<君しか要らない>

「向井!!」

 向井は、食堂も、寮にも、隊室にもおらず、凛田紅莉は軍の敷地を走り回っていた。やはり、研修は受けておくべきだったのかと、体力面の後悔を抱えながら。

 凛田紅莉、向井紫恩、坂登黄河は研修免除組で、他の隊員が様々な研修を受けている中、頭脳だけをひたすら鍛えられた。それはなんの愛着も持っていない実父、国宇連代表・湯浅光朋の方針だった。

 凛田紅莉にとって父親は、押しに弱い頼りない男だった。母親に引き取られ、二人きりの生活は中学校卒業と同時に酸雨症で母親が他界するまで、何の謝罪もせず、軍にも国宇連のメンバーからの提案にYESもNOも言えない、情けない男。結局、自分もその血を継いでいるのかと思うとゾッとする。しかし、受け入れるほかなかった。

 向井紫恩がいない世界などいらないと、心の奥底で思っている自分に気が付いてしまった。データでの情報しか知らず、短い期間を共有しただけなのに、心が燃えている。


 いちばん向井紫恩に近い坂登黄河に尋ねた。それが一番効率的なことに気づいたのは、伊達将軍が無礼講発言してから三十分後だった。


『紫恩君は、きっと輸送艦にいますよ。先月に完成した、サードへの輸送艦の、たぶん――プラネタリウムに』



「……やっぱり、見つかったか。さすがだね、本隊長」

 いた――

「国宇連代表の娘と、宇宙軍将軍の息子。大昔の物語にあったような悲劇だ」

「そんなことはどうでもいい」


 プラネタリウムが映していたのは、きらめく宇宙の星々ではなく、大草原にかかった七色の橋――虹だった。


「俺ね、母親が心底嫌いだった。偽善者だと思ってた。今思えば、ただの貧相な発想だけど、自分の子供より誰かの子供の面倒を見るのこそ、ネグレクトじゃないかと」

「どうして黙っていたの。宇宙空間適応能力の低さ、埋め込まれたチップ。向井の体では、宇宙に行けない。サードは西ユーラシア圏の空間もまたいでいるのに」

「言ったら、たぶん俺は君を殺していたよ」

「デタラメは聞きたくない」

「君は知らないだろうけどね、俺は高校時代の君を知っているんだ。中庭で談笑している君を見て、美しく賢い君に恋をした」


 恋。

 凛田紅莉は、ようやっと萌田橙子に投げられた言葉の意味を理解した。


『あんたにしか向井は助けられないの!! あたしにその権利はないの!! あたしじゃ無理なの!!』


「その時、思ったよ。この女性を手に入れたい。俺の中に、初めて欲が芽生えた。そして、どうしても手に入れられなかったら、俺の両手は誰かしらの血で染まるんだと。将軍……クソ親父は、それを見越して、俺に召集をかけた。逸材を失わないために。せっかく軍が国宇連をはねのけて手に入れた君をね」

「そんなことは聞いてないッ!どうして、どうして隠し事なんて……」


 凛田紅莉はその場にしゃがみ込み、頭を抱える。本隊長である自分の立場、自分の右腕となる科学隊長の向井との関係性。全てを理解したうえで、凛田紅莉の理性は吹き飛んだ。


「好きなの……向井紫恩が好きで、たまらない。ストーカー事件のあと、色恋を封じたはずなのに、やっぱり気持ちを消し去るなんてできない」

「……そう」


 向井紫恩はプラネタリウムの電源を切り、頭を抱えてうずくまる凛田紅莉の背中をさする。それは、他人に対して干渉しない向井紫恩が、唯一知っているスキンシップだ。

 向井美成虹は、よくこうして部屋の隅で泣きべそをかく自分をあやした。育った環境から、人格の根本を嫉妬で形成されてしまった向井紫恩にとって、触れることは最上級の愛の表現である。


「俺のことを想ってくれるならさ、必ずこの計画を成功させてくれよ」

「そんな……」

「凛田紅莉は移住計画のリーダーだ。俺みたいなくだらない男に振り回されていいはずがない」


 想い、想われ。そう、だから何?

 もう、そう言われる地点まで来てしまった。

 地球での居住は、もう地下世界ですら限界がきている。軍は、東アジア圏の国民に、サード移住計画を公表している。

 回転の速い凛田紅莉の頭脳は、それをきちんと知っている。勿論、向井紫恩もそうだろう。咀嚼できないだけで、しかし自分が咀嚼しようがしまいが、既に詰んでいる。


 愛しい女性を部屋に残し、向井紫恩はその場を去る。

 誰を殺してもどうにもならないなら、もう自分が消えるしかないだろう。奇跡を生み出すことのできる優秀な脳は、そう答えを出したのだ。



「向井……」



 凛田紅莉には呟くことしかできない。向井紫恩の決断をしたら揺るがないことを、熟知している。


 その翌日。

 向井紫恩が、またしても姿を消した。



◇◆◇



「向井紫恩が姿を消したらしいな」

「そうですねえ。困る子だ。凛田も士気を失っている」

「伊達よ、それも作戦か?娘を奪われた気持ち、貴様には分かるまい」

「分かりますよ。なんとなく」

「なぜ向井紫恩と手を組んだ? 彼は父親きみを憎んでいる。殺されるかもしれないのに」

「互いの希望を叶えるためですよ。移住計画が成功すれば、あいつは愛する凛田紅莉と交流をもてる、俺はまた美成虹の愛した虹に会える」

「随分と自己中心的な父子だ」

「何とでも言ってください。不器用な気質なんですよ、俺も、あいつも」

「一週間後……お前たちの設計した未来への艦は、無事にサードにたどり着けるのか」

「計画通りなら、犠牲は一人から二人で済みますよ。代表は入っていないので、ご心配なく」

「……愛の為に命を踏み台にするのか。ばかげている」

「そんなんだから、あなたは凛田に“父親”と呼んでもらえないんだ」

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