<拒否権のないLOVE LETTER――MUKAI Shion>
向井美成虹はどうしようもないくらい善人。老若男女に優しく、均衡の取れた愛情を注げる器用な人間da
った。しかし、自らを女性として愛してもらうことはなかなかできない。彼女は東アジア圏政府に疎まれる、孤児院“にじいろ”の経営者だったからだ。
「産むわ」
軍に召集され、散々汚い言葉で罵られた翌日。心配していた姉・
「軍人と、孤児院経営者の子供……決して楽な人生を歩むことはできないわよ」
「せっかくできた子なのよ。子供は星の希望だもの」
「それはオンナの偽善よ」
「それでも、この子は生きるもの」
「ったく、頑固なんだから。第一、どこで産むのよ。私も翠の時、病院探しに四苦八苦で大変だったのよ。一般人を受け入れて手厚い待遇で子供を産ませてくれる病院なんて、金を積まなきゃないっつーの」
「それは私立病院の場合でしょう。案があるの。この子の父親に、全てを託す」
軍人ならば、軍の病院が使える。最高の設備を持ったそこならば、酸雨症をはじめとする流行り病を恐れずに子供を産める。美成虹は、そう考えた。父親が分かっているということだけのカードだが、どんな身分でも認知されていれば、金の心配なんてせずとも入院できる。
「どうやって認知させるのよ……」
「認知されなくても、彼にはこの子を幸せにする義務はある。だから、大丈夫」
「今どきそんな善良な男なんているのかしら」
こぼれんばかりの笑顔を浮かべる妹に、優女香が打つ手などなく。美成虹は悲劇のレールを歩むと決まった子供を――夢であった自分の血をひく子供を、産むのだ。身寄りのない子供たちと、婚外子である自分の子供を同時に育てるなんて、いくら器用な妹でも大変な苦労の道になるだろう。
「何かあったら言いなさい。相談ぐらいは乗るから」
「ありがとう、姉さん」
それが、美成虹の最後の肉声になるとは、優女香は予想だにしていなかった。
◇◆◇
「あなたが、坂登優女香さん」
美成虹と最後に会ってから十年後、坂登夫妻は東アジア圏で最古の歴史を持つ、格式の高い喫茶店で、スーツ姿の男二人と対面していた。一般人は到底入れないような、会員制の店だ。数日前に届いた、消印のない真っ赤な封筒。中には会員券とカードが入っていた。勿論、行く気なんてなかったのだが、カードの内容を見ると拒否権なんてものはなかった。
“向井美成虹さんのことで話があります。七月七日に来てください”
『ありがとう、姉さん』
笑顔の美成虹が、優女香の脳に広がって。
考えると出ると思っていた涙すら流れず、優女香は家族に励まされながら、時間を消化していた。そんな矢先のことだった。
「酷なことをする」
道すがら、夫は妻の手を握りしめる。
指定された七月七日。大昔は七夕といった情緒のある日。
美成虹が経営していた孤児院“にじいろ”の子供が、誤って軍の火薬庫に侵入し、爆発を起こしてしまった責任を取って――
極刑が施行される日だった。
「向井美成虹さんの、お姉さまですね」
「はい……あなた方は」
「やはり、身分を明かすべきだったじゃないか。理知的な方だし、その方が話が早い」
「そういうことしか考えないから、あなたは国宇連どまりなんですよ」
「国宇連だって大事な組織だ」
「解体しない手腕はかっていますよ」
「あのう……」
勝手に話を進めていく紳士二人を前に、しびれを切らした優女香の夫が口をはさんだ。
「ああ、すみません。珈琲は我々の奢りだから、どうぞ」
「どっちの経費で落とすんだ?」
「そんなことではないです。あの手紙、消印がないということは、我が家のポストに投函したということだ。加えて、こんな日に妻をこんな場所に呼び出して……」
「私は湯浅という。国宇連で東アジア圏代表を務めさせてもらっています。こちらは東アジア宇宙軍副将軍の伊達だ」
「国宇連、宇宙軍……」
国際宇宙開発連合、通称・国宇連。二人の背が一気に伸びた。この時代のエリートと言えば宇宙に関わる職に就く人間だ。
「単刀直入に言います。この子どもを引き取ってもらいたい」
「おいで」
SPと思われる男たちから手を引かれたのは、他の人間に刺すような鋭いまなざしをした、小さな男の子だった。
「まだ十歳だが、すこぶる頭が善くてねえ、すでに高度中等レベルの教育を受けさせている。いずれは軍に入ってもらう予定なんだが……」
「美成虹の、子どもですか……」
涙を浮かべながら言ったのは、優女香だった。男たちは驚き、湯浅と伊達は、頷く。
もう、命の灯を消されているだろう妹の子ども――
「その通りです。美成虹さんは未婚でしょう? 身寄りがないし、他の孤児院に渡すわけにもいかない。だから、唯一の親戚であるあなたたちに託したい」
「先ほども言いましたが、いずれは軍で預かる予定です。宇宙大学に合格するまででいいのです。どうか、彼を……」
「名前はなんていうの?」
「……しおん」
「どういう字?」
「紫、恩人」
「紫恩君、おばさんのところに来れる?」
「だって、お母さんはいないんでしょう。もう、行く場がないんでしょう。お世話になるしかない……」
十歳にして、母親の立場を理解している。恐ろしく聡い子ども――
「彼の教育費は、毎月入金させていただきます。それでは……」
「一つ、教えてください」
「はい?」
「この子の父親……美成虹は軍人だと言っていました。あの子は最期まで口を割りませんでしたが……」
「……あなたの予想は当たっていると思います。いや、当たっています。姉妹揃って頭のきれがいい。わたしたちの知る彼女も、そうでした」
「やっぱりそうなのですね、伊達副将軍」
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