第三話 黄の章―医者の不養生

 テスト・ミッションから三日たったが、僕らサード移住計画隊に特に目立ったミッション、研修等は行われなかった。ミッション後すぐに相談役の伊達将軍から一報が入り、それに従っているからだ。

『拍手を送りたい。ということで、一週間は好きに過ごしてくれ。よろしく』


 たったそれだけの文面。馬鹿と天は紙一重というか……


 伊達陽光東アジア宇宙軍将軍。宇宙開発に明るい東アジア圏においては最高の権力者であり、奇人としても知られている。顔合わせから何の交流もなく始まったテスト・ミッションの奇天烈さ。特殊な宇宙空間で、闘いもせず、守りもせず、ワープという逃げる答えを用意した。過去の歴史から、逃げるということは、東アジア圏では負けとも思える行為だ。

 まあ、全員合格なのだからいいけれど。


「三十八度五分」

「……」

「先輩って、本当あたしがいないとダメなんだから!」

「西谷、大声出さないで……頭に響く……」

「チームでたった一人の医者が風邪ひいてんじゃないわよ! とりあえず点滴しとくから。終わったころにまた来る」

「解熱剤……」

「錠剤は医者じゃなきゃ出せないでしょ!物資が少ないから処方箋持って来いって、軍に渋られたのよ」

 軍立宇宙大学校には、戦略科と科学科、医師育成クラスと看護育成クラスに分かれる医療科があるのだが、医師育成クラスは僕の代が最後の卒業生だ。残された看護育成クラスも早々に廃止され、西谷は看護育成クラスの最後の卒業生である。ちなみに彼女は、実績重視の軍の中では部下だけれど、学年も年齢も一つ上である。

「あたし、これから合コンなんで。帰りは遅めです。黙って寝てるのよ!」

「相手は誰?」

「軍人よ。もうここから出られないからね。ちなみに宇宙科学隊」

「伊東の伝手かあ」

「一応、軍では宇宙科学隊だからね、あいつ。じゃ、そゆことで」

 西谷はかんかんと靴音を立てながら去っていった。ヒールを履いているあたり、そこそこ気合を入れているのだろう。科学隊の伊東とはウマが合うらしく、サード移住計画で招集される前から、軍で二人は遊び人として噂が流れていた。

 合コン。合同コンパ。確か、人類が地上を謳歌していたときに、現東アジア圏の小国で行われていたものだ。通常、同人数の男女が集い、酒を飲んで、恋なんかしちゃって、結婚したりする。政略結婚やお見合い結婚が当たり前の現代では考えられない、フリーダムな未来の紡ぎ方だ。若いって、希望があるっていいな。西谷も伊藤も僕より一つ年上だけれど、そう思わずにいられない。熱が高いせいだろうか、考えがすべてネガティブな方へシフトしてしまう。

「黄河、入るぞ」

「許可とる前に入ってるじゃん、紫恩君」

「そんな生意気なこと言えるんだから、生死にかかわる病状じゃねえんだな。さっき、伊東と西谷が出ていったし。おら、これ食え」

「ありがと……紫恩君、高かったでしょ」

 渡されたのは、缶に詰められた桃だった。サプリメントで生きる現代人において、食物というのは手をいくら伸ばしても届かないほど貴重なものだ。どこからお金を集めてくるのか、未だに情報ソースすらつかめていないけど、小学校四年生でうちに引き取られてから、誰かが倒れると必ず桃をもってきた。僕にも、姉ちゃんにも、うちの両親にも。

「サプリメントは、必要最低限の栄養補助剤だ。疲れて免疫力が落ちているときに向かないって……あ、悪い。お前、医者だったっけ」

「……この七人では、唯一の医師免許保持者だけどさ。それより、うつるよ。天才科学隊長さん」

「俺はいいんだよ、天才だから。処方箋書くぐらいの気力はあるだろ?」

「お見通しだね」

「そら、坂登黄河君のお兄様だもの」

 紫恩君が、ほい、と器用に缶を開けると、途端に独特の甘くて良い香りが広がった。食べやすい大きさに切ってくれるあたり、紫恩君の人の良さがでてくる。普段は僕を下僕のように使う、冷徹人間なのに――この人は僕の嫁さんなのだろうか。

「本隊長が心配してた。心労だったらすまない、ってさ」

「本隊長……」

 凛田紅莉本隊長。テスト・ミッションで見せたリーダーシップ、決断力は、今まで見てきたどんな軍人より素晴らしかった。配属が違うから噂でしか聞いたことしかなかったが、彼女は東アジア圏最後の希望なのだろう。

 そして、きっと紫恩君を――

「紫恩君、テスト・ミッション凄かったね」

「なんだっけ」

「ワープの実験」

「ああ、あれね。俺は何にもしてないぜ。本隊長のサブをしてただけだよ」

「みんな、紫恩君を見直したと思うよ」

「何が言いたいんだよ」

「いっつも紫恩君、何にもしなくても女の子が寄ってくるからいいなあ」

「橙子ちゃんは、ちょっと話す機会があったからな。思いつめてる節もあったし」

 これだ。

 これに女性は

「僕には厳しいのに、女の人には優しいね」

「……男に優しくする方法を知らねえだけだよ」

 紫恩君は、亡くなったお母さんに寄り添いながら生きてきた。多分、今でも心の半分は、あの美しい女性で占めている。うちに引っ越してきたときの、あの感情が埋没したような冷たい瞳は忘れられない。

 共同墓地に眠る彼女は僕の母親の妹で、暗い地下世界でも輝くように美しかった。奇抜な人で、実家を飛び出したと思えば、子供ができたと帰ってきたと、母は言っていた。酸雨症で亡くなり、一人残された紫恩君。捨て子だって珍しくない昨今、紫恩君はラインぎりぎりだった。親を失った子供は、良くて孤児院へ送られるか、運悪く売られるか。子供に自らの人生を選ぶ権利はないのだ。

 今の、何事にも興味津々になるキラキラした紫恩君に何があったのか。彼が家を出て、僕が大学入学を果たして再会するまでの一年間、彼はがらりと変わった。瞳が熱を帯びている。悪いこととは思わないけど、八年も弟をやっていたんだから、気になりはする。

「すべてにおいて最悪な男と、道徳的に最悪な女の息子だぞ。万人に優しくなんて、できるはずがない」

「でも、紫恩君は大学に入って変わった。僕はそう感じる。なんだか、優しくて、強くなった気がする」

「この話題は終わりだ、お医者様。これ食って、早く良くなってくれよ。理系つながりで、俺が医者の真似事させられてるんだ」

「紫恩君、もし……」

「なんだよ」

「もし、今、告白されたら、受け入れる?」

 紫恩君はずるい。容姿もいいし、頭もいい。性格は悪いけど、たまに良い。そんな彼に惹かれ、散った女性は何人もいる。

「俺は一匹狼ならぬ一匹ハイエナだよ。誰にも好かれない、王者に寄り添って残りを喰らう、最悪なハイエナなんだよ」

「そんな……」

「薬。とりあえずボルタレン、ムコスタ、あと適当に抗生物質、申請しとくぞ」

 処方箋をひらひらさせて、格好つけて去っていった彼を、僕は止めることが出来ない。

 知りすぎているんだ、僕は、彼を。兄弟のように育てられても、踏み込んではいけない部分はあるし、元々紫恩君はそういうラインをはっきりとひく性格だ。僕は彼の様に何でもできるような性格ではないし、ここは大人しくお兄ちゃんの言うことをきこう。


 何を考えても無駄。頭も回らないし、そういう時は、寝るに限る。

 薬はきっと、軍での部下が持ってきてくれるだろう――


「黄河」


 ノックと呼び掛けで微睡は一気に吹き飛ぶ。

 訪れたのは、軍での僕の部下ではなく、水谷でもない。


「薬をもって来た。ついでに、ちょっといいか」


 数十年に一人の逸材と謳われ、東アジア圏の命を背負う天下無敵の本隊長。



「凛田だ」


 紫恩君のいう虹で例えれば、始まりの“赤”担当、凛田紅莉本隊長だった。



◇◆◇



「申し訳ありません。こんな時期に風邪なんて……しかも本隊長に薬をもって来させてしまい」

「軍でも、備品管理や手続き関係は私の業務でもあったからな。気にするな」

 無駄なところは全てそぎ落としたような、小さくて美しい顔に、優しげな笑みを浮かべる。僕が入軍した時から、彼女の噂は嫌でも耳に入った。


 ねえ、作戦隊のあの子、昇進して副隊長だって

 まだ二十五でしょう。生意気すぎて腹が立つ自分が恨めしい

 あれだけ綺麗で頭もきれたら、昇進くらい乞うだけで叶いそうなもんだよね


 彼女の周りには、真実に妬みが上乗せされていた。

「……さっき、向井が来たみたいだな」

「ご承知でしたか」

「訂正するなら“ご存知”だな。国語を学べ」

「すみません。紫恩君ならさっき、お見舞いに来てくれたんです」

 処方箋の件は黙っておこう。規律を重んじる本隊長には藪蛇だ。

「そうか……三分でかまわない。相談があるんだが、大丈夫か」

「大丈夫ですよ。そんなに重症じゃないですし、予測もしてましたし、慣れていますし」

「……やっぱり、向井は女性に人気があるのか。私にはそう思えないが」

 あれ?見当違いか。

「向井のことを知りたいと思う。向井を知らないと、向こうも語らないという事実に直面すると、心臓が張り裂けそうになるんだ」

「……天下の本隊長が、僕なんかにそれを話していいんですか」

「なんとなくだが、黄河は信用のおける部下だと思っている」

「僕は気づいていましたよ。本隊長の目、あのテスト・ミッションを越えてとても優しくなった気がするんです」

 僕は医者だ。内科外科問わず分野も勉強し、最難関の試験という国家試験に合格した。でも、西谷の出番なのかもしれないけれど、僕は本隊長の抱える病気を知っている。


「本隊長の痛みは、人類が誕生したころから抱えてきた、不治の病です」


 優しい目が、少しだけ潤む。何故だろう。


「人類はその病に、“恋”ってつけたんですよ」

「……馬鹿なことを」

「しかも、そこに“禁断の”ってつきます」

「……尊敬してはいる。彼のコミュニケーション能力と科学の能力は、おそらく随一だ」

「尊敬から発展するのが恋ですよ。僕の経験則ですが」

「最後の質問だ。向井は何を隠している?」

「それは……」


 言えない。


「ご自分で見つけたほうがいいと思います。僕には、きっと語る権利がない」

「……すまない。ありがとう」



◇◆◇



「大丈夫ですよ、まだ、制御下における」

『そう言って大丈夫でないのが君だ。タイムリミットはもう一か月。今日の分を入れたら一か月もない』

「失敗は許されない、そのために俺は選ばれた。俺に課されたのは未来ではなく、希望だってことぐらい分かってる」

『泣く人間が出るぞ、きっと』


「大丈夫。ほんとに大丈夫ですよ――伊達将軍」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る