第六話 青の章――掴めない男

「伊東!!」

 来たか。もっと遅いかと思ってたけど、やっぱりリーダーは優秀だ。案件は恐らく、向井隊長のことだ。

「なんでしょう、本隊長」

「知らないとは言わせない、向井はどこだ!!」

 こんなに息を荒くして、感情をあらわにする本隊長を、初めて見た。

「どのような案件ですか」

「白を切るな。私は本隊長だ。メンバーのデータを知る権利も義務もある!」

 やっぱり。


『伊東』

『なんすか』

『俺は今から姿を消す。本隊長が、俺のバイタルデータで尋ねてきたら、YESだと応えてくれないか。その上で参加をしているって』

『……いいですよ。俺は、それで何を得ますか?』

『……翠ちゃんの個人用メールアドレス』

『了解っす』


 本当に、人遣いが荒いですね。隊長。


「先ほど、出ていきましたよ。しばらく姿を消すと」

「じゃあお前に聞く。このバイタルデータは、本当なのか?!」


 本隊長が握りしめていた紙を突き出した。受け取ると、やはりそれは、隊長の入軍時の身体検診のデータだった。


「向井の宇宙適応能力……基準値より大幅に低い。これじゃ宇宙に出たとたんに酸欠だ」

「……」

「その他、宇宙空間で必要な数値が一様に低い」

「……“YES”。聞かれたら、そう応えろと言われました」

「もう一度聞く。向井はどこだ」

「知りませんよ。俺だって、隊長の体質についてはさっき聞いたんです。直属の部下の俺でさえ、少し悔しい位だ。他のメンバーしか知らなかったこと、悔しいと思うのは理解できます」

「……嘘だと言え」

「そういえば、気が済むのですか」

「言ってよ!! データ処理のミスだとか、なんかの手違いだって、言ってよ……!」

 俺の胸ぐらをつかんで、少女の様に泣きじゃくる。いつの間にか、口調すら上官のものではなくなっていた。

 東アジア圏在住の、凛田紅莉という、女性のものに。



「すまないね、凛田。伊東も。君たち二人には隠せという指示は私が出したんだ」

「……伊達将軍?」



「愚息が、君たちに迷惑をかけないようにと思ってね」



◇◆◇



「紫恩は、俺と、孤児院を経営していた向井美成虹の子供だ。美成虹の処分が決まるまで、一か月ほど、軍で預かっていた」

「珍しい話ですね。軍が民事に介入するなんて」

「ご本人の提案だよ。将来、軍に尽力する代わりに、引き取り先が決まるまで、自分の身をおかせてくれと、知能指数検査の資料をもって。人を殺してきたかのような目をした子供が突き出した検査結果を見て、笑ったよ。伊東、常人の知能指数の平均値は知っているか?」

「東アジア圏では百前後だったかと思いますが」

「結構。では凛田、最高値は?」

「西ユーラシア圏の男性で、三百五です」

「パーフェクト。東アジア圏の少年が出した数値が、それを越えた。彼はこの星の誰よりも優れた頭脳を持っていた。軍として、放っておくわけにはいかない。他の地域に移住でもされたら、せっかくのカードが水の泡だ」

 いつもにこやかな伊達将軍の口角が少し、下がる。

「さっきも言ったが、紫恩は“軍に尽力する”といった。軍はそれを逆手にとって、彼を改造したんだよ。優れた脳や神経諸々はそのままに、東アジア圏を一歩でも出ると致死に至る周波が流れるチップを、彼の心臓に埋め込んだ。勿論、日常生活に支障が出るが、薬で暴走を抑えている状態だ。その反動で、宇宙区間の適応能力が著しく低下した」

 率いる立場の本隊長と、サポートする立場の俺。より隊長に近い俺たちに情がわくのを防ぐため、正式な報告を出さなかった。サードに移住するには、急ピッチで計画を進める必要があった。そこに、感情は不要だ。

 本隊長には、きっと西谷が漏らしたのだろう。あいつは主治医だし、心底、向井紫恩に惚れている。それは、隣で体を震わす本隊長も――

「俺が憎いかい?凛田」

「憎い……いえ、情けないです。私が、そこまであなたに信用されていなかったのは、事実ですから」

「大丈夫。情報漏洩で西谷医療隊副隊長を処分する気はない。じゃあ、今日は無礼講としよう。業務終了だ。伊東、今日は朝まで呑むぞ」



◇◆◇



 東アジア圏の人間にとって、宇宙軍の軍人はヒーローである。俺も、彼らに憧れて志願した。入軍も奇跡的なのに、まさか人類の存亡を背負うプロジェクトチームに選ばれるとは思わなかった。研修をこなすのも精一杯だったのに、まさか――

「まあ、呑みなよ。伊東」

 軍のトップと二人で酒を呑みかわすとは、夢にも思わなかった。酒は上流階級の嗜好品である。入軍祝いで口にしたきり、触れたことすらない。

「伊東は呑めないクチか」

「いえ……」

「何歳だっけ」

「今年で二十四になります」

「西谷と同期か。彼女、結構ムネあるよな。萌田には負けるか」

 西谷とは同期入軍で、出会いは高校まで遡る。といっても、試験で首席争いをしていたぐらいで、顔は知っていたが交流はなかった。

 大学生になって二度目の冬、初めて話した内容は今でも鮮明に覚えている。


『伊東!』

『なんだよ』


「君と西谷って、なんであんなに合コン好きなの?軍にも多少は見目麗しい男女ぐらいいるだろに」

「……西谷にとって、職務中と合コンだけが、泣かなくてすむ時間なんです。所詮、俺は水香お嬢様のお付きなだけで」


『どうしよう、あたし……好きになっちゃった。宇宙科学隊の、向井先輩って知ってる?』

『知ってるも何も、俺、宇宙科学隊だし。いいじゃねえか、いつものように告白すれば』

『だって、彼には――』


 彼には。

 その先は何も言わず、ただただ涙を流し続けた西谷水香。普段は気が強く、姐御肌をふるまう彼女の、こんなに弱った姿を見た人間は殆どいないだろう。


 胸の奥がチクチク痛む。

 西谷水香を傷つけた向井紫恩が、憎い。


 目覚めてしまった感情は、膨らむばかりで――


「西谷は、自分の想いを紛らわす方法として、他の異性との交流をしていたんです」

「伊東は、気に食わないわけだね。好きな女が、痛んでいくのを見たくない。だけど原因である向井紫恩のサポート役に抜擢されてしまった。業務中に私情は挟めない。板挟みだ」

「聡いですね。俺は西谷が好きです。好きですけど、向井隊長も嫌いではないんです。隊長には天賦の才がある。それを見ているのは、嫌ではないんです」

「一つ問う。君は、向井紫恩を殺せるか?」

 殺す。

 向井隊長を?東アジア圏の宇宙科学希望の星と称される、上官を。

 この、いつも微笑を絶やさず、温厚な男が、そんな。そんな残酷なことを、言った。

「西谷を手に入れるためには、方法はそれしかないじゃないか。もしそうしたら、向井紫恩の次に信頼を預けてる君に、泣いて縋り付くのが女じゃないか」

「あなたはそれでも、男ですか! 大事な女性を守り続けるのが、男の役目じゃないんですか」

「科学者が、随分感情的になるね。一応、俺は将軍なんだけど」

「……失礼しました」

「向井紫恩は殺すよ。もし、君が邪魔になったら、物理的にも社会的にも亡き者にする。そういう残酷な土台でできている人間だからな」

「なんで、そんなことが分かるんですか……」

「簡単だよ」



◇◆◇



「すみません、今、電話しているほど余裕がないんです」

『まあまあ、落ち着きなさい。何も今、死ぬわけではない。だから逃げたんだよ、紫恩は』

「……父の言うとおりですね。将軍は掴めない男だと、まだ幼い私に、ずっとボヤいていた」

『酷い男だね、君の父上は』

「だから、母は別れたんですよ」

『安心しなさい、紫恩は君を待っている。君に言いたいことがあるはずで、言うまでは死なない。どんな壁にぶつかっても、必ず筋は通す。たとえ人を殺めてもね』

「殺める……恐ろしい言葉を使いますね」

『湯浅代表から聞いてなかったかな?』

「あなたは父親でしょう。どうしてご子息の思考を、そんなに残酷な言葉で片付けられるんですか」

『君の性格が父親似であるのと同じだよ。湯浅紅莉』

「その名は捨てました。答えをください、はっきりと」

『仕方ないね』



◇◆◇



“俺が、向井紫恩の父親だからだよ。俺が、そういう人間で、そういう男だからだ”

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