした方がいいだろうとメルも内心頷いた。正直、迷子の捜索にてんてこまいになって、図書館の通常業務もろくにこなせていない状態だ。
いつの間にか、メルが担当していた母親も人々の群れの中に加わり、捜索依頼の件について詳しく話を聞いているようだった。もうこれ以上この件について自分ができることはないだろうと思いながら、メルは壁に取り付けられている大時計を見やった。現在の時刻は三時。あと二時間で閉館時間だが、それまでにこの事態の収拾はついているだろうか。
メルの脳裏に、ふわりとシャーロットの顔が浮かぶ。彼女の姿が昼前からずっと見当たらないのも、今の出来事と関係があるのかもしれない。
昨日といい今日といい、前代未聞の出来事ばかりでメルはもうどうしたら良いのかわからなかった。それに、文字の消えた件について詳しい調査をしておくと言っていた館長は、この大変な時に一体何をしているのだろうか……。
「なあ、司書さん」
その時、ふらっと近づいてきた同い年くらいの少年に突然声をかけられたメルは、びっくりして「きゃっ」と飛び上がった。色々と考え事をしていたせいで、全然周りを見ていなかったのだ。
「うわっ。なんかごめん」
飛び上がったメルに向こうも驚いたのか、少年——燃えるような赤毛をした少年が一歩身を引いて謝る。
図書迷宮を探しているあの少年だと気付いたメルは、「あ、えっと、こちらこそごめんなさい」と慌てて頭を下げた。それから顔を上げて、「その……えっと」とぎこちなくつぶやく。すると少年が、ニッと人懐っこい笑顔を浮かべながらメルの方へ右手を差し出してきた。
「アーサー」
「え?」
「まだ言ってなかったよな、俺の名前。アーサー・ウォルホード。気軽にアーサーと呼んでくれ」
「は、はあ」
きょとんとしながらも、メルは差し出された彼の、アーサーの右手を握って軽く握手する。それから自分も名乗った。
「あの、私はメル・アボットと言います」
「そっか。よろしく、メルさん」
「メルさん……」
「なあ、ところでなんだけど、これ一体何の騒ぎ?」
アーサーは受付カウンター前の人々の方へ視線を送りながらメルに尋ねた。話しかけてきたのも多分これを聞きたかったからなのだろうと思いながら、メルは答える。
「迷子が……行方不明者が多数出てるんです」
「行方不明者が?」
「はい。どこを探しても見つからなくて、警吏に捜索依頼を出そうとしているところです」
「そんなことが……」
メルは少し俯いた。それから小さく告げる。
「私の友人も、今日の昼前から姿を見てないんです」
「その子も行方不明ということか?」
「たぶん……」
メルの話を聞きながら、アーサーは腕を組んで何かを考えている様子だった。随分と真剣な顔をしているので、メルは何だか声をかけづらくなる。それでも、
「あの、どうかしましたか?」と尋ねてみると、アーサーは
「いや、何でもない」とかぶりを振った。
さっきの真剣に何かを考え込んでいるような表情を見れば、何でもないようには思えなかったのだが、本人がそう言うのならば仕方がない。メルはそれ以上追求するのをやめて、ぎこちないながらも話題を変えることにした。
「あの、ウォルホードさん。そういえば図書迷宮の件、その後どうですか?」
「アーサーでいいよ。あれからも毎日ここへ来てるけど、図書迷宮探しは進展なしだな。……あれ、君は信じてないんじゃなかったっけ?」
きょとんとした顔でアーサーに顔を覗き込まれたメルは、つっと顔を横に向ける。
「信じてはいません。でも、あったら面白いじゃないですか。だから、ちょっと気になっているだけです」
メルの発言に、アーサーはたちまちパアッと目を輝かせた。
「じゃあっ、今度こそ探すの手伝ってくれるか?」
「無理です。今はそれどころではありませんから」
メルはピシャリとアーサーの誘いを断った。
見つからない迷子たち、文字の消失。アーサーには悪いが、この前代未聞の大問題を前にして、悠長にあるのかないのかよくわからないモノなど探している暇などない。
メルに断られたアーサーは、ちょっと申し訳なさそうに笑った。
「そっか。まあ、そうだよな。行方不明者が出ているわけだし。忙しい時に呼び止めてすまん」
「いえ、お構いなく。気にしないでください」
「ああ。それじゃあ、また」
アーサーは、右手を軽く振って身を翻し、その場から立ち去った。メルは黙ってその後ろ姿を見送る。ところがどうしたことか。不意にアーサーがクルリとこちらへ向き直って、メルの元へ駆け戻ってきた。
「どうしましたか?」
メルがびっくりして尋ねると、アーサーは「いや、そんな大したことじゃないんだけど、一個聞きたいことがあって」と思いつめた表情で答えた。全く大したことじゃないようには見えないのだが、メルは恐る恐る「なんでしょう?」とアーサーの様子を伺う。するとアーサーは、「なんと言ったものか……」とメルから視線を逸らした。
「なんですか?」
「……あのさ、変なこと聞くけど、見たこともない文字が書かれていて、ちょうど真ん中のページくらいに歯車の絵が描かれている本のこと、知ってるか」
「見たことのない文字、歯車の絵?」
メルは少しの間考えてみたが、そのような本は思い当たらなかった。
「私は知りませんけど、その本を探しているんですか?」
「いや、別に探しているわけじゃない。ちょっと気になっただけだ。知らないのならそれで構わない。今のは忘れてくれ」
それだけ言うと、今度こそアーサーはその場から立ち去っていった。残されたメルは、アーサーの問いの意味がわからず、彼の後ろ姿困惑しながら見送ることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます