第5話 歯車

 メルと言葉を交わした後、昼食のために一度図書館を出て、再び戻ってた赤毛の少年は、現在、一人で書棚の間を歩いていた。   

 

 もう随分と図書館の奥まで来ている。まだ昼の2時を回った頃だというのに、窓からの光は背丈の高い本棚に遮られ、薄暗くどこか陰気な空気がこの場所には満ちている。


この辺りは別に立ち入りが禁じられているわけではないが、一般の来館客が訪れるような場所ではないのだろう。棚にぎっしりと収まった古びた本は、どれも長いこと貸し出されていないようだし、そもそも貸し出し可なのかどうかすらも怪しい。図書館には王国の古い貴重な書物を保存する役割もあるから、ここはそのための保管庫のような場所なのかもしれない。そういう場所にこそ、図書迷宮は隠されているのではないのか。少年は、そんなことを考えながら自分が今歩いている空間を見渡した。そう考えると、薄暗く陰気な雰囲気の書架が、たちまち秘密めいた不思議な空間に見えてくるから不思議だ。

 

 少年は、いよいよ期待に胸を膨らませながら、本棚と本棚の間の通路を奥へ奥へと進んで行く。だが、やがて少年の膨らんだ期待は唐突に絞んでしまった。行き止まりに出くわしたのだ。

 

どこまでも続くかに見えた本棚が終わりを迎え、その先は無機質な白い壁が立ちはだかっている。


 やっぱりないんだろうか。少年は肩を落とした。だが自分の祖父を嘘つきとは思いたくない。では、祖父は夢で見た内容を現実に起こった出来事と思い込んで語っていたのか。


(お爺様が言っておられることは本当なのですか?)

 

 少年の脳裏に、朝言葉を交わしたあの図書館司書の少女の言葉がよぎった。少年は、ふるふると頭を左右に振った。自分が祖父を信じなくてどうするのだ。人一倍しっかりしていて、厳しくも優しい尊敬するあの祖父が、夢と現実を履き違えるわけがない。それに祖父はありもしないような嘘をつく人間でもない。祖父が「ある」と言ったのだ。図書迷宮は確かに「ある」はずなのだ。

 

 小さかった頃、祖父がこの目で見たという図書迷宮の話を聞いて感動し、いつか自分もこの目で見てやろうと思った。しかし大きくなるにつれ、周囲の大人たちが思っているように、どうせ祖父の作り話だろうと自然に思うようになっていた。だが、祖父が久々に図書迷宮の話を持ち出した時に言った言葉が、頭から離れなかった。


『私はあの時、約束を破ってしまった』


 その言葉が何を意味するのかは、祖父が詳しいことを言ってくれなかったためわからない。だが、あの時の祖父の悲しそうな目、そしてみんなにどうせ作り話だろうと言われた時の目が、やっぱり祖父は嘘をついているんじゃないという確信へ繋がったのだ。確信と言っても、確かな根拠などない。ただ自分の直感のような何かがそう告げていた。


 少年は、行き止まりになった目の前の壁を見つめた。ここが行き止まりだからといって、それが図書迷宮がない証拠にはならない。それにこの図書館は王立の名を冠するだけあって、外見は大聖堂のように荘厳で、内部はとんでもなく広い。昨日はヘトヘトになるまで書庫を歩いて、行き止まりであることを確認した。そして今。昨日とは別の区画の書庫がやはり行き止まりであることを確認した。だったら今度は別の場所を探すまでだ。まだまだ探せていない場所はある。それにひょっとしたら、目の前のこの壁に触ってみたら何か秘密の扉が開いたりするのではないか。

 

 そう思って、少年は白い壁にそっと触れてみた。だが、そこは期待しすぎたか、壁に押し当てた手には、冷えた壁の冷たさがじんわり染みこんだだけだった。それでも少年は、ダメ元で壁を触りながら、壁に沿って右側へ歩いていくことにした。


 しばらく行くと、やがて壁と壁が垂直に接した角の部分に行き当たった。結局何も起こらずじまいで、少年は少し肩を落とす。それから、今日はもうこの辺にしておこうと、壁に背を向けた。


昨日は図書館中歩き回った疲労と、図書館迷宮探しに役立つかと思った本(結局役に立たなかった)が存外つまらなかったことも相まって、閉館時間ギリギリまで眠ってしまった。結果、あの司書の女の子に迷惑をかけることになってしまったし、今日はそんなことにならぬようほどほどにしておこう。


 少年は書庫の出口へ足を向けた。そうしてしばらく本棚の間を歩いていると、不意に一冊の本が目に止まった。なぜ目に止まったかと言うと、その本だけが、整然と並んだ本の群れの中から半分はみ出していたからだった。よく見ると、その本は自身の厚みには足りない隙間に無理矢理ねじ込まれていた。だから最後まで収まりきらず、不恰好に飛び出しているのだろう。


 本はそれほど高い位置にあるわけではなかったので、少年はなんとなくその本を手に取ってみた。無理矢理ねじ込まれていたので、本を取る手に力を込める。すると、本はすぽんっと棚から飛び出すかのようにして少年の手に収まった。その本がのいた箇所を見ると、わずかな隙間が空いているだけだった。


 少年は手に取った本を眺めてみた。別に読む気は無かったのだが、なんとなく手に取った以上何について書かれた本なのかは気になる。

 

それは、棚に並ぶほかの本と同様、ひどく古びたものだった。黒ずんだ茶色い装丁はボロボロで、表紙に刻まれているらしい文字は擦り切れていて何と書いてあるのかわからない。次に本を開いてみたが、やはり何と書いてあるのかわからなかった。だがこれは文字が擦り切れているためではなかった。そこに書かれた文字が、この国のものではなかったからだ。


 見たこともない文字に眉を寄せながら、少年はパラパラとページをめくっていった。やがて、ちょうど真ん中辺りのページまで来た時、それまで文字ばかりだった紙に変わり、美しい模様が描かれたページが現れた。それは、見開きいっぱいに描かれた幾つかの歯車の絵だった。中央部に大きな歯車があり、その歯車と噛み合った幾つかの小さな歯車が周囲を囲んでいる。さらにその外側にも小さな歯車と噛み合う、もっと小さな歯車がある。


 歯車にはその一つ一つに美しく精緻な模様が書き込まれていた。器用な手と、素晴らしい美的感覚の持ち主が描いたに違いない。少年は、この美しい絵に目を見張った。まるで今にも歯車が動き出しそうだ。


(いや、本当に動いていないか)


 少年はハッとして、目をこすった。歯車が回っている錯覚でも見たのかもしれない。ところが、もう一度歯車の絵を見てみると、確かに全ての歯車の絵が互いにかみ合って回転していたのだ。


 少年は驚き、本を取り落としてしまった。その途端、少年の耳に大きく古びた扉が、軋みながら開くような音がどこからか聞こえてきた。ギイィィィという耳障りな音。この近くに扉なんてないはずなのに。


 ぞっとした少年は、床に落としてしまった本を拾って、絵も見ずに本を閉じた。それから無我夢中で元あった場所にその本をねじ込む。


 扉の軋む音はもう聞こえてこなかったが、少年は恐ろしくなってきた。人一人いない薄暗い書架。見知らぬ言語で書かれた本。動いた歯車の絵。聞こえるはずのない扉の開く音。何もかも気味が悪すぎる。


 おまけに、ふと上を仰ぐと左右の本棚が長く伸びて、ゆっくりとこちらに迫ってくるような錯覚まで見てしまう。


 今まで誰も触れたことのない、禁忌の領域を侵してしまった気がして、少年は逃げるようにしてその場から走り去る他なかった。

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