第四話 緑の章―望んだ場所

 鳴り物入りで入った国宇連だけれど、私の場所はどこにもなかった。泣き叫んでも、懇願してもどうにもならない。それが分かったから収まっただけ。

――そう思わないと、弱い心が切り裂かれるのが分かっていただけ。


「小惑星が衛星に衝突?!」

「国宇連は軍に対して敵意は見せても、嘘の報道を流したりはしません。窓口である私に入ってきた情報で、あと二時間の定例会見で、発表した方が否か指示をくれとのメールが来ました」

「なにそれ、結局、軍が主体のサード計画隊に責任押し付けているだけじゃない!」

「西谷、口が過ぎる」

「どうしますか、本隊長」

 美しい容貌をもった凛田本隊長が、ホロパネルに移したメールの文面を見ながら俯く。出会って数週間だが、彼女の行動パターンは把握している。これは、“難しいことを考えている”ときの仕草だ。

 憎々しい。


「……ねえ、翠ちゃん」


「……え?」

「まって、坂登……翠さん」

「ちゃんっていった?」

「ああ、ばらしちゃった」


「御免、昔の呼び方出てきちゃった。てへ」


 さすがの本隊長もこれには驚いたようで。

 俯いていた小顔をあげ、向井を見つめる。

 私の怒りの沸点も、これには耐えきれずぐんぐんと上がっていくのが分かった。


「ええええええええええええええええええええ?!」

「なによう、坂登さんってば、実験バカとはそう呼び合う関係なのう?」

 国宇連の同僚が茶化し、

「まってまって、そう言う関係?! 坂登さんって黄河の二つ上だろ? 年上彼女?!」

 合コンコンビがぎゃあぎゃあ喚き、

「姉ちゃん、気を確かに持ってよね」

 馬鹿な弟が意味と逆効果の言葉を吐き、

「甘く見てよー、翠ちゃん。あ、また言っちゃった」

「今の、わざとだろ」

「バレました?さすが、本隊長」


「……向井紫恩ッ!!!! 二度とその名で私を呼ぶな!!」


 自分でもびっくりした。こんなに声を張り上げたのは、いつぶりだろう。


『なんで?! あんたのせいで、私の努力が水の泡よ! あんたなんかいなきゃいいのに!!』


 ああ、あのときか。感覚が、急に鮮明になる。

 春など来ないのではないかという大寒波が地球を襲った、高校三年生の冬。涙を流しながら叫んだ――


「……すみません。少し落ち着いてから、また来ます。萌田さん、すみません」

「あ、うん……」



 あの時から、私は鉄の仮面をとったことはなかった。全てがうまくいっていた。なのに。



いつでも向井紫恩が、邪魔をする。



◇◆◇



 国宇連に就職したのは十九の時だ。あれから十年、毎日通っていた場所なのに、アウェイに感じるのは、きっとサード計画隊の才能の塊たちに触れることで、充実した毎日を送っていたからだろう。総じて基礎能力が高く、専門能力にもなれば抜きんでるものはきっといない。それは南ユーラシア圏にも、西ユーラシア圏にもきっといない。

 中でも突出した才能を発揮しているのは、優れた判断力と部下の扱い方を身につけている本隊長・凛田紅莉。美しい容姿も兼ね備えている彼女を、こんな年下の小娘と思っていたが、たった四歳差。黄河より二つ年上だ。宇宙大学を首席で卒業し、東アジア宇宙軍に入隊。研修免除で大学の専攻であった戦略隊に配属にされた逸材。私にないものをすべて持っている彼女に嫉妬心は湧かない。湧いたところでどうにもならない。無意味なことはしたくない。

 “成功”を突き詰めたい、だから独学で解析学を学んだ。結果、高校は二年で卒業できた。そして、私は――


「そろそろ、来るかと思っていたよ。久しいね、坂登君」


『坂登は、やっぱり進路は変えないんだな』

『はい、先生』

『坂登の頭があれば、戦略科合格だって夢じゃない。応援するよ』


 でも、でも先生。


「お久しぶりです、湯浅代表……」


 チャンスをもぎ取られたら、詰め込んだ知識なんて水の泡――




「どうだね、向こうでの生活は」

「……充実していると思います。プロフェッショナル達に刺激されるのは、嫌いではないので」

「それだけかな。君が、軍の施設でのびのびと生活できるのは、それだけかい」

「お見通しなんですね」

「伊達から報告は受けているからね。まあ、半分は自慢だが」

「自慢ですか」

「ああ。近代最大のクーデター・虹事件の被害者をも制御下におさめられたと」

「……虹事件。あれからもう、十年経ちます」


 近代最大のクーデター・虹事件。

 孤児院“にじいろ”の子供たちが軍本部に不法潜入し、食糧庫と火薬庫を間違えて大火災を起こした。死者は十人。いずれも孤児院の子供たちだ。軍の逆鱗に触れたら、元々目の上のたん瘤である孤児院などひとたまりもない。“にじいろ”は解体され、責任者は極刑に処された。見せしめとして、軍の受験を中止。新たに就任した伊達将軍が受験を再開するまで二年間。その間に受験資格を失った学生を、マスコミは“虹の被害者”と呼び、一時の話題をさらった。


「軍も頑固だ。軍立宇宙大学の受験回数に二回など限りをつけて。伊達が復活させるまでに、多くの学生がチャンスをもぎ取られ涙を流したというのに、謝罪会見すら開かない」

「私は泣いていません」

「本当かい」

「悔しくて、喚き散らしただけです。弟――のような、同居人に」

 軍に入りたかった。

 東アジア圏を統治する宇宙軍に、尽力したかった。

「随分と酷いことを言いました。彼の身の上を分かったうえで、辛辣な言葉をかけました」

 治安や経済、医療も含め全ての安泰を担う軍は、私にとってヒーロー戦隊で。


『翠ちゃんは、最後のカードであるべきだ。その頭脳はきっと、後世に役立つ。軍は戦闘集団だ。無駄死にする可能性も否定できないじゃないか』


「子供だったんです、私」

 我が家に引き取られてから随分と背を伸ばし、私と目線をしっかり合わせて、そう言ったのは、実弟ではなくて。

 家族から切り離された女の産んだ美少年、向井紫恩だ。

「……軍を目指して、しかし時代という波にのまれて試されることすらされずに、国宇連にきた。君の能力と略歴は幹部なら誰もが知っているが――後悔しているかね、軍ではなく、国宇連にきたことに」

「仕事はやりがいがありますし、萌田という友人もできました。勿論、湯浅代表に出会えた。後悔したら罰が当たると思っています」

「それでも、軍の招集に従ったな」

「……決着をつけねばと思ったのです。虹事件と、向井紫恩に。それには両方とも軍が絡んでいる。すみません、私は国宇連の裏切り者ですね」

「坂登君……」

「……そろそろ戻ります。定例ミーティングを抜けてきてしまったので……」

「例の小惑星の件か」

 語彙が少ない私に、自分の感情を表現することは難しい。伊東蒼、西谷水香の合コンコンビや、国籍というものと戦ってきた萌田橙子が持っている普通のコミュニケーション能力が、軍に入りたくて勉強ばかりしていた私には、ない。凛田紅莉、向井紫恩のような群を抜いた専門能力があるわけでもない。どれも中途半端で、一番年長者の私は、どうやってメンバーを支えればいいんだろう。

「はい。貴重なお時間をありがとうございました」

「坂登君」

「はい」


「いつでも、戻ってきなさい。腰抜けの爺でも、話しぐらいは聞ける。君の最大の武器は、有能な人物に出会えることだ」


 出会い――



「君は、世界に必要な人物なのだから」



「ありがとうございます」


 後ろ手で代表室の戸を閉める。

 頬を伝う、熱いものは何だろう?



◇◆◇



「なるほどね、坂登さんが“虹の被害者”か。世代的に、そうかもとは思ってたけど」

 対策室に戻ると、まるで何事も無かったかのように、メンバーが席に着いていた。詫びをすると、本隊長がミーティング再開の指示を出す。

 一分一秒無駄にできない。なのに、私が激怒した理由を知りたいと、促したのは本隊長だった。断片的に知っている萌田さんはもじもじしていたけれど、過去のことをまとめてメンバー伝えた。


 軍に入りたかったのに、虹事件のせいで大学の受験が中止になったこと。

 国宇連に就職した経路。

 

「ドンマイとしか言えないけど……坂登さんは、チームに必要だよ。俺らの規律を正せる人間は、坂登さんしかいない」

「私の立場はどうなる?伊東」

「本隊長は作戦の指揮をとる、坂登さんは俺たちを支える」

「伊東、あんたでも難しい事考えるのね」

「ねえー、本題に戻ろうよう。小惑星が衛星に衝突して、計画に色々支障が出てるの。橙子が解析したんだから、間違いない」

「その前に、メンバーをそろえる方が先だろう」

 話し終えた時、

「また橙子が行くのー?」

「いや、私が行く。この件は公式に発表しよう。坂登、萌田。臨時に指揮を執ってくれないか。可及的速やかにサードに行く日程の再調整だ。上層部からの決定は、紙を通すから遅い」

「同行してかまいませんか、本隊長。解析に関しては、萌田さんの方が明るいです」

「ああ……そうだな、かまわない。萌田、すぐ戻るつもりだが、あとを頼む」


 向井紫恩が、姿を消した。



◇◆◇



 くたくたになるまで勉強して、遅めの夕食を摂る。リビングには、私の大好きなシチューが用意されている。そして、階段から降りてくる音を聞いたのか、舟をこいでいた顔をあげ、笑った。


『翠ちゃん、お疲れ様』


 待っていたのは途中からできた弟・紫恩。実弟の黄河はもう寝ているのに、義理堅い彼は必ず待っていた。


 殺人鬼みたいな目をしていると思った。初めて紫恩を見た時、隙を見せたらいけないと思ったほど。しかし、家族になってから三日で、私と黄河に心を開いた。年上の私に懐き、年下の黄河にちょっかいをだしはじめて。初めて会う母方のいとこが、我が家に引き取られる経緯は聞いていたけれど、その話とは違ったものを、紫恩は二面も三面ももち、それを器用に操る大人びた男の子だった。

 私は言葉が下手だから、うまく表現できないけれど、自由自在に自分を操る紫恩に、憧れすら抱いていたと思う。勉強熱心で、面倒見がよく、素っ気ない癖に優しい。可愛い弟だった。

 しかし、私が十六になったころ、その関係性は崩れる。


『姉ちゃん!』

『何よ、騒々しい。紫恩がなにかしたの』

『とにかく、リビング来てってば!』


 ものすごい喧騒で私の腕を引っ張り、落ちるのではないかというスピードで階段を降りる。リビングでは、けたたましい声を発するテレビを前に硬直している紫恩がいた。


『紫恩、どうしたの?』

 いつもと同じように声をかける。振り返った彼の顔を見て驚嘆するも、その顔には見覚えがあった。


 あの時――初めてうちに来た時と同じ、全ての感情を排除した、殺人鬼の目をしていた。


『紫恩!』

『翠、そっとしておいてあげて。そして、あなたにも言わなきゃならないことがある』

『何よ、お母さんまでかしこまって』


『……クーデターですって。“にじいろ”の子供たちが、軍の火薬庫に忍び込んで、爆発させて……鎮静するまで、大学入試も行わないって』


 私の世界は暗転した。

 軍に入る。その為には軍立宇宙大学を卒業しなければならない。

それが私の人生のすべてだった。


『紫恩!!』

『翠ちゃん……』


 この事件で、心が切り裂かれたのは紫恩も同じなのに。

 珍しく、我を忘れて。


『なんで?! あんたのせいで、私の努力が水の泡よ! あんたなんかいなきゃいいのに!!』


 紫恩は、関係ないのに。


『御免、翠ちゃん……』



◇◆◇



「成程な。坂登が向井にきつく当たるのは、そのせいか」

「理解できたのですか? 私は、大事なところをお伝えしていません」

「分かる。私もその事件は覚えているし、大学時代に学んだからな。極刑が下された孤児院“にじいろ”の代表者は向井美成虹みなこ。苗字が同じだけかと思っていたが、彼女は向井の関係者なのだろう?」

「実母ですよ。私の母の旧姓は向井です。隠れていないで出てきたら、紫恩」

 すぐそばにあった男子トイレから、件の人物――向井紫恩が姿を見せる。視野が広いのは私の特技だ。

「向井……」

「自分のことを語るのを嫌い、昔からそうやって隠れて。ねえ、紫恩。私は言わなきゃならないことがある」

「翠ちゃん、事件のこと……悪かったと思ってる。いくら関与していないとはいえ、身内の起こした不祥事だ」

「向井。何故、自分をそこまで追い詰めるんだ」

「恥ずかしかったんだ。生まれ落ちた瞬間に、血もつながっていない兄姉がいて、あっという間に弟妹もできて、あいつらのことは家族だと思ってた。でも、自我の目覚めがきてから、それが嫌になったんだ。母さんを盗られたって、そう思って」

「理由はそれだけ?」

「子供にとっちゃ十分すぎる理由でしょう。というか、話が違う方向にシフトしています。当時こそ、恨んで憎いと思っていたけれど……謝りたかった。感情に身を任せて酷い言葉を浴びせたことを。紫恩は関係ないし、悪くないのに。でも、私はこんな性格だから人前でそんなことできない」

「だから、本隊長にくっついてきたわけ」

「いつだか、私に言った言葉を覚えている?」


『翠ちゃんは、最後のカードであるべきだ。その頭脳はきっと、後世に役立つ。軍は戦闘集団だ。無駄死にする可能性も否定できないじゃないか』


 今、思えば。紫恩にしては、これ以上ない慰めと称賛だ。言葉の扱いに慣れていない紫恩が絞り出した、私への言葉。

 どれだけ、救われたことか。


「……御免、翠ちゃん。俺、こういう時になんて言ったらいいのか分からねえんだ。悪いことをしたから、陳謝することしかできない……」

「ありがとう」

「え?」


 言えた。こんなにも、あっさり。



 私と紫恩は、似ている。人を傷つけるのも、自分を傷つけるのも怖がって、押し込んだ本音が爆発する。それが、どういう結果を招くという予想すらできない。

 勉強ばかりしていた私。

 罪なき子供たちを憎んでばかりいた紫恩。

 それなのに、大人ぶって背伸びをし続けて。


 私の不意打ちの礼に固まっていた紫恩の表情が、ゆっくりと微笑みに代わる。


「悪いと思ったら悪い、いやだと思ったらいや。そう言っていいのよ。私たちは共に育ったのだから。今度はあんたの番よ。感謝の返事は、分かるわね?」



「……どういたしまして!」


 人は反省や後悔をもとに、すぐさま代替案を模索できる生き物だ。止まっていた感情も、きっかけ次第でどんな形にも成長する。十年間動かずにいた私と紫恩の感情が、一気に好転したように。


「行こう。本隊長、翠ちゃん。みんな待ってる」

「お前を探しに来たのだがな」

「突っ込みが痛いね、本隊長」

「紫恩」


「“翠ちゃん”はやめなさい。せめて、業務中は」



◇◆◇



 小惑星が衛星に衝突したことで、衛星の軌道が変わり、私たちの日程にも微調整が加えられた。戻ると、萌田さんが既に新たな日程案を出してくれていた。


 サード計画実行まで、あと二週間。私たちが何度も話し合い、整えるまで一.五週間しかない。

「この日をずらすのならば、一年後ね。それまでに橙子たちが生きている可能性は低い。それほど、この星は痛んでる」

「坂登。国宇連に、すぐにこの件の公式発表を要請してくれ。サード移住の参加者も同時に応募開始だ。大丈夫、私たちはスムーズに準備を行っているよ。ぬかりはない」

 本隊長の言葉は心に刺さる。皆、各分野のエキスパートで、若いながらも本隊長就任は大抜擢だったけれど、人の心をつかむ言動をさせたら、凛田紅莉本隊長の横に出るものはいないだろう。


「サードへ……移住するんですね」


 目まぐるしい日常を送っていたので放棄されていた事実が、黄河のつぶやいた言葉で思い出された。

「紫恩、アレは確か二週間……」

「翠ちゃん、何も言わなくていいから」


 どうして、彼はこの計画を承認したのだろうか。適任者がいなくとも、準備が整ってから要請が来れば、想像したくない未来は避けられたかもしれないのに。


「……そう」


 紫恩は、向井紫恩のものだ。頑固で少し臆病な、線の細い彼のもの。黄河、知っているらしい伊東さんも、私も、見守ることしかできない。

 紫恩のタイムリミットは、丁度、二週間後だ。


 紫恩の顔が、少し曇っているように感じたのは、私だけではない――

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