第2話 探し物

 翌朝。メルは目を覚ますと、ちょっと珍しい銀色の髪の毛を櫛でといて、左右で結び、図書館司書の制服として指定されている服を着込んだ。


袖の膨らんだ白いブラウスに、灰青色のリボン。リボンと同じ色をしたフレアスカート。スカートには、うっすらと美しい刺繍が銀の糸で施されている。刺繍は空を流れる天の河のように灰青色の生地に溶け込んで、複雑で繊細な模様を描き、部屋のカーテンの隙間から差し込んできた光に反射してキラキラと瞬く。メルはこの美しい刺繍が殊の外大好きだった。毎朝この刺繍の施された制服に身を包むと、今日も1日頑張ろうと思えるのである。


 身支度を整えたメルは、階下に降りていき、一緒に暮している祖母のステイシーと共に朝食を取った。メルはこのステイシーと二人暮らしである。早くに両親を亡くしたメルを、母方の祖母であるステイシーが引き取ってくれたのだ。以来、メルはずっと祖母と二人で暮らしてきた。寂しくはないかと、周囲の人に尋ねられることもあったが、メルはこの暮らしに一度も寂しいと感じたことはなかった。祖母との暮らしは穏やかで、いつもゆったりと時間が流れているような心地になる。メルはこの心地が大好きだったし、祖母との暮らしに満足していた。


 朝食を終えたメルは、細々とした家事をこなして、いつもの時間に家を出た。そして、いつもの時間に王立図書館に出勤し、いつも通り午前の業務をこなす。まずは事務的な仕事を片付けてから、書庫へ入って新たに書庫入りする本を分類する。次に発注したばかりの本を新刊コーナーに並べる。そして、来館者が返却した本を木製の台車に乗せて、元あった場所に返すのだ。


 そんなわけでメルは今、返却された本に貼られたラベル番号を見ながら、台車を転がして本棚の間を行ったり来たりしていた。そうして指定の場所を見つけては本を棚に戻していく。高い位置にあってメルの身長では手が届かない場所は、書架に設置されてある可動式のはしごに登って、本を丁寧に棚へと納めていく。


 国内最大規模を誇るこの図書館での返却作業は恐ろしく大変そうだが、実はそこまででもない。4階建の図書館内は、それぞれ本の種類やジャンルによって区分けがなされている。受付係の司書が他の司書に返却された本を渡す時、あらかじめ彼、彼女らによって、各区ごとに本が仕分けられているため、受け取った司書たちはその区内で本を返せばいいわけだ。一つのエリアはそれほど広大ではないため、元あった場所に本を返す時に、司書たちは図書館中を駆け回らずにすむのだ。


 と言っても、はしごを降りたり登ったり、台車を押して行ったり来たりするのは変わらない。だからあまり体力のないメルは、いつもへとへとになってしまう。だがこれが終われば昼休みだ。おいしい昼食とお菓子が待っている。それを糧に毎日頑張っているのである。


そうして、疲れて汗の滲んだ額を吹きながら、次の本を返しに行こうと台車を押し出した時だった。メルは、向こうから歩いてくる白シャツに茶色いサスペンダーパンツを合わせた格好の若者とふと目があった。


 そばかすの浮いた少しわんぱくそうな顔に、人懐っこい茶色い瞳。無造作に後ろでちょこんとくくった燃えるような赤毛。どこかで見覚えがあると思ったら、昨日閉館時間ギリギリまでソファで寝ていた赤毛の少年だった。


向こうもメルに気がついたらしく、こちらに向かってぺこりと会釈をしてきた。メルもちょこんと会釈を返すと、少年は「いやあ、昨日はどうも」と言いながら歩み寄ってきた。


 メルはあまり人と話すことが得意な方ではなかったが、昨日本の角で額を小突いたことは謝らなければならないと思い、近づいてきた少年に自分から口を開いた。


「こちらこそ、昨日はすみませんでした」


「ん?なんであんたが謝るんだ」


 メルの発言に首をかしげて、少年は問うた。メルは仕方がなく昨日自分がしたことを説明する。


「あなたを起こすために、本の角であなたの額をちょっと小突いたんです。痛かったでしょう?起こすためとはいえ、乱暴なことをしてしまって申し訳ありません」


「ああ、これはやっぱりあんただったのか」


 少年はニッと笑うと、額にかかった前髪をかきあげた。そして、ちょっと赤く腫れているところを「ほら」と指差す。それを見たメルは、顔を青ざめさせると深く頭を下げ、もう一度謝った。


「本当に、すみません」


「いや、いいって。これくらい。あんな時間まで寝てた俺が悪いんだし」

 

そう言って手をひらひらさせる彼は、確かに全く怒っていないようだった。メルは少し安心して、少年へあの後気にかかっていたことを尋ねた。


「あの……その、あなたをぶった本のことですが、あの後もとあった場所に返しておきました。もしお探しなら、持ってきますが」


「俺をぶった本?」


「正確に言いますと、寝ていたあなたの体の上に乗っていた本です。読みかけだったのでは?」


 今日も図書館に来ているということは、ひょっとしてその本を借りに来たのではないかと思って、メルは少年にそんなことを尋ねたのだ。しかし少年は、メルの予想に反して首を横に振った。


「いんや。昨日のあの本はいいんだ。難しくて途中で寝ちまったから。それよりも、俺はもっと別のものを探してんのさ」


 少年はまたニッと笑った。それは嫌な笑い方では決してなく、友達を楽しい遊びに誘おうとする時の子供のような快活な笑い方だった。そんな笑みを向けられたら、こちらも笑顔を返すべきなのだろうが、あいにくメルは笑うのが苦手だ。無表情のまま「別の本を探しているということですか」と少年に尋ねる。だが彼はまたもや首を横に振った。


「いんや、本じゃねえ」


「本じゃない?」


 図書館に来て本以外のものを探しているとは、なかなかないケースだ。メルは眉をひそめた。


「本じゃなかったら、何を探しているというんです?」


「場所だよ。俺が探しているのは」


「場所?」

 

ますますわけがわからない。メルは「はっきり言ってください」と少年を急かした。すると少年は、はにかみながら腕を頭の後ろで組むと、子供のように目をキラキラとさせて自分が探しているものの名を告げた。


「図書迷宮。ビブリオラビリンスだよ。あんたもこの図書館で働いているなら、知っているだろう」

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