第五話 水の章―宣戦布告 

「なんで先輩じゃなくて、あたしを主治医にしたわけ?仕事増えるの好きじゃないんだけど」

 聴診器を外して、服を整える目の前の男に投げてみた。いて、とわざとらしい声をあげたのは、いつもの伊東あいぼうではなく、一応医者であり先輩である坂登黄河でもなく――

「黄河なんかに頼めるかって。あいつ、守秘義務知らないだろ」

 サード移住計画チーム科学隊長・向井紫恩。

「このこと、誰が知ってるの?」

「翠ちゃんと黄河。伊東は勘づいてはいると思う。あと、君だね」

「本隊長以外じゃん。あの鋭い人が、気づいていないとは思えないけど」

「一番知ってるのは君だよ」

「だから何だってのよ……嬉しくないし」

 上官からサード計画のメンバーに選ばれたと聞いた時、私にだけ一通の書面が渡された。それは、先輩も知らない。あたしと、伊達将軍と、当事者である向井しか知らないことだ。

「いつからなの」

「……生まれつきらしいよ。母親曰く」

「そういや、あんた坂登家に居候してたって言ってたね」

「母親が嫌いだったんでね。父親は論外だし、行きついた先が、坂登家だった」

「まあ、深くは聞かないでおくわ。医者に患者のプライベートの詮索の権利はないし」

「助かるわー、医療隊に常識人がいて」

 向井はなんでも器用にこなすが、手先は器用とは言いにくい。インナーの上に着るシャツのボタンを掛け違い、二分ぐらい不毛な戦いをしている。

 あたしは軍で空間医療隊、ようは医療従事者の集団にいたけど、それでも周囲を見渡せば、筋骨隆々というか、筋肉自慢の男ばかりを見ていた。怪我をして外科に運ばれてくる男や、稀に風邪をひいて内科にくる女もいたけれど、如何せん男ばかりの集団だから、向井みたいな白いアスパラ人間は新鮮だ。それくらい、向井の体は線が細い。

 白い肌に浮き出た骨。細い腕。小さな顔――どこに所属していても、軍の採用試験で運動能力は問われるわけだが、どうやってこの壁を乗り越えてきたのだろう。いくら筆記が強くても、体力がゼロなら話にならないはずだ。

「西谷の両親は健在?」

「両方入院してる……と思う。酸雨症で」

「仕送りも大変だな。医者になったのも、軍に入ったのも、それがきっかけ?」

 なんでもお見通し、か。そんな顔をする向井に何を言っても無駄なのは、主治医になりたてのあたしでもわかる。こいつは自分の結論に自信をもっていて、それを訂正はするも、消し去ることは絶対しない。

「そんなとこね。もう何年もあってないけど。仕事も忙しかったし、軍の病院に入ってるから安心だし」

「偉いね。俺は母親に何もできなかった」

「メディカルルームに入ると、急に蚤の心臓になるよね、向井」

「まあ、何もする気はなかったけど」

「聞いてんの?」

「もうこの世にはいないし。悪い人間じゃないんだけど、時代にあった人じゃなかった。いつも他人に優しくて、自分に厳しい。日記に書いてあったらしいけど、俺に親父がいないことも、ずっと気に病んでたみたいだ」

「いい母親じゃん」

「分かってはいたんだ。でもやっぱり、子供のころはそれが苦痛でさ。母親の愛情は百パーセント自分に欲しかった。でもそれは無理だった。だから、逃げた。現実から目をそむきたくて。」

「今日は妙に饒舌だね。疲れてるんだよ、その体で」

「母親の死を理解して、もう、人を愛すまいと思った。裏切られるなら信じない方が楽だった。でも、それからは後悔しかしてない」

「向井、もうやめなよ」

「だって、大学に入って俺は……」

「向井!」

 震える身体を、後ろから抱きしめる。もう、この男を一人に出来ないと思った。

 持病を持ってて、心に深い傷をもって。

「向井は何も悪くない。だって、生き残ったって、そういうことでしょ。過ちを後悔だと思うのって、すごく難しい事なんだから!」

「西谷……」

「もう自分を虐めちゃダメ。向井は他人に優しすぎるよ」



「西谷。お前、意外とムネあるな」



 ムネ。

 むね。

 胸……


 胸―――――?!

「このすっとこどっこい!!!! セクハラ魔人!!!!」

「西谷、落ち着け。巨乳は悪じゃない」

「人が折角心配してやってんのに!!」

「悪い悪い。でも、西谷のハグのおかげで元気出たよ。将軍が主治医変えたの、理由分かるわ。お前の喝は、人の心を動かす」

「もう信じてやらないっ」

 白衣のボタンをしめて、腕を前にクロスにして身を守る。不覚だ。男は狼だと、伊東を見て散々学習したのに。

「あんまりいうと内部通告で本隊長に解雇の申請出すわよ」

「本隊長……凛田さん? 彼女は平均的だよね」

「はあ? あんた、あの美人本隊長が平均的とか、意味わかんないわよ。全てが特上レベルじゃない。競う気にもなんないわ」

「あー、やべ。そろそろ行かなきゃ。西谷、あんがとさん」

「別にいいけどさ、職務を全うしただけよ」

「あ、一つ伝えとく」

「何よ」


「俺は、西谷が持つ気持ちと同じものを持ってるよ。大学のころから、ずっとその感情は燻らない。無様に頑張ろうぜ」


 答えられなかった。それじゃ、と言って向井は去る。

 追いかけたいと思った。

 守りたいとも思った。あんなにも、強がりで頑固で、触れたら割れそうな傷を抱えるあいつを。


「バレバレな訳ね、あたしの心なんて、あんたには」


 先輩から紹介された時から、あたしは――



◇◆◇




「何もないんですね」

「必要最低限のものしか置かない。元々、殺風景が好きなんだ。ホット?アイス?」

「ホットのジンジャーティーで」

「分かった」

 地下世界では体のバイオリズムを保つ目的で、零時以降は補助灯のみになる。転ばないように手すりに手をかけながら、訪れたのは凛田本隊長の個室だ。きちんと内線でアポもとってある。

 地下に居住地を移して間もなく、謎の死病が流行った原因がバイオリズムの乱れだと発表したのは西ユーラシア圏の研究チームで、それを光でコントロールする技術を造ったのは南ユーラシア圏。それを応用して宇宙空間にも対応できるよう開発したのは東アジア圏だ。勿論サードにも採用されている。医療隊副隊長であるあたしは、その管理者でもある。

「珍しいな」

「え?」

「まさか、西谷が来るとは思わなかった。今日も伊東とつるんでいるのかと」

「不本意な想像どうも。悪いけど、これでも合コンは控えているんです。ていうか忙しいから参加できないんだけど」

「交友範囲が広くて羨ましい。私は周りの人間を理解するのに精いっぱいだよ」

「変人が多いですからね。向井を筆頭に」

 ジンジャーティーを淹れる本隊長の体が、少し震えた。


 あたしがここに来た理由を知ったら、向井は怒るかもしれない。

 でも、あたしは自分に嘘を吐けない。

 東アジア圏に住む住民の存亡をかけた計画を担うチームでは、情報共有は当たり前で、しなければならないと思う。

 未来というものは、私たちメンバー同士が支えあい、創っていかなければならないのだから。


「率直に聞きます。本隊長は、向井紫恩をどう思っていますか」

「……内容はそれか」

「お答えによっては、質問が増えます」

「黄河には、これが“恋”なのだと言われたよ。しかし、初めて触れる感情なんだ。飄々としていて、それで真面目で根は優しい。振り回されるのは嫌ではない。一緒にいたいと思う。大切にされたいと――思う」

「本隊長は、ストーカー被害を受けていたと聞きました」

「ああ、でも……」

 困ったような顔をして、私の前にティーカップを置いた。そんな姿もサマになるから、憎たらしい。


 でも、分かります。

 感情を全て説明できるのなら、こんな心の痛みは必要ない。

 先輩のことはいつも見下してばかりいるけど、お節介なところは嫌いではない。簡単に、恋愛相談まで受ける彼を、少しだけ尊敬している。


「私も、先輩――坂登黄河と同意見です。それは、明らかに恋ですよ」

「……」

「責めるつもりはないです。宣戦布告ですよ」

「宣戦布告?」


「あたし、向井紫恩が好きなんです。先輩に紹介されてから、ずっと。大切にしたいし、守ってあげたい。あたしの想いは、そういう形をしています」


 一分一秒が、こんなに長いなんて。

 沈黙が、痛い。

 どう出るだろうか、そんなことを考えながら美しき我らが本隊長を、じっと見つめていた。

 あたしと本隊長の年齢は、あたしの方が一つ下だが、軍歴は二年違いになる。宇宙軍一年生は研修が必須だが、能力が上層部の目に留まれば研修を免除され、軍務につくことが出来るのだ。それはごく稀に発生する、奇跡的な現象だが、凛田本隊長と向井科学隊長はその奇跡が起きた二人である。そして、希望通りに、本隊長は戦略隊へ、向井は宇宙科学隊へ配属になった。

 単純に容姿に恵まれ、しかも奇跡の二人は受験生に憧れを植え付け、刺激を与え、あたしが受験した年は過去最高の倍率だった。例に漏れず、あたしも二人に憧れて受験したうちの一人である。自他ともに認める惚れやすいタイプのあたしは、猛勉強の末、入軍を許された。


 凛田紅莉に勝る美貌は持っていないけれど、傍に行きたい。

 向井紫恩ほどの能力はないけれど、話してみたい。


 それだけを思って。


「先輩……黄河が紹介したのか」

「ええ。先輩はあたしの一つ下だけど、本隊長と同じ研修免除合格です。学ぶことが多いから、先輩って呼んでる。これでも尊敬という感情は持っています。あなたと違って」

「何でそこに私が出てくる?」

 敵意を感じ取ったのか、俯いていた顔をあげて、鋭い視線を送ってくる。こんなに感情的な人間だとは知らなかった。

「あなたは、向井をどう思ってるんですか。好きなんでしょう、見ればわかりますよ。でも、守ってもらいたいとかそばにいて欲しいとか、それは子供の恋愛だわ。支えあいの精神こそ愛でしょ。向井がどういう闇を背負って、どんな状況に置かれているか、知ってるの?」

「過去の話は聞いた。孤児院を経営する母親の庇護下で育って、その母親とは死に別れて――」

「そういうことじゃない!!」


 泣いてもいいよね。

 涙ってこういう時にあるんだよね、きっと。


「提供されて、いないのね……禁忌だって言われたけれど、ここに向井のすべてが詰まってる。コピーだけど、あげる。あんたにしか向井は助けられないの!! あたしにその権利はないの!! あたしじゃ無理なの!!」


 USBメモリを投げる。カラン、と小さな音を立て、床に落ちたそれを、本隊長はすぐ拾い上げた。


「西谷?」

「……すみません。あの、ジンジャーティー、ありがとうございます」

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