第4話 シャーロット・クラプトン
少年と別れた後、黙々と仕事をこなし、本を全て棚に返し終え、昼休みということで事務室の自分の席に座って一服ついたメルは、同僚のシャーロット・クラプトンのおしゃべりに付き合わされていた。
「それでねえ、メル。私、その殿方に何と言ったと思って?」
シャーロットは、美しい金色の巻き毛を指でくるくるさせながら、上品な言葉遣いでメルに尋ねた。
メルは「何と言ったの?」と、持ってきた焼き菓子を口に運びながら尋ねる。するとシャーロットは、両手を愛らしく整った顔の前で組み合わせて、
「おお、ごめんなさい。あなたは本当に素晴らしくいい人だけれど、私の待つ殿方ではないのよ。と、そう言ったのよ」
と、演技がかった調子で言った。こういう性分なのだ。
「そしたら、その方は何にも言わずに私の前から逃げるようにして去ったのよ。ねえ、メル。ちょっとひどいと思わなくて?そりゃあ、一大決心して好きな女の子に告白したのに振られたら辛いでしょうよ。それこそ絶望の淵に立たされたような気分になるわ。私だって、想像したらこれくらいのことは理解できてよ。でもだからって、うんともすんとも言わずにパッとその場から立ち去るって、振ったこっちが気分が悪くなってしまうわ。そうは思わない?メル」
「思うわね」
メルは焼き菓子をもぐもぐしながら賛同した。シャーロットは、「そうよね」と真剣に頷く。彼女が頷くと、金色の巻き毛が白い肌に零れて、それをたまたま見ていた近くの若い男性司書が頰を赤らめた。だがシャーロットはそんなことに気づかない。おしゃべりに夢中なのである。
「もしも私が素敵な殿方に出会って、思いの丈を告げて、振られたとしましょう?でも私、何も言わずにその場から立ち去ったりしないわ。ちゃんとその方に、「残念でしたわ」とか「そうでございますか」とか何とか言って立ち去ることよ。メルだってそうでしょう?」
「ええ、そうね。それが妥当だと思うわ」
そんなことを言いながら、メルは心の中で、彼女に告白されてそれを受けない男性はほとんどいないだろうと思っていた。
メルと同い年で、図書館司書見習いの時代から一緒にいる彼女・シャーロット・クラプトンは、誰もが認める美人だ。白い肌に、金色の巻き毛、澄んだ青い瞳。顔立ちも整っていて、言葉遣いや所作は女性らしい品があり、彼女に微笑みかけられた男性は卒倒仕掛けるらしい。もっとも、喋りすぎるというのが彼女の欠点なのだが、メルとしてはこれが有難い。あまり人と長時間話すのは得意な方ではないので、向こうが喋ってくれている方が気が楽なのだ。自分は適宜頷いて、適当な言葉を返していればいいだけで、余計な気を回さずに済む。それに何より、シャーロットとメルは長い付き合いなので、お互い気心が知れているという意味でも彼女といるのはメルにとって居心地が良いのだった。
「ねえ、メル。なんだか私、喋りすぎて喉が渇いてきたわ。今度はあなたの番よ」
喉に手を当てがいながらシャーロットが言った。時折シャーロットは、こんな風にメルにも話をするよう促してくるときがある。昔はそんなことはなかったのだが、大きくなるにつれ、シャーロットはメルがあんまりにも自分のことを喋らないのを彼女なりに心配しているのか、わざとメルにも話をするように促してくるのだった。
だがこうなると、メルは何を話していいのやら分からなくなる。毎日充実しつつも同じような生活で、わざわざ人に話すほどおかしな出来事などメルの周りには起こらないのだ。まあ起こったとしても、促されなければ滅多に人に話すことはないのだが。
メルは焼き菓子を頬張りながら、シャーロットに話すような話題があっただろうかと思案を巡らした。菓子を口に入れているのは半分時間稼ぎである。そして、今朝出会った赤毛の少年のことを思い出した。そう言えば、人見知りにしてはあの少年と普通に会話ができていたなとメルは思う。初対面の人と会話するのは苦手なのだが、不思議と彼にはそこまで苦手意識は芽生えなかった。
メルは焼き菓子を喉へ押し込むと、ティーカップに入った紅茶をすすって待っているシャーロットへ口を開いた。
「シャーロット」
「ええ」
「そう言えば今朝、いいえ、初めて会ったのは昨日の夕方ね。ともかくも、ちょっと変わった人に会ったの」
「あら、どんな人?」
メルが話し出すと、シャーロットは目を輝かせて耳を傾けてきた。彼女はおしゃべりでもあるが、聞き上手でもあるのだ。
メルは、昨夕赤毛の少年と出会ったこと、今朝再会した時にその少年と話したこと、つまり彼が図書迷宮を探しているということを、かいつまんでシャーロットに説明した。その間、シャーロットは熱心に相槌を打って聞き入っていた。
メルが話し終わると、シャーロットは「面白いわ」と両手を胸の前で組み合わせた。
「それになかなかロマンがある話じゃなくて?」
目をキラキラさせながら言うので、メルは面食らいつつもシャーロットへ尋ねた。
「シャーロットは、図書迷宮の存在を信じてるの?」
「う〜ん。それはわからないわ」
シャーロットは考え込むように首を傾げた。
「でも、本当にあったら素敵だなって思うわ。彼のお爺様が言っていたことが本当なら、ワクワクするもの。なんだか物語の主人公にでもなった気分。メルはどうなの?」
「私は……」
シャーロットの言ったことが、内心自分が思っていたことと同じだったので、メルは少しびっくりしていた。だが、メルの表情はそれをおくびにも出さない。もともと感情を表に出すのは苦手なのだ。
「……私も、シャーロットと同じような感じ」
メルがそう言うと、シャーロットは「あら」と嬉しそうに笑った。
「それで?その殿方にはなんと言いなすったの?」
「図書迷宮なんてそんなもの与太話だ。あるわけないって」
「まあ冷たいわねえ。私と同じだって言ったじゃない。本当はワクワクしてたのでしょう?」
「していたけれど……」
メルはそこで一旦言葉を切ると、はあとため息をこぼした。
「ねえ、シャーロット。私たちもう十九よ。いつまでもそんな夢物語に浸ってはいられないの。物事を現実的に捉えないと。図書迷宮なんて存在しない。それは、ずっとここで働いてきた私たちが一番よく知ってるはずよ」
だがシャーロットは、そんなメルの言葉に対していたずらっぽく舌を出した。
「あらメル。慣れ親しんだ場所にも、きっと秘密って眠っているものよ。そう考えた方がずっと楽しいわ。それにあなたは少し勘違いしているようだけれど、大人になっても夢を見ることって大事だわ。空想の世界にふけったり、もしも伝説やお伽話に登場する場所が実際にあったら……って考えたり。そういうことは一切受け入れません。なんて大人。つまらないでしょう。私はそんな大人にはなりたくないし、メル、あなたにだって、そんな大人にはなってほしくないわ」
そう言って、シャーロットは「ね」とメルに微笑みかけた。だが、メルがそれに対して何か言うよりも先に、誰かが「ミス・クラプトン!」とシャーロットの名を鋭い口調で呼んだ。
シャーロットは「はい!」と弾かれるようにして椅子から立ち上がる。声のした方を振り向くと、上司にあたる三十近い女性が腰に手を当ててシャーロットを睨みつけていた。かけた丸眼鏡の奥で、彼女の瞳が厳しくシャーロットを捉える。
「な、何でしょう?ヘインズさん」
「何でしょうじゃありません。あなた、昨日あれほど言っておいたでしょう。今日はお偉い学者さまが来るから、その方々が前もって拝見したいと伝えておいた本のリストをチェックして、リストに載っている本を昼までには私の机の上に揃えておくようにと」
まくし立てるヘインズの言葉に、シャーロットは「あっ!!」と大声を出した。ヘインズは、その声に顔をしかめる。
シャーロットは騒々しく机の下に置いてあった鞄から、そのリストらしきものを取り出すと、「今すぐやります。まだ昼休みですし、学者さまはまだ来ていらっしゃらないのでしょう?」と怖々ヘインズを見つめる。
「ええ、まだですよ。でも予定では後三〇分ほどで来られます」
「まずいわ!私って本当にどうしてこうそそっかしいんでしょう。すっかり忘れていたわ」
そう言って、シャーロットは飛ぶような速さで廊下へ飛び出して行った。その後を、ヘインズが「私も少しは手伝いましょう」と追っていく。
シャーロット・クラプトンというこの愛すべき友人は、美人でおしゃべりで聞き上手で、そして時折こんなドジをやらかすのだった。
残されたメルは、さっきから食べていた焼き菓子に再び手を伸ばしかけたが、すぐに手を引っ込めた。これは一仕事終えたシャーロットに取っておいてやるべきだろう。
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